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異能専科の猫妖精(ケット・シー)  作者: 風見真中
編入編
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編入編5 異能専科の生徒会

 猫柳の案内で俺たちは生徒会室に行くことになった。

 編入初日からクラスのヤンキーにリンチされかけたり生徒会室に連れて行かれたりと、まともに授業を受けていない。

「さっき藤宮先生に呼ばれたのも、大神君の件だったんですよ」

 藤宮、というのはホームルームの最中に教室を訪ねて来た白衣の女性だったはずだ。

「俺に何の用があるってんだ?」

「多分、大神君の手足のことだと思います。藤宮先生はこの学校の保健室の先生で、医師免許を持っている霊官ですから」

「医者か……」

 言われて俺は自分の手を見る。

 妖蟲に食い荒らされた俺の手足、治してくれたのは彼女なのだろうか?

 だとしたらキチンと礼を言っておかなければ。

(しかし何で保険の先生が生徒会室に?)

 そんなことを考えながら猫柳達に着いて行くと、校舎の一階、玄関の前に設置されたエレベーターに案内された。

(玄関にエレベーター……? 妙なところにあるな)

 学校の資料に記載されていた見取り図を思い出すと、玄関から入って向かって右側が特別教室のある校舎、左側が学年ごとの教室がある校舎になっている。

 玄関と反対側の端の一階部分には渡り廊下があり、上空から見ると二つの校舎と玄関、渡り廊下で『ロ』の字の形になっていたはずだ。

 そして玄関の真上には、何も無かったはずである。

(見取り図には載ってない部屋か……)

 異能者や霊官の学校なら七不思議どころか百不思議くらいあってもおかしくないし、秘密の部屋なんて何個もありそうだ。

「しかし、学校にエレベーターって珍しいよな?」

「そうなの?」

「そうなんですか?」

 俺が素直に疑問を述べると、二人は揃ってキョトン顔を浮かべた。

「いや、中学も小学校にも無かったし、普通は無いもんじゃないか?」

「いや、あたし他の学校知らないし」

「私もこの学校しか行ったことないですね」

 揃ってそう言う二人に、俺は複雑な心境を覚えた。

 異能専科はこの近くに初等部と中等部の合同校舎があり、幼い頃から異能者の生徒はそこから進学してくるらしい。

 つまり二人は初等部の頃から異能者だったという事だ。

(鎌倉みたいに、二人にも何か事情があるのかもな……)

 高校一年から霊官という職に就き、初等部の頃から異能者だった二人。

 先程東雲にははぐらかされたが、やはり二人にも霊官になった理由があるのだろう。

「まぁこのエレベーターも特別なやつだけどね。決まった階にしか行かないし」

「誰でもは乗れないですしね」

 そう言いながら二人はドアの横のセンサーに手帳のようなものをかざした。すると音もなくエレベーターのドアが開き、二人に連れられて中に入る。

 エレベーターの内部は普通のものに見えたが、行きたい階を押すパネルは下から『B1』『1』『4』の三つしかない。

 さらにパネルの上には液晶画面と、寮の部屋の鍵のようなICパネルがある。

 猫柳が『4』のボタンを押し、ICパネルに先程と同様に手帳のようなものをかざした。すると液晶画面にカタカナで『ネコヤナギヒトミ』と表示される。

 東雲もそれに続き、同様に『シノノメヤクモ』と液晶に映る。

 どうやらこのエレベーターに乗るにはあの手帳のようなものによる登録が必要らしい。

「大神君、学生証を出してください」

「え、ああ」

 言われるがままに学生証を取り出し、ICパネルにかざす。すると液晶には『未登録』と『ゲスト』の文字が表示され、猫柳が『ゲスト』の部分にタッチして再び手帳をかざす。

 そこでようやくドアが閉まり、エレベーターが上へ向かって動き出した。

「随分厳重だな。その手帳が無いと乗れないのか?」

「ええ。生徒会室に行ける階段は無いので、この霊官手帳が無いと生徒会室に行けません」

「霊官手帳?」

「その名の通り、霊官の身分証明書だよ。免許証も兼ねてるの」

 言いながら東雲が手帳を開く。覗き込むとそこには東雲の写真が貼られた身分証明書があり、あとは名前だけが記載されている。おそらく身分証明書には学生証のようにICチップでも内蔵されているのだろう。

「名前だけなのか?」

 普通こういうものには生年月日なんかも書いてあるものだし、警察手帳のようなものなら役職だってあるはずだ。

「霊官に年齢は関係無いからね。それに霊官って秘密主義なとこあるから」

 そんな話をしていると、あっという間にエレベーターは4階に着いた。

 4階といっても玄関の上には2階も3階も無いので、何を持って4階としているのかは分からないが、とにかくその階は異様だった。

 エレベーターを降りて廊下に出ると、まず窓がない。床には絨毯が敷かれ、壁は普通の校舎より真新しく見える。

 エレベーターの体感では上へ向かっていたが、ここが地下だと言われれば信じてしまいそうだ。

「消防法とかそういうの、無視してないか?」

 3階以上の建物の窓には避難用の赤い三角形のマークが付いているものだし、非常階段の設置も義務だったはずだ。

「ここは表向きには存在しない階ですので、場所は秘匿されています」

「それにこの階にくるような人は火事くらいじゃ何ともないからね」

 火事くらいとは、ずいぶん大仰な物言いだ。

 それに、秘匿されている階か。

「こっちです」

 猫柳に促され、絨毯の敷かれた廊下を進む。リルは歩きづらそうだったので東雲が抱えている。

(音消しか?)

 廊下に敷かれた絨毯は毛が長く、足音がほとんどしない。窓も無く、外の様子さえ伺えないが、それはつまり外からも中の様子が伺えないという事だ。

 分かっているのは玄関の上のどこかにあるということだけ。とことん場所を秘匿されている部屋らしい。

「ここだよ」

 猫柳と東雲が立ち止まったのは、観音開きのドアを構えた立派な部屋だった。

 クリーム色の壁に対して違和感があるほど豪奢な造りの扉で、深い琥珀色に塗装されている。

「なんか、エラい豪華なドアだな……」

 俺が素直にそう述べると、猫柳は「中はもっと凄いですよ」と苦笑した。

 ドアの横には最早見慣れたICパネルがあり、猫柳が霊官手帳をかざすと部屋の内部と音声が繋がった。

『どうぞ』

 男にしては高く、女にしては低いなんとも言えない声に迎えられた。場所を秘匿している割にはあっさり通してくれたが、きっと中ではさっきエレベーターを動かした時に誰が何人で来るのかを把握出来るのだろう。

 猫柳が豪奢なドアのノブを捻り、横にスライドした。

「引き戸かよ⁉」

 思わず突っ込んでしまう。

 このドアの見た目で引き戸とは思わなかったので、面食らってしまった。

 俺の突っ込みが面白かったのか、部屋の中から愉快そうな笑い声が響く。

「アッハハハハハ! いつ見てもいいわね、この部屋に初めて来た人の反応は」

 笑い声の主は口元に手を当て、上品に、それでいて心底楽しそうに笑っている。

「失礼します」

「失礼しまーす」

「し、失礼、します」

 戸惑いながらも二人に倣って礼をし、部屋の中に入る。

 部屋の内装を見渡すと、目眩がするほど豪華な部屋だった。

(俺は生徒会室に連れてこられたんじゃなかったっけ?)

 まず床には廊下のものより高価だと一目で分かる絨毯が敷かれている。

 壁の前には白いアンティーク風の食器棚が置かれ、中にはこれまた高価そうなティーセットが並んでいる。

 部屋の中にも窓は無く、代わりにいくつもの油絵が飾られ、無機質な壁の彩りになっている。

 食器棚の前には同じくアンティーク風な白いデスクが三つ『コ』の字型に並んでおり、部屋の中央には猫足のテーブルと革張りのソファーが二つ、装飾が施された椅子が一つ備えられている。

 成金趣味の応接室、それが素直な感想だった。

 俺が言葉を失っていると、真ん中のデスクに着いていた女、先程大笑いしていた女生徒が「どうぞ、掛けてください」と革張りのソファーを示す。

 言われるがまま俺たちは、向かって左から俺、猫柳、東雲の順に並んでソファーに腰を落とす。すると、

『ブー』

 ソファーの真ん中、猫柳の臀部の辺りから空気の抜けるような音が響いた。

「……会長‼」

 顔を真っ赤にし、プルプル震えた猫柳は立ち上がって例の女生徒に怒鳴りつける。

 東雲がペラっとソファーのクッション部分をめくると、そこには空気で風船のように膨らみ強く圧迫すると音の出るパーティーグッズ、いわゆるブーブークッションが仕込まれていた。

「アッハハ、ネコメったらかーわいー!」

 これを仕掛けたであろう女生徒は愉快そうに笑う。猫柳に『会長』と呼ばれたことから、彼女は生徒会長なのだろう。

「さーて、空気も和んだところで自己紹介しとこうかしら、大神大地君」

 顔を真っ赤にした猫柳の非難の視線もどこ吹く風で、その女生徒は俺たちの前に出てきた。

「私は諏訪彩芽。この学校の生徒会長よ」

 そう名乗った女生徒は、向かって右隣のデスクに座っていた生徒に押され、

 車椅子に乗って現れた。


・・・


 生徒会室には四人の人がいた。

 まず車椅子の女生徒、生徒会長の諏訪彩芽。制服のリボンの色は赤。

 異能専科ではネクタイ、リボンの色で学年が分かるようになっていて、俺たち今年度の一年生が付けている青は去年度の三年生と同じ色らしい。

 赤は今年の二年生の色なので、諏訪先輩は二年生ということだ。

 ふわっとした長い黒髪と大きな瞳、若干のあどけなさが残るがかなりの美少女で、胸の膨らみは大きく、車椅子に座る太ももも瑞々しい。

 車椅子を押していた人は、一見して性別が分からない。

 顔立ちは整っているが中性的で、身長は百六十前後。黒い髪はギリギリ肩に掛からない程度。制服はネクタイ、スラックスと男子っぽいが、異能専科では異能に合わせて服装をいじっていいのでこれは性別を判断する材料にはならない。

 今年の三年生を示す緑色のネクタイを締めた胸元は膨らみが無いように見えるが、猫柳も制服の上からでは膨らみが見当たらないので、やはり性別は分からない。

 諏訪先輩が座っていた席の、向かって左側のデスクに座っている人に至っては国籍が分からない。

 ワイシャツの下に黒いタートルネックのインナーを着ていて、デスクの下から覗く脚には厚手の黒いストッキングを履いている。デスクの上で組んでいる手には黒い手袋をしていて、顔から上以外は一切肌を出していない。

 そしてその顔は、白かった。

 肌も髪も異常なほどに真っ白で日本人離れした容姿をしており、長い前髪に隠れかかっている眠たそうな瞳だけが血のように赤い。

 二年生を示す赤いリボンの下は着込んでいてもはっきり分かるくらい胸の膨らみが豊満だが、その端正過ぎる顔立ちと相まって等身大の人形のように見える。

 そして、中性的な三年生と白い二年生の二人は武装していた。

 中性的な三年生は腰に日本刀と思しき刀を、白い二年生は紫色の布に包まれた二メートルはありそうな長物を椅子に立て掛けている。

 テーブルに備えられた椅子には白衣の女性、先程教室にやって来た保険の藤宮先生が足を組んで座っており、テーブルの上には食器棚にあるものと同じデザインの紅茶の入ったティーカップが置いてある。

「随分熱心に観察するのね?」

「え?」

 諏訪先輩にそう言われ、自分が無遠慮に室内にいる人たちを観察していたことに気付く。

「あ、すいません……」

 思わずペコっと頭を下げると、諏訪先輩は頰に手を当てて楽しそうな声で続ける。

「そんな性的な目で見られても困るわ」

「性的な目では見てねぇ‼」

 いきなり何言ってんだこの人!

 しかも言葉とは裏腹に全然困っている様子じゃない。

「お嬢様は冗談がお好きなのだ。あまり声を荒げるな」

 諏訪先輩の横に立っている中性的な三年生はスッと目を伏せてそう言った。声からして先程俺たちを招き入れたのはこの人のようだが、高くも低くもない声でやはり性別が分からない。

 しかし、『お嬢様』と来たか……。

「ふふ。彼は叶よ。生徒会の副会長で、私のボディガードなの」

 諏訪先輩は中性的な三年生を指してそう紹介した。彼と言ったが、男子なのか?

「烏丸叶だ」

 烏丸先輩は短くそう言い、それきり口を開かない。モヤモヤしたままでいるのは嫌なのでここははっきりと聞いておこう。

「あーえっと、烏丸、先輩は、その……男なんですか?」

 俺が遠慮気味にそう聞くと、烏丸先輩は中性的な顔立ちにはっきりと怒りを浮かべた。

 隣の猫柳がビクッと体を震わせ、東雲は「あちゃー」というような表情を浮かべている。

「もちろん男だが、貴様……どういう意味だ?」

 低く唸るような声で、烏丸先輩はそう言った。どうやら俺はまずいことを言ってしまったらしい。

「俺が女の様な顔だと、この格好でも女に見えると、そう言っているのか?」

 先輩は酷くご立腹の様子で、今にも腰の刀を抜いて切りかかって来そうな形相だ。

「あ、すいませんっした。気にしてたんですね、女顔なこと」

 俺はペコっと頭を下げて謝罪する。

 随分と怒らせてしまった様子だが、先輩は俺の軽い感じの謝罪をとりあえずは受け入れてくれた。

「……今回は許す。だが次に俺を女顔などと言ったら、殺す」

 ドスの効いた声に「は、はい……」と頷きながら、俺はあの腰の刀が飾りでない事を確信する。

 この生徒会室に入るためにはエレベーターに乗らねばならず、あのエレベーターは霊官しか動かせない。

 つまりここにいる人たちは恐らく、俺を除いて全員が霊官なのだろう。武装しているのも、ポーズではない。異能と戦うための装備なのだ。

 俺が背筋に冷たいものを感じていると、今までの空気を壊すように諏訪先輩が笑い出した。

「アハハ、叶は女顔って言われるのが大嫌いなのよ。確かに可愛いけど、もう言わないでね」

 諏訪先輩の言葉に俺は頷き、それを見て諏訪先輩は後ろのデスクに座ったままの女生徒に視線を向けた。

「彼女はましろ。生徒会の書記よ」

 諏訪先輩の紹介に白い二年生、ましろさんとやらは「会長……私は別に……」と視線を逸らした。

「ダメよましろ、ちゃんと自己紹介しないと」

 諏訪先輩に促され、ましろさんは視線を逸らしたままおずおずと口を開いた。

「雪村、ましろ。二年で、書記」

 自己紹介はされたが声がか細く、しかも大した情報は得られなかった。

「それと保険の藤宮先生ね」

「よろしくね」

 年齢三十歳前後に見える藤宮先生はスーツの上に白衣を着ており、胸の部分はパツパツでジャケットのボタンが弾けそうだ。

 縁のないメガネを掛けており、左目の下には泣きぼくろがある。

 黒い薄手のストッキングを履いた足を組み替えながらニコリと微笑まれると、結構クるものがあるな。

「あら、先生の事を今日一番の性的な目で見てるわね」

「見てませんけど⁉」

 諏訪先輩は隙あらば俺を変態にしようとしてくる。なんなんだこの人。

「それで?」

 クスクスと笑った後、諏訪先輩は俺にそう問いかけた。

「は? それでって、ここに呼び出したのはあんたたちじゃ……」

「目上の人が先に自己紹介したのよ? 貴方も名乗って、よろしくお願いします、じゃないの?」

 可愛らしく首を傾げながら言っているが、随分辛辣な物言いだ。そして何より、楽しそうだ。

 しかし言っていることは正しいので、俺は素直に従っておく。

「あ、大神大地です。コイツはリル。よろしくお願いします」

 自分と東雲の膝の上で落ち着かない様子でいるリルのことを紹介する。

 先程俺の名前を呼んでいたし、俺たちのことは知っているんだろうが、こういうのは形が大事ということだろう。

「ええ、よろしく。叶、お茶を淹れて」

「はい、お嬢様」

 横に控えていた烏丸先輩は諏訪先輩に命令されると、慣れた手つきで食器棚からティーセットを取り出し、紅茶を淹れ始めた。

 学年は烏丸先輩の方が上なのに、立場は諏訪先輩の方が上ということだろうか?

 ボディーガードというより執事みたいだ。

 缶に入った高そうな茶葉を使っているのに、お湯を沸かすのは電気ケトルなのがなんともちぐはぐだが、すぐに室内は紅茶のいい香りに満たされていく。

 漂う紅茶の香りを深く深く吸い込み、ふぅ、と息を吐いた諏訪先輩はおもむろに口を開く。

「大地君、君は霊官の仕事についてどう思う?」

「え?」

 突然の問いかけに俺は言葉を詰まらせた。

 いきなり下の名前で呼ばれたこともだが、霊官の仕事をどう思うかとは、藪から棒な質問だ。

「えーっと、凄いとは思う、かな。猫柳も東雲も、凄いなって……」

 俺の答えもかなり大雑把なものになってしまったが、大して知らない仕事に関してそれ以外に言うこともない。

「自分も霊官になりたい、とは思わないかな? 気づいていると思うけどここにいるのは全員霊官で、そもそも異能専科の生徒会役員に立候補するには霊官の資格が必要なの」

 そう語る諏訪先輩の目の前に烏丸先輩が皿に盛られたクッキーを出した。諏訪先輩は上品な手つきで一枚摘み、ゆっくりと口に運ぶ。

「霊官や生徒会役員の特典は大きい。異能の授業は免除されるし、国家公務員だからお給金もいい。役員はこの部屋を自由に使えるのはもちろん、この階には個室もある。魅力的だと思わない?」

 この豪華な部屋や授業の免除、さらに金の話まで持ち出されれば、確かに霊官や生徒会役員は魅力的かもしれない。

「でも、危険な仕事だろ?」

 俺の答えに諏訪先輩は小さく微笑んだ。

 霊官の精神的なストレスは、さっきの猫柳の様子からもその一端が推し量れるし、その危険性に関して言えば他ならない諏訪先輩の姿が全てを物語っている。

 車椅子とは、遊びで乗るものではない。自力で歩くことが困難な人がのる医療器具だ。

 諏訪先輩は何らかの理由によって歩けないようだが、妖蟲に食い散らされた俺の手足をここまで完璧に治療出来る技術を持った霊官という組織が、足の麻痺を治せないとは思えない。

 つまり諏訪先輩の足には、怪我や単純な病気などとは違う、もっと特別な原因があるはずだ。

「ええ、霊官は危険よ。常に死と隣り合わせ」

 そこで諏訪先輩は一度言葉を切り、微笑みながら「でもね」と続ける。

「この足、私の体は貴方が思っているより単純な理由で動かないのよ」

「え?」

 まるで俺の考えを全て見越したかのような物言いに、俺は固まった。

 異能、霊官の危険を言及しただけで、俺が諏訪先輩の体のことまで考えていたことが分かったのか?

(さすがは霊官、ってことか……)

 相手の考えを読む異能、そんなものがあるのかもしれない。

 ゴクリと息を飲む俺をよそに、諏訪先輩はそっと、うなじの辺りに右手を添える。

「私の下半身の麻痺は脊髄が原因なの。これを貴方の腕のように治そうとするなら、そうね、脊柱をそのまま入れ替える必要があるわ」

 人間の神経を司る背骨をまるごと入れ替える、それは確かに手足をすげ替えるのとはわけが違うだろうな……。

「でも確かに脊髄の損傷も異能生物と戦ったときの怪我が原因だし、危険を理由に霊官になりたがらないのもわかるわ」

 そう言って諏訪先輩はうんうんと頷く。

(そもそもこの人は俺を霊官にしたいのか?)

 霊官は異能のプロ。

 強い異能を用いて異能生物と戦ったり、鎌倉のようなチンピラ異能者を取り締まったりする仕事だ。

 鎌倉の言葉を借りると『有象無象』の異能混じりである俺なんかが務まるとは思えない。

「でもね、大地君、私は貴方に可能性を示しているのよ?」

「可能性?」

「チャンス、と言い換えてもいいわ」

 言葉の真意が分からない俺が首を捻っていると、紅茶が入ったらしく、烏丸先輩が諏訪先輩と雪村先輩の前にカップを置いた。

 烏丸先輩は給仕も慣れた様子でこなし、東雲と猫柳の前にも淹れたての琥珀色の液体で満たされたカップ、角砂糖とティースプーン、さらにミルクポットが置かれる。

 そして俺の前には、水の盛られたプラスチックの深皿が置かれた。

「……烏丸先輩、これはリルのか?」

「お前のだ、大神」

 言いながら烏丸先輩はソファーの下にビスケットのような物が盛られた皿を置き、リルをそっと促す。

 リルは東雲の膝から降りると、千切れんばかりの勢いで尻尾を振りながらクッキーのような物を貪り始めた。

 リル以下の扱いをされた俺は揺れる水面を見る。

 どうしていいのか分からない、そんな俺を見て、諏訪先輩は冷酷な笑みを浮かべた。

「貴方みたいな人は、それで充分でしょう?」

「な、なんでだよ⁉」

 意味が分からない。

 今の今まで普通に会話をしていたのに、なぜか俺はお茶の一つも貰えないでいる。

 助けを求めるように左右に視線を振ると、猫柳は苦笑いを浮かべ、東雲は口を半開きにして笑うのを堪えている。

何これ、イジメ?

「手足の調子はどう?」

 俺がキョロキョロと視線を彷徨わせていると、諏訪先輩は紅茶を傾けながらそんな事を言った。

「え?」

「左腕と右足首よ。ちゃんと動いてる?」

「あ、ああ」

 妖蟲に食われ、付け替えてもらった手足。

 先程鎌倉たちとケンカになった時もバッチリ動いてくれていた。

「その腕と足、私が作ったものなの」

 もう一枚クッキーを摘み、諏訪先輩はそう言った。

「これを、先輩が?」

「ええ」

 俺はてっきり、医者だという藤宮先生が治療してくれたのだと思っていたが、見当違いだったらしい。

「そうだったのか……どうも、ありが……」

「お礼はいいわ」

 ありがとう、と言って頭を下げようとした俺に、諏訪先輩はピシャリと言い放つ。

「叶、先に渡しておいて」

 半端に頭を下げた姿勢の俺の前に、烏丸先輩が一枚の紙を差し出した。

 訳がわからないまま受け取ると、それはいわゆる請求書だった。

 宛名はもちろん『大神大地』で、請求主は『諏訪彩芽』。

 内容は右足首と左腕の義足、義手部分の代金と、それに伴う施術費用。

 肝心の請求金額は、まず左端に『8』が書いてあり、その隣には『0』が、えっと……見間違いでなければ七個並んでいる。

「は……八、千、万、円?」

 呆然と呟く俺に、諏訪先輩は冷酷な笑みを浮かべながら頷いた。

 その表情が心底楽しい、いや、愉しいと言わんばかりのものに変わっていき、俺は寒気を覚えた。

 冗談が好きとかイタズラ好きとは次元が違う。

 この女、諏訪彩芽は、絶対に敵に回してはいけない、間違っても借りなんか作ってはいけないタイプの人間だと、遅まきながら確信する。

 犬扱いのこの深皿も、諏訪先輩の指示で烏丸先輩は用意したのだろう。

 どんな異能よりも凶悪そうに、まだ見ぬ本物の悪魔より悪魔的な笑みを浮かべ、諏訪彩芽は言った。


「お金を払いなさい、この駄犬」


新キャラ登場の回はキャラの説明に文字数食われてしまいますね。


そろそろ主人公には何か目的の一つでも持ってもらおうと思っていまいます。

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