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異能専科の猫妖精(ケット・シー)  作者: 風見真中
贖罪編
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贖罪編5 その帰りを求めるもの


『……そう』

 俺の報告を聞き終え、電話の向こうで諏訪先輩は神妙な声で頷いた。

 市内の大型総合病院、隔離された入院病棟の廊下で、俺は仕事の進捗、東雲の様子を、先輩に報告していた。

 特別な機器を置いていないことから、ケータイの使用に制限がないどころかフリーWi-fiまで完備されているこの場所は、俺やトシもお世話になったことのある霊官御用達の病院だ。

「……あのお調子者が、なんであんなことになってんだよ?」

 脱獄した藤宮が狙うであろうネコメの護衛。俺ともう一人斡旋されたのは、俺たちのよく知る東雲八雲だった。

 藤宮の起こした事件の渦中にいた人物の一人で、藤宮の共犯として逮捕されていた。

 以前柳沢さんは、東雲には情状酌量の余地があり、すぐに会えるようなことを言っていた。

 俺はそれを喜んだし、ネコメも友人に会えないことを寂しがっている様子だった。

 しかし、いざ会ってみれば、まるで別人だ。

 顔は青白く、目の下には酷いクマがあった。

 頰も痩せこけていて、手入れの行き届いていた髪もパサパサになっていた。

 何より、あいつから漂っていたむせ返るほどの甘い香りが、欠片も感じられなかった。

 よく似た別人と言われれば信じてしまいそうなほど、今の東雲にかつての面影はない。

「一体何されたらあんな風になるんだよッ⁉ このひと月、東雲に何してたんだよ⁉」

 俺の顔を見ただけで、俺が少し手に触れただけで、東雲は大きく取り乱し、吐瀉し、震えた。

 床に伏し、俺に懇願して来た。

 許して欲しいと。

 許さないで欲しいと。

 そして、殺して欲しいと。

 一体何があれば、人はあそこまで怯えるんだ?

 あんな完膚無きまで、心を折られるんだ?

「先輩は、東雲に会ってたんじゃなかったのか⁉」

『会ってはいないわ。それは許可されなかった。監視カメラ越しにあの子の様子を見ただけよ……』

「ッ……」

 なんだよ、それ。

 直属の上司だった諏訪先輩が会うことも許されないなんて、そんなにあいつは危険人物扱いされていたのか?

 そんなに、東雲を悪者にしたいのかよ?

『でも、あの子がそこまで精神を病んでいるとは思わなかったわ……。私の見込みが甘かったわね……』

「そんなこと……」

 いや、先輩のせいじゃない。

 あの東雲が、あの明るい東雲八雲がここまでになるなんて、一体誰が想像できただろう。

 しかし、考えてみれば東雲はずっと演技をしていた。

 藤宮の命令でネコメに近づき、その異能を奪う為に動いていた。

 つまり、俺たちは誰も、本当の東雲八雲を知らないんだ。

 明るい東雲は言わば虚像。

 東雲八雲が創り出した、誰とでも仲の良いクラスのお調子者の、『東雲八雲』という役を、あいつはずっと演じていた。

 それも一日二日の話じゃない。

 何年も、下手をすれば、生まれてからずっと。

 そして今、あいつはその役を剥奪された。

 残ったのは、ただの蜘蛛の異能混じりの少女。

 その東雲が何を思い、何を感じているのかなんて、誰にも分からない。

 分かることといえば、あいつが俺に対してとてつもない罪悪感を抱いているということ。

 あの事件の責任を、一人で感じているということだけだ。

『……ともかく、話を聞く限り今の八雲じゃ護衛には相応しくないわ。そもそも、ネコメと会わせることも危険ね』

 確かに、俺に会っただけであの取り乱し様だ。ネコメに会えば、どれほどの精神的負荷が掛かるか分からない。

 でも、それでも俺は、東雲の心をなんとかできるのはネコメなのではないかと思う。

 ネコメは、ずっと演技をしていた東雲が、唯一本当に友達だと思っていた相手だ。

 東雲はネコメの為に、一度だけ本気で怒った。

 ネコメを殺せという親の命令に、唯一背いた。

 ネコメは殺せないと、そう言って泣いた。

 ネコメとだけは、本気で友達だったはずだ。

 危険な賭けだというのは重々承知しているが、それでも俺はネコメと東雲を会わせてやりたい。

 ネコメの存在が東雲の心を癒すかもしれないし、何より東雲が居なくなってから、ネコメはずっと寂しそうにしていた。

 ルームメイトだった東雲が居なくなり、一人取り残された部屋で東雲の私物からその面影を感じる。

 表情に出すことは少なかったが、きっと部屋の中でのネコメは笑っていなかったはずだ。

 だから俺は、ネコメと東雲、二人が笑い合える方に賭けたい。

「……先輩、俺は二人を会わせたい。少なくともネコメは、それを望んでるはずだ」

 俺の意思を聞いて、電話の向こうの先輩は少し黙った。

 きっと先輩の中でも葛藤があるのだろう。

『……それが』

 やがて電話口から聞こえた声は、先ほどよりも更に強張ったものだった。

『それが、更に八雲を傷つけることになっても?』

「…………」

 先輩の言葉は、重い。

 今よりもっと心に傷を負えば、東雲は本当に壊れてしまうかもしれない。

 そんなことは俺にも分かる。

 でも、だからこそ、俺は二人を会わせてやらなきゃいけないんだ。

 だって、二人は友達なのだから。

 そのために、俺は諏訪先輩にハッキリと宣言する。

「……俺は、東雲を信じてみる。あいつは、そんなにヤワじゃない」

 そうだ。東雲八雲は強い。

 親の命令に背いて、泣きじゃくって。

 それでも罪を受け止める覚悟のできる、心の強い奴だ。

 だからきっと、東雲は立ち直れる。

「東雲だって、本当はネコメに会いたいはずだ。だってあいつは、ネコメを友達だと思ってるんだから」

 心が疲れたとき、どうしようもなく辛くなったとき、一人で立ち直れる奴もいれば、そうでない奴もいる。

 そんなときに支えて欲しい、そばにいて欲しいのは、家族や恋人、そして、友達だ。

 だから東雲だって、ネコメに会いたがっているに違いない。

『……分かったわ。あんたの好きにしなさい』

 俺の言葉に、先輩は渋々といった様子で頷いた。

『でも、大地の仕事はあくまでもネコメの護衛よ。そこを履き違えるんじゃ……』

「違うだろ」

 上司としてそんなつまらないことを言う先輩に、俺は食い気味で言葉を被せた。

「俺の最初の仕事は、ネコメともう一人の護衛を、東雲八雲と引き会わせることだろ?」

『あんたね……』

 先輩の嘆息気味の声を聞きながら、俺は心を決める。

 ネコメは間違いなく、東雲に会いたがっている。

 東雲の心を支えられるのは、他でもないネコメだ。

 そんな二人を会わせるのが、俺の仕事。

 ああ、全く、なんて簡単な仕事だろうな。


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