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異能専科の猫妖精(ケット・シー)  作者: 風見真中
贖罪編
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贖罪編38 雨上がり


 お姉ちゃんを、助けて。

 大粒の涙を零しながら懇願する八雲を見て、俺は頭が沸騰しそうになった。

 歯を食いしばり、必死に怒りを抑え込んだ。

 お姉ちゃん、八雲の姉。

 あのフードの女、奈雲さんは、八雲の最愛の姉だった。

 藤宮はそんな人を使って、八雲を従えようとしている。

 妹が姉を思う気持ちを、道具にしている。

 グシャリと、手の中にあったコーヒーのボトル缶がひしゃげた。

「バカ、物に当たんなよ」

「ああ、悪い……」

 缶の口から噴き出した黒い液体を見てトシが非難の言葉を掛けてくるが、悪いけど頭に入らない。

 残っていたコーヒーを一気にあおり、一度深呼吸して感情を落ち着かせようとする。

 しかし、部屋には俺以上に冷静でない奴がいた。

「ゆ……許せません……‼」

 ネコメは血が滲むほど下唇を噛み、怒りで小刻みに体を震わせていた。瞳も異能が漏れて、銀色になってしまっている。

「ネコメちゃん……」

 なだめる言葉を探そうとするトシだが、逆効果だと思ったのか押し黙ってしまう。

「私は……私には家族というものが、よく分かりません……」

 ネコメは爆発しそうな激情を堪えながら、ポツリとそう零した。

 ネコメは、マトモな家族の愛情を知らない。

 父親はおらず、母親はネコメのことを愛していなかった。

「それでも……そんな私でも、八雲ちゃんがお姉さんのことを思う気持ちは、少し分かるつもりです……」

 感情が昂ったネコメは、銀色の瞳から一筋の涙を零しながら、八雲を見て続ける。

「私は、八雲ちゃんと友達になって、一緒の部屋で生活して、まるでお姉さんができたように思ったんです‼ 世間知らずな私に色々教えてくれて、時々イタズラをしてくる八雲ちゃんのことを、まるで、お姉さんみたいだって……‼」

「ネコメちゃん……‼」

 ネコメの言葉に、八雲は体を震わせた。

 親の愛情を知らない、近しい境遇の二人。

 二人にとってお互いが、唯一無二の親友だったんだ。

 そして今、その八雲の尊厳がズタズタに凌辱された。

 これが怒らずにいられるはずがない。

「もし私が同じ立場だったらなんて、想像するだけで頭がおかしくなりそうです。絶対に、許せませんッ‼」

 溢れた異能で瞳を輝かせ、ネコメはハッキリとそう言った。

 藤宮への怒りを、露わにした。

(……藤宮、お前終わったぞ)

 不謹慎だが、俺はネコメの様子を見て心の中で笑みを浮かべてしまう。

 あいつはネコメを、本気で怒らせた。

 友達想いで優しすぎるくらい優しいネコメだが、普段温厚な奴ほど怒ると怖いってのは世の常だ。

 諏訪先輩たちに黙って独断で動くことに否定的だったネコメも、八雲の話を聞いて腹を括ったらしい。

 はらわたが煮えくり返っているらしい。

 あいつは虎の尾を、いや、虎よりも怖い猫の王様の尾を踏んだんだ。

『話、終わったのか?』

 室内の士気が一気に高まったところで、ベッドの上のリルが声を出した。

「リル、お前起きてたのか?」

『うん、八雲の話の途中くらいで』

 空気読んで黙ってたってことか。本当に賢いな、お前。

「体は大丈夫なのか?」

 ベッドに手を伸ばしてリルの体を抱えてやる。そういえば本当に重くなったな、こいつ。

『うん、絶好調‼』

「そりゃ頼もしい」

 よし、リルの目が覚めたなら、勝算が上がるぞ。

 病み上がりで異能がマトモに使えるか分からないが、それでも俺はリルがいないと戦えない。

 字藤先輩には叱られるかもしれないが、それでも俺にはリルが必要だ。

「リル、お前には無理をさせちまうかもしれないが……」

『平気だ‼』

 戦いに赴くことを話そうかと思ったが、リルが食い気味に頷いてくれた。

 身をよじって俺の手から逃れ、八雲の元に駆け寄ってその膝に前脚をチョコンと乗せる。

『俺もヤクモのこと大好きだ‼ ヤクモのために戦う‼』

 リルの声が聞こえるのは俺だけなので皆にはリルが何を言っているのか分からない。

 しかし、リルが何を言いたいのかは伝わっているらしく、トシもネコメも大きく頷いてくれた。

「リル公、なんて言ってんだ?」

「大好きな八雲のために戦う、だと」

 リルの言葉を伝えてやると、八雲は瞳を潤ませながら「ありがとう……」と呟き、リルの顎を撫でた。

「……八雲、出来るだけ情報を整理しておきたいんだが、いいか?」

 全員の意思が固まったところで、本格的な作戦会議だ。

 敵は強大な鬼に、藤宮の傀儡にされている奈雲さん。対して俺たちの中で満足に戦えるのは八雲だけ。少し調子が良くなったとはいえ、俺とリルは戦力として数えるには不安が残る。

 だからこそ、多くの情報を元に作戦を練る必要がある。

 無策で戦いを挑めば、まず間違いなく全滅だろうからな。

「うん。えっと、何から話そうか?」

「まず、奈雲さんが八雲に接触したのは、昨日の昼から夕方の間、八雲以外の霊官が集会に参加している間でいいか?」

 俺の問いに八雲はコクリと頷いた。

 やっぱりか。道理で昼前と夜で八雲の様子が違ったわけだ。

 そうなると、昨日の晩に俺たちが食堂で鬼と対峙していたときには、もう八雲は籠絡されていたってことになるな。

「中部支部の思惑は、あながち空振りでもなかったってわけだな……」

 支部の霊官の大半が一箇所に集まれば、手薄になったどこかで何かしらのアクションが起こる、というのが中部支部が蒔いた餌だ。

 表立っての動きではなかったが、藤宮サイドはそれでも動いていたんだ。八雲というカードを獲得するために。

「そうなると、何でわざわざ霊官が帰ってきてから鬼を暴れさせたんだ……?」

 昨日の襲撃にどんな目的があったのか知らないが、わざわざ霊官が学校に帰って来たタイミングで食堂を襲う理由が分からない。

 霊官の多くが不在の状況なら学校に残っていた護衛だけで対処出来たか微妙だし、現にマシュマロが居たお陰で鬼を一体倒せている。

「やっぱり、ネコメちゃんが目的だったからか?」

「まあ、そう考えるのが妥当かな……」

 トシの言う通り、ネコメが居ない学校は藤宮にとって空っぽの宝箱でしかない。

 だからネコメを含む霊官が戻ってきたタイミングで襲撃を行ったと考えるのが妥当だろう。

「……違うよ。アイツの目的は、もうネコメちゃんじゃない」

「え?」

 ネコメが目的じゃない?

 それは、どういうことだ?

「な、何言ってんだ⁉ 藤宮は人工異能者を作るために、強い異能を欲しがってるんだろ⁉」

 ネコメは藤宮の目的で、ネコメの持つケット・シーの異能を狙っている。

 それは大前提であり、そこが覆されれば全ての歯車が狂う。

「何もケット・シーだけが狙いじゃないよ。アイツの目的はあくまでも強くて貴重な異能。ケット・シー以上に珍しい異能がいるでしょ?」

 ネコメ以上に、貴重な異能?

 それって、まさか……‼

「北欧の狼、フェンリル。その異能混じりが量産出来れば、文句無しに最強だと思わない?」

「ッ⁉」

 そうか、そういうことだったのか。

 だからさっき八雲は、俺を狙ったんだ。

 昨日の襲撃も今日の奇襲も、全ては俺とリル、フェンリルの異能が狙いだったのか。

「……可能性は充分にありました。それを考慮して、会長は大地君を作戦から外そうとしていたみたいです」

「ね、ネコメを餌にする作戦立てといて、俺が狙われてりゃ外すってのか⁉」

 何だそりゃ。そんなの納得できるか‼

「私と大地君では立場が違います。私は正規の霊官ですが、大地君はまだ……」

「そうやって俺を素人扱いする気か⁉」

 確かに俺にはまだ経験が足りないかもしれないが、それでもズブの素人ってわけじゃない。

「俺を餌にした作戦立てることだってできたはずだろ⁉」

「落ち着けバカ、熱くなりすぎだ。それに、リル公の調子が悪くて異能が使えないお前を餌にするなんて、どう考えても危険だろ」

「だったら……‼」

 だったらキチンとそう言ってくれと、そう言いかけて、やめた。

 確かに、今の俺は冷静ではないし、さっきの生徒会室での俺なんてもっと周りが見えなくなっていた。

 ネコメに怒鳴られても、トシに殴られても、俺が狙われる可能性に気付かなかった。

 戦えないにも関わらず、動こうとした。

 先輩もネコメも、八雲のことと同じくらい俺の身を案じてくれていたのに、そんな気持ちなんて微塵も理解しないで、みんなの言葉を否定した。

 そんな周りが見えてないやつを主軸にした作戦なんて、実行できるはずがない。

『何で分からねえんだよ⁉』

 偉そうにあんなことを言ったのに、分かってなかったのは俺の方だ。

「……ネコメ、トシ、悪かった。今のも、さっきのことも……」

 水を掛けられたように急激に頭が冷え、俺は二人に向かって頭を下げた。

 さっき八雲に言われた通り、俺は自分勝手な考えで動こうとしていた。

 ネコメをダシに八雲が従わされているってのも結果的には的外れだったわけだし、敵の狙いでありながらむざむざと前線に出ようとしてしまった。

 情けないが、今回俺は空回りしっぱなしだ。

「……ようやく、大地君らしくなりましたね」

「え?」

 薄く微笑んだネコメにそんなことを言われ、俺はキョトンとする。

「大地君は、確かに現場での経験が足りませんし、自分の価値を客観的に見れていません。でも、それを補って余りあるくらいの状況判断能力があると、私は思っています」

 随分な過大評価をしてくれるネコメの言葉に、トシがうんうんと大仰に頷く。

「ネコメちゃんの言う通り、大地はそういうとこがスゲーんだよな。バスケやったら点取るより司令塔やった方が上手いだろうよ」

「そんなこと……」

 ある、のだろうか?

 自分に状況判断能力があるなんて思ってもいなかったのに、周りにこんなに言われるとは、なんかむず痒い。

「自分のことなんて、案外自分じゃ分からないんじゃなかったっけ?」

 柔らかく笑いながらそんなことを言ってくる八雲に、俺は気恥ずかしさを覚える。

 人のセリフパクリやがって、さっきの意趣返しのつもりかよコンニャロ。

「……でも、藤宮の狙いが俺なら、作戦の立てようはあるな」

 誤魔化すように咳払いをして、俺は部屋にいる皆に向き直る。

「もう何が思いついたのか?」

「ああ。俺たちが打てる最善手は、多分これしかない」

 こちらのカードは、藤宮の狙いである俺とリル。そして、俺たちだけが味方だと知っている八雲。

 勝利条件は、奈雲さんの奪還。

 奈雲さんを奪った後のことは、諏訪先輩や支部の霊官に任せるしかない。残念ながら今の俺たちで藤宮側の全員を相手にするのは不可能だ。

「でも、本当にいいの? あたしを会長のとこに連れてって、後のことを全部支部の霊官に任せるのが、最善なんだよ?」

 八雲は不安げに俺たちを見回しながらそう言った。

 確かに、それが最も安全で確実な手段なのは間違いない。

 戦えないネコメやトシ、リルの調子という不安要素の残る俺が前線に出るより、遥かに堅実だ。

「でも、その場合奈雲さんがどうなるか、分からないだろ?」

「それは……」

 そうだ。

 支部にとって奈雲さんは今のところ、ただの藤宮の協力者でしかない。

 逮捕で済めばいいが、藤宮の罪の重さを考えればそれだけで済む保証は無い。

 二度と八雲と会えない可能性だってある。

 それに、それじゃあ少なくとも俺たちが納得しない。

「俺は友達の頼みを聞くだけだ」

 お姉ちゃんを助けて。

 八雲は俺にそう言った。

 霊官も立場も、先輩達だって関係ない。

 俺は、俺のやりたいようにやらせてもらう。

 ハッキリとした意思を示す俺に、ネコメがこれみよがしな溜め息を吐いた。

「……本当に大地君は勝手ですね。自分の行いがどういう結果を招いて、誰がどう責任を取るのか、その辺りの考えが甘いんじゃないですか?」

 この期に及んでまだそんなこと言うのかよ、このクソ真面目ちゃんは。

 まあ立場上一応そういうことも言っとかなきゃならないんだろうけど。

「じゃあネコメは留守番か? それか今から諏訪先輩にチクリでも入れるのか?」

「そ、そんなことしません‼ お留守番なんて真っ平御免です‼」

 ネコメは気を取り直すようにキッと目を細め、ハッキリと宣言する。

「大体私は、お友達を泣かされて黙っていられるほど、いい子ちゃんじゃないんですっ‼」

「……ん? どっかで聞いたセリフだな?」

「大地君が私に言ったんですよ」

 忘れちゃったんですか、とネコメは悪戯っ子のように舌を出した。

 そういえば大木の事件の時、俺そんなようなこと言って乗り込んでったんだっけ?

「なあなあ、ネコメちゃんが不良になったら、多分お前のせいだよな?」

「人聞きの悪いこと言うな‼」

 まあ、命令無視に規則破り、真面目なネコメなら考えられないことではあるが、俺のせいにされるのは心外だ。

「……お前はどうすんだ? 来るのか?」

 この中で恐らく一番戦闘に向かず、危険も大きいトシに問いかける。

「それ聞くか? 俺はこういう時のために、霊官目指すって決めたんだぜ?」

 だよな。我ながら愚問だったぜ。

「じゃあ、満場一致ってことでいいな?」

 改めて一同の顔を見渡す。

 ネコメ、トシ、リル、全員がそれぞれ、覚悟を決めた顔をしていた。

 そしてそんな仲間を見て、八雲が大きく頷き、「ありがとう……」と言った。

 俺は立ち上がり、ふとカーテンの隙間から日が差していることに気付いた。

「なあ、雨っていつ止んだんだっけ?」

 昨夜はずっと降っていたと思ったのだが、そういえば朝は天気を気にする余裕なんてなかったものだから気付かなかった。

「いつでもいいじゃないですか。今晴れてるんですから」

 ネコメの言葉に「それもそうか」と納得して、俺達は動き出す。

 ただ、友達の頼みを聞くために。


「行くぜ……ステイは終いだ‼」



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