贖罪編46 抱擁
俺には、目の前の光景が夢のように思えた。
(八雲が、生きてた……‼)
致命傷を負ったはずの八雲が、その傷を癒して、死にかけていた俺を助けてくれた。
瞠目する藤宮は、ワナワナと体を震わせて顔を歪めている。
(ザマァねえなあ、藤宮)
指一本動かせなくなり、というより全ての指がもう指の形をしていない俺だが、それでも腹の中で笑ってやった。
これで、決着だ。
藤宮の思惑から始まり、何年も何年も積み重ねられてきた、戦時中の負の遺産。
その決着をつけるのは、他でもない、藤宮の計画の申し子である八雲なんだ。
「カァッ‼」
組み合ったままの姿勢から、八雲は奈雲さんに糸を吐きかける。
身を翻して躱す奈雲さんだが、間髪入れずに八雲の蹴りがその体を捉えた。
「ごめんねッ‼」
自身も万全とは程遠いはずなのに、すでにボロボロである奈雲さんの体を傷つけることに躊躇う八雲。本当に優しいやつだよ。
「何を……何をしているの奈雲‼ 早く、今すぐ殺しなさいッ‼」
ヒステリーを起こしたように藤宮はわめき散らした。さっきからバカの一つ覚えみたいに『殺せ』ばっかりだな。
藤宮の漠然とした『殺せ』という命令を受け、奈雲さんは的確に八雲の急所を狙って来る。
首筋や顔といった糸のガードが無い箇所を目掛けて次々と突き出される節足を、八雲は全て紙一重で躱し続ける。
「な、なんで……⁉」
藤宮の驚愕はもっともだろう。
同じ蜘蛛の異能混じりとはいえ、奈雲さんは大量の異能結晶で出力を大きく底上げしているし、魔眼とやらの力で感覚的にも勝る。
単純なスペックで圧倒しているはずなのに、その攻撃は八雲にはかすりもしない。
「単調なんだよ‼」
節足の大振りを首を傾けるだけで躱した八雲は、そう言っていくつもの糸玉を宙に放った。
「ッ⁉」
蜘蛛の巣が開く、と糸玉に奈雲さんの注意が向いた瞬間、八雲の足払いが奈雲さんの節足を蹴り飛ばし、その体勢が大きく崩れる。
「奈雲ッ‼」
わけがわからない、といった感じの藤宮だが、俺には理解できた。
八雲の言った『単調』という言葉の通り、藤宮の命令は『殺せ』ばっかりだった。
命令に従った奈雲さんは、最短で八雲の命を奪う攻撃ばかりを選択し、結果としてフェイントや緩急といった『駆け引き』を含んだ戦闘が出来ていない。
心を殺され、盲目的に命令に従うだけだった奈雲さんは、正に脊髄反射的な思考で動く虫と同じだ。
心のこもった、芯のある八雲とでは戦いになるはずない。
(人のこと言えねえけどな……)
先ほどの俺もまた、ただ攻撃を繰り返すだけの動物だった。
あんな単調な動きばかりでなくもっと上手く立ち回れたはずなのに、それが出来なかった。
ウェアウルフの能力、脳内物質の多量分泌による興奮状態。その弊害と言えるだろう。
先ほどの俺の無様な戦い方とは似ても似つかない洗練された動きで、八雲は奈雲さんを追い詰める。
ぬかるんだ地面に倒れた奈雲さんの体を、ワンテンポ遅れて開かれた蜘蛛の巣が捕らえた。
「ッ‼」
開いた蜘蛛の巣に気を取られた瞬間に、意識の逸れた場所で別の蜘蛛の巣が開く。
連鎖的に開く糸玉に反応が追いつかないまま、奈雲さんの節足は二本ずつ蜘蛛の巣で括られてしまう。
「奈雲ッ⁉」
藤宮の悲鳴も虚しく、放った糸玉が全て開いたときには、奈雲さんの体はミノムシのように糸まみれになっていた。
「……ッ‼」
糸を解こうともがく奈雲さんだが、当然蜘蛛の糸による拘束はそう簡単に解けるものではない。
足掻き続ける奈雲さんにそっと近づき、八雲はゆっくりとその首に糸を回した。
「ごめんね、お姉ちゃん。ちょっとだけ、眠っていて……」
キュッと回した糸を引き、的確に系動脈を締め上げる。
ビクンッ、と体を震わせ、ほんの数秒で奈雲さんは気を失った。
糸を解き、力が抜けた奈雲さんの体をそっと抱き締め、八雲は嗚咽を漏らしながら腕に力を込める。
「ごめんね……。ずっと待たせて、本当にごめんね……。お姉ちゃん……」
ようやく本当の意味で再会を果たした姉妹の抱擁をもって、戦いは呆気なく終わりを迎えた。
「奈雲……」
最後の手駒であった奈雲さんを失い、藤宮は茫然自失といった様子でふらふらとへたり込んだ。
そんな藤宮に、銀爪を装備したネコメとその辺にあった太い木の枝を持ったトシが滲み寄る。
「終わりですよ、藤宮さん」
「観念しな」
両足に重症を負っているとはいえ、戦闘能力の無い藤宮を相手に遅れを取るほどネコメは甘く無いし、トシも戦闘向きではないとはいえ普通の人間よりは動ける。
当然藤宮はここで降参するものと思った俺だが、
「ッ⁉ おいやめろ‼ もう終わったんだよ‼」
藤宮の思考を読んだトシが、突然声を荒げる。
「……まだよッ‼」
制止するトシの声を遮り、顔を上げた藤宮は奇声を発する。
「私の野望はッ……」
そして、瓶の蓋を開けて取り出した異能結晶を、
「……こんなところで、終わらないッ‼」
首の負傷、先ほど俺が与えた傷に、ねじ込んだ。




