贖罪編10 笑顔の仮面
「パパは昔、霊官だった。仕事で、雪女の里に、行ったとき、今の、私くらいの、歳だった、ママと、知り合って、結婚」
「あー、マシュマロのお母さん、若く見えるんじゃなくてホントに若いんだ……」
「うん、今年、三十四歳」
偽りの仕事のミーティングを終え、お茶会はつつがなく進行していった。
雪村先輩の身の上話から、両親の馴れ初め。
何でもない雑談を、彼は楽しそうに聞いていた。
時折話に混ざる彼女は終始笑顔で、皿に取った甘いものを私とシェアしようと差し出してくれる。
「八雲ちゃん、ほら、これも美味しいですよ。食べてみてください」
「うん、ありがとう」
私は顔に笑みを貼り付け、差し出された皿にフォークを向ける。
一口サイズに切った甘夏みかんのタルトを口に運ぶと、口の中でみずみずしい柑橘の香りが弾けた。
サクサクのタルト生地に、主張し過ぎない甘さと酸味。鼻に抜ける清涼感は、何とも心地いい。
「うん、美味しい」
「ですよね!」
この香りは好きだ。
彼女が好んで使うシャンプーに、これとよく似た香料が使われている。
お風呂から上がったばかりの彼女からは、この甘夏みかんのような甘酸っぱい爽やかな香りがする。
「ホントに、美味しい……」
テーブルの上に並ぶ数々のスイーツは、まるで子どもの夢を体現したかのような光景だ。
思い思いの皿に手を伸ばし、そこに盛られた菓子を口に運ぶ。
甘いものは久し振りだ。
口に入れるたびに脳が快感を覚え、唾液が溢れる。
砂糖には恐ろしい依存性があるなんて話も聞くが、それも頷ける。
あそこでの食事は大味で、美味しいとか楽しいとか、そういった感情とは無縁だった。
与えられた餌を、ただ漫然と胃に流し込む作業。
栄養失調で死なないための、ただそれだけの行動だった。
そう考えると、なんて無駄なことをしていたのだろうか。
生き長らえるために食べる。それは当然のことで、あのときの自分はそこに疑問を持っていなかった。
生き長らえた先に、何があるわけでもないのに。
無駄なことを楽しむのは、人間にのみ与えられた特権だと私は思う。
食べるなら美味しいものを、過ごすなら充実した時間を、仕事ならやり甲斐のあるものを。
そんな取捨選択、ワガママを言えるのは人間だけだ。
だから私は、この空間が苦痛で仕方なかった。
この楽しい会話も、幸せを感じる甘いお菓子も、全ては人のもの。
虫の私には、どう考えても過ぎた快楽だと思う。
(せっかく、温めてくれたのにな……)
手には未だに、あの小さな命の温もりが残っている気がした。
彼等のくれたぬくもりは、純粋に嬉しかった。
私に罪を受け止めるだけの心構えをさせてくれた。
罪を償う機会を与えてくれた。
だからこそ、今はこの味を噛み締めよう。
精一杯、人間を演じよう。
楽しんでいる振りをしよう。
大丈夫、演技だけには自信がある。
目の前のこの子、猫柳瞳。
彼女を守るという、私に与えられた新しい役目。
この仕事だけは、全うしよう。
大丈夫、笑顔でいられる。
大丈夫、泣いたりしない。
虫の私に、好意を向けてくれる人たちのために。
私にぬくもりをくれた人たちのために。
この人たちが望むなら、私は再び『東雲八雲』を演じよう。
演目は『護衛任務』。
キャストは『東雲八雲役、私』
(償おうなんて、甘かったんだ……)
あの女は、私の親は、償うつもりなど微塵も無かった。
公演期間は……あの女を殺すまで。
あの女を殺したら、その罪を全て背負おう。
この人たちの前から、居なくなろう。




