行楽編16 明日に備えて
部屋に戻ると、真っ暗だった。
「…………」
ホテルの部屋はツインルーム二つ。当然俺とトシ、ネコメと八雲が相部屋だ。相部屋の相手、トシはベッドの上でいびきをかいている。
真っ暗でも部屋の状況は匂いで分かる。しっかりと残った女子二人の匂いと、テーブルの上に空けっぱなしで残っているスナック菓子やジュースの匂い。
三人は俺が支部長二人と緊張の会食をしている間、男子部屋に集まってパーティーやってやがったな。
「ちょっと薄情過ぎねえか……?」
事情を聞くために起きていてくれても良いと思うのだが、俺に宛てられたのはケータイに届いていた『先に寝るね。明日は早いから、覚悟しといてよ♡』という八雲からのメッセージ一つだけ。
『ダイチ、寝るのか?』
「お前はまだやることあるだろ」
眠そうにあくびをするリルだが、このままベッドに入れる訳にはいかない。大嫌いなお風呂である。
『ギャワン!』
「黙れ! そして大人しくしろ!」
狭いバスタブにいつものように嫌がるリルを無理矢理突っ込み、俺もまとめて体を洗う。リルが吠える声でトシが起きるんじゃないかと一瞬危惧したが、気遣いは要らないな。起こされちまえあんな薄情者。
風呂から上がって着替えると、時刻は既に二時近く。明日、というかもう今日は早いらしいし、もう寝よう。
『おやすみ』
「おやすみ……」
枕元で丸くなったリルの犬臭さに包まれて、俺は目を閉じた。
夕方に家を出てからイベントとトラブルの連続で疲れていた俺は、微睡みをすっ飛ばして眠りに落ち、
「起きろ大地、戦いだ」
次の瞬間、布団を捲られた。
「…………は?」
体感的には一瞬。目を閉じてすぐの出来事。
部屋の灯りは点いているが、カーテンの向こうの空からは陽の光は届いていない。枕元に置いてあったケータイを確認すると、午前四時半。
俺が掛けていた布団を手に、既に着替えて身支度を整えているトシが再び口を開く。
「起きろ大地、戦いだ」
「……十秒やる。電気を消して布団を返せ。さもなくば俺の枕がお前を襲う」
開き切らない目でそれでもしっかりとトシを見据え、俺は心の中でカウントを開始する。十、九、八……
「起きろ大地、戦いだ」
ゲームのもモブキャラのように同じセリフを繰り返すトシ。七、六、五、四……
「二度言わすなよ。一度でいいことを二度言うのは無駄なんだ。無駄だから嫌なんだ。無駄無駄」
「起きろ大地、たた……」
ゼロ。すっ飛ばしてゼロ。
「無駄ァ!」
掴んだ枕で思いっきりトシの顔を横殴りにする。
「グボォ⁉︎」
のそりと立ち上がり、トシの使っていたベッドからも枕をひったくり、両手に装備した枕でラッシュをかます。
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄……無駄ァ!」
無駄一回につき一発の枕パンチ。トシはオラオラと返すこともなく、最後の一発でベッドに沈んだ。
「トシ、俺はついさっき寝たばっかなんだ。朝早いとは聞いていたが、今はまだギリギリ深夜とも言えるな? なぜこんなに早く俺を起こす? さっきまでネコメたちと菓子食いながらパーティーしていたお前が、霊官の支部長と緊張感でいっぱいの食事をしてようやく眠りについた俺を、なぜ起こす?」
「い、いや、もう出ないと徹夜組のクソ共に……」
布団でくぐもった声を出す後頭部に再び枕を見舞う。
「端的に答えろ。質問は既に拷問に変わっているんだ」
ぐりぐりと枕を押し付けながら不機嫌マックスで脅しをかける。ほんの二時間ちょいで起こされて冷静でいられるほど、俺の三大欲求は軽くない。
「単刀直入に言おう。俺は今、非常に疲れている。霊官の支部長二人と飯を食い、色んな話を聞いた。考えることも山ほどある。何より眠い」
俺の要求を告げると、トシはバッと顔を上げて寝起きだというのに高いテンションで捲し立てる。
「いや、お前この旅の目的忘れてねえか? コミケだぞコミケ! 年に二回の大イベント! 徹夜組や転売ヤーのせいで壁サーや商業ブースの完売は必至! 俺たち純粋な参加者は……」
「俺は純粋な参加者じゃねえ!」
間違いで連れてこられて、予定では荷物持ちまでさせられる。買いたいものがある訳でもない俺のどこが純粋な参加者なものか。
とりあえずトシを沈黙させて安眠を取り戻そうと再び枕を構える。が、ベッドの上から響くケータイの着信音に邪魔される。電話の相手は、八雲だ。
「……もしもし」
少し躊躇ってから電話に出ると、八雲はペラペラと早口で捲し立てる。
『おっはよう大地くん! もう準備できてる? 部屋の鍵はネコメちゃんに預けて、五時までにフロントに来てね』
プツッ。言うだけ言って通話は切られた。
「……行きたくねえよぉ」
鬱だ。非常に鬱だ。
大して興味の無いコミケの為に二時間そこそこの睡眠で動くとか、嫌過ぎる。
「さあ着替えろ大地。戦いだ!」
何でお前はそんなに元気なんだよ。と思いながらトシの頭に枕を叩き込む。




