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異能専科の猫妖精(ケット・シー)  作者: 風見真中
贖罪編
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贖罪編49 ロスタイムをキミに


 点滴台を引きずりながら、上手く動かない足で隣の病室に向かって歩く。

 諏訪先輩の車椅子をマシュマロが押し、リルは先輩の膝の上だ。

 病室の前に着くと諏訪先輩がノックもなしにドアを引き、室内の光景が目に飛び込む。

 オレンジ色の西陽に照らされるベッドの上で横たわる人と、その人を愛おしそうに見つめる少女。

 ベッドに横になるその人、奈雲さんは、綺麗な人だった。

 黄色と黒の縞模様の髪に、整った顔立ち。

 マスクの下にあった異形の顔ではない、この人の本来の顔。

 毛布の上に投げ出された傷一つない綺麗な手を握る人物、八雲がこちらに気付き、パッと顔を輝かせた。

「大地くん⁉ 目が覚めたんだ‼」

 ベッドの横のパイプ椅子に腰掛けていた八雲は、握っていた奈雲さんの手を離してこちらに歩み寄って来た。この様子だと本当に体は大丈夫そうだな。

「ああ、ついさっきな」

「そっか、よかった……」

「?」

 顔を綻ばせていた八雲だが、突然何やら顔を背ける。その顔は、ほのかに赤く染まっていた。

「どうした、熱でもあんのか?」

「な、何でもないよ⁉」

「お、おう、そうか……?」

 わたわたと手を振って何やら必死にアピールする八雲。なんか様子が変だな。

「……ん。八雲?」

 俺と八雲の声に気付いたのか、ベッドの上で奈雲さんがうっすらと目を開けた。

「あ、お姉ちゃん。ごめん、起こしちゃった?」

「平気だよ。今は、夕方?」

 奈雲さんはゆっくりと体を起こし、それに合わせて八雲がリクライニング機能を使ってベッドを起こす。この様子だと、今初めて目を覚ましたって感じじゃなさそうだな。

「うん、四時過ぎ。お腹空いてる?」

「それも大丈夫」

 何気ない、本当に何気ない会話を重ねる二人を見て、俺は胸の奥から熱いものが込み上げてくるのを感じた。

(……治った……藤宮の洗脳も解けたみたいだし、奈雲さんの体は、治ったんだ……‼)

 異能に侵されて変質していた体は見る影もないし、言動にもおかしな所がない。見れば奈雲さんの腕には点滴もないし、ひょっとしたら俺よりも軽傷なのかもしれない。

「……違うわ」

「え?」

 二人の様子に見入っていた俺の耳に、諏訪先輩の声が響く。

 二人の会話の邪魔にならないような小声で、諏訪先輩はゆっくりと語り出した。

「変質した腕や顔は、体内に残留した異能が強すぎて、結晶を摘出しても元に戻らなかった。だから全て切除して、すげ替えたわ」

「す、全てって……⁉」

 奈雲さんの体は、異能結晶の強すぎる力で異能生物のそれになりかけていた。

 特に手足は、完全に蜘蛛の物に変わってしまっていたはずだ。

 その体の異能に侵された部分を、全てだと?

「……形だけは人っぽくなってるけど、時間がなくて手足はほとんどハリボテ。顔は骨格を作るところから始めた大掛かりな整形手術。魔眼を摘出して義眼を入れたから、右目は全く見えていないわ」

「な、なんだよ、それ……?」

 時間がないから、形だけ人っぽくした?

 それじゃあ……それじゃあまるで……。

「大地君」

「ッ⁉」

 唐突に名前を呼ばれ、俺はハッと振り向いた。

 名前を呼んだ奈雲さんにぎこちなく手招きされ、ふらふらとベッドの側に立つ。

「大地君、大神大地君。それに、リルちゃんね」

 俺と、諏訪先輩の膝の上にいるリルに視線を向け、奈雲さんはゆっくりと微笑んだ。

「目を覚ましてくれて良かったわ。お礼は自分で言いたいと思っていたから」

「……ッ⁉」

 目の前で語りかけられて、俺はようやくとてつもない違和感に気付いた。

 柔らかな笑みを浮かべる奈雲さんからは、老廃物や汗、皮脂、人間から必ず匂ってくる体臭と言えるものが、一切感じられない。

 代わりに漂ってくるのは、何かの薬品や無機物といった、おおよそ人体からは発せられない臭いばかり。

 精巧なロボットとまでは言わないが、まるで標本とでも会話しているかのような錯覚を覚える。

「……綺麗でしょ、この体。彩芽さんが作ってくれたのよ。最後くらいは人間らしくいられるようにって」

「さ、最後……?」

 なんだよ、最後って?

 それじゃあまるで、終末医療じゃないか。

「や、八雲……?」

 隣にいる八雲に視線を向けると、八雲は口元だけわずかに笑い、その瞳には、悲壮の色が灯っていた。

「言ったでしょ、お姉ちゃんには、時間がないって」

 時間がない。

 それはつまり、そういうことなのか?

「そんな……そんなのってねえだろ⁉」

 八雲の表情と言葉から大体のことを察した俺は、ここが病室であることも忘れて叫んだ。

「八雲は……八雲はずっとアンタのために頑張ってきたんだ‼ 死にそうな思いして、反吐吐きながら這い蹲って、それでも……それでもアンタのために、大好きな姉ちゃんと一緒にいるために……‼」

 八雲は、頑張った。何日も、何年も、もう一度奈雲さんと一緒に暮らすために、ただ当たり前に姉妹でいるために、頑張った。

 悪事の片棒を担ぎ、自分の罪に押しつぶされそうになり、裏切り者の汚名を受けてもなお、頑張って来たんだ。

 頑張って頑張って、やっと奈雲さんを救い出すことができたんだ。

「それなのに……そんなのって、ねえだろ……‼」

 俺は手で顔を覆い、込み上げてくる涙を隠した。

 ガチガチと歯を震わせ、ただ必死に堪えることしかできなかった。

 しかし、手のひらで何度拭っても、溢れてくる涙は止まってくれない。

「クソッ……チクショウ……チクショウッ……‼」

 悔しい。

 悔しくて悔しくて、堪らない。

 藤宮が憎い。

 奈雲さんと八雲に、こんな残酷な運命を与えた藤宮が、堪らなく憎い。

 自分が不甲斐ない。

 八雲の、友達の願いに応えられなかった自分が、不甲斐なくて許せない。

(何も、できなかった……‼)

 俺は今回、何にもできなかった。

 鬼を相手取ることも、藤宮を捕まえることも、奈雲さんを救うことも、何一つできなかった。

 俺は、弱い。

 弱い自分が、許せない。

「…………」

 後悔と悔しさの涙が止まらない俺の頰に、スッと手が伸ばされた。

「ッ⁉」

「君は、優しいね」

 体を起こして俺の顔を包むように触れる奈雲さんの両手は、驚くほど冷たく、力が弱い。

 この義手は、諏訪先輩の言った通りハリボテ。

 指先までは動かないし、血も通っていないんだ。

「奈雲、さん……」

「うん」

 完全な作り物の腕の温度に再び涙を流しそうになる俺を、奈雲さんが抱き締めた。

「な、奈雲さん⁉」

 突然の抱擁に動転する俺の耳に、奈雲さんの楽しげな笑い声が響く。

「ごめんね、指には感覚が無いから、こうしないと君を感じられないの」

 そう言って豊満な胸に顔を埋めさせられ、顔に奈雲さんの体温を感じる。

 トクン、トクン、と、心臓の鼓動が耳朶を打つ。

(生き、てる……)

 奈雲さんの心臓が、動いている。

 腕が作り物でも、余命幾ばくもなくても、今奈雲さんは、間違いなく生きている。

「……何でだよ」

 だからこそ、奈雲さんが生きていることを実感してしまったからこそ、俺は溢れる涙を止められなかった。

「八雲も、奈雲さんも、何でそんな顔したんだよ……」

 俺には分からなかった。

 何故奈雲さんが優しく微笑むのか。

 何故八雲が、あんなに何気ない会話をするのか。

「何でそんな、もう十分だみたいな顔してんだよ……」

 言葉を止められなかった。

 人の胸に抱かれて声を張るなんて、自分でも何してんだと思うが、それでも俺は叫ばずにいられなかった。

「諦めた様な顔しないでくれよッ‼ こんなんで、救われた様な顔しないでくれよッ‼」

 まだ、全然足りない。

 八雲にも奈雲さんにも、まだ全然足りないんだ。

 もっと二人に話して欲しい。

 もっと笑い合って欲しい。

 もっと一緒にいて欲しい。


「もっと……生きてくれよッ‼」


 俺は、救えなかった。

 八雲に、奈雲さんを救ってくれと頼まれたのに。

 奈雲さんを助けると、約束したのに。

「……ありがとう」

 胸に抱かれた俺の頰に、温かいものがポツリと触れた。

 顔を上げてみると、それは、奈雲さんの涙。

 奈雲さんは、微笑みながら泣いていた。

「私のために、八雲のために、泣いてくれるんだね」

 そう言って再び俺の頭を抱き寄せ、刻み込む様に声を重ねる。

「ありがとう」

「ッ‼」

 俺には、その言葉が受け入れられなかった。

「……礼なんて、言わないでくれよ」

 俺には、彼女に感謝される資格なんてない。

 奈雲さんを救えなかった俺が、奈雲さんに感謝されるなんて、そんなことあってはならない。

「俺は……救えなかったじゃないかッ‼」

 ぐしゃぐしゃに泣き腫らした顔で、俺は奈雲さんに向き直った。

 すると奈雲さんはゆっくりと首を振り、「そんなことないよ」と言った。

「私はね、早く死にたいって、ずっとそう思ってた。あの人の言いなりになって、八雲の重荷になるくらいなら、早く死にたいって」

「それは……」

 それは、藤宮に操られている間も、奈雲さんにはずっと意識があったってことか?

「……でも、同時にまだ死ねないって思ってたの。私が死んだら、八雲を支えているものが無くなっちゃう。八雲を一人にしちゃうって思ったから」

 そこで奈雲さんは一旦言葉を切り、何かを噛みしめる様に俯く。

 数秒置いて笑みを浮かべながら顔を上げ、「でもね」と切り出す。

「そんなことなかった。八雲には、八雲のために本気になってくれるお友達が、たくさん出来たんだって、分かったから」

 そう言って奈雲さんはまっすぐに俺の目を見て、次いで病室の入り口の方に視線を向ける。

「ネコメ……トシ……」

 そこにはいつのまにか、ネコメとトシがいた。

 ネコメは色とりどりの大きな花束を抱え、トシは何故か顔や腕、至る所に包帯や絆創膏を貼っている。

「……八雲には、こんなにたくさんのお友達がいる。私がいなくても大丈夫だって思った。これで心置きなく死ねる、そう思った」

 俺、ネコメ、トシに視線を巡らせ、奈雲さんは喉を震わせ、嗚咽を漏らす。


「なのに……もう死ねるって、そう思ったのに、君たちは、私に、人間らしい最後をくれた……」


 ポロポロと大粒の涙を零し、奈雲さんは泣いた。

 頰を伝って俺の顔に当たる涙は、とても温かい。

「お姉ちゃん……」

 見れば八雲も、釣られて涙を零している。

「人とは違う生まれで、人とは違う人生で、化け物にされて死ぬんだって、そう覚悟してたのに。最後の最後で、人間として、姉として、八雲と一緒に過ごす時間が貰えた」

 途切れ途切れの言葉で、その言葉の一つ一つを刻み込む様に、奈雲さんは吐露していく。

「人間としての、ロスタイム。こんなに嬉しいことはないよ……」

 奈雲さんはより一層俺の頭をを深く抱き締め、万感の想いを込めるように言った。


「だから、ありがとう、大地君。君は……君たちは、私を救ってくれた」


 その言葉は、俺の中にこびり付いていた悔恨を削ぎ落とす言葉だった。

(俺は……)

 自分の無力は変わらない。

 怒りも、やるせなさも、やり切れない思いは何一つなくなりはしない。

 もっと上手いやり方があったのではないか。

 果たしてこれは最善の結果だったのか。

 答えはおそらく、永遠に出ないだろう。

(それでも、俺は……)

 それでも、奈雲さんのこの言葉は、この涙は、本物だ。

 俺たちが勝ち取った、唯一無二の宝物なんだ。

(俺は、この人を救えたんだ……‼)

 もう一度「ありがとう」と言葉を重ねる奈雲さんに、俺は泣き腫らした顔で、それでも何とか無様な笑みを浮かべ、「こちらこそ」と返す。


「救われてくれて、ありがとう……」




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