プロローグ1
「わけが分からない。しかも、ここ……何処だよ?」
全く見たことのない景色が自分の視界に飛んできて、怯えと共に、不安、恐怖、いろいろな感情が脳裏に激しく走った。
いきなりという事もあり、手荷物は日本にいたときに通っていた高校のバックに、大学入試の不合格通知の紙切れ一枚、こちらと金銭は勿論違うだろうから、この金も使えないだろうし……
ポケットに入っていた、スマホを見てみるが表示されているのは圏外という文字、つまり自分は全く見知らぬ世界に一人。
遅かれ早かれいつかは一人暮らしを営むつもりだったので一人で生きていくのには慣れて置かなければいけないが、こんな一人の旅立ち方は想定を遥かに越えている。
どうしようもなく途方に暮れながら、西洋風の建物が建ち並ぶ町並みを眺めた。
そこには大きく聳え立つ教会のような建物が一つ異様に目立っていて、何をしようにも視界に飛び込んでくる大きさである。
どれだけ周りを見渡したところで頼れそうな物は何処にもない、ましてや元の世界に戻る術すら分からない。
何回見直そうと、そこにあるのは知らない世界だけだった。
「まじで……どうすりゃあ良いんだよ。俺はアドリブで何事も済ませれるような神対応の持ち主じゃねえぞ」
◆◇◆
藤田正広現役高校生で、身長は平均より少し大きいくらい、目つきも悪くないし、口だって悪くない、いつでもどこでもいるような脇役みたいな凡庸な少年だ。
彼は高校で大学入試の不合格通知を受け取り、自暴自棄になり気がつけばこの見知らぬ世界に、呆然と立ち尽くしていた。
「てかまずこの世界で言葉は通じるのか? みんなの外見はどう考えても日本人の容姿じゃねえし……」
彼は言葉が通じるか分からないことから怖気づいてしまい、この状況を打破するべく道行く人に、声をかけるということが出来なかった。
彼はトボトボと見知らぬ世界の道を歩いていた。
言語が通じるかは分からない、食料はない、行く宛もない、完全にこの世界で、孤立してしまっている彼は、焦燥に駆られ、なんだかそわそわとした気持ちになってきた。
「どうすればいいんだよ、本当」
俯きながら歩いていると、街の中央区に出たのか、耳の長い種族やら、少し身長が低い種族やら、獣耳が頭に生えている種族やらその他いろいろな種族が集まってなかなかに賑わっていた。
彼はその中央にある大きな噴水を見つけ、その噴水を囲うように形成された腰掛け場に座る。
噴水の淵に座り、人間非ざる者たちの会話している風景など眺めていた。
そこに一人、慌ただしくせっせと駆けている銀髪の少女が異様に目立ち、彼もその光景に見入ってしまった。
だのに何故少女が慌てていたのかなどは分からずじまいだ。
「待ってーーー! セリアちゃん置いてかないでーー!」
「うおっ、もう一人少女が現れた!」
今度現れたの亜麻色の髪を靡かすセミロングの少女。
その少女はセリアという少女を追いかけているらしく、人混みを入り分けて、背中を追っている。
セリアというのは先程慌ただしく駆けていった銀髪の少女だろう。
相当なスピードで駆けていったので追いつくのは難しいと思われるが、必死に追いかけている名も知らぬ少女を見ていると頑張れと応援したい気持ちになるのも事実。
セリアを追いかけているらしき亜麻色髪の少女はどうもセリアを見失ったのか、キョロキョロと辺りを見渡している。
そして彼と少女は目があった。
少女はてくてくとこちらに歩み寄って来て、
「あのー、先程クルネと同じ制服を着た少女を見ませんでしたか?」
少女が喋りかけてきた。
一応言葉は、通じるみたいで、少女が何を言っているのかも理解することは出来る、が彼はそんな唐突な問いかけを意志疎通で通じる程、アドリブが巧みな事は出来ない。
一つ明確に分かったのは少女の名前がクルネというらしいという事だけだ。
彼はクルネの言葉を頭の中で反芻させながら事の事態を理解していく。
「あー、その子なら慌ただしく向こうの方へ駆けていったよ。結構なスピードだったから頑張らないと追いつけないかもしれないけど」
彼はセリアと思われる銀髪の少女が駆けていった方向を指さしながら、目の前の少女クルネにどのような状況だったか教えて上げた。
少女はその情報を聞くと笑みを浮かべた。
親切に教えてくれた事への感謝ではあるのだろうがそれとは別に方角さえ分かれば追いつくことは出来るという自信から満ち溢れた笑みにも見える。
「そうですか……ありがとうございます。あなたは制服? みたいな服装ですがフロイデーン学園の学生ではないのですか? もうすぐ始業式が始まってしまいますが」
少女は淡々と御礼を告げ、ふと疑問に思った事を彼に尋ねようと思ったのだが彼にも何らかの事情があるのかもしれないと思い遠回しに学園の事を伝えた。
彼の耳に聞きなれない言葉が聞こえ、そろそろ理解不能である。
「うん、俺はいいよ。さぁ遅刻しないように頑張って」
彼の言葉では結局分からず仕舞いの事が多く、少女は首を傾げた。
あまり見たことのない服装なのでもう少し話を聞きたい気持ちもあったが少女は学園へ行かなければいけないので彼と話すのはここまでである。
「はい、《ウィンド・ブーツ》」
少女が呟くとともに、突風が発生した。
少女の足元には目に見える程強力な風がグルグルと纏っており、少女が地面を蹴ると風が地面を叩きつけ少女は空中に浮いた。
「では、クルネは参ります。名前も知らない少年さん、お世話になりました、またいつか会えるといいですね」
少女が空中を蹴るとまたしても突風が巻き起こり、少女は遠く向こうへ見えなくなってしまった。
まるで少女は空中に地面があるかのように、駆けていく。
目の前で見せられた非現実的な光景に目を丸くする彼は、本当に違う世界へやって来てしまったのだと苦笑する他なかった。
彼にとって見たこともない現象を突然に見せつけられ、これが『魔法』という存在だと直ぐに受け入れらるほど簡単な物ではなかったが、それ以外に解釈のしようがない以上そう示唆して言い聞かせる他ない。
「日本では見られないような奇麗な容姿で、魔法があり、西洋のような街並み完全に別世界だ。夢なら早く覚めて欲しいんだが、多分夢じゃない。そう、俺の勘が訴えかけている。だああ、どうすれば良いってんだよ」
彼は頭を抱えて慟哭する。
願っても帰り道が出てくる訳でもなく、はたまた道を導いてくれる訳でもない。
何もする事が無くなったので彼は鞄から高校教材を取り出し、初めのページから眺める。
国語やら数学やらいろいろと記されているが今更覚えた所で使いどころが無いと現実を見てしまうと急に教材を見る気も失せてくる。
彼は教科書を元の鞄に戻すと、どっと疲れが押し寄せてきてそこから意識は途絶えた。
◆◇◆
「あのー、すいません。あのー」
頬に柔らかい手が触れられ、ペチペチと軽く叩かれる感触がする。
どうやら彼は眠っていたらしく目覚めるとそこには柔和な微笑みを浮かべた、二人の少女が立っていた。
一人は今朝出会った亜麻色髪の少女であり、名前は確かクルネだ。
しかしクルネは学園へ行く途中であり、普通なら学園に辿り着いている時間の筈だ。
「やっと目覚めましたね、今日はありがとうございました。まさか一日中こんな所にいるとは思っていませんでしたが、再び会えることが出来、クルネは嬉しいです」
「あ、君学園は?」
その言葉に二人は首を傾げ、
「今日は始業式だけですのでもう終わりましたよ。それよりあなたは学園へ行ってはいないのですか?」
「あ、う、うん。学園どうこうよりも俺、ここに来るの初めてだからよく分からなくて……」
「それは行く宛がなくて困っているという事でしょうか? それならクルネの家にお招きしましょうか? これも何かの縁です」
「で、でもそんな事して……」
「大丈夫よ。クルネの所はこの街でも三本の指に入るくらいの大貴族、あんた一人養うくらいどうって事ないわ。あーだこーだ言うくらいなら素直にクルネに着いて行く事ね」
ここで初めて話に入って来たもう一人の銀髪少女が全てを説明してくれた。
そしてこの少女はクルネが朝追いかけていたセリアである。
「じゃ、よろしくしてもらっていいかな?」
「はい、あ、名前聞いてませんでしたね? 私はクルネ、こちらはセリアです」
クルネは自然と会話の流れで自己紹介をしていた事に気づいていないのか、またしても自らの名を名乗った。
「俺の名前は――――」
藤田正広と言いかけた所で彼は口を止めた。
先程の二人の名前から察するにこの世界に苗字が存在していない事が分かる。
存在していても貴族のみに許されるなどのルールがあるのだろうがクルネはこの街の大貴族であり、それでもって苗字は名乗ってないという事は苗字は存在しなかかとてつもなく位の高い人にしか許されていないのだろう。
「俺の名前はマサヒロ。こちらこそよろしくお願いします」
「マサヒロね。これから一緒に過ごす仲ですし、まず敬語で話すのは止めましょう、ね?」
「そうですね……」
そう言った束の間クルネはムスッと頬膨らませ、マサヒロをジト目で見つめる。
マサヒロにとっては何をしたのか理解していないが怒っている事に関しては理解する事が出来た。
「ねえ、あんた、マサヒロだっけ。マサヒロは学生服を着ているけどフロイデーンの学生じゃないの?」
「ん、まあ。違う」
「確かにフロイデーンの制服とは微妙に違うし、それどこの制服なの?」
「分からない、その辺に落ちていた服を着ただけだから」
マサヒロは怪しまれないよう的確な嘘をついただけなのだが、妙に二人に引かれている気がする。
二人は落ちていた服装というのが信じられないのだ、貴族である者はそんな事をする経験などある筈がない。
クルネはマサヒロをジーッと見つめ、
「先ずは服装を変えた方が良いね。何処かいい店ないかな?」
「そんなの何処でも好きな店行けばいいじゃん。私がいるならどの店でも大丈夫だよ、多分」
「でも、いいのかな?」
「良いって良いって」
二人の会話に全くついていけないマサヒロはポケーっと二人の会話を聞きふむふむと頷く事しか出来なかった。
そして二人が嬉々として盛り上がると、クルネがマサヒロの袖を掴み取り、噴水のベンチから立ち上がらせ、店へと案内した。
マサヒロはそれに抗う事なく、連れられるがままに行動する。
服に関してはいずれマサヒロも解決しなければいけない問題であり、今解決されるのならそれはそれで好都合である。
着いたのは紳士服から魔導着まで立ち並ぶ、いかにも高級そうな店であった。
マサヒロは値段がどれほどのものか見てみようと値札に目をやったが値札には複雑な文字が描かれていて、どうにも解読できそうになかった。
しかしここの店の服が高いのはファッションなどに気を使ったことのないマサヒロでも分かる。
そんな高値の服を見てこの店に入っていいものか逡巡した。
「ここの店は……高いんじゃぁ」
言いかけてどんどんと声のボリュームが小さくなっていく。
そんな声をしっかりと聞き取ったのか、セリアが、
「私がいるなら大丈夫よ。だからあんたは素直に着いて来なさい。それが一番の得策だと思うよ」
「そうですよ、これくらいならクルネでも出せる程度ですし。服の値段どうこうよりもそんな汚い拾いものの服を着ている方がずっとか問題ですよ」
マサヒロは日本でも決して裕福と言える家庭では無かったのでどうしても高価なものを買うというのに抵抗がある。
しかしこの二人にとってはこの程度は小遣いの一割にも満たないみたいで、心配しないで服を買ってもらいなさいと宥められた。
二人はご機嫌で店に足を踏み入れた。
どこの世界に行ったとしても女子がファッションに関して興味を持つのは変わらないらしい。
マサヒロは女子と買い物という謎のイベントに若干躊躇し、店の前であと一歩がなかなか踏み出せずにいた。
「ちょっとマサヒロ早く来なさいよ。あんたいないと服の採寸合わせられないじゃないの」
セリアの一声でマサヒロから葛藤が消え、つかつかと店内へと足を踏み入れた。
セリアは優柔不断なマサヒロに怒りを浮かべ、クルネはそんな光景を見ておおらかな笑みを浮かべている。
店内は意外にも広く、日本とは比べ物にならない程の大きな土地を使っている。
服の数も数え切れない程だ。
クルネはそんな服の山の中から一着一着入念に見て回り、どれがマサヒロに合うか真剣に選んでくれている。
そんなクルネを見ていると、選んでくれた服を無下にするのは失礼と思える。
マサヒロはそんなクルネを眺めていると、初めてこの世界に来たときの恐怖や焦燥感といった心に張り付くメッキが剥がれるようにボロボロと消えていき、この世界で生きるのも楽しいかもしれない、そんな気がしてきた。
「マサヒロ、これはどう?」
「こ、これを」
うんうんと元気な少女が縦に首を振る。
クルネはマサヒロの為に真剣に考え、それでもってこの服に辿り着いたのだ、自分の選んだ服を気に入ってくれることを強く求めているのだろう。
マサヒロにとっては誰が選んだ、どんなブランドだ、似合っているか、などは関係なく、この世界に合わせた服を着られるというだけで嬉しいのだ。
つまりこの服を気に入らない筈がない。
人が時間を割いて自分の為に選んでくれたものを、人が親切で行ってくれた行動を、全面から否定しケチをつけられる筈がない。
そんな事が出来るとすれば、こんな所でのんびり暮らすよりも犯罪者にでもなったほうがよっぽどお似合いだ。
さて、クルネが持つこの服を試し着でもしなくてはならない。
マサヒロは辺りを見渡すと、それらしき場はない。
つまりそういうルームがこの世界にはないという事だ。
この世界は大都市でありながら、サービスというものには力を入れておらず、ましてや親切な心というものが少ないらしい。
という事はクルネはこの世界には珍しいお人好しで、マサヒロがこの世界で初めて出会ったのは幸運とも言えるだろう。
「ど、どうかな?」
仕方がないのでマサヒロはクルネの持つ服を手に取り、上半身に合うよう、服を掲げて見せる。
クルネはコクっと首を傾げ意味深気な視線をマサヒロに送った。
マサヒロにとってはその視線が何を示す物なのか分からず、「似合ってなかった?」と苦笑気味に呟くしかなかった。
「あんた、似合う似合わない以前の問題よ。そんな服を掲げて合わせただけで分かる筈もないじゃない」
セリアの厳しい主張が店内を響かせた。
クルネもその意見には同意なのか、コクコクと首を縦に振る。
マサヒロはその意見に「服を脱いで着替えろ」と言われているのだと勘違いし、頬を赤らめた。
「わ、分かった。着替えるよ」
マサヒロはそう言うなり服を脱ぎだす。
クルネは赤面して顔を真っ赤に染めているがこうする他ないので、耐えてもらうしかない。
「ちょ、ちょっとあんた何をやってるのよ。衛兵に訴えるわよ、こんな公衆の面前を前にして服を脱ぐとかセクハラもいいとこね」
「はい? 着替えろって言ったのはセリアの方で……」
「誰も服を脱げとは言ってないでしょうに、まさか、あんた、生活必需魔法も使えない訳?」
セリアの言う生活必需魔法とはその名の通り生活にはなくてはならない魔法の存在である。
この生活必需魔法はどれだけ才能に恵まれていない人でも扱える容易な魔法で殺傷能力は皆無な安心安全で対象年齢は全ての年層の人といかにも便利な魔法だ。
それを使えない人などこの世には存在しないと言ってもいい程だ、ただマサヒロを除いて。
マサヒロにとって魔法など夢のまた夢の存在であり、攻撃魔法、支援魔法、回復魔法、いろいろ言われても理解するには程遠い道のりを歩かなければならない。
つまり生活必需魔法、なにそれ美味しいの?
という状態である。
「ねえ、嘘よね。本当に使えないの? そんな話聞いたことないわよ」
そう言われてもマサヒロには出来ないののだ、まず魔法の使い方から説明してもらわないとまず分からない。
「今までどうやって生きてきたのよ。生活必需魔法使えないなんて不便な生活極まりないわよ。想像しただけで苦痛だわ。あんたの親は教えてくれなかったわけ」
セリアに悪態をつけられるが何と言われようとマサヒロは今日初めてこの世界に来て、初めて魔法の存在を目の前にした。
使える筈もないのだ。
「俺はまず親の顔を知らないんだ。だからいつも一人で心苦しく生きてきた。そして今日、クルネとセリアに出会った。だから魔法という存在も今日初めて知ったし魔法を使うなんて持っての他という訳だよ」
勿論これはマサヒロのでっち上げである。
でっち上げではない部分が多少たりとも含まれてはいるがほんの一部にしかならない。
「そ、そう。それはごめん。そうとも知らずに……私苦労したことないから」
セリアは切ない顔をしてマサヒロを見つめた。
セリアは貴族であり一人寂しくなんて事はなくいつもお付きの人が一人はついている。
であるからにセリアは今日まで一人であったマサヒロに同情し、マサヒロを守って上げたいと思えたのだ。
「マサヒロは苦労したんですね。でも大丈夫です今日からはクルネとセリアがいます。もう一人ではありませんよ」
クルネがそっとマサヒロに近寄り手を差し伸べる。
それに合わせてセリアも手を差し伸べる差し出した。
マサヒロはその二人の手をそっと包みとるようにして掴み取った。
自分の嘘一つからここまでになるとは思ってもみなかった。
嘘からでた真とはよく言ったもんだな、と心の中で静かに呟いた。
「それでだけどこの服はどうする?」
「それはあんたにプレゼントするわ。私たちからの贈り物よ、大事にしなさいね」
そう言ってセリアはマサヒロから服を奪い取ると、つかつかとカウンターまで行き、その服を店員に見せた。
そしてポケットから銀色に光るペンダントを取り出し店員に見せると店員は深々と頭を下げセリアは手を振って、お金を出す素振りも見せずこちらに戻ってきた。
その表情はとても幸せそうである。
「セリア、さっきお金払って無かった気がするけど、あれって良いの? 値切りの仕方とか譲ってもらうための決め台詞なんかがあるなら是非とも教えて欲しいんだけど」
「何言ってるのよ、私がそんな下民染みた事するもんですか! 私はこのペンダントを見せただけ。そしてら向こうが勝手に譲ってくれるのよ。だから私はそんな値切りの方法も決め台詞も知らない。どうせ向こうが譲ってくれるんだから覚える必要もないわ」
「そのペンダントはどういう意味合いが込められているんだ? ペンダント一つで相手を黙らせるとかそんなのまるで魔法の道具じゃないか」
「このペンダントはそんな効果をもたらす魔道具じゃないわよ。いい、このペンダントはこの街を治める最大の貴族いや領主の証というやつよ。つまりお偉いさんのお嬢様っていう事、そこの三大貴族のクルネよりも上だからね。普通ならああやって深々と頭を下げるのが普通なんだけど、あんただけは動じない、どうかしてるわ。でもお偉いさんの娘だからって権力を無闇に使いたくないの、だから普通に接してね。あとこの事は口外禁止って事で、ここでは権力を振るわせてもらうわ」
セリアは今まで権力を持つ貴族であるため親や親族の人たちから付き合う相手を制限されてきた。
皆が遊んでいる中で一人寂しく勉強を続ける、ようやく来た友達も同じような上の身分の子で自分と同じように虐げられていた。
その少女こそ今でも一緒にいる唯一の信頼を掲げる友達クルネである。
そして二人は共に成長していった。
しかし共に成長していく過程でやはり本物の友達を欲っするのは事実。
幾度か友達を作る機会を得ようとしたが全て失敗に終わった。
しかしこうして学園という機会を設けた事で幾度の失敗も覆す好機がやってきたため、セリアは権力に関する事を自らの黙示録に記し普通の学園生活を送ることを望んだのだ。
「なるほど、つまり店に行く前にいいだの駄目だの言っていたのはこの事か、合点がいったよ。それで俺はこれからもセリアはセリアとして接すればいいんだよな?」
「そういう事ね、無理に友達感覚で接しろと言ってるわけではないけど、そっちの方が嬉しいかな。だから今日から私たちは友達よ、遠慮なく相談とかして来てね。クルネが傍にいるからそっちに相談するのもありだけどね」
そんな話をして二人はお互いの距離を詰め合っていった。
初めは名も知らぬ同士であり、出会う筈もなかった二人が偶然かそれとも神様の悪戯で必然的にかは分からないがこうして巡り会えた。
そして今ではお互いを信じ合い遠慮する事なく会話が出きるまで達した。
権力によって友達を会話相手を制限され続けたセリア、この世界に来て早々片隅へ追いやられ一人寂しく項垂れていたマサヒロ、月とスッポンの存在の彼らがこうして巡り会えた事にはなんらかの意味合いが込められているのだろう。
「少し仲良くしすぎですよ。クルネ嫉妬しちゃいます。それにしてもセリア良かったですね。貴族以外の友達がこんなにも早く出来て、念願の友達が出来ましたね」
「べ、別に念願って訳じゃないわよ。それにクルネからマサヒロを奪おうなんて考えてないから、安心しなさい。そんな恋愛感情なんてものは私にはないから」
「相変わらずの恥ずかしがりやですね。そんなに顔を真っ赤にして反抗されても信用出来ないですよ。それがセリアの可愛いところですが。まあ冗談です」
「何よ、別に恥ずかしがりやじゃないし、女の子に可愛いなんて呼ばれる筋合いはないわ。それよりあんた、私は恋愛感情なんてないんだからね、友達だからね、友達」
「そんなに友達を強調しなくたって分かってるよ。大丈夫、セリアみたいなお嬢様には恋愛感情なんて抱こうにも気遣いが強くなりすぎて出来ないから。友達でも制限しているようなザ・貴族みたいな所へ飛んで火に入る夏の虫とは行かないよ。だから、本当に大丈夫だから安心して」
その言葉を聞いてセリアは頬を赤くしてそっぽを向いてしまった。
マサヒロはセリアに恋愛禁止を言い渡されたので安心させるために言ったのだが怒るようなことは言っていない筈だ。
疑問符を浮かべて首を傾げるマサヒロと怒ってそっぽを向いてしまったセリアを見て、クルネは微笑を浮かべた。
「全くマサヒロは女心を分かっていないですね。セリアが言いたかったことはそうではなくて本当はマサヒロが――――」
とクルネが言いかけたところでセリアが焦るようにしてクルネの口元を抑えた。
焦りながらセリアはこの状況から抜け出そうと何か違う話題を提案しようとする。
「ああ、言わなくていいから。大丈夫だから、ね。クルネそれよりマサヒロを屋敷に案内したほうがいいんじゃないかな?」
クルネはセリアの言葉の意図が読めたのだろう、話題を展開させる事でマサヒロの意識を逸らすという、結局のところセリアはクルネに縋ってしまうがそれがクルネにとって一番嬉しい時でもあった。
クルネはそんなセリアを微笑ましく見守るように、
「そうですね、家に紹介しなければいけないこともあるし、今日は早めに帰るのが良さそうですね。親たちも午前中帰りと知っているのでこれ以上の外出は控えた方がよさそうですし」
「そっか、ならよろしく頼むよ。何から何までありがとうな、クルネ、セリア。これからも迷惑かけるだろうけどよろしく頼むよ」
「うん、任されたわ。それよりも、あんたは服を買ってあげたというのにその格好で行くつもりじゃないでしょうね? ちゃっちゃと着替えちゃいなさい」
「お、おう……ちょっと後ろ向いててくれるか?」
「大丈夫ですよ、マサヒロ。その服を貸してください」
マサヒロは言われた通りに服を渡し、クルネの方へ向き直った。
この世界に来てから二度目の魔法を見るマサヒロは一種の憧れを抱かずにはいられなく、いつかは魔法を使ってみたいと将来の自分の青写真を思い浮かべていた。
クルネは手元に魔力を集めるとそれを服に移し、まるでテレポートのようにマサヒロの服と手元の服を入れ替えた。
手順は同じようにしてマサヒロの服装を全て着替えさせると、邪魔になった学生服は直ぐ様ゴミ箱へと放り投げられた。
マサヒロにとっての日本の思い出の品を一つ失ってしまったが致し方ない、どうせこの世界で生きていくならそのうちいらなくなるだろう。
だからそこは何も止めなかった。
「これで完了ね。それよりやっぱ生活必需魔法が使えないのは不便ね、クルネの屋敷についたら私たちが教えてあげるわ。それまで我慢しなさい」
「我慢も何も使えないんだからしょうがなくないかな?」
「ふふふ、マサヒロは面白いですね。多分セリアの我慢しなさいは家に帰ったら教えてあげるからそれまでは教えてあげられないって意味だと思うよ」
「そ、そうか」
あからさまに勘違いをしていたマサヒロにクルネが丁寧に教えてくれ、セリアはムッとしてまたしてもそっぽを向いた。
◆◇◆
マサヒロたちの目の前には大きな建物が一つ佇んでいた。
朝見た教会らしき建物ではないがそれでもまだまだひけをとらない程の大きさはある屋敷だ。
この屋敷こそクルネの家であり、三大貴族の一つの象徴でもある。
この世界はどこも変わらず西洋風の街並みになっているらしくこの屋敷も西洋風に揃えてある。
西洋風の建物などここに来てしまえば何ともなく、元の世界なら大豪邸と言っていい程の大きな屋敷を目の前にしてもこの世界では様式美として片付けられてしまう。
それだけこの世界は元の世界とかけ離れた存在なのだ。
この大豪邸には大きな門が一つあり、厳重に固められている。
しかしこのような大きな門があるからと言って門番がいるわけでもなくましてや鍵穴やインターホンがあるわけでもない、となると考えられるのは一つだけだ。
この世界で生きていくためには必須になるものそう非現実的な、いやこの世界では現実的なもの『魔法』だ。
そしてここに関わる魔法はつまり生活必需魔法と言われる容易な魔法だろう。
マサヒロはどうする事も出来ないので、クルネの隣で立ち尽くしていると、急に門が開かれた。
門番が開けていないあたりやはりここに関しているものは魔法で間違いない。
しかしマサヒロは疑問に思った。
先程のクルネの様子を見るに、何かをしている様子は見当たらなかった。
「なあクルネ、さっきは何をしたんだ? 門を開ける魔法はしてる感じじゃなかったし、また何か便利なあれ?」
「そうだよ、さっきのも生活必需魔法の一つ。あれは家にある魔道具にクルネの魔力を繋いで執事に呼びかけるの。そしたら門を開けてもらえるの。門は内側からしか開けられないようになってるし、クルネたちは門を開ける魔法を知らないから自由に友達を招き入れる事は出来ないの」
クルネは悲しそうな顔をして俯くと、涙を手で拭うようにして目を擦り、頭を上げた。
そして胸元に小さな拳を作ると、
「でも大丈夫だからね。母様も必ず説得させるからマサヒロがこれ以上の孤独を味わうことはないからね。それに今日はセリアもいるしいざとなればセリアの権力を使わせて貰って……」
クルネは最後の方にだんだんと声をすぼめていった。
セリアは権力を無闇に使いたがらない、それを知ってるからこそ最後の方に言おうとした「セリアの権力を使わせて貰って了承を得る」というのが紡げながったのだろう。
「いいよそれくらい。その時になったらだけどね、というかそれはマサヒロの為という理にかなっているから無闇にという事はないし、私的にもオッケーだよ。という事でマサヒロ安心しなさい、最終的には私が着いている」
どんと自信満々に胸を叩くセリアを見て、誇らしく思えてきた。
流石は貴族の娘でそこら辺はしっかりしているものだと感心してしまう。
「じゃあクルネは母様を説得してくるね。マサヒロはそこの庭でセリアと魔法の練習でもしといて下さい。では行ってきます」
クルネはそう言うなり今朝見たのと同じ『魔法』を使い空中を駆けて行った。
二階の窓から屋敷に入り込み、クルネは魔法を解いた。
クルネの目の前には本を読み静かに時を過ごす女性、母親がソファーの上に座っていた。
「母様帰りました」
「そう、今日は早いのね。確か始業式でしたっけ、どうなの学園生活は、楽しめそうかい?」
母親はクルネに視線を向けることなく本に目を落としたまま淡々と話を進めていく。
「はい、母様。十分に楽しめそうです」
「それは良かったわ。それでクルネ今日は何の用かしら、クルネがここに来るという事はなんか用があるのでしょう?」
何事も見透かしているような口ぶり母親はクルネに本題をぶつけてきた。
クルネにとっては自分から切り出しにくい話題でもあったため母親から切り出してくれた事に関して安堵の息が漏れる。
「母様、一つお願いしたい事があるのです」
「ふーん、それは何? 事によっては協力してあげる、けど私たち一家にそぐわない事であったら速却下ですからね」
「――――――はい」
速却下の部分がいつも以上に強く強調されていて、本当に大丈夫か不安になり、足をガタガタと震わせ、手に汗を握らせた。
母親はクルネが話を切り出すまで、本に目を落としている。
クルネの方を見もしなかった。
それが逆に恐怖となり不安がどんどんとクルネに押し寄せて来る。
「あの実はクルネに助けてあげたい人がいるのです。その人を助ける為に……」
言い出して次第に声が絞んでいく。
母親はクルネが話を切り出したと同時に本に栞を挟み、パタリと本を片手で閉じると冷徹な目でクルネを見据えた。
「人を助ける事はいい事じゃない。それのお蔭で家柄を捲し立てる事だって出来るしね。それでその助けたい人とはどんな人かな? 学園で知り合った人、それとも貧乏貴族?」
「……違う。今日出会った人。クルネを助けてくれた人。行く宛もなく帰るところもなく人生の岐路を見失っている、そんな人」
母親は目を丸くしてクルネを見つめた。
クルネと付き合う事が出来るのはそれなりの身分がある者だけだとあれ程までに躾てきたというのに初めて親元を離れさせてみては直ぐ様一般人と付き合いをしだしたのだ。
それもとびきり貧乏で一般人以下のような人。
母親はソファーから勢いよく立ち上がり、大きな足音を立てながらクルネへと迫っていく。
そして掌を大きく開き真上に振り上げると、
――――パチンッ
クルネの頬に平手打ちをした。
クルネの頬が少し腫れ上がり、ぷっくらとし淡い赤色に変化していく。
「あんたってのはどうして親の思う通りに行動出来ないのッ? いつも言ってあげているじゃない、『あなたと付き合えるのは身分がある方に限る』って。早速言いつけを破ってくれているんじゃないわよ、今日出会った人? そんな何処の馬の骨とも知らない人を私が助けろですって?」
「――――――――――」
「クルネを助けてくれた人? そんなの当たり前じゃない、あなたは貴族で向こう一般人、助けるのが当たり前、どうせ助けたお礼にとでも考えていたんでしょうね」
「――――――――違う」
「それで、人生の岐路を見失っている人? そんな一般人以下とも言えるような人に私が手を差し伸べられるものですか。私は貴族、向こうは下民、あなたもちょっとは身分の差くらい理解しなさい! あなたがそうやって微笑みかける事で向こうは変な希望を持ち、それを踏みにじられる向こうの気にもなってあげなさい!」
「――――――――違うッ!」
「――――――――――」
クルネが怒り心頭に発しった為、先程まで頭から否定しその否定を肯定しようとぐだぐだと理屈を並べていた母親が血の気が引くように黙り込んだ。
「マサヒロはそんな人じゃない。そうやって貴族であるクルネをわざわざ選んで助け報酬貰うようなそんな悪人じゃないッ。クルネだってそんな人くらい見分けは付く。でもマサヒロは違ったの、誰ふり構わなく手助けしてあげるようなそんな優しい人の目だった」
クルネが初めて母親に反抗し、上手く言葉は並べられない。
しかしマサヒロを肯定しようという意志だけは物凄く伝わった、が母親にはその理屈も理論も関係なく全てを否定される。
母親は黙り込んでクルネの言い分を聞いていたが、これ以上は我慢出来ないのか、血相を変えて、
「あなたは人を目で判断するというのですかッ! それこそ偏見も良いところですよ。あなたはまだまだ幼い、頭がお花畑の可愛い子ちゃんなのよ」
「――――――――――」
母親の言葉にクルネはぐうの音も出なかった。
自分でも何を言っているか分からない理屈を並べていた、けれどそんなに簡単に自分の意思を捻じ曲げて欲しくもなかった。
それでも母親は続ける。
「それにそのマサヒロという人も人生の岐路を見失っているのでしょう。だから貴族でも一般人でも誰ふり構わず助けようとしているのよ。犯罪者や悪巧みを考える人はね誰だって良い人を演じるの、どうせそのマサヒロという人も同じでしょうに。まだまだあなたは子供です!」
「マサヒロはそんな人じゃない。マサヒロは、マサヒロは、クルネの大事な人なのッ!」
遂に言ってしまった。
クルネにとっての一番の失言である事は分かっている、けれどこれだけマサヒロを助けたいという意思が強いというのを母親に分かって欲しかった。
「マサヒロの為なら何だってする! だから助けて上げて……」
「もういいわ、心底見損なったわ。あれだけ私が躾て上げたというのに……この屋敷から出て行きなさい、あなたの変わりはまだいっぱいいる、あなた一人くらいいなくなったってどうでもいいのよ。けど元貴族としてあなたは死罪を免らしてあげる、最後の最後まで貴族の肩書に頼ったこと、この家柄に生まれたことに感謝なさい。それではさようなら」
母親は手をくいっと挙げ開いていた掌を、何か潰すのか如く空中で握りしめた。
刹那パリンと金属が砕ける音が鳴り渡り、クルネから壊れた貴族の証である豪奢なペンダントが落下する。
クルネは絶望の淵に立たされたような、言葉には出来ないショックで呆然と立ち尽くしか出来なかった。
床にはクルネの絶望を象るかの如く二つに分裂した貴族証が。
そんなクルネを気にも留めず母親は扉を開け部屋から退出していった。
クルネは家柄から追い出されたショックよりもマサヒロを救えなかったという思いの方が強くのしかかった。
クルネは外を見る。
外では二人で楽しそうに笑い合いながら、魔法の練習をしているセリアとマサヒロがいる。
セリアを見てクルネは母親に交渉しに行く前に言われた『いざとなったら私がいる』という言葉を思い出された。
しかしこの状況になってセリアの権力を使う事も出来ない、もし私を庇ってしてくれたとしても私はもう家柄を追い出された身、セリアが罰を受ける事になる。
それだけは絶対に回避したい、だからここはいつものクルネで行かなくてはならない。
クルネは熱りが冷めるまで外の二人を微笑ましく見守っていた。
「ごめん、セリア、マサヒロ」
クルネは小さく呟いた。
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