『学園生活』5
フロイデーン学園には学食というものがある。午前日程が終了すると全ての生徒が腹を満たすためにここへと足を運び、剣術科や魔術科の生徒達が分け隔てなく接する事で大声で話さない限り声が聞こえないほどに賑わっていた。勿論マサヒロ一行も例外ではなく、食堂へと足を運んだはいいものの学食というものには皆初めてで、異様な程賑わう食堂を見て立ち竦んだ。
「この中に入って行くんだよな? これ昼食なんてとてもじゃないけど食べれないぞ」
「そうね、机のある席なんて全て上級生が占領してるもの。流石に上級生に喧嘩なんて売りたくないし……料理を貰って外へ行って食べましょ」
セリアもここではどうしようもないと思ったのか的確な状況判断でどうすればいいのかを決める。満場一致で異論はなく、いつもなら張り合うエリザベスでさえここは押し黙っていた。
「それにしても学食のバリエーションの量には驚愕だな、それ以上のインパクトが先に植え付けられてるから絶句するほどの事でもないけど」
「そうですね、この数多な種類をこの学園を卒業するまでに食べ切れるかどうか」
クルネは目を輝かしながら学食のメニューを眺めていた。マサヒロもそれに乗ってメニューを覗き込む。そこでマサヒロはある事に気がついた。それもこのおかしな世界に巻き込まれてから初めに懸念した一つ。
「ロイゼの授業とかサクサク進んでたからあまり気にしなかったけど、この文字よく見たら日本語じゃないよな。形とか歪だし……でも何が書いてあるのかは理解出来る。つまり、俺にはもともとこっちの言語を理解する何かしらの能力は備わっていたという事だな。待てよ、俺の加護『言語理解の加護』とかじゃないだろうな?」
「何意味わからないことブツブツ言ってんの。『言語理解の加護』なんてないから、っていうか要らないからそんなの。早く何食べるか選びなさい!」
手を顎に置き念仏のように言葉を並べ推理しているマサヒロを無理矢理学食の受付に押し込む、いや蹴り込む。足をもたつかせながら受付へと倒れ込んだマサヒロに、雪のように真っ白な肌、形の整った美貌、銀色の髪を靡かし尖った耳を見せた受付の女性はノーリアクションで、
「ご注文は何にされますか?」
受付の女性はメニューを手で示しながら聞くがマサヒロには全く耳に届いていなかった。なぜならマサヒロはある衝動に襲われていたから。
この世界に来てこの方確かに人間非ざる者はちらほら目にしてきた、だが学園に入学してからというものマサヒロは人間としか関わっていない。この学園の生徒はそれは美人を超えるほど美しい美女ばかりだが、今マサヒロの目の前にいるのはもっと美しく綺麗な者だった。
「エルフ?」
マサヒロが特徴から察っしたうえで言葉に出たのがこの三文字だった。ファンタジーゲームなどによく登場する、エルフ。マサヒロの知っているそのエルフに特徴が殆ど一致している。
マサヒロが唐突に発した言葉に女性は少し戸惑いを見せたが、
「エルフ……ですか。確かにそう呼ばれた時代もありましたね。それがどうかしたのですか?」
女性は怪訝な顔つきで問いに問いで返す。
「え、いや、別に何でもないです」
本当に言葉に発した理由は無く、ただ無意識に口が開いていただけなので、笑って誤魔化すが女性は一ミリたりとも笑い返す姿を見せなかった。
「それで注文は何にいたしましょうか?」
エルフの女性は先程の怪訝な表情をおくびにも出さず急に受付の店員へと戻る。しかしそれは同時にエルフとしての自分を話すのはこれ以上は嫌だと拒絶されているようにも感じる。
マサヒロはそれ以上彼女と話すことはなく、
「じゃぁカレーで」
「かしこまりました」
注文を終えるとカレーが出てくるのを待ち、受け取るとマサヒロはクルネ達の元へと戻っていく。が、クルネ達はまだ注文を終えていないのでマサヒロは外で待つ羽目となった。
◇◆◇
「お待たせー。遅くなってごめんね」
可愛らしい笑みで登場したクルネ、その手に持つプレートの上には小さな女の子が食べるとは思えないほど大量の食料がぎっしりと敷き詰めるように乗っており、マサヒロは信じられない光景を見たかのように二、三度、見直すとリアクションが少し遅れたように圧倒した。
昔から一緒にいたセリアはもう慣れていることなのか、苦笑いで横に立っている。
「そ、そりゃ、遅くなるよな……」
尤もであると言いたげに横でセリアが頷いた。
「何かおかしいかな?」
クルネは自分の食べる量に関して何の疑問も抱いていなかった。どう見ても自分のプレートの上だけ量が桁違いに多いというのに。
「いや、おかしくないよ。食べる量なんて人それぞれだしね」
マサヒロはクルネが自分の食べる量に関しておかしいと知った時に陰で笑われていたことに彼女が傷つくのではないかと懸念し、クルネが気づかないうちに何とか話を終わらし水に流した。セリアも同じ懸念を抱いているのかマサヒロが話を終わらすと感謝の視線を送っていた。
二人の間で一件落着と思った束の間クルネの背後から現れたレックスが大きく目を見開き、
「クルネちゃん、どれだけ食べるつもりでいるの!? 昼休みだけで食べられる量じゃなくない?」
言ってしまったとマサヒロとセリアはがっくり肩を下ろす。これでクルネは自分が他と違うことに気づいてしまう、二人は直感したが、
「いつも通りだよ、別に普通だよ」
レックスは「そうなのか?」と訴えかけるように二人に視線で助けを求める。気づいていないクルネに二人はほっとして、「そっとしておいて上げて」とレックスに視線で返答した。視線だけで行われる会話にクルネは不思議そうに首を傾げるがどうやら気づいてはいない様子だった。
「そ、そっかぁ、クルネちゃんには普通なんだね。俺が少なかっただけみたいだ、ははは」
なんとか誤魔化しきったレックスはため息をついて、石で作られた階段に身を下ろした。
レックスに続いてニーナとエリザベスもやってくる。
「みんな揃ったし、昼ご飯を食べようか」
「うん!」「そうね」「はい」「分りましたわ」「はぁ」
元気よく返事が返ってきた最後に何かため息が聞こえた気がするが、マサヒロは気に留めることもなく地べたに身を下ろすと昼食を食べ始めた。
日本から離れて約二日、このときまで何も食べていない。
香辛料の臭いがマサヒロの空腹を煽り、ぎゅるるると腹を豪快に鳴らす。
「いただきます」
胸の前で手を合わせてしっかりと食材に礼をした。この辺の礼儀は日本には慣れたとしても抜けきれない、もはや癖と化している。
レックスを除くみんなはマサヒロの行動に疑問を持ったのか沈黙しながらまじまじと見つめていた。みんなが見ていることに気が付いたマサヒロはようやく何を気にしているのか理解し、
「あっ、これは俺の世界でいう礼儀の一つだよ。食材においしくいただきます、奪った命は無駄にしません的な意味が込められているらしいけど……まぁこっちでは変な奴にしか見えないよね」
――日本なんて最早野球のグランドにまで礼をしちゃってるからね、それほど礼儀正しいって事なんだろうけど。
そんな事を考えながらマサヒロは彼女たちに今の動作に対しての説明をする。
すると彼女たちも手を胸の前で合掌し一斉に、
「「「いただきます」」」
「(おお、日本の文化が身近にあると懐かしくなるなぁ)」
彼女たちは日本の礼儀作法を終えるとマサヒロの方へ向き直り、柔和な笑みで、
「さ、冷めないうちに食べましょう」
「そうね、いくら高級な料理でも冷めたものは食べられないわ」
「そこだけはセリアと同意見ですわ」
「うん、そうだね。冷めてもおいしいご飯はあるにはあるんだけどな……よし食べよう!」
銀色に輝くスプーンで香ばしい匂いを漂わす少しとろみがかった茶色い液のかかった純白の米をすくう。すくい上げた米とカレーからほくほくと湯気が立った。白い蒸気はまだその米が暖かさを保っていることの現れだ。
熱伝導性の良い鉄のスプーンを使っているため温かさが握っている手にまで伝わる。
じぃっとカレーライスを見つめるといざ意を決したように小さく口を開け、その中へスプーンごとカレーライスを放り込んだ。
温かさを保った米が口の中に転げ落ち微妙に熱さを感じるが、口の中が一瞬にして香ばしさに満ち溢れたことでそんな些細なことは気にもならなかった。
「おぉ、美味い!」
感嘆の声プラス感想一言。
しかしそれだけでしか表現できないほどに美味い。
マサヒロは美味さに勢い止まらず次々にスプーンを動かし口の中へカレーライスを放り込んでいく。口の中でカレーがとろける度に幸せな気持ちになった。
「ほんっと、美味いな! もしかしたらこれ発祥の地インドも超えたかもな。こっちの世界での発祥の地は知らんけど」
「いんど? って何?」
「ん? あぁ俺たちの故郷で言うカレーライス発祥の地を指す言葉だよ。けどそのインドはどこにあるかとかは全く知らないんだよ」
「あんたは世界の常識知らないくせにいらない知識は持ってるのね。あんたの言う、いんど? は多分キャメロンの事ね。あそこは香辛料となる魔草がたくさん採れることで有名なんだよ。観光名所はあまりないから商人が香辛料を求めてキャメロンに出向くくらいかな」
セリアは何も知らない子供に教えを諭すかのように丁寧に詳しく説明する。
「魔草とは?」
マサヒロの疑問にやっぱりかと肩を撫で下ろすセリアに変わって、今度はクルネが説明してくれた。
「魔草はね、この世界に数多な種類があると言われる、魔を含んだ草のことだよ。魔を含むとは長年草が大気中に漂うマナを吸い続けたことで神秘の力を帯びたという事らしいんだけど、実際想像つかないよね。今どき魔力のない草なんて見かけないから、魔草じゃない唯の草の方が珍しいくらいだよ。魔草のいい例でいうとキャメロンで採れる香辛料や、傷を癒す薬草とかかな」
「ほぉ、つまりこの世界にある草は大抵魔草と思っておけばいいってことだよね?」
「そういうこと!」
「ありがとう」
「どういたしましてー」
丁寧に魔草について説明してくれたセリアとクルネのお陰でマサヒロの知識がまた一つ蓄積される。
こういったまだ見ぬ異世界の知識はマサヒロがこれから生きていくうえで大切な事。確かにマサヒロ以外の人物からしたら常識的な事ではあるのだが。
「無駄話は置いておいて早く食べなんまし。本当に冷めてしまいすわよ」
「そうだな」
エリザベスの忠告で再び食事を再開する。
その後誰も何も口にせずただ淡々と食料を口に運ぶ作業だけを繰り返した。
◆◇◆
「ごちそうさまでしたっと」
カレーライスを食べ終えたマサヒロはまたしても無意識に合掌して食後の儀式を済ます。周りもそれをなんとなく察し理解したのか、
「「「ごちそうさまでした」」」
合掌と合唱を組み合わせて全員儀式を終える。
「さてと、食事も済ませたし、午後の『剣技』に向けて体を慣らしておかないとな」
「そうだね、よし一足先に武道場に向かおうか」
マサヒロ達一行は食器を返却すると、武道場へと向かった。食堂から外に出て、奥にある中庭を突き進むと校舎とは別で設立された建物、武道場が姿を現す。
武道場は二階に分かれていて一階は『魔法』の授業、二階が『剣技』の授業だ。因みにマサヒロ達が最初の授業として受けた模擬戦が行われたのはまた別の校舎である闘技場である。
マサヒロ達の次の授業は『剣技』であるため武道場に入るなり、目の前に屹立する螺旋階段を上がる。無駄に豪奢な建築だが、まぁフロイデーン学園はそれだけ有名な学校であるという事なのだろう。階段を上り一周回ると、二階の扉の前に出た。
大きな扉を引き武道場に入る。中は闘技場とは違い観客席はないが広さは闘技場と然程変わりはない。端にある物置小屋のような場所は扉が開いており『剣技』の授業で必要となる道具が多々置かれていた。
マサヒロは幾本も縦に突き刺さるように置かれている木刀を手に取ると、重さを確認するかのように手首を上下させ次いで横に振り抜いた。
ビュンッと風切り音を奏で振り抜かれた木刀はガコッと鈍い音を鳴らし途中で止まる。
「痛ッェえええええ!」
周りも見ずに木刀を振り抜いたために近くにいたレックスのデコに振り抜かれた木刀が直撃していた。レックスは痛みに悶絶しながら手で赤く腫れ上がったデコを押さえている。
「あ、ご、ごめん。そういえばレックスいたよね」
マサヒロは一応周りに人がいるか確認したのだがそれは女子達に限りだった。昼食時から孤立気味というよりか孤立していたレックスの存在はどこへやらマサヒロの頭の中からは完全に消えていた。
「まぁ大丈夫だ。僕の存在なんてそんなもんだったてことだな」
レックスは落ち込み呟きを漏らした。
だんだんとレックスが自分に自信が持てなくなってきている。それを感じ取ったマサヒロは、急いで言葉を探し場を繋ぐかのように、
「そ、そんなわけないだろ。俺の友達だろ?」
最早なんの慰めにすらもなっていない言葉を紡ぐ。だがレックスは俯き気味だった顔を上げ、笑顔を見せると前に立っていたマサヒロの肩をがしっと掴み、
「そうだよな。僕は別に存在していいんだよな?」
と、なんか訳の分からない事を言っていた。マサヒロは特別気にすることもなく、「あぁ」とか「うん」とか適当に話を合わせ、レックスが落ち着くのを待っていた。
レックスが落ち着きを取り戻すと奥から声がかかる。
「マサヒロ、こっちで体伸ばそー」
「オッケー、今行く」
クルネが手招きをして呼んでいるのでレックスを連れてそちらへ行くとさもレックスなんて認識していないかの如く話を進めた。
「で、マサヒロはいつもどうやって体を動かしているの?」
どうと言われ、マサヒロはあまりそういう事に意識をしていなかったために反応が少し遅れる。だが、一瞬後マサヒロの思考に割り込むか如く介入してきたものがある、それこそ日本人の誰もがしっているであろう物凄くメジャーな早朝の準備体操、ラジオ体操だ。
勿論この世界にラジオ体操などあるはずもなく「ラジオ体操」と口にしたところで「…………」と沈黙が返ってくるだけであろう。なのでやることは一つ、命名など面倒な事はせず、
「じゃ、一緒にしようか」
「うん」
「まずは蟹股に足を広げるのと一緒に手もこうやって横に広げて、ん? あれ、最初は深呼吸だったかな、どっちでもいいや、よく覚えてるわけじゃないけど、まぁこうやってやるんだよ」
日本にいた頃もそこまで真剣にしたことはないためにグダグダな部分もあるが、この世界で間違いという物は存在しない、なんせ『ラジオ体操』たるものが存在しないのだから。そのためマサヒロはぐだぐだながらも覚えている範囲でラジオ体操を踊り切った。
「はぁはぁ、これって真剣にすると結構疲れるんだな……知らなかった」
無論、ラジオ体操は準備体操のために創作されているので筋肉が順当に動くために少量の負荷がかかるような運動が組み込まれているわけなのだが。
「真剣にって、それだと真剣にやったことはないように聞こえますよ? これはマサヒロがいつもやっている準備体操ではないのですか?」
「ん、あぁ。俺のというよりは俺のいた場所で有名だったってくらいだな。だから俺もそこまで真剣にこの体操をしたことはないんだよ」
適当な言い訳を言って誤魔化す。クルネはこの言い訳で納得したのか、コクリと可愛らしく頷くと、
「確かにマサヒロってこの世界の常識全然知らないのに、そういう変なところは知っていますからね」
「べ、別に変じゃぁ……ないんだけど……」
誤魔化すかのように段々声が萎んでいく。確かにこの世界にはラジオ体操はないわけで、クルネ達からしたら変に映ってしまうのかもしれない、そう感じたためマサヒロは最後まで言い切るということは出来なかった。この際変なのかもしれないと納得してしまっているまであった。
――と、そうこうしているうちに時間が近づいてきたのか武道場に生徒が集まり出す。そして各々で準備体操を始めていた。
一足先に武道場へと足を踏み入れ準備体操を終わらせてしまったマサヒロ達は別で準備体操を済ませていたセリア達と合流し、時間が来るまでの間駄弁ることとなった。
そんなときマサヒロの背後から手が伸ばされ、肩に手を置かれる。
――なっ、後ろには誰もいないはずじゃ。まさか、
寒気に身をよだて恐怖にまみれながら後ろをそぉっと垣間見ると、そこには幽霊。
「なぁマサヒロやっぱ僕は、僕の存在はそんなもんだったのかな」
にも似た、暗い顔でこちらを見ている人影があった。
マサヒロも今レックスがいたことを思い出す。
「そんなことないって、てかそんな暗いレックスよりいつものチャラチャラレックスの方が楽しくていいぞ」
「ん、やっぱそうなのか。いやぁマサヒロの周りにいる女子たちのせいで物凄く自信なくしちゃってさ。やっぱ僕はこの方が似合ってるんだな。ありがとうよ、親友!」
サムズアップをしてはにかむレックス。すかっり機嫌を取り戻したようで集まり出した女子たちに構わず話しかけにいっている。
「お、おう」
マサヒロは呆気にとられ物凄く遅れて今やマサヒロの元にいないレックスへと返事をしていた、というよりレックスの立ち直りの早さに感嘆も込めた溜息のようなものが零れ落ちていた。