『学園生活』1
そこはもう戦場と化していた。
次々と物が飛び交い、相手を痛めつける。
「私が一番だったわ、認めなさい」
「いいえ、認めれません。たとえセリアの命令だと知っていてもこれだけは絶対に譲れません」
クルネとセリアは厳つい目つきで互いを見合いながら、厳しめの口調で自分の意見を言い合う。自分の意見は頑なに譲らなかった。
セリアは上から目線の口調でクルネを見下し、腕を胸の前で組むと高みの見物と言わんばかりにクルネを見下す。逆にクルネは、セリアに負けずと信念の籠った目でセリアを見据える。どちらも引けを取らない、女の戦いだ。
どうしてあんなに仲が良かった二人が喧嘩なんかをおっぱじめ出したのか、それは少し前に戻ってから話さなくてはならない。
――数分前
クルネとセリアはマサヒロに別れを告げると、嬉々とした足踏みで寮へと向かった。しかしそこで問題が生じたのだ。
「ねえ、クルネ。私たちとマサヒロは同じ寮室に住むのよね。でも寮は二人が平均だから部屋も二つしかない、という事は……」
「セリアの言う通りです。どちらかがマサヒロと一緒の部屋。そういう事です」
別にマサヒロと同じにする必要はなく、クルネとセリアが同じ部屋になればいい問題なのだが、そこに二人は気づいていない。いや気づこうとしていないのかもしれない。
「ではクルネがマサヒロと同じ部屋にします。貴族のお嬢様は一人部屋を満喫してください。ここは平民に成り下がった私が一番マサヒロに釣り合っている思うのです」
クルネが先手必勝とばかりにセリアに言いつけた。しかしセリアは納得のいかない表情を見せ、
「今、そういう問題はなしって言っているじゃない。だから身分とかは関係なし、私がマサヒロと同じ部屋にする」
セリアは言ってやったという満足気な表情でクルネを見た。
クルネは下唇を噛みしめながら悔しそうな表情をしている。
今の彼女たちには和解というものが存在しない、そうこれがあの戦場を作り出した原因である。
「分りました、ならセリア、私と勝負です。勝った方がマサヒロと一番近い存在、これで文句はないでしょう」
「ええ、一番がマサヒロに一番近い、やってるやるわよ。ならこちらから勝負内容に提案があるわ。先に寮に辿り着いた方が勝ちってのはどう?」
クルネはにやけ顔でオッケーサインを出す。セリアも負けずとどや顔をする。
「じゃ今から三秒後にスタートね」
3
クルネとセリア、二人は足首や首をほぐしながら、靴をつま先に揃える。
2
二人は腰を低くして身構えて、いつでもスタートできる準備を整えた。まるでクラウチングスタートのように。
1
一気に足へ力を凝縮させる。駆けっこに関しては初めのトップスピード、いわばどれだけ加速できるかが重要だ。その加速とは地球の時の話ではあるが。
0
二人は一気に持てる力を放出させた。この世界では日本の並んで駆ける駆けっことは次元が異なる。
「《ウィンドブーツ》」
クルネの足元に風が勢いよく巻き上がり、足元を包み込んだ。クルネは風という自然をも手なずけてセリアに挑む。風の加護を持つクルネだからなせる業であり、セリアとの勝負に差をつける一番の手段でもあった。
「《フレイムバースト》」
セリアの内なる炎が体の限界を超えた動きを可能とした。いわばエンジンのような役割である。炎の加護を持つセリアが考えに考え、会得した自己流限界突破である。
二人の考えられないような魔力から発せられる魔法の余波が空気中に伝播した。
時空が歪みそうになるほど強烈な余波が学園を揺らす。
これが日本にいたときとは次元が異なる駆けっこである。この国では魔法が普通に存在するためそれほど珍しいものでもない。
風を駆けるクルネに、体を燃焼させ限界を超えるセリア。
周りから見れば目の前を一瞬にして線が通り過ぎていくようなものだ。
音速、いや光速にも引けを取らない速さ、二人とも長い髪を靡かせながらゴール地点である寮室へと向かった。
一歩また一歩と徐々に寮室へと近づいていき、ようやく二人の寮室が見えるところまできた。
そして先に寮へと辿り着いたのは、二人とも引けを取らず最後の最後まで同時だった。
「私の方が早かったわね。ということで私がマサヒロと同じ部屋になる権利を得たということになるのかな?」
セリアは手で長い髪をほどきながら冷徹に言う。
しかしクルネも負けずと、
「何を言っているのですか? クルネの方がコンマ一秒早かったではありませんか?」
セリアは負けを認めようとしないクルネに腹を立てたのか、足元に落ちていた座布団らしき敷物を掴み取ると大きく振りかぶってクルネめがけて投げ飛ばした。
セリアの限界突破はまだ継続中。その敷物は轟音を上げてクルネに迫った。
だがクルネは迫りくる凶器にも怖気ず冷静に魔法を行使する。
「《ウィンドシールド》」
クルネの前に渦を巻くようにして現れた透明な盾。セリアの飛ばした凶器は見事なまでに塞がれてしまった。
そしてクルネも反撃をする。クルネが手元をクネクネと動かし、突風を吹き荒れさせる。
「《ウィンドパレード》」
先程作り出した風の盾を利用し、次の風魔法へと移る。そして風を纏って空中を舞うようにするセリアの投げつけた座敷が勢いよく矛先を変えた。
しかしセリアも負けてはいない。
この世界には炎、水、土、風の四つの加護がある。炎は水に弱く、風に強い、といったようにそれぞれの加護には効果をなす加護と弱点となる加護がある。
クルネとセリア、この場合は圧倒的にセリアの方が有利であろう。
セリアは指先を風の槍へと向けるとピンポン玉程度の小さな炎を放った。炎は風に触れるとポフっと可愛らしい音を立て魔法で作られた風を塵に変える。
クルネの風魔法は完全に無力化された。
セリアはこの加護の有利性を見せつけたうえで、クルネを見て言う。
「私が一番だったわ。認めなさい」
「いいえ、認めれません。たとえこれがセリアの命令だと分かっていてもこれだけは譲れなせん」
ここまで勝ち目がないことを見せつけたのに頑なに認めようとしないクルネに堪忍袋の緒が切れたのか、セリアは額に青筋を浮かべた。
そして足元に落ちている座敷を拾い上げると大きく振りかぶって、今度は座敷ごと魔力で包み込むと、
「これならどうよっ!」
メジャーリーガー並みの剛速球いやそれの数倍も膨れ上がった凶器ともいえる座敷がクルネを襲う。
クルネは周りがよく見えるタイプだ。隣ががら空きなのも目に見えて分かっている。
クルネは襲い来る凶器などには怖気づ冷静に体を横にずらすと、剛速球で向かってきた凶器はするりと横を通り抜けていった。
その時扉がガチャリと音を立てた。
唸りを上げる座敷が向かう先は扉の向こう。
「「あっ」」
「おーい、二人とも制服だよっ。これで俺も晴れて学園の――ごふっ!」
何かを言いかけたマサヒロの言葉は途絶え、鈍い音を立てると共にマサヒロは白目をむいた。
そしてパタリと、静かに倒れこむ。制服がひらひらと空中を舞うとパサリと音を立てながらマサヒロに覆いかぶさる。
「「ま、マサヒロっ」」
自分たちの争いのまきぞいを食らって白目をむいているマサヒロ。そんなマサヒロを見て二人は争っていた自分が馬鹿のように思えた、といより争っていた目的の人物を傷つけてしまうとは思いもよらない事態だ。
「ど、どうしよう。クルネのせいでマサヒロが……」
「まさかこのタイミングで入ってくるとはね……」
二人はマサヒロを見て喧嘩をした後悔に似た感情を抱いた。
マサヒロは情けない顔で、白目をむいて鼻血をだばだば出し続けている状態である。
「う……あっ」
マサヒロはようやく目を覚まし辺りを見回すと目をゴシゴシと強く擦る。
落ち着かない態度のから未だ恐怖が残っているのが伺える。マサヒロは固唾を飲んで二人に問いかけた。
「ねえ二人とも」
クルネとセリアはビクリと背筋を伸ばした。マサヒロから何かを言われると思ったのだろう。二人は冷や汗を握りしめて戦慄する。
「さっき凄い速さの座敷が飛んできたきがするんだけど……」
その発言で二人は顔を見合わせた。
マサヒロの言うことはれっきとした事実であり、気がした訳では決してない。つまり今のマサヒロはあの衝撃のせいか記憶が曖昧な状態にある。
「うーん、きっと気のせいじゃないかな。私たちにそんな力はないしね」
セリアはとっくに魔法を解いている。マサヒロに限界突破時の強さなど分かるはずもない、それ以前に覚えてもいないであろう。
「そうです、マサヒロは頭がおかしくなったんじゃないですか?」
クルネもセリアにのっかりしらばっくれる事を選択した。
マサヒロはそんな二人を見て、頭を掻くと
「何だ、気のせいか」
まんまと騙された。二人の喧嘩に巻き込まれ、座敷に強打して意識を失っていたことも知らずに。
「ねえ、マサヒロ鼻血出てるんだけど……」
「ほっとけばいいんじゃない。それより部屋の件は?」
うーんと考え込むクルネ。だが何かを閃いたのかぽんと手を叩き、
「どっちがマサヒロと同じ部屋になるかマサヒロに決めてもらおうよ」
クルネが呟いた。セリアもその提案に賛成する。
セリアはマサヒロの前まで歩み寄ると、
「ねえマサヒロ。突然だけど私たちどちらと一緒の部屋がいい?」
マサヒロは突然の問いかけに目を瞬かせるものの考え込む様子もなく、二人は自分を選んでと目線で訴えかけたり心で念じてみたりするも、そんな思いはマサヒロに届くこともなく、
「え、お、俺は一人部屋でいいけど……」
その場に凍てつくような風が吹いた。
見当違いの答えにクルネとセリアはその場に棒立ちして硬直した状態だ。
本当にさっきまでの争いは何だったんだと、自分に訴えかけるように。
「(そういう選択肢があったとはね……)」
「(クルネは何のために必死になって……)」
二人はぼやくように独り言を呟いた。
「なんだって? 声が小さくて聞き取れないんだけど」
マサヒロの言葉は二人に届かず、二人は何かをボヤきながら同じ部屋へと入っていった。
それから二人が立ち直るまでは時間がかかった。
マサヒロは訳が分からず一人で制服を眺めたり、魔法が使えないか試してみたりと一人で暇を持て余していた。
「はあ、何なんだろう、この状況。女の子と一緒の部屋ならもっと恋愛イベント的なことが起こってもいいと思うのだが……」
◆◇◆
「あっ、そういえば、学長に後で来いって言われてたんだった」
マサヒロは学長の話を追憶していた。セリアの豪速座敷を食らって記憶が入り乱れていたところにピッタリとピースが収まるようにして学長との話が思い出される。
マサヒロは横になった体を起こすと、
「クルネ、セリア、ちょっと学長のところに行ってくる」
「はーい」「うーん」
相変わらず気の抜けた返事しか返ってこない。
マサヒロは自分が何かしたのかなと考えてみるも心当たりはなく、首をかしげる事くらいしか出来なかった。
ずっと寝転がっていた影響で歩くことですら疲れが出る。
人間は一度怠惰を経験してしまうとそれ以降はずっと怠慢な生活を送ろうと反射的に行動してしまうものだ。こんな時こそ魔法があれば楽なのだろうが残念ながらマサヒロには魔法という常識的なものが扱えないのだ、だからこそ今から学長室へ行って学びに行かなくてはならない。
「失礼しまーす」
棒読みの挨拶で学長室に声をかける。すると向こう側の扉から「どうぞー」とまた気の抜けた声が返答された。
マサヒロは学長室の扉を開くと、今度はどうどうと入室した。先程、学長の姿を見て、露出が高いことは分かっている。分かっていれば恐れるものなど何もない。
「あれ、今度はおどおどしてないのね」
学長はすべてを見透かすようにこちらに視線を向け、小さく笑みを浮かべた。先程と違って顔を赤らめる素振りも見せないマサヒロが面白くないのか、笑みを浮かべてから動こうともしない。
次第に彼女の手が動き出しショートパンツの裾に手がかかると、クイッと上に捲りあげた。さらに太ももが鮮明になる。
流石に無関心を装ったマサヒロでもこれには反応せざる負えなく、反射反応のように体が火照りだした。
「ふふ、私の勝ちのようね」
「学長は何と闘っているんですかっ!」
「ま、そんな冗談は置いとくとして、君の魔法特訓を始めようか」
学長の一言で真剣な空気に移り変わる。そして剣呑な目つきに変えるとマサヒロの真相を覗き込むように、
「ところでマサヒロ君の出身地は何処?」
冷徹な声が室内に響き渡った。学長は疑うようにマサヒロの目を見つめる。
「ど、何処と言われましても、東の方としか言いようがなくて、は、ははは」
マサヒロは誤魔化すように笑い声を上げた。
「へえ、大陸で一番端がこの街の筈だけど、それよりも東があるなんて、初めって知ったよ」
「あ、ああ。あまり知られてないかもですね、小さな島国ですし。それに人口も少なく懸念されている国でもありますし」
「あー、なるほど。聞いたことがある、あそこかな。シルバの国」
「そ、そう、そこです。シルバの国」
「そうですか、ところでマサヒロ君は何処から来たの?」
「…………」
再び同じ質問が投げかけられ沈黙が訪れる。
「そ、それは、シルバの国……」
「そんな国はないんですが」
学長の一言がマサヒロの言い訳も一刀両断する。マサヒロは言い返すことも出来ずに黙り込み、鋭い視線でこちらを覗く学長と見合う。そして本当のことを言うしかないと感じ取ったのか、
「ニホンです。それが俺の本当の国」
「やはりね」
学長が納得気に呟くのに対してマサヒロは大きく目を見開いた。
「ニホンを知っているんですか?」
「いいや知りません。唯、マサヒロ君がこの世界の人種でない事は分かっていました、いや確かめる為に鎌をかけてみたのですが。結果は案の定別世界の人物。まるで御伽話のような話です」
学長の言う御伽話とは異世界から突如やって来た魔力も持たない少年、ヒューマ。
その世界は魔族の王たる者、魔王と魔王の幹部である魔集院が支配していた。そこに現れた希望の光は言うまでもなくヒューマ。
ヒューマは賢者でも扱えないような大魔術を連続で行使し続け、魔王を倒したという話だ。
そして目の前にいるマサヒロは突如現れた別世界の少年、それに魔力を持たない、これだけ当てはまれば恐怖もする。もし御伽話が現実ならば、魔王もどこかしらに存在する事になってしまうのだから。
「まさか本当にな……」
学長は深く考え込んだ後、マサヒロの魔法練習に取り掛かった。
「まず魔法とは詠唱をして発動するもの。加護を持っていたり、固有スキルだったり、生活必需魔法といった特殊なケースもあるけれどね」
学長は手を前に翳すと、表情も変えず慣れたように、
「《紅蓮なる炎よ、我に従え》」
詠唱を終えると翳した手から一つの炎が出来上がり、ポンッという音を立てながら消えた。
「これが私たちの使う魔法であり、初級魔法。魔力の操作を必要とせず、詠唱だけで出来てしまうもの。上級になればなるほど詠唱は長くなり、その詠唱で魔力をいろいろと操作していく寸法よ。ごく稀に詠唱を必要とせず、魔力操作のみで魔法を使う人もいるけれど、無詠唱なんてものは賢者でも使いこなせなかったと言われくらいだからあまりお薦めはしたくないかもだね」
ここまでは学長は明るい顔で説明をした、だがここからが本題であり、悩み何処でもある。学長の顔から笑みが消えた。
「と、ここまでは普通の魔術師の基本、ここからは普通でないマサヒロ君の為に魔法の使い方を説明しようか。まず問題、御伽話に出て来るヒューマは魔力が一切ありません。ですがとても強力な魔法を扱えました。なぜでしょう」
「魔法がヒューマに備わっていたから?」
「不正解。ヒューマは体にあるマナは使えないというより無かった。しかしマナなど大気中には多数存在する。私たちの魔法は体内のマナを外に放出することで初めて完成する。ならば放出されたマナは何処へ行く? 大気中に残るのだ。ならば周りにある無限のマナを使ってしまえば魔法など容易いもの、ヒューマはこうして魔法を扱ったのさ」
「大気中に存在するマナ……でもそれは御伽噺の世界であって現実に存在するものなんですか?」
「そうなりますよね。しかし私が先程見せた魔法のプロセスはどうなっていましたか?」
「詠唱によって体内のマナを魔力に変換させ、体外へと放出」
「そういう事です、魔法の仕組みは御伽噺の世界と一緒、つまりマナは大気中に多数存在している。マサヒロ君はこの大気中のマナを扱うことで魔法の行使が可能になるという事ですよ」
マナの存在はクルネ邸を訪れた時にセリアから聞かされている。セリアの説明ではオレンジで何か温かい感じの流れが体内を入り乱れている、という話だったがマサヒロには魔力がないためその流れを感知することは不可能だった。
だがその流れが体内になくとも外にはあるというのなら感知することは可能になるのかもしれない。
しかしここでマサヒロにある疑念が浮かび上がった。それはなぜ、マサヒロやヒューマのように一部の人しか大気中のマナを使おうとしないのかとういものだ。
「大気中にそんな大量のマナがあるのならなぜみんなは使おうとしないんですか? 限界がある体内のマナより無限に存在する大気中のマナを使った方が効率がいい、それなのに使わないという事は何かあるんですよね、理由が」
「はい、マサヒロ君の言う通りです。体内にあるマナより大気中のマナの方が効率はいい、そう考えた研究者たちはたくさんいます。現に今だって研究が進められているでしょう。私たちが大気中に存在する無限のマナを使わない理由、いえ使えない理由を一部の研究結果からお話しますと、そうですね、まず私たちはマナを放出する体の仕様になっているのです。難しい話ですがマナを通る心髄は一方通行にしか流れず、体内に溜まったエネルギーを放出することしかできません。つまり内から外へは可能ですが外から内へと取り込むのは不可能なのです。大気中のマナを扱ったとされる御伽噺の主人公ヒューマは所詮御伽噺として片づけられたのです」
所詮御伽噺、現実に存在しない空想の世界、机上の空論として片づけられたのだろう。そしてどのようにすれば扱うことが可能なのか、魔術の研究者によってそれは今もなお研究され続けていること。
大気中に存在するマナは扱えれば便利だが、彼らにとって扱えなくても不便ではない。なにせ彼らには魔力が存在するのだから。
しかしマサヒロにとっては違う。魔力がない存在、体内のマナはない。ならば大気中のマナを扱うほかない。まだ解き明かされていない未知に足を踏み込まなくてはならない。
「俺に出来るでしょうか。大賢者でも扱えないような大気中のマナを扱うことは可能なのでしょうか?」
「いまさら何を言っているのですか。まず、別世界から来たという時点で常識外れなのですから、大気中のマナを扱う非常識的なことも造作もないでしょう。それに――」
学長は溜め込むかのように一息置き、
「二人に茨の道でも進むと宣言したのはマサヒロ君自身でしょう」
学長の一言でマサヒロは走馬灯のようにそのときの光景を思い出した。
あの時はかっこつけたように宣言をした、だが口だけの奴にはなってはならない、だからこそ今行動で示さなくては、マサヒロは心を鬼にして立ち上がった。
◆◇◆
マサヒロは静かに目をつむり、学長の言葉を反芻しながら手を前にかざしマナを感知する。魔法を扱うのはマナの感知が出来てから、と言われ小一時間はずっとこの状態だ。
体内のマナはセリアの言う通りオレンジの何か温かい流れなのだろうけど、大気中のマナともなると流れでもなく他の物質も多いために感知することは難しい。それに未だかつて大気中のマナを感知した者は愚か、扱ったものなどいないのだから学長も感知してみろまでしか言いようがなかった。
マナとは魔力の根源でもあるもの。そのマナは小さな魔素という物質の集合体の名称のようなものだ。つまり、異世界の空気に含まれているのかは分からないが、空気中に含まれる多数の分子や粒子の中から小さな魔素の集合体、マナを発掘しなければならない。
集中して、全身で感じ取るように、神経を張り巡らせる。まるで針に糸を通すかのように冷静に慎重に。
マサヒロの手と空気が触れ合い今まで何気なしに感じていた空気の冷ややかさが伝わり、空気の存在感が手に取るように分かる。また重力に引っ張られるようにして腕が下がっていくのに対して筋肉が抗っていた。
これまで何度繰り返したのだろうか、マサヒロは数え切れないほどこの作業を繰り返しているがまだ一度もマナを感知することが出来ていない。
こんな作業の繰り返しで本当に魔法が使えるのだろうか、とマサヒロの心の内に不安や焦燥感が淀めく。
元々使うことの出来なかった魔法は別に使えなくてもいいが、彼にとってあの二人から遠ざかるのは魔法が使えないことよりも忌避したいことなのだ。まだ出会って一日も経っていないクルネとセリアだが、この世界で一人になってしまった彼にとっては大切な存在となった。
マサヒロの思考の奥に写っているのは今日、ここで生きていくことに不安を感じていたとき、手を差し伸べてくれた二人のこと。セリアを見失ったクルネがマサヒロを尋ね、今ここに至っている。この出会いは偶然にして必然だったのか、マサヒロと彼女たちの出会いは運命だったのか、そんな思考が彼の奥底にめまぐるしく走った。
――絶対に魔法を会得してみせる!
マサヒロは関節が離れそうになるくらいに指先まで伸ばしきり、神経を端から端まで徹底的に張り巡らす。空気の少しの揺れでも感じ取る程にまで。
微妙な気温の変化や微量の風をも手懐ける。まさに自然と一体化していた。
「まさか、本当に大気中のマナを手懐けるとはね。やはり私の目に狂いはなかったというとこかな」
しみじみと呟く学長の前では大気中から光の粒子が拡散し吸い込まれ纏わりつくようにマサヒロの周りにマナが集まっていた。
――何だか生暖かい感じがする。何かに包まれているような。
「マサヒロ君、目を開けてみてください」
マサヒロは学長の言葉を合図に目を開く。そして眩しい光に圧倒され出る言葉も出なくなっていた。
「これがマサヒロ君の努力の成果ですよ、おめでとう」
大気中のマナを扱う事が出来、安心したのかマサヒロの体から力が抜け落ち、集まった光の粒子も勢いよく飛散した。そのままその場にパタリと倒れ込んでしまう。本来なら今日、初級魔法程度を学ぶ予定だったのだが、相当疲れ果てたであろうマサヒロの姿を見て学長は仕方ないと言いたげな表情で、彼を見つめた。
今回は大気中のマナを扱えるようになったというだけだがこれでも大きな成長だ。そんな彼を誰が責め立てれるのだろう、彼の努力の結晶を目の前に。百聞は一見に如かずとはまさにこのことだ。
その場で寝息を立てるマサヒロを背負うと学長は学長室を後にした。
「よく頑張ったよ、マサヒロ君」
聞こえていないと分かってはいるが素直に気持ちを言葉にしたくなった学長は背中に密着するマサヒロにそんな言葉を投げかけた。もちろん返ってきた返事は沈黙と彼の寝息だけ。
◆◇◆
朝日が部屋に差し込み朝が来た事を示している。今日は学園に入学する日だ。
マサヒロは眠たそうに塞がりかけている瞼をうっすらと開け、目をゴシゴシと擦る。そして寝ぼけた表情でもう一度朝日の方を見る。
カーテンの隙間から外の光景が見え、制服を来た、見たこともない人が沢山歩いていた。その光景を見ているうちに記憶が鮮明になっていき、
「うわぁッ」
大きな声を上げてふかふかの布団から身を起こした。
マサヒロは異世界に来た事をすっかり忘れていたのだ。そして彼はもう一度確認するように外を見る。
やはり知らない世界、夢を見ていたわけではなかったようだ。
そしてもう一つ重大な事態に気がつく。そう、寝坊だ。
「早く着替えて出発しなくちゃ。クルネとセリアは」
マサヒロは自分の心配より二人の心配をし、二人がいる部屋へ向かった。
「おーい、二人とも起きてるか?」
ノックしながら呼びかける。しかし返事はない。
マサヒロはまさかなと微笑を浮かべながら頬を掻く。机を見ると一枚の紙が置いてあり、『先に行く』と荒っぽい字で書かれた書き置きがあった。
マサヒロは血の気が引いていくのが感じ取れた。
「やっばい」
慌ただしく寮室内を駆け回り、昨日学長に貰った制服を荒々しく着た。ネクタイだけは掴み取り、寝癖も直さずマサヒロは寮を出た。
マサヒロは学長の部屋を目指す。
持てる力を全て発揮しダッシュで向かう、ネクタイを首に巻き付けながら。周りで笑い声が聞こえるが今はそんなのどうでもよかった。
「初日から遅刻とか洒落になんねぇぞ。二人とも起こしてくれたっていいのに」
自分のやらかした問題を人のせいにする、最低なマサヒロ。二人がまだ落ち込んでいるともつゆ知らず。
ようやく学長の部屋が見え始めた。
そして学長の部屋に飛び込んだ。
学長の部屋に荒々しい制服の着こなしをした、寝癖付きのだらしない生徒が転がり込んでくる。
「ひゃっ」
学長は一瞬乙女に戻り可愛らしい声を上げた。
しかし直ぐに素に戻ると、清潔な髪を手で解きながら真剣な目つきで、
「どうしたのですか、そんなに慌てて。今日はあなたの入学初日となっているけれど、そんな格好で初日を迎えるとは言わないで欲しいな」
「うっ…………」
マサヒロは言い返す言葉もなかった。
こんなみすぼらしい格好になっているのも、自分の寝坊のせい、言い訳する代弁が思い浮かばない。というより思いつくはずがない。
「まぁ仕方ないかもしれませんね、昨日の今日ですから疲れが溜まっていたこともあるでしょうし。それにまだ魔法覚えてませんもんね」
「へ?」
魔法という言葉に何かが引っ掛かったマサヒロ。そう先程ここに来るまでに出会った生徒、みんなにこの姿を笑われた、そんな過去を思い出しマサヒロは顔を赤に染める。
「そういえば生活必需魔法にはすぐ着替えを済ませる魔法があったような……それにもしかしてこの乱れた髪、これを一瞬で直す生活必需魔法も――」
「はい、あります」
マサヒロは固まってしまった。
これは本当に最悪の初日を幕開けてしまったのかもしれない、そう感じたのである。
なにせこの学校はエリート生の集まり、生活必需魔法を使い忘れ必死にネクタイを締めながら走る髪ぼさぼさ頭の少年なんてマヌケはマサヒロ以外考えられない。もう一度言うこの学校はエリート生の集まりだ。
「うわーーー、こんなんじゃ俺、始めっから魔法使えませんって宣言しているようなもんじゃないか。学長俺大丈夫ですよね?」
学長もマサヒロの慌て具合にはっと気づく。確かにこんなみすぼらしい格好でこの学園を走り抜けたというなら本当にマヌケな不審者にしか見えない、つまりマサヒロの言う通り魔法使えませんと宣言しているようなものなのだ。
学長はマサヒロの問いかけに困ったなと頬を掻いた。
本当にこれはどうしようもない。マヌケ不審者の少年が一日遅れの入学、誰しもが違和感を覚えるに違いない。
学長はどうしようもないことをやらかしてしまった彼に言えるのは一言だけだった。
「茨の道を突き進むと決めたマサヒロ君なら、大丈夫じゃないかな?」
不安気にそういうものの彼女の仕草は正直で、頬を小さく掻きながら視線は遠くを覗いていた。
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