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異能専科の猫妖精(ケット・シー)  作者: 風見真中
行楽編
234/246

行楽編38 特別

 ネコメは実は血が苦手で、自分のせいで俺に怪我をさせたことでひどく取り乱してしまった。

 そんなすぐにバレそうな嘘で場を収め、八雲がネコメを運び、俺が諏訪先輩の車椅子を押して、俺たち四人だけで先に山水館に戻った。

 女将さんや鎌倉たちには大した説明もしないままネコメを部屋に寝かせ、布団を囲んでじっと諏訪先輩の言葉を待つ。

「……言っとくけど、私にも分からないことだってある。今から言うのは、ただの憶測よ?」

「それでもいいよ。一体どういう事情だ?」

 ネコメの先程の取り乱しよう。今まで連んできて、あんな様子のネコメは見たことない。

 一体ネコメに、何があったというのか。

「強いて言うなら、心因性のパニック障害ね。特定の条件、ネコメの場合は『大地を傷つけること』で、過呼吸や心拍の乱れが……」

「そういうことじゃなくて……!」

 俺は診断を聞きたいんじゃない。そんなのは詳しくなくても見れば何となく分かる。

 そうじゃなくて、もっと根本の問題、その原因を知ってるのかって話だ。

「理由が知りたいんだよ。何でネコメは、ちっぽけな怪我一つで……」

 軽いじゃれあいで相手に怪我をさせる。それでその傷に負い目を感じるのは、別に普通のことだ。でも、普通なら謝って怪我の具合を聞いて、それで終わる。

 そっと目を落とす俺の手に、既に傷はない。道すがら諏訪先輩に治してもらった。

 こんな傷はすぐに治る。諏訪先輩なら片手間で十秒もあればいいし、放っといたって二、三日で治る。

 でも、心因性のパニック障害ってのはちょっとやそっとじゃ治らない。過大でも何でもなく、一生引きずる心の傷にもなり得るんだ。

 諏訪先輩は言葉を選ぶように少しだけ黙り、やがてゆっくりと口を開く。

「……ネコメはね、あなたを特別視しているのよ、大地」

 そんなことを言った。俺は、その言葉に戸惑う。

「特別視って、それってつまり……」

 ネコメは、俺のことを特別に思っている。俺に対して、特別な好意を持っているってことか?

「っ」

 諏訪先輩の言葉に、布団の隣で八雲がかすかに息を呑んだのが分かった。

 八雲の気持ちは、一応知っているつもりだ。藤宮と奈雲さんの一件の後、入院していた俺の病室を訪れた八雲は、その唇でほんの少しだけ俺の頬に触れた。

 リルは知らぬ存ぜぬで、八雲自身もそれ以降態度には一切出さなかったが、ウェアウルフの鼻に間違いは無い。

 それが恋心なのか恩義の延長線上なのかは分からないが、時間が経てば八雲の中でその辺りの折り合いがつき、キチンと言葉にしてくれると思っている。そうなれば俺も、真摯に向き合うつもりだ。

 八雲とは奈雲さんの一件で、相応のきっかけがあったと思う。しかしネコメは一体どんな理由で俺に好意を持ったと言うんだ?

「特別視と言っても、それが恋愛感情かどうかは分からないわ。多分、ネコメ自身にも分かってないんでしょうね」

「じゃあ何なんだよ。俺の何が、ネコメにそんな見方をさせるんだ?」

 自分で言うのも何だが、俺は自分がネコメと比べて特別だなんて全く思っていない。

 リルの、北欧神話の神狼という異能は確かに特別だが、それを言うならネコメのケット・シーも相当希少な異能だし、ネコメがたまたま持っただけの異能で相手を特別視するとは思えない。

「……分からない?」

「分かんねえよ。言っとくが俺は別に特別でも何でもねえぞ。そりゃ異能者やってりゃ普通とは言えねえけど、それだって俺たちの周りじゃ珍しくもなんとも……」

「分かるよ」

 俺の言葉を遮り、八雲がポツリと口を開いた。

「八雲?」

「あたしは分かるよ、ネコメちゃんが大地くんのこと特別だと思う気持ち。だって大地くん、凄いもん」

 凄いって、何のことを言っているんだ?

 俺たちの周りには、俺より凄いやつなんてわんさかいるじゃないか。

 目の前の諏訪先輩は元より、烏丸先輩もマシュマロも、俺なんかよりよっぽど凄くて特別だ。

 関東支部の大崎さんでさえ、俺という個人を気に入ってくれてはいても、勢力としては俺と繋がりのある諏訪先輩たちのことを見ていた。

「俺の何が凄いんだよ? 自慢じゃないが俺は異能者としてそこまで強いわけじゃないぞ。諏訪先輩たちはもちろんだし、昨日のアレ見たら真彩や鎌倉と比べたって……」

 言ってて悲しくなるが、今一緒にいる霊官資格持ちのメンバーの中で、多分俺は相当弱い。ネコメとは相性最悪だし、八雲の糸もライター無しじゃ切れたことがない。銃を使うトシや遠距離にも対応できる鎌倉とはこれまた相性が悪い。

「って、俺ひょっとして一番弱いんじゃないか⁉︎」

 衝撃の事実。俺、最弱説。

「そういうことじゃないよ。確かに大地くんは霊官としてはまだまだ弱いけど」

 やんわりと否定しているつもりかも知れないが、割とハッキリ言われた。

「単純な強さじゃなくて、なんて言うか、心が強いんだと思う」

「心が?」

 心の強さ。つまり、メンタルのタフネス。

 言われてもピンと来なくて、どういうことかと言葉を待っていると、八雲は静かにその考えを教えてくれた。

「大地くんは、普通なら諦めちゃうこととか、挑もうとも思わないようなことでも、平気でやっちゃうんだよ。それで、あたしたちが絶対無理だって思ったことでもやり遂げちゃう。真彩ちゃんのことも、お姉ちゃんのことも」

「いや、そんなこと……」

 確かに俺は、放っておけと言われた幽霊である真彩に関わろうとしたし、八雲と奈雲さんのために藤宮のアジトに乗り込んだ。

 しかし、それは何も俺が特別だったからじゃない。

 ひとりぼっちの女の子がいたら誰だって心配するし、仲間に助けてと言われたら助けるなんて当たり前のことだ。

「そんなこと、諦めることでも挑もうとも思わないことでもないだろ? 誰だって普通……」

「口では誰でもそう言うよ。でも、実際やっちゃう人なんて滅多にいないよ。関わるなって言われたら関わらないし、あたしのことだって普通見捨てるでしょ?」

 皮肉と、僅かな自棄を含んだ言葉。

 八雲の中では、まだあの一件での自分の行動に折り合いがついていないんだ。

「……それが普通だとしても、俺の中では違うね。少なくとも俺は、自分が命を張れない相手を仲間とは呼ばない」

 これは俺の中でハッキリしていることだ。

 覚悟なんて大層なものじゃないが、それでも俺は仲間のためなら命を張る。思い返せばあの日、俺が異能専科で初めて関わった事件の後、病室で柳沢さんに霊官の覚悟を問われた時にも思ったことだ。

「それが大地くんが特別なところだと思うよ。あたしたちみたいに昔から異能に触れていた人ならともかく、異能者になってまだ三ヶ月の大地くんが、人のために命を賭けられるんだもん」

「まあ、そう言われると、確かに……」

 側から見たら異様とも思えるかもしれない。少なくとも三ヶ月前まで、俺は命の危険とは無縁の世界にいたのだから。

「心が強くて、凄くて、かっこいい。だからネコメちゃんも、大地くんのことを特別に思うんだよ」

「八雲……」

 面と向かってこんなことを言われると、何だかむず痒い。八雲も言ってて照れ臭いのか、頬を赤らめて俯いてしまった。

「ラブコメってるところ悪いけど」

「ラブコメってねえよ⁉︎」

「問題は、そのネコメの特別視が、歪んだ形で大地に向いてることよ。ネコメの心の歪みは、解消された訳じゃないの」

「っ!」

 心の、歪み。

 母親に付けられた傷痕を消したがらなかったネコメだが、今はその傷を消している。

 俺はそれを心情の変化と成長、ネコメの心が母親の呪縛から解放されたのだと思いたかったが、諏訪先輩の見立ては違うらしい。

「自分を傷つけていた母親への歪んだ愛情、その執着は、多分そのまま大地に置き換わっただけなのよ。依存気質のあるネコメには、無理難題を跳ね除けるアンタのことが、凄く輝いて見えているのかもね……」

 諏訪先輩はネコメに、依存気質という言葉を使った。

 酒やタバコといった年齢によって合法化される物や麻薬のような違法物に限らず、人はありとあらゆる物に、そこから得られる快楽に依存する。

 その中でも肉体ではなく精神が依存するもの、とりわけ『他人』に対する依存は厄介だ。

 この人がいなければ自分はダメだ、という分かりやすい依存もあれば、逆に『この人には自分しかいない』という依存されることに対する依存、共依存というものも存在する。

 共依存というと空恐ろしく感じてしまうが、互いに依存することによって相利共生のように上手く行く場合もある。一方的な依存は互いの精神を病ませるものだが、一概に悪いことだとも言えない。

 そしてネコメには確かに、他人に依存する気質があるかもしれない。

 八雲がネコメの元を去った後、俺が異能専科のルールを破って大木をぶっ飛ばそうとしたときも、ネコメはひどく取り乱しながら俺を止めようとした。

 他人への依存は、孤独への圧倒的な恐怖から来るもの。これは決してネコメのせいではない。幼少期の想像を絶する孤独が、ネコメの中で他人といることの安心感を増長させているんだ。

 決してネコメのせいではない。しかし、このままでいいはずもない。

 他人への依存はその人に流され易くなり、自己意識の確立、すなわち自立の妨げにもなり得るし、何より依存した相手、この場合は俺の身に何かあったとき、ネコメの精神にどれだけの負担が掛かるか分かったもんじゃない。

 極端な話、大日異能軍との戦いで俺が死ねば、ネコメは後を追って自ら命を絶つかもしれない。そんなこと、絶対にあってはならない。

「……どうすればいいんだ? こういうのって、俺が『俺に執着するのをやめろ』って言えば解決するのか?」

「まず間違いなく、何の解決にもならないわね。それがネコメのためだって言っても聞き分けるとは思えないし、縋るようにアンタに泣きつくネコメなんて見たくないでしょ?」

「それは……」

 いわゆるメンヘラな女のように、「なんでそんなこと言うんだ」だの、「私に悪いところがあったら直します」だの言うネコメなんて、確かに俺は見たくない。

「じゃあ、あたしたちが言うのは?」

「それこそ逆効果ね。大地から遠ざけようとする人間と距離を置いて、より一層大地一人に依存するようになるわ」

 八雲の提案も、諏訪先輩はハッキリと却下してしまう。

「でも、じゃあどうしたらいいんだよ?」

「あのね、私だって心療なんて専門外よ。それに、どうすればいいかなんて分かってたら、とっくにこの世から心の病気は無くなってるわ」

「そんな……」

 確かに、諏訪先輩の言う通りだ。

 明確な治療法が無く、特効薬のようなものも存在しない。だから心の病は厄介なんだ。

「可能性があるとすれば、やっぱり大地ね。ネコメが依存し過ぎないように、アンタが上手くネコメの心を誘導するしかない。そして、この子の歪みを治してあげるの」

「俺が……」

 俺が、ネコメの心を治す。そんなこと、果たして俺にできるのだろうか?

 心の病は、医者の諏訪先輩にとっても難題。カウンセラーでも何でも無い俺に、心のケアなんて。

(いや…………)

 できるかじゃない。やるんだ。

 予想外の方向ではあるが、これはネコメの変化の兆候。母親に受けた傷の、その歪みを正すチャンスでもあるんだ。

 思い出の中の母親に依存されたままではどうしようもなかったが、他でもない俺に依存しているというなら、やりようはある。

 俺なら、ネコメを救えるかも知れないんだ。

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