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異能専科の猫妖精(ケット・シー)  作者: 風見真中
贖罪編
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贖罪編17 笑って笑って


「お久しぶりです! きょーからクラスに戻って来ました‼」

 月曜日の朝、着席するクラスメイトに向けて教壇の上から挨拶する。

 表情はもちろん満面の笑みで、右手で敬礼などもしてみる。

 くるっとターンしながら教壇を降り、教室の最後列にある自分の席に鼻歌交じりでトスンとお尻を乗せる。

 とても東雲八雲らしい動きだ。

 私が作り上げた東雲八雲という少女は、何をするにも一度は悪ふざけを挟み、周囲の人間に呆れられながらも受け入れられる。

 クラスのお調子者、そんな少女を演じてきた。

 久しぶりに会ったクラスメイトからはしきりに声をかけられ、順々に受け答えをしていく。

 大丈夫、上手くやれている。

 授業を受けるのは新鮮だった。

 長らく触っていなかったテキストや筆記用具に触れ、教師の説明に合わせて板書を書き写す。

 休んでいた分授業の内容に遅れてしまっているかと思ったが、もともと勉強が嫌いじゃなかったおかげで先行して自習していた内容で補完できている。

 大丈夫、上手くやれている。

 授業の合間にある十分間の休憩時間には、スマホアプリのゲームもいじくる。

 同じゲームをやっているクラスメイトと顔を付き合わせ、仕事が忙しくて期間限定のイベントを進められなかったと愚痴を言う。

 キャラクターガチャで高レアキャラが出たという者に祝福の言葉を贈り、負けじと自分もガチャを回して見事に外す。

 授業を受け、流行りのゲームを遊び、周囲と話題を共有する。

 大丈夫、上手くやれている。

 大丈夫、何もおかしくない。

 平気、大丈夫、心配無い、問題無い。

 絶対に平気、きっと大丈夫、大丈夫大丈夫大丈夫……

「うっえぇ、ゲホッ……‼」

 こっそりとトイレに駆け込み、便座に寄り掛かって吐瀉する。

 人気の少ないトイレを選んで入ったが、念のために声が漏れないように努力する。えずく喉が痙攣するように痛むが、人に気付かれるよりマシだ。

 朝食はほとんど喉を通らなかったため、胃の中に吐き出すような物は無いにもかかわらず、わずかに飲んだ水分をキリキリ痛む胃が押し返す。

 食道を焼く酸の不快な味と臭いを乗り越え、個室から出て水道で口の周りと口内を洗う。

(ヤワな神経だな……)

 鏡に映る自分の姿に、思わず自嘲の笑みを漏らす。

 ファンデーションで隠した目の下のクマに、色付きリップクリームで塞いだヒビ割れだらけの唇。

 化粧を落とせば、死体のような顔の女が現れるはずだ。

 たった半日演技をしただけで不調になるとは、まともな護衛とは言えない。

 以前はずっと演技をしていても何ともなかったのに、自分は一体どうしてしまったのだろうか?

(……考えるだけ無駄か)

 そう、本当は分かっている。

 以前の自分は、演技をすることに何の違和感もなかった。

 そうすることが当たり前のように、虚像の自分として振舞えていた。

 しかし、あの事件を経て、仲のいい演技をしていた彼女や彼に自分の成り立ちがバレてから、私は怖くなった。

 他のクラスメイトにも自分の正体がバレるのではないか。

 犯罪者として侮蔑の視線を向けられるのではないか。

 彼女や彼と、再び対立する時が来るのではないか。

 そんなことを考えるたびに、氷の手で心臓を鷲掴みにされるような悪寒を感じる。

 もう嫌われたくない。

 もう傷つけたくない。

 もう、離れたくない。

 私は弱くなった。

 ぬくもりを知って、友情を感じて、親愛を覚えて、私はとても弱くなった。

 しかし、覚悟は変わらない。

 虫の分を弁え、自身の身に余る幸福を求めるようなことはしない。

 この護衛の任務で、私は私にケリをつける。

 そのために全うしよう。

 完璧に演じ切ろう。

(この顔じゃ、出られないな……)

 水に濡れてわずかに化粧が落ちたため、持ち込んだ小さなポーチからファンデーションを取り出し、目元のクマを隠す。

 青白い頰が目立たないようにチークでほのかに赤くし、水で流れたリップクリームを塗り直す。

「八雲ちゃん……」

「ッ⁉」

 化粧を直していると、トイレの入り口から聞き慣れた声を掛けられた。

 彼女、猫柳瞳は、眉をひそめてその顔を心配そうに歪めている。

「ネコメちゃん、どしたの?」

 私はニコリと笑い、明るい東雲八雲として彼女の声に応える。

 あの二人は何をしているんだ、と心の中で毒づいた。

 護衛の基準として、常に三人のうちの誰かが目の届く範囲にいることにしたはずだ。

 彼女から目を離した二人に苛立ちながらも、仮面の表情は崩さない。

 この子にだけは、あんな顔を見せてはいけない。

 この子の前でだけは、もうこの仮面を外す訳にいかない。

 最後の瞬間まで、彼女と友達になった明るい東雲八雲でいなければならない。

「……無理、しないでください」

「無理? してないよ、そんなのー」

 お願い、やめて。

 優しくしないで。

 その言葉だけで泣きそうになる。

 その仕草だけで、死にたくなる。

「あ、次移動教室だっけ? 早く行こ」

 素早く化粧品を片付け、素知らぬ顔でトイレを出ようとする。

 その私の手を、彼女がそっと掴んだ。

「んもう、どうし……ッ⁉」

 掴んだ腕を引かれ、そっと抱きしめられた。

 両腕を体に回され、優しくいたわるように髪を撫でられる。

「……私の前でまで、嘘つかなくていいんですよ?」

「なに、言ってるの? あたし、嘘なんて……」

 やめて、これ以上は耐えられない。

「私は八雲ちゃんが上手くクラスに馴染めるお手伝いをするんです。だから、辛いときは私を頼ってください」

「つ……辛いなんて、そんなの……」

 そんなことない。そんなわけない。

 そんなこと、思ってはいけない。

 バッとネコメの手を払いのけ、「ごめん……」と呟いてトイレから駆け出した。

「八雲ちゃん……!」

 ネコメの声を聞きつつ廊下に出ると、そこには彼女の護衛である二人がいた。

「東雲……」

「東雲さん……」

 二人はネコメ同様に心配そうな顔で、駆け出してきた私を見る。

(違うッ‼)

 そうじゃない。

 彼らのやるべきことは、彼女を案じることだ。彼女を守ることだ。

 私のためにそんな顔をするなんて、そんなのは違う。

 何をしているんだ、と説教してやろうと口を開きかけ、言葉に詰まった。

 顔も喉も引き攣って、声を出すことができなかったのだ。

 私は二人の間をすり抜け、全力で廊下を駆けた。

 上履きのまま外に出て、昨夜から降り続ける雨を全身で浴びる。

 バチャバチャと泥を踏み、どこへともなくひた走る。

「どうしちゃったんだよ……‼」

 自分が分からなかった。

 演じることを苦痛に感じることでも、彼女の護衛を全うできていないことでもない。

 彼女に、彼らに、案じられる。

 そのことに、ほのかな喜びを感じてしまっている自分が、分からなかった。

「あたし……なにしてるんだよ……?」

 当然、自問の言葉に答える声は無かった。

 この数時間後、私は諏訪彩芽からの連絡で彼女の護衛から外されることになった。

 そしてその夜、私は認識を改める。


 あの人たちとは住む世界が違うのだと、改めて実感させられる。



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