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異能専科の猫妖精(ケット・シー)  作者: 風見真中
行楽編
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行楽編39 恋と呼ぶには余りにも

 八雲と諏訪先輩はビーチに戻り、詳しいことは伏せた上でみんなに状況を説明してくれるらしい。どう上手くまとめるのかは分からないが、そこは諏訪先輩の口の巧さに任せるしかない。

 俺は部屋に残り、一人静かにネコメが目覚めるのを待っていた。今のネコメの精神状態が分からないから、目覚めた時にいるのは俺一人の方がいいという諏訪先輩の判断だ。

「ネコメ……」

 答える者のいない部屋で、俺はポツリと呟く。

 ネコメ、お前はどうしたいんだ?

 お前は俺に何を求めているんだ?

 恋人同士にでもなれば満足するのか?

 母親のように愛情を向ければいいのか?

 父親のように手本を示せばいいのか?

 俺には、分からないよ、ネコメ。

「……大地君?」

「ネ、ネコメ?」

 部屋に差す日差しも傾いたころ、ネコメはゆっくり目を開けた。

「ネコメ、お前、大丈夫か?」

「はい……。ごめんなさい、混乱してしまって……」

 ネコメは、自分がどうして気を失っていたのか、何となく覚えている感じだ。さっきのような取り乱し方はしていないが、その表情は浮かない。

「あー、えっと、怪我のことなら気にすんなよ。諏訪先輩に治してもらったから」

 平気をアピールするために手を見せるが、それでもネコメの表情は晴れない。ゆっくりと体を起こして、自分が水着姿のままだったことを思い出し、毛布で体を隠す。

 何と声を掛ければいいのかと戸惑っていると、ネコメがポツリと口を開いた。

「……大地君、私、最近おかしいんです」

「おかしい?」

「はい。夏休みに入ってから……いいえ、もっと前からかも知れません。いつの間にか、気付くと大地君のことばかり考えてしまうんです。一人でいるときはもちろんですし、八雲ちゃんと話していても、大地君の話が出ると、ドキドキしてしまって……」

「ネコメ……」

 ネコメは自虐するような笑みを浮かべ、「気持ち悪いですよね……」なんて言ってみせる。

 俺はゆっくり首を振り、そんなことないと言ってやる。今のネコメには何を言えばいいのか分からない。だから、せめて否定するような言葉は避けようと思う。

 布団の上で体を起こしたままのネコメと、その傍らでただ待つ俺。網戸から流れ込む海近くの空気は湿気っていて、真夏の夕暮れは苦痛なほど暑く、不快だ。

 肌で感じる気温も、視界を染める夕焼けも、鼻につく磯の臭いも、耳朶を打つヒグラシの鳴き声も、全てが夏の暑さを主張してくるのに、俺にはこの部屋の中だけが、薄寒く感じられた。

「なあ、ネコメ。お前……」

 何と言おうとしたのか、自分でも分からない。ただ、俺が何かを言い切る前に、ネコメは言葉を重ねた。まるで、先手を打つように。


「好きです、大地君。私は、あなたのことが好き」


「っ⁉︎」

 ぞくりと、背筋に冷たいものが走った。

 好き。それは愛を告げる言葉。

 親愛、友愛、博愛、家族愛、形は様々だが、好きという言葉が内包するのは例外なく好意だ。

 ネコメは俺に好意を向ける言葉を使った。それでも、ネコメのその言葉が、その瞳が、俺にはどこか空虚に思えてしまった。

(ネコメ……!)

 ネコメの目は、俺を見ていない。

 オレンジの夕陽の中で尚、その瞳からは前を向く光が感じられない。

 ネコメは俺ではなく、ネコメの中の俺を、己の創った幻想を見ている。そう感じた。

 強くて、逆境に負けない。コミックの中から飛び出して来たヒーローのような、大神大地という虚像。

(気付いてくれ、ネコメ……!)

 お前の見ているそれは、俺じゃない。

 俺はそんな大層な人間じゃないんだ。

 奈雲さんは救えなかった。真彩だって、結果として助かっただけで、俺が助けたわけじゃない。

 俺は守り抜いたものより、勝ったことより、成せなかったことの方が多い、そんな無力でちっぽけな人間なんだ。

「ネコメ、それは……⁉︎」

 二の句を紡ぐ隙も与えられず、ネコメの唇が俺のそれに押し当てられる。

 柔らかな感触の後と、加減を知らない力強さ。

 不慣れなことが手に取る様に分かるぎこちない口づけは、それでも求めるように、啄むように、貪るように、俺の口に絡み付いた。

「ちゅっ…………んっ」

 目を閉じて不乱に唇を押し付けるネコメ。俺はその肩に手を置き、そっと引き剥がした。

「落ち着けネコメ! お前……!」

 お前は間違っている、そう言ってやりたかった。お前が見ているのはただの理想の中の俺で、本物の、目の前にいる俺のことなんて見えていないと。

 でも、言えなかった。

「大地、君……!」

 その顔があまりにも儚げで、消えてしまいそうなほど朧げで、手折れそうなほど弱々しかったから。

「ネコメ…………」

 その誤った認識を正すには、俺が間違っていると言ってやるのが良いのかと思った。

 でも、ダメだ。

 今俺がネコメを拒絶すれば、ネコメの中でナニカが確実に壊れる。

 壊れたソレは、きっと元に戻らない。

 それが分かったから、俺は黙ってネコメの言葉を聞いた。

「好きです、大地君。大好きです。大地君は強くて、かっこよくて、どんな困難も乗り越えてしまう。まるで、ヒーローみたいに」

「…………」

 ネコメの言葉は、さっきの諏訪先輩の考察に符合している。

 あまりにも、符合し過ぎている。

 まるで、今俺にそう言うことが最も的確であることを知っているかのように、ネコメの言葉は全て俺に刺さる。

(聞いて、いたのか……?)

 半覚醒状態の意識の中で俺たちの会話を聞いていたのか、単純に狸寝入りをしていたのかは分からない。それでもネコメは、俺がネコメをどう扱うべきか考えあぐねていることを知りながら、確実に俺に好意を刷り込もうとしている。

 黙って必死に考えを巡らせる俺を他所に、ネコメは頬を赤く染め、口元に手をかざしながら口を開く。

「大地君は、私の憧れなんです。でも、誤解しないでください。こんなことをしてしまってから言うのもおかしいですが、私は大地君と……その、お付き合いをしたいとかではないんです」

「え?」

 呆気に取られる俺。ネコメは先程の行為の感触を確かめる様に唇を指でなぞり、俺に笑みを向ける。

「私の一番は大地君でも、大地君の一番が私である必要なんてないんです。大地君がそばにいてくれたら、それだけで私は満足ですから」

「ネコメ…………」

「私は、私にできることだったら何でもします。大地君のやりたいことには全力で協力します。それに、その……大地君が望むのでしたら、勉強不足で、上手くできるかは分かりませんが……か、身体を使って貰っても、構いません……」

 言葉の後半は、恥じらいが勝ったのか尻すぼみになっていたが、それでもネコメはハッキリとそう言った。

 僅かだが、明確な『期待』の色を見せながら。

「ネコメ、お前…………」

 それじゃあまるで、都合の良い女だ。

 男の都合に合わせて使われる。ネコメはそうなることを望んですらいるようだ。

(やっぱり、おかしいだろ…………)

 ネコメの好意は、間違っている。

 そんなのは友達に、命を預ける仲間に対して持っていていい感情じゃない。

 それでも俺には、その間違いを正してやる言葉はかけられない。

 ネコメの依存の根幹、その孤独な生い立ちに根付く呪縛を解くには、時間が必要だ。

 きっと、長い長い時間が。

「…………」

 ネコメは目を閉じ、そっと俺の体に寄りかかって来た。戯れる仔猫のように胸元に顔を擦り寄せ、俺の背中に手を回す。喉を撫でればごろごろと鳴らしそうなほどだ。

 海から上がってシャワーも浴びずに寝かされていた体は海水でベタつき、密着した肌は浜辺の砂がついてザラザラしている。それでも、女の子らしい体は柔らかく、温かい。

 湿ったの水着、ベタベタでザラザラの肌、海水独特の生臭さ、唇を舌でなぞると、海水の塩辛さがこびりついている。おおよそ人と触れ合うには相応しくないコンディションでも、ネコメは構わず密着する。

「…………」

 これだけ体を密着させられても、俺の体は何の反応もしない。求めるようにキスをされても、文字通り仔猫に舐められた程度にしか感じない。

「…………大地君、ずっと、ずっと私の憧れでいてください」

 ネコメは安心したように、俺の胸の中で寝息を立て始めた。そんなネコメの頭にそっと手を置き、俺は確信する。

「……ネコメ、俺はお前を、異性としては見れない。少なくとも、今はまだ……」

 そして、ネコメの好意も、決して恋愛感情ではない。ネコメはきっと、恋をするには精神が未発達過ぎる。

 恋と呼ぶには、余りにもこの感情は拙い。ネコメは、恋をするには幼な過ぎる。

 恋と呼ぶには、余りにも歪んでいた。

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