贖罪編1 罪悪感と優越感
罪悪感を覚える生き物は人間だけらしい。
自分のせいで誰かが損をした。害を被った。そんなとき、人は自らの良心を罪悪感にさいなまれる。
「いーやー、参ったよねホント。まさか高校最初の体育祭に出られないなんてさー」
しかし、人がいくら罪悪感を覚えようと、当人にその気がなければ、それは感じる必要のない心の痛みだ。
教室の椅子にもたれかかり、俺は満面の笑みでクラスメイト達を見渡す。
「ホント、残念だよ。頑張りたかったのになー、体育祭。俺がリルと参加してれば大活躍間違いなしだったのに」
二週間の謹慎期間を終えた俺は、久しぶりに訪れた教室で優越感に浸る。
すっかり梅雨入りを果たした六月の半ばの朝。異能専科での最初のビッグイベントである六月の部活対抗体育祭を、俺は自室での謹慎で過ごしてしまった。
謹慎の原因の一端でもあった円堂悟志や、処分を決めた会長への報告書を書いたネコメなんかは申し訳なさそうにしていたが、俺としては万々歳だった。
何しろこの体育祭は、いわば予選。
十一月にある全国の異能専科対抗の異能を用いた合同体育祭、通称『妖怪大戦争』への参加者を決めるためのものだったのだ。
当然俺はそんなバカげたイベントには参加したくなかったので、予選段階から脱落できたのは歓迎すべきことだ。
「結局どこの部が優勝したんだ?」
「総合優勝はサッカー部ですが、あとは個人でいい結果を残した生徒が十一月の合同体育祭の選手として推薦されます」
なるほど。部活全体の活躍如何に関わらず、優秀な奴は妖怪大戦争に参加させられる訳か。こりゃマジで謹慎様々だな。
「トシのバスケ部はどうだったんだ?」
ネコメの説明を聞きながら、俺は机の上で頬杖をつくトシに話を振る。
トシは編入初日にバスケ部に入部しており、その異能も相まって既に部内では大活躍しているらしい。
「球技や陸上競技はともかく、棒倒しなんかはてんでダメだったな。個人競技じゃ、俺はあんまり活躍できないし」
そう言ってトシは自分の耳を撫で、耳たぶに付けられたアクセサリーを煌めかせた。
トシの左耳には、現在三つのアクセサリーが付けられている。
イヤリングが二つと、ピアスが一つ。
この三つのアクセサリーは、俺の首に巻かれたグレイプニール同様、トシの異能を抑え込むための異能具だ。
トシの異能、『サトリ』は、相手の思考を読む異能。
その効力は凄まじく、俺が異能を発現していない時でも鼻が効くのと同じように、平時でも人の考えが何となく分かってしまう。
しかし、常に人の思考を読めてしまうというのは、常に騒音の中に晒されることに等しい。
そのままでは脳に深刻なダメージが及んでしまうため、トシには三段階の抑制が掛けられている。
自分の判断で外せる異能具は二つまでで、三つめのピアスに至っては溶接されており、外すことができない。
この異能具をつけたままのトシは、サトリとしての能力だけでなく、通常の異能混じりのような身体能力の向上も抑制されてしまう。
ただでさえサトリの異能は身体能力の向上が低いので、トシ自身の身体能力は二つのイヤリングを外した状態でも『普通よりちょっと動ける人』程度まで抑えられてしまっている。
異能者だらけの体育祭において個人競技で結果を残せないのは当然のことだ。
「その点、ネコメちゃんは大活躍だったよな。体操部全体でも結構すごかったけど、女子一年の個人競技はほとんど総ナメだったじゃん」
「そうなのか、ネコメ?」
確かにネコメの身体能力なら、命令の異能無しでもかなり上位に食い込めるだろう。
「一応私は霊官ですので、学校の代表に選ばれるくらいの活躍はしないと面目が立ちませんよ」
謙遜して照れ臭そうに笑うネコメだが、さすがだ。
実際ネコメの実力は会長をはじめ、多くの霊官が認めるところだろう。
「それにしても、大地君にとっては残念でしたね。合同体育祭で活躍できれば、霊官資格を受験するときに大きなアドバンテージになるんですけど」
「え、そうなのか?」
それは、初耳だ。
確かに霊官にとって、学生とはいえ全国の同世代の異能者の中で活躍した者は、喉から手が出るほど欲しい人材と言えるだろう。万年人員不足みたいなこと言ってたしな。
即戦力を探せる合同体育祭は、霊官にとっての人材発掘の場も兼ねているってことか。
まあそれでも、妖怪大戦争に参加するリスクを考えたら遠慮したいがな。
「いやぁ、それを聞いてますます残念だよ。なあリル」
俺はにやけた顔を誤魔化すように、机の下で丸くなるリルに声を掛ける。
『ダイチ、この間と言ってること違うぞ』
いいんだよ、話を合わせろ。
少し前にネコメに確認したのだが、どうやらリルの声は俺にしか聞こえてないらしい。
最初はみんな本当に声が聞こえているのか疑っていたみたいだが、リルがあまりにも俺の言うことを聞くので信じてくれた。ちなみに犬好きの里立からはめちゃくちゃ羨ましがられた。
「鎌倉達は……そういや何部だっけ、お前ら?」
隣の席に話を振ると、会話には参加してなかったくせに俺たちの話はしっかり聞いていたらしい鎌倉が「軽音楽部だよ」と答えた。
「俺がキーボードで、ショウゴ君がドラム。光男君がギターボーカルだよ」
目黒の言葉に、俺は首をひねる。
「軽音部って、体育祭でなんか活躍したのか?」
茶道部の里立もだが、考えてみれば部活対抗の体育祭なんて文化系の部活が不利ではないか。
「特に何もしてねえよ。個人競技にちょこちょこ出たくらいだ」
「ふーん。そういや異能専科って三つまで兼部できるんだよな? 掛け持ちでやってる奴ってどの部の所属になるんだ?」
異能専科は生徒数が少ない割に、部活の数が多い。
それは一人三つまで部を掛け持ちできるからで、大会に出られないため緩く活動している運動部などが部員不足で廃部にならないための配慮の一つらしい。
「グス……体育祭に参加するときは部を一つに絞るんだよ……ヘクチュン!」
「そうなのか。発作出てるんだからもうリルに触るなよ、里立」
補足説明には感謝しつつ、アレルギーを無視してリルに手を伸ばす里立に釘をさす。
「まあ体育祭は残念だったけど、いい加減部活は決めないとだよな……」
異能専科は部活動強制という、今時珍しい校則がある。
別に部活ではなく委員会なんかでもいいらしいが、ともかく何かしらの学内組織に所属することが義務付けられているらしい。
俺より後に編入したトシは既にバスケ部に入っているし、俺もいい加減部活を決めないとだ。
椅子の背もたれに背中を預けて天井を見上げ、「何部にしようかな」と何度目とも知れない思考をしていると、俺を覗き込む女顔と目があった。
「どぅわ⁉」
突然のことに椅子から転げ落ちそうになるのを何とか堪え、姿勢を正して向き直ると、そこには女顔でお馴染みの生徒会副会長、烏丸叶先輩と、車椅子に乗ったサディズムこと、生徒会長の諏訪彩芽先輩がいた。
「無香性の消臭剤はそれなりに効果あるみたいね、叶」
「あくまでそれは人間の鼻を誤魔化すものです。大神がわずかにでも異能を使っていれば、簡単に気付かれることでしょう。お嬢様」
匂いで気付かなかったと思ったら、人を驚かせるためにわざわざ消臭剤被ってきたのかよこいつら。
「何しに来たんすか、わざわざ一年の教室に……」
体育祭が終わって生徒会の仕事もひと段落したらしいが、それでも役員兼霊官の二人が暇を持て余しているとは思えない。
なんだかまた、厄介事を持ってこられているような気がする。
「大地、アンタまだ部活決めてないのよね?」
「はい、まあ。放課後また体験入部でも……」
「その必要はないわよ」
ニヤリ、と諏訪先輩が笑う。
この人がこんな顔をするときは、大抵ロクな事にならないんだよな……。
怯える俺に、先輩はポケットから出した手帳のようなものを差し出してきた。
「なんすか、これ?」
この手帳には、見覚えがある。ネコメが持つ霊官手帳に酷似したものだ。
「特注の霊官研修員用の手帳よ。これでまあ、一応条件は満たせるわ」
条件?
「なんの、条件ですか?」
「うちに入るための条件よ」
「……うち?」
諏訪先輩は俺の手に謎の手帳を握らせ、その顔に満面の笑みを浮かべて言った。
「生徒会に入りなさい、大地」
「…………はい?」
何言ってんですかこの人?




