旧友編14 虎の尾
「円堂さん、遅いですね……」
ケータイの画面で時間を確認しながら、ネコメはポツリと言葉を漏らした。
時刻はすでに午後七時半。とっくに部活は終わっている時間だし、諏訪先輩に渡された資料で顔を確認したバスケ部の生徒も帰路についている。確かに遅い。
夏が間近とはいえこの時間では日もすっかり落ち、街灯の灯りが不気味に俺たちを照らしている。
「……今日で最後になるかもしれないんだ。色々あるんだろ」
トシは今日でヒガコーを去ることになるかもしれない。
通い始めてまだ二ヶ月ほどとはいえ、思い入れのある場所だってあるかもしれないんだ。
それに、これからトシの両親と気の重くなる話をしなければならないのだ。先送りにもならないとはいえ、話し合いの時間が遅れるのは正直気が休まる。
『大地、あれなんだ?』
そんな益体も無いことを考えていると、足元のリルが道路の先で何かを見つけた。そっちに視線を向けると、何か赤い光が見えた。
「赤色灯……マッポ⁉」
パトカーが近づいてきたと思い、ネコメの手を引いて建物の陰に隠れる。
「な、なんで隠れるんですか⁉」
「あ、いや、昔の癖で、つい……」
パトカーを見れば隠れる、そんな習性が染み付いてることに悲しみを覚えながらそっとネコメの手を離す。
「もう、何も悪いことしてないじゃないですか……」
「そうだよな……」
辺りは暗くなっているとはいえ、まだ七時半。別に高校生が出歩いていても不思議はない時間帯だ。
それに聞こえてくるサイレンの音は、パトカーのそれではなく救急車のようだ。
「が、学校の前に止まりましたよ⁉」
「え?」
ネコメの言葉通り、救急車は校門の前で停車して、中から救急隊員らしき人物が二人降りてくる。
校門を通り抜けて学校の敷地内に消えて行く背中を見送り、俺は嫌な予感を覚えた。
「まさか……トシッ⁉」
下校時刻はとっくに過ぎているし、校内に残っている生徒は決して多くない。
「まさか、異能が暴走して……⁉」
ネコメの言葉に、俺は血の気が引く。
トシの異能は直接的な危険があるものではない。しかし、人間の脳という繊細なものに大きな負荷を掛けるという意味では、本人にとっての危険は大きい。
もし暴走したのであれば、由々しき事態だ。
俺はリルを引きずるように駆け出し、校門に向かう。
「だ、ダメです‼」
その行く手を、ネコメが阻んだ。
「どけよネコメ!」
「ダメです! 普通の格好で学校に入ったら目立ってしまいます! せめて制服に着替えて……」
「んな悠長なこと、してられっか‼」
諏訪先輩の用意したヒガコーの制服に着替えれば、確かにそれほど目立たずに学校に入れるだろう。
しかし、事態は一刻を争うかもしれないのだ。
「どいてどいてー‼」
俺たちが校門前でもたついている間に、救急隊員の二人がストレッチャーを引きながら戻ってきた。
側には教員らしき男性。そしてストレッチャーに寝かされているのは、
「トシ⁉」
円堂悟志だった。
トシの顔は所々紫色に腫れ上がっていて、半袖から露出した腕にも至る所にアザがあった。
鼻血や、切れた唇から流れた血で白いワイシャツは赤く染まっており、頭部からも出血している。
傷のない部分が見当たらないくらい、満身創痍だった。
「トシ、どうしたんだ⁉ 何があった⁉」
側に駆け寄って声をかけるが、反応はない。
「おい、君、邪魔だ!」
救急隊員はドン、と俺を押し退け、救急車にトシを乗せてしまう。
「トシ‼」
救急車に飛び込もうとする俺を、ネコメが止めた。
付き添い役らしい男性教員が怪訝な顔で俺たちを見ながら乗車し、トシを乗せた救急車はサイレンの音を響かせながら去って行った。
「大丈夫です。ここから救急搬送されるとすれば、市内の大病院。あそこは霊官の下部組織でもあります」
その病院は、俺も先日入院していたところだ。
病院なのにリルを連れ込めたり、一般病棟とは隔離された異能者専用の病室があったりする。
「会長に話を通してもらいます」
ネコメはそう言って素早くケータイで諏訪先輩に連絡を取る。
先輩から病院に連絡してもらい、救急搬送されたトシを一般病棟ではなく異能者用の部屋に入れてもらう。ネコメは電話でその手はずを整えてもらった。
会長と通話するネコメの声を聴きながら、俺は歯を食いしばった。
(あれは……あの傷は……‼)
あの傷は、どう見ても異能の暴走なんかじゃない。
誰かにつけられた外傷、リンチの痕だ。
(誰だ……誰がやった⁉)
トシをあんな目に合わせる理由があるとすれば、おそらくそれはバスケ部の誰かだ。
トシが原因で県大会への出場が取り消されたと分かり、逆上した部員たちにリンチされた。そう考えれば、一応の筋は通る。
しかし、トシはバカだが考え足らずな奴ではない。
国家機密である異能のことを軽々にバラすとは思えないし、そんな理由で無抵抗に殴られることを良しとする奴でもない。
(絶対許さねえ……‼)
トシを、友達をあんな目にあわされて、黙ってなんかいられない。
絶対に見つけ出して、落とし前をつけてやる。
「大地君」
今にも爆発しそうな怒りを静かに収めていると、電話を終えたネコメが声を掛けてきた。
「会長に手はずを整えてもらいました。病院に行きますか?」
「当然だ」
俺は間髪入れず頷き、タクシーを拾うために大通りを目指す。学校の付近はそこそこの人通りがあるが、車の通りは少ない。ここで待っているより大通りに出た方が早く捕まるはずだ。
「あ、あの、君たち……」
その場を離れようとする俺たちは、校門から出てきた人物に呼び止められた。
「君たち、円堂の知り合いか?」
「あんたは……」
その人物は資料で目にしたバスケ部のレギュラーの一人、確か名前は、斎藤だったはずだ。
こんな時間に校門前でたむろしている俺たちを、斎藤はトシの知り合いだと当たりをつけたらしく、言い辛そうに口を開く。
「その……救急車呼んだの、俺なんだ……」
「あんたが?」
資料によれば、この斎藤という男は三年生で、スポーツ推薦を狙っていたらしい。
何かしらの理由で大会への出場停止の原因がトシだと知れば、暴行を働く動機になり得るかもしれない。
「あんたたちなのか、トシをやったのは⁉」
怒声を上げる俺に、斎藤は視線を逸らして口ごもる。
「円堂は、平気だった言ってたんだけど……。戻ってみたら、あんなことになってて……」
核心に触れずに言葉を濁す斎藤に、俺は苛立ちを隠さず、ワイシャツの襟を掴む。
背の高い斎藤の頭を無理矢理下げさせ、怒気を含めた視線で見下ろす。
「バスケ部の連中か、トシをやったのは?」
低い声で詰問する俺に、ネコメが驚愕の声を上げる。
「だ、大地君⁉」
慌てるネコメを視界の端に捉えつつ、俺はさらに斎藤に詰め寄る。
「答えろ」
「だ、大地って、サン中の、大神大地⁉」
斎藤はどうやら俺のことを知っていたらしく、俺を見上げる視線が怯えを孕んだそれに変わった。
「だとしたら、何だ? 誰がやったか答えるのか? 答えないのか?」
ギュッと握った襟に力を込め、斎藤に問いただす。
これ以上興奮すれば異能が発現してしまいそうだが、俺は気を緩めるつもりはない。
「あ、アイツだよ‼ 出所してたんだ‼」
「アイツ?」
眉をひそめる俺に、全く予想だにしなかった答えが返ってくる。
「去年退学した、大木トシノリだよ‼」