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異能専科の猫妖精(ケット・シー)  作者: 風見真中
贖罪編
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贖罪編11 いつか訪れる別れ


 女子は神秘だ。改めてそう思う。

「ごちそうさまでした。美味しかったですね」

「うん。甘いものは久し振りに食べたから、すごく美味しかった」

 山ほどあったテーブルの上のスイーツは、そのほとんどが女子三人の胃袋の中に収まってしまっていた。

 俺は切り分けられたハニートーストを半皿分ほど食べた辺りで脳が糖分摂取を拒否し始めたのだが、ネコメ、八雲、マシュマロは一切ペースを落とすことなくスイーツを食べ続けた。

 異能混じりのネコメと東雲はまだ分からなくもないんだが、一番食べてたのが半異能のマシュマロなのが解せない。半異能も燃費が悪いのか、食べたカロリーが全部胸に行っているのか。

「ワンちゃん、あんまり、食べて、なかった。美味しく、なかった?」

「いや、味は美味しかったんだけど……」

 正直こんだけ食えば美味いもんも美味く感じなくなる。今はただただ塩気が欲しい。

「言ってくれればパスタでも作ったんだがな」

 食器を下げに来たマスターことマシュマロのお父さんが苦笑しながらそんなことを言ってくる。

「それ早く聞きたかったっす……」

 苦笑いを返しながら、俺はマスターさんと一緒に食器を下げる女性の方に目を向ける。

 長い艶のある黒髪に、女性らしいグラマラスな体つき。マシュマロによく似たおっとりした顔つきの、エプロン姿の女性だ。

「ましろ、あなたも少しは手伝ってよ」

「えー、めんど、くさい……」

 マシュマロとそんな軽口を言い合うのは、先ほど見せてもらった家族写真にも写っていたマシュマロのお母さん、雪女の雪村レイカさんだ。

「ほらアナタも、せっかくましろのお友達が来てくださったんだから、飲み物のお代わりでも淹れてきて。お皿は私が下げるから」

「あ、ああ。すぐ淹れてくるよ。みんなさっきと同じものでいいかな?」

「あ、いや、お構いなく……」

 おっとりした顔つきはそっくりなのだが、性格はマシュマロとはあまり似ていないらしく、レイカさんはテキパキと食器を片付けたりマスターさんに指示を飛ばしたりしている。

「雪女の、里の、風習で、パパは、婿養子。ママに、頭、上がらない」

 椅子から立ち上がらないままでかちゃかちゃと皿を重ねるマシュマロがニヤけながらそんなことを言ってくる。

「なんか意外だな……」

 一見寡黙な喫茶店のマスター。しかしその実年の離れた奥さんに頭が上がらないとは。

 どこか微笑ましい家族のやりとりを眺めながら、俺たちは飲み物のお代わりを頂いた。

 甘くなった口にシャッキリした苦味を与えてくれるコーヒーの香りを楽しみながら、ふと気になったことをマシュマロに尋ねてみる。

「ところで、スイーツの代金って……」

「大丈夫、経費で、落ちる」

 よかった。

 普通に飲み食いしてたらかなりの金額になっていたところだし、かといってマシュマロのご両親に丸ごとご馳走になるのは気が引けたからな。

「ワンちゃん、守銭奴?」

「そんなつもりはないんだけど、なにせ負債がな……」

 思い出さないように努力しているのだが、俺は諏訪先輩に多額の負債がある。

 正規の霊官になってそれを返済しないことには、俺はあのサディスティックの権化に逆らえないのだ。

 食器を片付け終えたマシュマロのご両親が個室から出て行き、再び俺たちは四人で雑談を始めた。

「大地君、そういえばリルさんは? ずっとケージの中にいるんですか?」

「え、ああ、最近よく寝てるんだよ……」

 ネコメに言われてテーブルの下に置いてあったケージを開けてみるが、中のリルは丸まって寝息を立てている。確か、バスに乗って異能専科を出た頃からずっと寝ているな。

「飯の時間にしか起きないのもしょっちゅうだし、このままじゃ太るぞ……」

 ドッグランみたいなところで遊ばせてやるのがいいのかもしれないが、そうなると必然的に俺も一緒になって走らなきゃならないんだよな……。

「あれ? リルさん、ちょっと大きくなっていませんか?」

「え、やっぱ太った?」

 テーブル越しにケージを覗き込んだネコメの言葉に、俺はギクリと頰を引きつらせた。

「そうじゃなくて、成長したんじゃないかってことですよ」

 成長、しているのか?

 確かめてみようとケージの中から引っ張り出してみると、確かに大きくなっているような気がする。

 思えば始めて河川敷で会ったときには両手に収まりそうなサイズだったのに、今は倍くらいの大きさだ。毎日見ているから気付かなかったが、しっかり成長していたんだな。

「……異能生物ってどういう風に歳取るんだ?」

 考えてもみなかったことだが、異能生物の成長、ひいては寿命とはどういうものなのだろうか?

 妖怪は不老不死、なんてイメージもあるが、生き物である以上寿命が無いなんてことは考えられない。

 狼の平均寿命なんて知らないが、犬と大差ないのだとしたら二十年生きるということはないはずだ。

 俺はいずれ、このリルと死に別れることになるのだろうか?

「……異能生物の、寿命は……」

 突如降って湧いた大きな疑問に思考が麻痺していると、マシュマロがカップの中に視線を落としながら呟いた。

「個体によって、違う。例えば、純血の、雪女なら、大体、四十年」

「よ、四十年⁉」

 それは、予想よりもはるかに短い。

 雪女の寿命が四十年なら、マシュマロの母親であるレイカさんは、あとほんの数年で……。

「でも、純血の、雪女なんて、もう、いない。雪女は、人間と、交わり易い、異能生物。辿れば、どこかで、人間の、血が入っている」

 伏せていた目を上げ、ほんの少しだけ口角を上げてマシュマロはそう付け足した。

「えっと、どういうことだ?」

 スローペースで分かりづらいマシュマロの言葉の通訳をネコメに求める。

「純血の雪女という異能生物は、単一生殖、つまり、一人で子どもを産むんです。そのためとても体が弱く、近代の雪女はほとんどが人間との混血になります。雪村先輩のお母さんも、確かお爺さんに当たる人が人間だったはずですよね?」

「うん。私の、ひいおじいちゃん。雪女が、一人で、子どもを、産むと、その子は、雪女の、血が、濃くて、必ず、女の子になる」

 つまり、雪女は人間と交わらないと次世代の寿命が短くなるってことか。レイカさんが十代で結婚したのも、その辺の理由があるのかもな。

「雪女が人間と交わり易いってのは?」

「見ての通り、雪女はとても人間に近い異能生物です。そもそも雪女は、氷を扱う異能使いの女性が雪で形作った分身のようなものが意思を持ったのが始まりとされていて、その生態も人間がベースになっているんです。だから、人間の男性との間に問題なく子どもができるんですよ」

 なるほど。

 人間と異能生物の間にどうやったら子どもができるのか疑問だったが、雪女とはもともと人間を基準にして生まれた異能生物だったのか。

「混血の、雪女の、寿命は、大体、人間と、同じ。次の、世代で、その平均くらい」

 人の寿命なんて邪推するのはどうかと思うが、それだとレイカさんのような混血第二世代の平均は六十歳以上ということになるのか。

「……他の異能生物、例えば、リルがこのまま成長したら、どうなるんだ?」

 俺の疑問に、ネコメは少し表情を曇らせた。

 そして一口ミルクティーを啜り、言いづらそうに口を開く。

「一生大地君の側に、という訳にはいかないと思います。動物の異能生物の寿命は、もともとの動物より長くなる傾向がありますが、それでも二十年、三十年後には、おそらく……」

「……そうか。そりゃそうだよな……」

 リルは天寿を全うし、俺より早く死んでしまうのだろう。

 正直言って二十年や三十年も先のことなんて見当もつかないが、それでも俺はいつか、この相棒と別れる日がやってくるということか。

(当然、だよな……)

 そもそも狼と人間、生きる時間が全く違う。

 そんなことは少し考えれば分かることだったのに、俺は今日までそのことから目を背け、あえて考えないようにしていた。

「それに、そうなったときに大地君の中の異能がどうなるのかは分かりません。生きた異能生物と混ざった例は極端に少ないですし……」

「……俺が異能者じゃなくなる可能性もあるし、異能が残る可能性もあるってことか」

「はい」

 ネコメはあえて言及しなかったが、俺はもう一つ可能性があると思った。

 リルの寿命と同時に、俺も死んでしまうと言う可能性だ。

 その可能性は恐らく、ゼロではないだろう。

「まあ、明日明後日って話でもないし、今は頭の片隅にでも置いておくよ。それに……」

「それに、なんですか?」

 俺は自分の軽率な疑問のせいで場の空気が重く沈んでしまっていることに気付き、軽い冗談のつもりで皮肉を言うことにした。


「それに、霊官なんて危ない仕事をしようとしてるんだ。俺の方がリルより先に死んじまう可能性だってあるもんな」


 俺が冗談を口にした瞬間、ピシリと空気が張り詰める音を聞いた。

「……なんで、そんなこと言うんですか?」

「ね、ネコメ?」

 ネコメは見たことないほどにその表情を険しくし、睨みつけるように俺を見据えた。

「ワンちゃん、それ、本気で、言ってる?」

 マシュマロも普段のおっとりした雰囲気を失せさせ、腕を伸ばして俺の服の袖を掴んだ。恐ろしいほどの力で。

 チラリと東雲に視線を向けると、東雲もまた口を真一文字に結んで俺を見据えていた。

「な、なんだよ、冗談に決まって……」

「言っていい冗談と悪い冗談があります‼」

 ネコメが個室内に響き渡る大声で叫んだ。

 あっけにとられる俺に向け、椅子から立ち上がったネコメはテーブルに両手を叩きつけてまくし立てる。

「霊官は確かに危険な、命がけの仕事もします。でも死ぬつもりで仕事をする人なんていません‼」

「だ、だから冗談だよ! 俺だって何も仕事で死ぬ気なんて……」

 取り繕おうとしたところで、マシュマロが袖を握る手に更に力を込めた。

「ワンちゃん、仕事で、仲間に、死なれたこと、ないでしょ?」

「え?」

「あったら、そんなこと、言わない。絶対に、言えない」

 見開いた瞳の奥に有無を言わさない圧力を感じ、俺は押し黙った。

 身近な人間と死に別れた経験など、当然俺にはない。

 しかし、みんなのこの様子は、明らかに俺とは違った。

 身近に死を感じたことのある、そんな重みのある言葉だ。

「霊官は……」

 そこで東雲がひき結んでいた口を開き、ポツリと語り始めた。

「霊官をしていれば、あっけなく人が死んじゃうことがある。だから霊官は、決して自分の死を口にしない。周りの人間が、どんな想いをするのか知ってるから」

「…………」

 その言葉に、俺は冷水を頭から浴びせられたような気分になった。

 霊官は、危険な仕事。

 あっけなく死ぬことがある。

 きっとみんな、そんな経験があるんだ。

「……ごめん。二度と言わない」

「……はい」

 俺が言葉の意味を理解したのを感じ取ってくれたのか、ネコメは静かに頷き、マシュマロも袖を離してくれた。

 腕に残るその感触に、耳に残響する言葉に、俺は考えを改めた。

 以前病院で、ネコメの名付け親である柳沢アルトさんに言われた。

 霊官には皆、異能との戦いで死ぬ覚悟があると。

 しかし、その覚悟とはきっと死を受け入れることとイコールではない。

 死を身近にあるものだと覚悟しつつ、全力をもって死に抗うこと。それがきっと、柳沢さんの言った覚悟だ。

 だから霊官は、決して死を軽んじたことを言わない。

 自分が死なないために。

 仲間を死なせないために。

 奇しくも俺は、この覚悟を言葉ではなく心で理解することになる。

 人の死というのは、本当に、あっけなく訪れるものなのだということも。


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