行楽編12 リクルート
「まだまだ話し足りないですが、これ以上はこの会食の主催者が許してくれないようです。今日の講義はここまでにしましょう。いかがでしたか、大神君?」
厳しい顔の大崎さんをチラリと伺いつつ、隠さんは話を切り上げた。
「すっげー面白かったですよ。異能の話はもちろんだけど、その前の相互変換の話も」
自分が理系とは思わないが、こういう話はやっぱりワクワクする。初めて宇宙の話を聞いたときみたいだ。
俺が大仰に頷くと、隠さんは愉快そうに手を叩いた。
「ではでは、こんなのはいかがですかな?」
また何か面白い話でもしてくれるのかと思ったが、隠さんが差し出したのはスマホだった。画面には、どこかの大学のホームページが映っている。
「これって?」
「私が教鞭を取っている大学です。表向きの仕事は物理の教授をしておりまして」
大学教授だったのか、この人は。道理で人の興味を引く話が上手い訳だ。
「異能専科の就学過程は高等学校まで。どうです大神君、私の生徒になりませんか?」
「え?」
「君になら推薦状を書いてもいい。受験免除も難しいことではありません」
クマのある目を弓形に細め、人の良さそうな笑みを向けてくる隠さん。
俺はといえば、素直に戸惑っていた。
「大学……」
進学は、考えてこなかった訳じゃない。
三ヶ月前までは学校なんて縁の無い生活をしていたが、今はこうして高校に通っている。ちょっと普通じゃない学校だけど。
そうなれば当然その先、進路のことも考える必要がある。
「物理とは難しく考えることではありません。なぜ物が落下するのかという当たり前に対する疑問も、宇宙の成り立ちも、等しく物理です。風速五メートルの風で巨大な橋が揺れる共振運動や、真空における素粒子の動き。物理にはまだまだ面白い話が山ほどありますよ」
隠さんの言うことは魅力的だ。
自分に物理学の素養があるなんてのは信じられないが、隠さんの話は面白い。
異能とか関係無く、真剣に勉強してみたい欲求に駆られる。しかもこの学校はかなりの有名大学。教授の推薦状まで貰えるなんて、とんでもない高待遇だ。
「でも、それだと長野を離れることになりますよね……」
「……地元の大学へ進むつもりでしたか?」
「いえ、そういう訳じゃ……」
地元への愛着はそれなりにあるが、そもそも俺は未満とはいえ中部支部所属の霊官。進学はまだまだ先のこととはいえ、勝手に他支部の管轄内に移住していいものか。
「……君を中部支部に縛り付けるものがあるなら、私が解決しましょう」
そう言って隠さんは懐から何やら紙束のようなものを取り出し、胸ポケットから出した万年筆でサラサラと何やらしたためる。
差し出された厚紙のようなそれを受け取ると、
「こ、これって⁉︎」
それは、いわゆる小切手だった。
銀行の名義と隠さんの名前、日付も書かれている正式なもの。
金額は、八千万円。
「噂で聞きましたよ。君はもともと負債を抱えて中部支部所属の霊官与りになったと。その負債が無くなれば、君は自由だ。中部支部に籍を置く理由は無い」
「う、受け取れる訳無いだろ、こんなの!」
俺は慌てて小切手を隠さんに返そうとする。
この小切手は正式なもの。指定された銀行に行けば、俺は隠さんの口座から八千万円を受け取れる。受け取れてしまう。
「君への投資だと思えば安いものです。負債額だけでは足りないのなら、入学金と大学院まで含めた六年分の学費、それと一人暮らしに必要なだけの金額も上乗せしましょう」
「な、なんでそんな金を俺に……!」
戸惑う俺の横からスッと太い腕が伸び、俺から小切手を奪い取る。
「そこまでにしな、このタヌキが」
大崎さんは俺から奪った小切手をビリビリと破き、皿の上に撒いて上からスパークリングワインをぶっ掛ける。まだ乾き切っていないインクが溶け、書かれた文字が消える。
「私のリクルートの邪魔をしないでいただけますか?」
「何がリクルートだ。金でボウズを手中に収めようたあ、どういう了見だい?」
「……あなたこそ、どういうつもりで彼をこの場に? 彼との繋がりを私に誇示するためでしょう?」
言い合いをしながら、二人の雰囲気が、変わる。
声のトーンが低くなり、お互いを見る目が敵意を孕んだそれに変貌する。
「ちょ、ちょっと……⁉︎」
慌てる俺を他所に、二人はゆっくりと立ち上がった。
「大神、コイツの口車に乗るんじゃないよ。アンタみたいなレアモノ、すぐに実験動物にされちまう」
「も、モルモットって……」
そんなマッドな感じなの、隠さん?
「酷い言い掛かりです。大神君、君はその人の口車にこそ乗ってはいけない。二度と日の当たる所を歩けなくなってしまいますよ?」
あ、やっぱりアウトローなのね、大崎さんは。
「ちょっと待ってくれよ二人とも! 何なんだよ、いきなり⁉︎」
さっぱり訳が分からない。
二人ともまるで、俺を取り合いするようなことを言い出して。
「……アンタ、本当に自分の価値が分かってないのかい?」
「俺の、価値?」
俺に何の価値があると言うんだ?
ウェアウルフ自体は珍しい異能ではないから、リルのことか? でもこの人たちは、リルが北欧の神狼フェンリルであることを知らないはずだ。
「アンタには、このタヌキがこれだけの金をポンと出すだけの価値がある。アタシらだけじゃなく、アンタを欲しがる奴は多いよ」
何言ってんだよ、この人?




