場面1 お引越し
初めて書く小説になります。
拙作になるかと思いますが、もし宜しければ第1話の終わり(場面17 「あの日、ボロ布の子と」)辺りまで、生暖かい目でお付き合い頂ければ幸いです。
藤田家の朝。
「~♪」
学習机の上から充電ケーブルで垂れ下がった誠司のスマホから何度目かのアラームが鳴っていた。
目覚ましアプリで設定していた時間は過ぎていたが、睡眠を優先した誠司の脳みそはアラームの度に『終了』ではなく、『スヌーズ』をタップしていた。
今度は誠司の部屋から廊下を挟んで反対側の部屋からギターを弾く音が鳴り出した。
藤田家の長女、芽衣子だ。
今日も日課の早朝ジョギングをしてきたのだろう。
ジャージ姿で自室から出てきた。しかもギターを下げて。
電源みたいな名前のロックバンドの曲を弾きつつ、「そろそろ起きろや♪地獄へ落としたるぞ♪」と歌いながら、器用にも足で円形のドアノブを回して誠司の部屋に入ってきた。
アメリカから姉が帰国してからのここ1年、お決まりのパターンとなっていた誠司としては姉のギター音こそが本当の目覚ましであり、もはやスマホのアラームはその前座扱いとなっていた。
のっそり起きる誠司を余所眼に、誠司の寝ていたベッドに腰掛けた芽衣子はギターのピッキングが気にくわなかったのか、替え歌の歌詞がイマイチだったのか、その両方か。
本人にも分からなかったが、「落としたるぞ♪」の部分だけを繰り返し弾き語り始めた。
ふと足元を見た誠司だが、いつもなら地面を這う蛇のように、ギターから伸びたケーブルは芽衣子の部屋に有るアンプまで伸びているのに、今日に限って電池式の小型アンプをギターに直接付けて弾いていた。
ギター目覚ましが始まった当初こそウザいと思っていた誠司も「これは姉が家を出ていた数年で姉弟の間に出来た距離感を埋める為のコミュニケーションなんだ」と理解してからは受け入れるようになり、毎朝の通過儀礼となっている。
「全くやかましいんだからな。メイ姉は」などと小言のように言いつつ、ベッドの足元側、ベランダに通じるガラス扉のカーテンを開けた誠司に違和感が走った。
「…ん?」
最初は何が変なのか誠司にも分からなかった。
「またベランダに何か鉢植えが増えたか?」
ベランダには芽衣子の部屋からも出入りが可能だったのを良い事に少しずつ鉢植えが増え、今では訳の分からない植物達が我が物顔で占領していた。
「いや、違うかな。庭か?」
腰を痛めた父の代わりに庭の手入れは誠司の役割になっていたが、春になってからまだ一度も手入れをしていなかった為に雑草が生い茂る庭。
その中心部には小豆色の見慣れない大きな箱が存在していた。
「なんだあれ?――って、コンテナだよな?それも10フィートの。」
就職先のホームセンターでは販売こそしていないが、搬入時にコンテナが利用されていたので、誠司にとっては馴染みこそあるものの、大人10人は入れる巨大な鉄の箱が民家の庭にあるのは違和感しかなかった。
「あのコンテナってメイ姉の?昨日までなかったよね?どうしたの?」
誠司にとっては"無駄に行動力の有る姉"である芽衣子なら夜中に庭にコンテナを運び込むなどという無茶をやりかねないと殆ど確信していたが即座に否定された。
「あたしじゃないよん。ってかそんな事よりウチの外のがヤバいけど、そこはノータッチ?」
言われて庭の外に目を向けた誠司の視界に映ったのは暗い森だった。
「えっ!?…森っ??――畑は?」
藤田家は元々は農業を営んでおり、家もまた田畑に囲まれた平原にあった。
都心に近く、また広大な農地群だったので、普通なら高度経済成長の波に飲まれ、宅地開発やビル建設によって破壊されるハズだった。
しかし江戸川の畔に位置していた為、水害を警戒して長く農地のまま現在まで存続されていたエリア『弓切地区』に藤田家は存在していた。
今では離農し、農地はお隣の松井さん
――隣と言っても徒歩数分かかるが――
に管理を任せて固定資産税程度の貸し賃をもらう状態になっていた。
本来なら広がる田畑と広い河川によって、どこまでも広い空も見えたが、今や目の前には大樹と呼んでも過言ではない太く高い木々が庭の周りには存在した。
「不思議だよねー!朝のジョギングで外出たらこんなだったから爆笑しちゃった!!」
ケラケラと笑いながらギターストラップから体を抜く芽衣子に対して、爆笑で済ませて走ってきたのか、と内心ツッコミを入れた誠司には2つの考えが脳裏に過ぎった。
その1『きっと夢』
その2『メイ姉が仕組んだ質の悪いジョーク』
「オッケオッケ。まだだ。まだ慌てる時間じゃない。そう。ビークール、だって俺はノットフール。よし、メイ姉!俺に一発ボディブローをかまし――「オーケーぃ!」――」
夢なら殴られても痛くないハズ。
そしてこれは夢だと思った誠司は、姉に殴る事を依頼するが姉の芽衣子は「そうくるだろう」と想定済みで間髪入れずに、誠司の正中線に右ストレートを叩き込んだ。
「誰?」
芽衣子が構えた瞬間に、芽衣子が黒人ボクサーに見えた誠司が、結婚式前に二日酔いで男たちがやらかす映画に出てたボクサーに似てるなぁ誰だっけ?
などと考えて口をついて出た言葉だったが、次の瞬間には体が浮いて部屋の本棚に激突していた。
「やっぱり痛くない――」
そう、だったらこれは夢だ。
ああ、そろそろ職場のホームセンターに出勤しないといけないのかとうんざりした瞬間に本棚の上部から本が雪崩を打って落下し、誠司の頭に直撃した。
「――痛ってえぇぇ!!なんだよ!夢じゃないのかよ!!」
「うわぁごめんごめん。すごい飛んだねぇ。ってか飛びすぎじゃない?画面映えはするけど、やりすぎは良くないゾ☆」
自ら後ろに飛んだと芽衣子は思った。
いい歳して茶目っ気を出されてもと思う誠司だったが、藪の蛇よりも現状確認を優先した。
姉の仕事仲間なら家の周りにハリボテを作って「ドッキリでした」なんて事も出来るのでは?と危惧して木々の葉を見たが、ちゃんと葉っぱは揺らめいていた。
ハリボテに書いた絵ならまず無理な芸当だ。
残るは藤田家ソックリな家を別の場所に建てて、寝ている誠司をコッソリと移送するくらいだろう。
「なぁメイ姉。これどうなってるんだ?ドッキリ?」
「あたしに聞かれても困るよー。起きたらこうなってただけだし。ドッキリって、このレベルやるならで50万ドルは必要でしょ。あーでもこんな大樹が生い茂るなんて日本じゃないのかな?だったら100万ドルでも無理だわー。そしてそんなお金は持っていない」
エッヘンとばかりに胸を張る芽衣子だったが、誠司にとっては混乱が加速するだけの回答だった。
「そんな訳の分からない状況で外にランニングって正気か疑うよ。無事だから良かったけどさ。」
「慣れない土地でのジョギングなんて日常茶飯事だったからね!それに朝は走らないと調子が悪くなるの!ご近所さんも良さそうな人だったし?」
「ご近所さんって、誰――「知らなーい」――なんだそれ?」
弓切地区は広大な土地に反比例して農家の数は20軒と少なく、昔からの付き合いもあるので知らない家や人は存在せず、必ず互いのフルネームを知っていた。
たとえ家を数年離れていた芽衣子であっても一度でも井戸端会議に巻き込まれれば、ご近所さん情報は即座にアップデートされるほどに濃密なご近所関係であり、実際に誠司の出勤時に朝のジョギングに出てそのまま近所の奥様おば様方と道端で長話をしている芽衣子が何度も目撃されていた。
「知らないのにご近所さんってどういう事だよ。どこに住んでるか分からない他人だろ?」
「ううん。どこに住んでるのか知ってるよー。ほら、あそこ」
芽衣子は誠司のベッドに上がり、ベッドを挟んで壁側の出窓で閉まっていたカーテンを開けると、そこにはレンガで出来た建物が有った。
「――教会?」
そこまで風雨に晒されていないのか、レンガ間の繋ぎ部分がすり減っていない所を見るに、建築後にそう時間は経っていないのだろう。
重厚感すら感じるが、地震大国の日本人からすれば逆に頼りなさを感じてしまう建屋と、それに寄り添うようにして伸びる塔のような建築物の最上部に吊るされた鐘を確認し、教会を連想した誠司だった。
「よくわかんないけど、あそこから出てきたから『おはようございまーす』って声掛けたら、めちゃビビられちゃったよ。笑顔が足りんかったかねぇアカデミー賞の受賞練習は今でもやってるんだけど――」
と言いながら芽衣子は『私が受賞なんて信じられない』と言わんばなりのポーズをしながら、誠司の本棚においてあった金色のフィギュアを手に取っていた。
誠司は「アカデミーにスタント部門が無いのはおかしいって文句言ってたのはメイ姉だったろうに」と芽衣子と聞こえないようにブツブツ言いながら、入れ替わりにベッドに乗りつつ出窓に身を委ねて、意識は日本に全く似合わない建物へと完全に奪われていた。
「~♪」
『俺の存在を忘れるんじゃない』とばかりに本日何度目かの目覚ましアラームを鳴らし出したスマホだった。
脳が状況に追い付かず、半ば混乱していた誠司の意識が現実に戻り、ベッドに腰掛けてスマホを手に取ると、ようやく目覚ましアプリの『終了』のボタンが押された。
するとスマホが通常の画面に戻ったのだが、電波のアイコンにバツ印が乗っていた。
「圏外って事か」
あり得ない事だった。
いくら農業地区でも西は江戸川を挟んで首都東京。
誠司がスマホを手にしてから自宅の中で圏外だった事は1度として無かった。
「うん、あたしのスマホも圏外だよー。――じゃあそろそろ状況を整理しよっか」
フィギュアを棚に戻すと、わざとらしくオホンと咳払いをしながら、掛けてもいないメガネの位置を調整する真似をする芽衣子に、ベッドに座ったまま(もう少し真面目に考えた方が良くないか)と思いながらから見上げる誠司だったが、今は情報を自分より多く持っているであろう姉の言う事を素直に聞く事にした。
「宜しい。分かっている事から整理するザマス。」
「ザマスってどんなキャラ――「シャラップ!」」
ついツッコミを入れた誠司だったが、新兵訓練教官のモノマネが始まりそうだったので口を閉じた。
「――よろしいザマス。
1個目、『これは夢じゃない』
ほっぺをつねったら痛かったし、こっちの痛みもリアルにあるのよね。」
急に素に戻って右足の膝をノックするように叩きながら呟く芽衣子に、どう反応していいか分からない誠司はただ頷いた。
「2個目!ここは我らがマッドシティではないザマス!」
藤田家の住所は松戸市弓切。
マツドシティから転じてマッドシティと一部から呼ばれていたが、誠司としても生まれ育った街で、こんなに深い森が広がる場所に心当たりなど無く、反論の余地も無かった。
「3個目!つまり家が"どこか"にお引越しです!」
誠司は一瞬(『引っ越し』ってなんだっけ?)と分からなかった。
何故なら"引っ越し"と言えば、家屋はそのままに家人が新しい家屋に移り住む事であり、家屋そのものが移動する事とは結びつかなかったからだ。
しかし家屋を除外しても、自分たち家人が新たな土地へ"引っ越し"をした事と言えばその通りであり、これも同意出来たので頷いた。
「ここでクエッション!私たち日本人が引っ越しをして最初にやる事はなんでしょう?」
2頭身の人形を掛けて回答するクイズ番組に出てくるなんとかハンターのようなワザとらしい口調で問う芽衣子をスルーして、誠司は考えた。
(最初にやる事?ネットの申し込み?いや、その前にまず電気・ガスとかライフラインの開通…。いや、そんなのは日本人に限らないよな。日本人といえば――ああ、分かった)
「引越しの挨拶とか?」
「ビンゴ!せいかーい!という訳で、粗品を持って挨拶しに行こう!」
誠司は家に何か人様に渡して迷惑にならないモノが有ったか思い返した。