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異能専科の猫妖精(ケット・シー)  作者: 風見真中
贖罪編
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贖罪編39 情報戦


 藤宮の潜伏場所は拍子抜けするほど近場だった。

 鬼無里校から山道を歩くこと一時間。まだこの辺りが市と合併する以前に使われていた診療所、その廃墟の地下に、藤宮の隠れ家はあった。

 入り口は瓦礫に埋もれてカモフラージュされており、地下独特のひんやりとした空気に夏も間近だというのに寒気を感じてしまう。

 俺は八雲の糸で手足を拘束され、口元にも糸が巻かれている。横には同じくでぐるぐる巻きになったリルも一緒だ。

 俺は無機質な床に寝かされながら、眼前にいる二人の人物を睨みつける。

 一人はパーカーのフードとマスクで顔を隠した女性、八雲の姉の奈雲さん。なぜかその右目には昨夜は付けていなかった眼帯がある。

 そしてもう一人が、

「久しぶりね。元気そうで、本当に腹立たしいわ」

 諸悪の根源、藤宮。

 以前と同じように白衣を纏い、煙草を咥えながら俺を見下ろすその目は、侮蔑と怒りに満ちていた。

「よくも私の計画をぶち壊しにしてくれたね、大神君‼」

 藤宮は吐き捨てながらハイヒールを履いた足で俺の腹部に蹴りを入れる。ある程度の対策はしてきたが、それなりに痛いな。

 二度、三度と腹部に爪先を叩き込まれ、その度に苦悶の呻き声を上げる演技をする。

「おい、その辺にしておけよ。殺したら異能が取れないんだろ?」

 タイミングを見計らい、そばに控えていた八雲が藤宮を制止する。

(頼むぞ、八雲……)

 無論、この状況は俺たちの作戦によるものだ。

 八雲は藤宮の命令通りに俺を襲い、襲われた俺は捕まってこの隠れ家まで誘拐された。ということになっている。

「……八雲、異能を奪って殺してくればいいのに、なんでわざわざ連れて来たの? このガキの顔をまた見ることになるなんて、不愉快よ」

 藤宮が求める異能とは、発現させた異能混じりの体の一部のことを指す。

 以前ネコメの猫耳を切除した時のように、八雲に俺の耳か尻尾でも持ち帰らせる算段だったのだろう。

「仕方ないだろ。コイツ、オオカミの不調だとかで異能を使えないんだ。使えるようになるまで待つしかない」

 吐き捨てる八雲を睨む演技をしながら、俺はアイコンタクトを送る。

(よし、作戦通りだ……)

 藤宮は予想通り、見事に油断している。

 あとは八雲が俺に巻かれている糸を解き、藤宮に指示されるよりも速く奈雲さんを拘束する。

 糸が解かれた俺は異能を発現させ、藤宮に奇襲を仕掛ける。

 幸いにもここにいるのは藤宮と奈雲さんだけで、警戒していた鬼や、キョンシーにされたという二人の霊官の姿は見えない。

 藤宮自身に何か戦闘手段があるのかは分からないが、一撃で昏倒させれば問題ない。

 重要なのは、タイミングだけだ。

「忌々しいわね。奈雲、そのガキとオオカミ、実験室に運んでおきなさい。オオカミから異能が取れるか試すわ」

「はい」

 奈雲さんに命令を下し、藤宮はタバコを踏み消しながら俺たちに背を向けた。

(今だ……‼)

 俺は体に巻かれた糸を手首を捻って引っ張り、八雲に合図を送る。

 瞬時に糸が解け、俺とリルは不調を吹き飛ばす勢いで全力の異能を発現させた。

 床を蹴って藤宮に向け、渾身のタックルをかます。

 しかし、

「なっ⁉」

 俺が藤宮の体を捉える寸前、眼前にいくつもの糸玉が飛来し、開かれた蜘蛛の巣に絡め取られて俺の体には再び糸が巻き付けられた。

 その糸を操るのは、八雲ではなく、奈雲さん。

「大地くん⁉」

 振り返った藤宮がポケットから小型の香水のような小瓶を取り出し、八雲の操る糸に向けて中身を吹き掛ける。

 すると奈雲さんを縛るはずだった糸はたちまち溶けていき、後には分解された溶液のようなものだけが残った。

 呆気にとられる八雲に藤宮が接近し、もう片方のポケットから取り出したスタンガンのようなものを八雲に押し当てる。

「がぁ……⁉」

 東雲は痙攣を起こし、膝から床に崩れ落ちた。

 縛られた俺は再び床に転がり、目の前の有り得ない光景にしばしの間放心する。

 拘束された俺と、床に倒れ込む八雲。そして、それを見下ろしてほくそ笑む藤宮。

 用意周到に準備された道具と、作戦がバレていたとしか思えない手際の良さ。

 俺たちの奇襲は、完全に失敗した。

「な、んで……⁉」

 苦悶に耐えながら声を出す八雲の顔を、藤宮が踏み付ける。

「アッハハハ‼ 無様ね、八雲。自分が使った手なんだから、もう少し考えておいてもいいでしょうに」

 ぐりぐりと八雲の顔を踏み躙りながら笑う藤宮に、俺はカッと顔が熱くなった。

「ヤメロォ‼ 汚ねえ足どけやがれ藤宮ッ‼」

 身を捩り、異能の勢いに任せて糸を引き千切ってやろうとするが、例によって蜘蛛の糸は頑強でビクともしない。

「うるさいわね」

 藤宮は煩わしそうに振り返り、俺の腹部に再度爪先をねじ込む。

「このヤロウ……‼」

 痛がる演技をしなかった俺を見て、藤宮は得心したように「ああ」と声を零す。

「なるほど、腹の下に糸を巻いてるのね」

「ッ……‼」

 藤宮の言う通り、俺の腹部には八雲の糸が何重にも巻かれており、鎧のような役割を果たしている。

 蹴られた衝撃までは消えないが、大したダメージにはならない。

「こんな使い方思い付くなら、もう少し考えを巡らせてもいいものだけどね」

 使い方という言葉と、先ほどの自分が使った手という発言で、俺はようやく作戦が漏れた経緯を察した。

「……奈雲さんに糸を使わせて、聞いてやがったのか⁉」

「ご明察」

 やっぱり。

 八雲が俺に糸を巻きつけて、その振動で会話を盗聴していたように、奈雲さんも八雲に盗聴用の糸を仕込んでいたんだ。

 八雲が俺たち側に付いたことも、この奇襲作戦も、全て藤宮に筒抜けだったってことだ。

 つまり、藤宮は最初から八雲が自分たちを裏切る可能性を考慮して、保険を掛けていた。

 情報戦の段階で、先手を打たれていたんだ。

(ダメだ……逃げろッ‼)

 俺はこの隠れ家の近くに潜伏しているトシに向けて声にならない叫びを送る。

 トシとネコメはサトリの感知能力とケット・シーの聴覚をフルに発動させて、隠れ家の上にある廃屋に潜んでいる。

 鬼やキョンシーと交戦になった場合の為に待機しておいてもらっていたのだが、交戦どころか俺たちの奇襲はカウンター気味の奇襲によって失敗した。

 こうなれば一刻も早くこの場を離れ、諏訪先輩や他の霊官に協力を仰ぐしかない。

 俺と八雲が失敗した場合は即座に逃げるよう言ってあるし、異能具を全て外したトシなら今の俺たちの状況は伝わっているはずだ。

「あら、何を念じているのかしら?」

 口を噤んだ俺を訝しみ、藤宮がにやけながら顔を寄せてくる。

「外のお友達に、メッセージでも送ってるのかしら?」

「ッ⁉」

 やっぱり、全てバレている。

 奇襲も潜伏も、俺たちの作戦はバレた上で放置され、おびき寄せられた。

 だったら、もしかしてここにいない鬼やキョンシー、藤宮が有する戦力は……。

「安心しなさい、お友達はもうすぐここに来るから。といっても、命令する人間が近くにいないから、あの子達が暴走しちゃうかもしれないけどね」

 やっぱり、鬼やキョンシーはトシとネコメの方にいるのか。

「ふざ……けんなッ‼」

 俺は縛られたまま体を捻り、腹筋と背筋のバネだけで体を跳ねさせる。

 芋虫のように転がり、床に広がる薬液の中に飛び込んで体を縛る糸を触れさせる。

 先ほど藤宮が八雲の糸に吹き掛けた香水のような小瓶の中身は、恐らく蜘蛛の糸の主成分である脂質やタンパク質を溶かす酵素のようなもの。

 あの溶ける勢いから見て、少しでも触れれば一気に糸が溶けるはずだ。

 しかし、いくら浸しても糸は一向に溶ける様子がない。

「クソッ! どうして……‼」

 釣り上げられた魚のように床の上を跳ねていると、下卑た笑みを浮かべながら藤宮が寄ってきた。

「残念だったわね。この薬は空気に触れるとあっという間に気化するのよ」

 俺を嘲笑いながらポケットから出した小瓶を見せびらかす藤宮に、ならばと俺は水泳のドルフィンキックのような動きで小瓶を狙う。

 瓶を割って液体を零せば糸は溶けると思ったが、その動きを予期していたように軽く躱されてしまう。

「残念、でしたッ‼」

 愉しそうに笑いながら、藤宮は俺の鼻っ面を蹴りつける。

 何のガードもされていない顔面を蹴られた俺は、鼻血を吹き出しながら床を滑る。

「……ッテメェ‼」

 蹴られた顔は痛いが、異能を発現しているお陰でダメージは少ない。この蹴りの威力に、先ほど八雲にスタンガンを使ったことから考えても、やはり藤宮自身には大した戦闘能力は無いのだろう。

 俺はもがく振りをしながら、手首を捻って指先をこっそりとポケットに指を入れ、念のために用意しておいたライターを取り出そうとする。

「奈雲」

「はい」

 しかし、そんな分かりやすい動きを見逃す藤宮ではなかった。

 跳ねるように接近してきた奈雲さんに抑え込まれ、ライターに触れていた指を掴まれる。

「折れ。全部だ」

「はい」

 ベキッ‼

 藤宮の命令で、俺の手の指はへし折られた。

「いっがぁ⁉」

 まるでマッチ棒でも折るように、俺の両手の指は十本全てあらぬ方向に曲げられる。

「や、めろッ‼」

 その様子に激昂した八雲が痺れた体に喝を入れて起き上がるが、スタンガンのダメージが大きいのか、その動きはぎこちない。

 立ちはだかった藤宮に再びスタンガンを押し当てられ、八雲は痙攣して動きを止める。

「ほら、どうしたの? 立ってみなさいよ⁉」

 スタンガンを押し当てたまま、何度も何度もスイッチを入れられ、八雲はその度にビクビクと体を震わせて短い悲鳴を上げる。

「あがッ……‼ ひぐッ……‼ ぎぃ……‼」

 俺も過去にスタンガンを使われた経験があるが、電流というのは一瞬当てられるだけでも人間の動きを止めてその心を折る痛みを与える、強力な武器だ。

 それを何度も何度も、あれはどう見ても危険だ。

「やめろ藤宮ッ‼」

 焼けるような指の痛みを堪えて声を張るが、当然そんな言葉で止まるような相手ではない。

「……うるさいわね。これ以上妙な動きされても面倒だし、動けなくしておきなさい奈雲」

「はい」

 命令を受けた奈雲さんはそっと俺に顔を近づけ、口元を覆っていたマスクを外した。

「ッ⁉」

 俺は指の痛みも、東雲の悲鳴も忘れ、その顔に瞠目した。

 マスクに隠れていた奈雲さんの顔は、その半分ほどが口だった。

 口裂け女なんて目じゃ無いほどに巨大な口と、そこから伸びる異形の牙。喉の奥の器官まで人間のものではない。

 異形の姿、蜘蛛の顔。

 髪や目以外にも、奈雲さんの異能はその体を侵していた。

「ダメ……。やめて、お姉ちゃん……‼」

 姉を制止する八雲のか細い声を無視して、その鋭い牙が俺の首筋に突き立てられた。


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