行楽編29 水子
産声というのは比喩表現ではない。
それは正しく、生まれた声。産声だった。
『あんぎゃぁ! あんぎゃぁ!』
箱の封印を破壊して現れたソレは、恐らく真彩と同じ様に実態の無い幽霊だと思われる。
宙に浮かぶ妖しい体は青い異能の光に覆われており、半透明の体は全長五メートルはある。体積の半分ほどもある不釣り合いに巨大な頭部。頭に比べて異様なほど小さい手足は内向きに握られており、腹部から伸びる青い管のようなものが封印を破壊した箱に繋がっている。
それは、巨大な胎児だった。
しかし、体、手、足、頭、全てがバラバラで、異能の光で繋がり、宙に浮いていた。
「ば、バラバラの、赤ん坊?」
鎌倉が呆然と呟くが、赤ん坊という表現は適切とは思えない。
この体は、赤ん坊というには未成熟過ぎる。
「水子……それも、こんなに大きな異能を……」
「先輩⁉︎」
絞り出すような声に振り向くと、諏訪先輩は車椅子の背もたれに体を預け、苦悶の表情を浮かべていた。
いや、諏訪先輩だけじゃない。
ネコメも八雲も、真彩もマシュマロも、先程までと打って変わって一様に額に脂汗を浮かべて顔を苦悶に歪めている。
「お、おい、なんだよこれ?」
「どうしたんだ、みんな⁉︎」
俺とトシと鎌倉は、何ともないようだ。突然現れたモノに驚いてはいるが、五人の様子は単なる驚きとは明らかに違う。
『ま、まぁ! ままぁ!』
胎児の声が響く度に、皆は身を震わせて守るように体を抱く。離れたところにいる小月と里立も、同じように得体の知れない震えに侵されているようだ。
「っ小月! メガネを外せ!」
しまった、と思ったが、遅い。
異能者の皆でこの様子。レンズ越しに見えているであろう胎児の姿に、小月は口元を覆い、青ざめた顔で痙攣を起こしている。
隣の里立が小月のメガネを外そうと手を伸ばしてくれるが、里立自身も足をもつれさせてその場に倒れてしまう。
「四季っ!」
「鎌倉、小月も頼む!」
倒れた彼女の元に駆け寄る鎌倉に小月のことも任せ、俺は改めて諏訪先輩が『水子』と呼んだそれを見据える。
(胎児の霊……)
水子、生まれてすぐに死んでしまった赤ん坊や、生まれることができなかった子を指す言葉。日本神話で海へ流された『水蛭子』を由来とする。
赤子として生まれるには早すぎる体に、母親を呼ぶ声。
「……人間には、生まれる前にも、本能に近い意識はある。この子は体が壊された後も、異能でできたあの体で、生まれようともがいているのよ」
諏訪先輩の言葉通り、胎児はバラバラの腕を何かをかき分けるようにばたつかせ、ここではないどこかへ行こうともがき苦しんでいる。
(生まれられなかった、赤ん坊……)
死産だったのか、堕胎されたのかは分からないが、とにかくこの子は生まれることができなかったんだ。
『ままぁ!』
胎児は泣きながら手足を振り回す。
母親の腹を蹴るように、ここに在ることを主張するように。
生まれるはずだった命。
生まれれば高い異能の素質を持っていたであろうその子は、死後も生物の本能に異能を肉付けされ、母親を求めて生を欲している。
なんて、悲しい異能だ。
「大地、あの子を……」
「助けられるのか? 真彩みたいに……」
一縷の望みをかけての問いだったが、諏訪先輩は首を振る。
「既に異能は完全に暴走してるし、あの子には制御するための意思や理性が無い。今ここで消してあげるのが、唯一の救いよ」
「そんな……」
幽霊は異能を取り込み過ぎれば暴走し、異能の脅威として処分される。
真彩はその才能と諏訪先輩の教えで異能を扱う術を得たが、あの子にはそれがないってことか。
「私たちはあの子と戦えない。早くしないと、真っ先に影響を受けるのは真彩よ」
「真彩が?」
諏訪先輩が戦えないというのも気になるが、真彩が影響を受けるってのはどういうことだ?
「幽霊に干渉できるのは異能の度合いに寄る。異能そのものである真彩には、あの子は有害過ぎるわ」
「っ……」
見ると、真彩は苦しそうだった。
胎児の泣く声に震え、浮いていることもしんどいのか地面にへたり込んでしまう。
「早くしろ、大神! お嬢様たちが保たない!」
そう言う烏丸先輩も少し弱っているように見える。諏訪先輩たちほどではないが、胎児からの何かしらの影響を受けているらしい。
どういう理屈かは分からないが、あの胎児を倒せるのは何故か影響を受けていない俺とトシと鎌倉だけのようだ。
「クソがっ!」
俺は頭を振り回し、異能を強める。そうすれば理性のタガが外れて、余計なことを考えずに済むからだ。
「トシ、鎌倉!」
「ああ!」
「分かったよ!」
トシがホルスターからエアガンを抜き、小月と里立を屋内に避難させた鎌倉は異能を発現させる。
「一秒でも早く、この子を救うんだ!」




