行楽編43 移ろう世界
「世界って、えっと…………どういう意味だ?」
ロキの口から出たスケールのデカい話に俺はアホみたいな顔になって返した。
訳がわからない。
いきなり世界が変わっているなんて言われても、ピンと来ない。来るはずない。
ロキは紅茶のお代わりをカップに注ぎ、ティーポットを置くと人差し指を立てた。
ここはイメージで何でも出せる世界、ロキの指先にはバスケットボールくらいのサイズの球体が現れる。ゆっくりと回る球体は僅かに楕円形で、表面のほとんどが青、他には緑、茶、白といった色が点在している。これは見たまんま、
「地球儀?」
「そうだね。イメージの地球と思ってくれたまえ」
ロキが立てた指先をくいくいと曲げると、イメージの地球は濃い紫のモヤのようなものに覆われていく。これが大気や雲のイメージでないことは、毒々しい色で何となく察した。
「その紫のモヤは?」
「これは『マナ』。簡単に言うと世界中に満ちる異能の力、それを分かりやすくしたものさ。マナはあくまでも私のいた時代に私の国で使っていた言葉で、時代や場所によっては霊力、魔力、エナジー、エーテルなど、様々な呼び方がある」
「異能の力……異能場の光みたいなものか?」
「みたい、ではなく、全く同じものだ。現代の異能場とは、このモヤの濃い地点というだけだよ」
異能の力そのもの。それがこの紫のモヤ。異能場の光以外では何となくで知覚していたが、異能者の中にもこのモヤと同じものがあるってことだな。
「これは私の生きていた時代のイメージ。現代では、まあこのくらいかな」
ロキが再び指を曲げると、紫のモヤはどんどん薄くなっていく。最初は地球の地形がギリギリ視認できるほどに濃かったモヤは、地表の青と緑の違いが分かるほどに薄くなり、やがてよく目を凝らさないと認識できないほどの薄さになってしまう。
「大体これが今の時代における世界のマナの濃度だ。ざっくり私のいた時代と比べて、一パーセントほどかな?」
言いながらロキが指を広げると、地球は世界地図のような平面になった。次いでスマホを操作するように親指と人差し指による拡大を繰り返し、日本の俺たちが席を置く鬼無里の辺りを映し出した。そこには、極薄のモヤの中でもハッキリと分かる紫の点がある。
「この点は鬼無里、異能場ってことか……?」
「その通り。世界中から異能が薄れても尚、神代に匹敵する異能を残した土地だ。逆に言えば、あれだけ巨大に感じる異能場の力も、時代を遡ればせいぜい並。過去の世界には、今とは比べ物にならないほどの力があった」
地球の、世界中の異能の濃度。これがロキの言う世界の様変わり。失われた力ってことか。
「マナ……異能の濃度が違えば、必然的に異能者の能力そのものも違ってくる。プランクトンの豊富な海とそうでない海域では、魚の成長は変わるだろう? 近しいイメージでは、高地トレーニングのようなものだよ」
高地トレーニング。大気中の酸素濃度が薄い、標高の高い場所で体を鍛えることで、血中のヘモグロビンの活動を活性化するトレーニング方法だ。そうすることで酸素濃度の濃い平地では、活発化したヘモグロビンがより多くの酸素を運べるようになり、持久力をはじめとしたパフォーマンスの向上に繋がる。
「ちょい待った。その理屈だと、俺たちは異能場ではパワーアップするか、異能場以外では十分に異能を発揮できないことにならないか?」
今の俺たちが異能の薄い場所にいるということなら、異能の濃い異能場、鬼無里の学校とそれ以外では異能の出力に差が出るはずだ。しかし、学校とそれ以外で異能を使ったときに、感じられるほどの差なんて無かった。
「あくまでも近しいイメージだよ。その場その場の力より、生まれてから培ってきた感覚の方がパフォーマンスに与える影響は大きい。何より、現代の異能者と我々の時代の異能者では、異能を扱う感覚が違うんだ」
「感覚が違う?」
「人類の適応能力、進化と言い換えてもいい。異能がどんどん薄くなる世界で繁栄を続けた結果、人類からはかつて持っていた異能を把握する感覚がどんどん失われていったんだ。光の届かない深海に適応した魚が視力を失うようにね」
光の無い世界で光を知覚する感覚器官が不要なように、異能の薄くなった世界では異能を認識する機能は不要。諏訪先輩や真彩は異能の濃い時代なら空間転移を使えたというのは、その時代に適応した人間だったらってことか。
ロキの口から告げられた歴史に、俺は驚きながらも妙に合点がいった。
現代社会において、幽霊や妖怪といった異能を信じている人は少ない。異能に関わり、その存在を認識している者でもない限り、異能にまつわる話はほとんどただのお伽話だ。
しかし、そのお伽話の存在こそが異能の実在を示唆してもいる。何しろ伝承には必ず元になった事実があり、歴史の中には異能で国を治めた例も多くあるのだから。
その昔、異能は人々の中に当たり前にあった。誰もがその存在を認識し、恐れ、崇め、畏怖していた。
時代が進むにつれて世界から異能の力は薄れていき、それに呼応するように人々からも異能を見る機会と機能が失われた。
そして人は、見えないものなど信じない。
結果として、人類の中で異能は希薄になっていった。
「なんで、世界中の異能……その、マナとやらは薄くなったんだ? 人が信じなくなつたから、とか?」
フィクションの世界ではよくある話だ。人が信じなくなったから神様から力が失われたなんてのは。
「違うよ。人の認識に関わらず、異能はそこにある。別に人間が観測するから異能が異能たりえるのではない」
「じゃあ何で?」
「人が異能生物を減らしてしまったからだよ。妖怪も妖蟲も、生身の人の手に余る危険は殺すことで人は繁栄した。異能生物は異能を取り込むが、同時に異能を排出もする。言わば、人間は長い時間をかけて異能という生態系を壊してしまったんだ」
「っ⁉︎」
生態系の破壊。それは人類が抱える業だ。
森を切り開くことで人は資源を得るが、同時に土地は枯れ、度が過ぎれば砂漠化する。砂漠では再び植物を育むことはできずに、その土地は永遠に死ぬ。
知らず知らずのうちに、人類は異能という資源を殺してしまったんだ。
「時代の中で戦う術は異能から武器や兵器に変わった。なぜなら、異能を使わなければ対処できない脅威が減ったからだ。そうなれば異能者の需要は少なくなり、少人数で異能生物と相対するために更に多くの異能生物を殺す。その連鎖が、世界から異能が薄れた理由だよ」
異能者は人手不足。その人手不足を補うために多くの異能生物を殺し、より一層世界の異能が薄くなったってことか。
「そのこと、霊官は知ってるのか?」
「気付いている者も中にはいるかもしれないが、周知というわけではないだろうね。知られていれば、とっくに異能生物の大規模な駆除が行われている」
「な、なんでだよ? そんなことしたらますます……!」
ますます、世界の異能は薄くなってしまう。
「そう、世界の異能は薄くなり、やがては消えるかもしれない。そしてそうなれば、異能による被害もまた無くなる」
「あ……」
そうか。異能が無くなれば異能者は弱体化するが、同時に妖蟲も鬼も現れなくなる。
異能者、霊官は不要になる。
犯罪が根絶された世界があれば、警察も司法も要を成さない。実際にはそんなことはあり得ないが、霊官にはそれがあり得るんだ。
「霊官なら気付いても黙っているだろうね。何しろ事実上の失業宣告だ。一粒で永遠に風邪をひかなくなる薬を作れたとしても、製薬会社は決してそれを発表しないよ」
確かに、そんなことすれば商売上がったりだ。
医者も薬屋も、そして霊官も、需要が無ければ成り立たない。
闇の深い話だ。
「話が大きく逸れてしまったね。ともかく、これが世界から異能が薄れた経緯だ。これから世界がどうなるかは私にも分からないが、人が千年以上かけて少しずつ崩したバランスなんだ。君が寿命を迎えるまでに大きな変動は無いと思うよ」
その言葉に俺は少しだけ安堵した。霊官が無くなれば仕事も無くなるわけだが、それ以上にリルや真彩のような身近な者がどうなるか不安だった。しばらくは心配無いようで一安心だ。
「まあ、そりゃそうか。つーか、元の話はそのマナの濃かった時代には、空間転移ができたってことだろ?」
最初この話は空間転移、ヘルの能力についての話だったはずだ。
聞いた話をどこまで持ち帰れるか分からないが、とりあえず今は情報が欲しい。
「ああ、そうだね。その前に予備知識としてもう一つ、三大非干渉についても話しておきたい」
「まだ話すことあんのかよ……」
早く本題に入って欲しいのだが、まだまだ話は長そうだな。




