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異能専科の猫妖精(ケット・シー)  作者: 風見真中
編入編
2/246

編入編1 異能の学校


 ぴちゃぴちゃぴちゃ。

 顔の近くで水音が聞こえる。

 同時に頬に感じる生温かい感触。

『ハッハッハッ!』

 耳朶に届く声のようなものと、確かに感じる獣臭さ。

「……犬⁉」

 カッと目を見開き、上体を起こす。見回すとそこには、

『アン!』

「ひぃ!」

 犬、あの仔犬がいた。

 柔らかくふわふわとした灰色の毛並みとあどけない顔。犬好きが見れば抱かずにはいられないような愛らしい姿だ。

「く、来るな! 寄るな……あでっ⁉」

 犬から逃れるために立ち上がると頭をぶつけた。ずいぶん低い天井だなと思ったが、どうやら俺は二段ベッドにの下の段に寝かされていたらしく、上の段の底に頭をぶつけたらしい。

「いてて……? どこだ、ここ?」

 ベッドから這い出て改めて辺りを見回すと、見慣れない部屋だった。

 広さ十畳ほどのフローリング部屋で、二段ベッドの他には部屋の中央にガラステーブル、隅に学習机らしきものが間隔を空けて二つ並んでいる。窓の外を見るとどこかの山奥なのか、視界は一面木と山しか見えない。

 部屋にも装飾にも、窓の外の風景にも見覚えはないが、勉強机の片方には見覚えのあるものがあった。

「これ、俺のだよな?」

 服に鞄、原付の鍵や携帯とその充電器などが机の上に積まれている。

 今着ている服も普段寝間着にしている部屋着だし、それほど多くない私物はほとんど運び込まれているようだ。

「って、手が……?」

 改めて自分の手を見ると、目を覚ます前の記憶が蘇ってくる。

 化け物じみた虫の恐怖、喪失した手足、死に向かっていく冷たい感覚。

「あの後、どうなったんだ……?」

 切り落とされた足も食い千切られた腕もある。夢だったというにはあまりにもリアルだったあの光景だが、今の自分の姿を鑑みるにとても現実味がない。

(いや、でも……)

 無くなっていたはずの左手を凝視すると、明確な違和感を覚える。

 爪の形や指の産毛、手の皺や指紋に至るまで、全てが見慣れた自分の手とは違うものだとはっきり分かる。

 ゆっくり手を握って開くと、どうにも手の動きがぎこちなく、神経にも軽い痛みが走る。目を覚ましたばかりだということを差し引いても、明らかに手が動かし辛い。

 切り落とされたはずの右足にも同様の違和感と動かし辛さがある。

「どうなっちまったんだ、俺の身体は?」

 まるで気を失っている間に自分の身体がすり替わってしまったかのような状態に恐怖が沸き、ケータイのカメラで自分の顔を確認する。

 そこに映っていたのは間違いなく自分の顔だが、頬につけられたはずの切り傷は跡形もなく治っていた。

「なんだ、これ?」

 カメラに映る顔、その首元に見慣れないものがあった。太さ二センチほどの黒い革のベルトに銀色の装飾が施された首輪、チョーカーが巻かれていた。

 こんなアクセサリーをつける趣味はないし、昔ケンカのときにマフラーで首を絞められて以来首周りに何かを巻くのは苦手だ。

 外してしまおうとするが、留め具が溶接されているらしく外すことができない。

「クッソ、何なんだこれ!」

 不快な息苦しさにいっそ千切ってしまおうかとも思うが、安っぽいアクセサリーではなく頑丈に作られているらしくビクともしない。

『アンアン!』

「ひっ⁉」

 自分の身体を調べているうちに、再び犬が俺の足元まで寄ってきた。尻尾を振り、舌を出して俺の足にしがみついてくる。

「よせ、くっつくな! 俺は犬が嫌いなんだ‼」

 犬から逃れようと後退するが、右足がうまく動かず転倒してしまう。

「痛って……!」

 さっきまで寝かされていたベッドの端に後頭部をぶつけ、視界がチカチカし目を瞑ってしまう。

 痛みをこらえて目を開くと、

『アン‼』

 犬が、口を開けて眼前に迫っていた。

「く、来るなぁ‼」

『アン……アウ?』

 恐怖に目を瞑ると、犬の声が遠ざかっていった。

「あの……大丈夫ですか?」

「……え?」

 それは、とても綺麗な声だった。小さく透き通るような声色はどこか幼さを感じさせる。

 ゆっくりと目を開けると、そこには仔犬を抱えた少女が立っていた。幼さの残る整った顔と大きな瞳に心配の色を浮かべ、へたり込む俺を見下ろしている。

 肩に届くくらいのセミロングの茶髪と大きな瞳。小柄で痩せすぎにも思える痩躯を包むのは紺色のブレザーと膝上丈のプリーツスカートという学校の制服のような服装をしている。

「大丈夫ですか、大神君?」

「な、なんで俺の名前を?」

 少女は心配そうな顔のまま俺の名前を呼んだ。当然俺はこの子と面識は無い。

「失礼ですが、眠っている間にあなたのことを調べさせていただきました。大神大地君」

 少女はそっと目を閉じ、ゆっくりと頭を垂れた。何だか妙に丁寧な子だな。

「調べたって、なんで? つーかここはどこだよ? あんた誰だ?」

 矢継ぎ早に質問を口にしてしまうが、何にしても分からないことが多すぎる。いったい俺は何をされたんだ?

「ここは鬼無里にある国立学校の寮です」

「キナサってあの鬼無里か?」

鬼無里というのは俺の住む市内にある地名だ。俺の自宅から車で三〇分はかかるし、昔は一つの独立した村だったが、今は同じ市内に統合されているくらいの田舎だったはずだ。

「鬼無里に国立学校なんてあったか? こんな田舎に……」

「表向きには全寮制の私立学校ということになっていますから、知らないのも無理はありません」

国立とか表向きとか、少女の言葉の端々が気になるが、何で俺がそんな学校の寮に寝かされていたんだ。学校なんて俺とは最も縁遠い場所だというのに。

「私は猫柳と言います、猫柳瞳。この学校の高等部の一年生で、霊官です」

 この少女が高校一年生、同い年だということも意外だったが、その後に続いた言葉も気になる。

「レイカン?」

 聞きなれない言葉に俺が首をかしげていると、少女は片手を口元に持っていき思案顔をする。

「霊官とは……そうですね、どこから説明したらいいか……」

 少女、猫柳が言葉を詰まらせていると、腕に抱かれたままだった仔犬がジタバタともがき始めた。

「あ、ちょ、リルさん、暴れないで下さい!」

「りるさん?」

「この仔の名前です。リル……ってあ!」

 リルと呼ばれた仔犬は猫柳の腕をすり抜け、逃げるように俺のもとに寄ってくる。

「ちょ! 何で! こっちに! 来るんだよ!」

 リルから逃れるために俺は立ち上がり、全力で梯子を登って二段ベッドの上の段に避難する。リルは梯子に前脚をかけ、怯える俺を見上げて尻尾を振っている。

「何でお前そんな俺に寄ってくるんだよ……」

 極端に怯える俺に猫柳は不思議そうな顔をしながらリルを再び抱え上げる。

「大神君、もしかして犬が苦手なんですか?」

「あ、ああ。ガキの頃に噛まれてからダメなんだよ……」

 犬に対する苦手意識はガキの頃に植え付けられたトラウマだ。これでも散歩中の犬とすれ違っただけで怯えていた頃よりはマシになったと思うのだが、同じ部屋にいるというのは耐え難い恐怖だ。

「なあアンタ、ちょっとそいつ部屋から出してくれないか? まだいろいろ聞きたいことがあるんだけど、そいつがいたんじゃまともに話もできないんだよ」

 俺の手足のこととか、そもそもなんで俺はここに寝かされていたのか、聞きたいことは山ほどあるが、とにかく犬が邪魔だ。怖くて仕方ない。

「……ゴメンナサイ、それはできないんです」

「は? できないって、なんで?」

 猫柳は答えず、抱えたリルを部屋の隅に連れていく。すると、

「あ? なんだ、これ?」

 猫柳が離れると同時に、俺は見えない何かに首を引っ張られるような力を感じ、ベッドの縁に乗り出してしまう。

 あわや落下するかと思ったが、猫柳が再び近寄ってくることで謎の力から解放された。

「な、何だったんだよ、今の……?」

 俺は謎の力によって引っ張られた首、そこに巻かれたチョーカーに触れる。

「この通り、大神君はこのリルさんとそのチョーカーで繋がっています」

 猫柳は申し訳なさそうに顔を伏せ、とんでもない言葉を言い放った。

「大神君には今日から、この部屋でこのリルさんと暮らしていただきます」

「な、何言ってんだあんた⁉」


 ・・・


 猫柳の謎の発言に俺が固まっていると、ガチャ、と部屋のドアが開かれる音がした。ドアの方に顔を向けると、そこには猫柳よりも更に背の低い少女が立っていた。

「あや、大神くん起きたんだ。ネコメちゃん、お話し終わった?」

「大事な話はこれからです。八雲ちゃんも同席してください」

 突然部屋に入ってきた少女を猫柳は招き入れ、ガラステーブルを囲むようにフローリングの床に座った。

 猫柳に『やくもちゃん』と呼ばれた少女は緩くウェーブのかかった長い金髪で、スカートは猫柳と同じデザインのものだが改造しているのかかなり短い。ブレザーは着ておらず、代わりにサイズの大きいクリーム色のカーディガンを袖を余らせて着ている。

「大神君、彼女は東雲八雲さん。私のルームメイトです」

「はっじめまして~大神くん。あたし東雲八雲。よろしくね〜」

 金髪の少女、東雲は花の咲くような明るい笑顔と共に自己紹介してくる。

 俺は「ああ、よろしく」と返すが、正直言ってこのタイプの女子は苦手だ。どう接していいのか分からない。妙に丁寧で堅苦しい感じがするが、猫柳のほうが話しやすそうだ。

「お腹空いてない? 購買でいろいろ買ってきたから、食べながらお話ししよ」

 東雲はそんな俺の心情に気づいた様子もなく、ビニール袋を掲げて明るい笑顔を向けて来る。袋の中にはパンや飲み物、スナック菓子など、さまざまな飲食物が詰まっているのが見える。

「あ、そういえば腹減ったな……」

 袋から覗く食べ物を目にすると、途端に空腹感を覚える。どのくらい眠っていたのか知らないが、感覚的にはずいぶん長い間何も食べていない気がする。

「じゃあ、貰うわ」

 空腹に負けた俺は二段ベッドから降り、ガラステーブルを挟んで猫柳の正面に座った。

 東雲は何故か猫柳側ではなく俺の隣に腰を下ろし、「炭酸平気?」と聞きながらビニール袋から取り出したコーラを渡してくる。

(……ッ⁉)

 受け取ろうとした瞬間、呼吸が止まりそうになる。

 至近距離に座った東雲から頭がクラクラするほどいい香りがしたのだ。

(なん、だこれ……⁉)

 香水かシャンプーか、はたまたシンプルに東雲の体臭なのか判断がつかないが、ともかくむせ返るほど甘くていい香りが漂ってくる。

 平静を装いながら「ああ、サンキュー」と答え、受け取ったコーラのキャップを開けて黒い液体を口に含むが、香料の香りが鼻に抜けてもまだ東雲から漂って来る香りのインパクトのほうが大きい。

 見れば東雲は化粧をしているし手には付け爪もしている。この学校は服装に関しての校則が緩く、香水を付けているだけなのかもしれないが、それでもちょっと横に座られただけでこんなに人の匂いが分かるものか?

「さてと、何からお話ししましょうか……」

 動揺する俺を他所に猫柳はペットボトルのミルクティーを一口飲み、表情を引き締めて向き直る。しかし、

「話の前にそいつは捕まえといてくれ!」

 猫柳の手から逃れたリルが寄ってくる。隙あらば俺に跳び付こうとするんじゃない。

「リルさん、大人しくしていてください!」

 猫柳が語気を強めてそう言うと、リルはビクッと耳を立て、尻尾を後ろ脚の間に隠して大人しくなった。

「? ずいぶん素直に従ったな」

 さっきまで暴れていたのに、言葉一つでここまで大人しくなるのは意外だ。

「まーそれがネコメちゃんのチカラだしね~」

 東雲は「よしよし、怖かったね~」とリルを膝の上に乗せて撫で始める。

「チカラ? なんだよ、チカラって」

「異能の力。その辺の説明もまだなんだ?」

 俺の疑問に答えているのかいないのか分からない東雲が猫柳に視線を向ける。

「ええ。まずは大神君、目を覚ます前のことはどのくらい覚えていますか?」

「目を覚ます前は……」

 しっかり覚えている。

 夜の河川敷に現れたこの仔犬、リルと、化け物じみた虫の群れ。頬に走った熱い痛みと切り落とされて食い散らされた手足。

 身の毛のよだつ光景を思い出し、喪失していた左手に視線を落とす。

「……あれは、夢じゃなかったんだよな」

 確認を取るように呟くと、猫柳は神妙な顔のまま頷いた。

「はい、現実です。大神君は三日前の夜、妖蟲の群れに襲われました」

「み、三日も寝ていたのか……」

 体感的には昨夜の出来事なのだが、もう三日も経っていたとは驚きだ。

「幼虫って、あの化け物トンボたちのことだよな?」

 どの虫も成虫のような姿だったし、芋虫みたいなやつはいなかったと思うが。

「芋虫みたいな幼虫じゃなくて、妖しい蟲って書いて妖蟲。異能の蟲の総称だよ」

 東雲が補足するようにそう言う。また出たな、異能って単語。

「手足に痛みはありませんか?」

「なんか動かし辛いし、動かすと少し痛いかな。この手は、どうなってるんだ?」

 まさか寝ている間に生えてきたわけじゃないだろうが、どう見てもこれは生身の腕だ。いわゆる義手には見えない。

「非常に精巧に作られた義手と義足です。普通に生活しているうちに慣れて、今まで通りに動くようになります」

「義手って、これがか?」

 切断された指なんかを繋げる場合でも普通に動かせるようになるまで長いリハビリが必要だと思うが、義手で、しかもたった三日でここまで自在に動かせるものがあるなんて。

「有機物のみで作られた、限りなく生身に近い腕です。しばらくすれば細胞が馴染んで完全にあなたの身体と一体化します。もちろん普通に流通しているものではありませんが」

 驚く俺に東雲が「それも異能で出来たものだよ」と告げる。

「その、異能っていうのは……?」

 先ほどから話の端々に出てきた異能という単語、恐らくこれがこの一件の核心なのだと直感的に思った。

「『異能』、異なる能力と書きます。書いて字のごとく、普通の物理法則とは異なる法則に則って働く力です」

「簡単に言うと魔法とか超能力とか、そういう漫画みたいな力のことだよ」

「ま、魔法って……」

 そんなバカな、と言いかけてやめる。バカなことはもう俺の身体に起こっているし、話の先が聞きたい。

「異能とは大昔から世界中にあったもので、かつての異能を行使した人間、『異能者』は、まるで神様のように扱われました」

「目覚めた人とか神の子なんて言われたりしてね。そういう昔の異能者が、いま世界中に根付いている宗教とか伝承、神話の元ネタになったの」

「……まじかよ?」

 話の真偽を確認するように呟くと、二人はこくりと頷いた。俺をからかっているようには見えない。

「……熱心な教徒が知ったら卒倒しそうな話だな」

 俺はそんな相槌しか言えなかった。

 猫柳の説明と東雲の補足を、俺は現実離れした与太話、話半分のつもりで聞いていた。

 しかし残りの半分で、事実なのだと確信もしていた。

 目の前に現れた化け物じみた虫、妖蟲。はっきり覚えている傷の痛み。そして明確な証拠として挿げ替えられた手足がある。

 俺はあの夜、とんでもないものに出会ってしまったのかもしれない。

「かつての異能は、世界中で選ばれた者だけが扱える神秘でした。イギリスに根付く魔術、古代ギリシャの錬金術、中国の道士、日本にも陰陽師と呼ばれる異能者がいました」

 漫画や映画で幾度となく題材にされたそれを、現実のものだという。猫柳はそこで「ここまで大丈夫ですか?」と言葉を切り、俺は頷く。再びコーラを口に含み、空きっ腹に食料を求める。

 真面目に話す猫柳とは対照的に東雲はビニール袋の中から菓子パンやスナック菓子を次々取り出して食べ始めており、俺は「一つもらうぞ」とサンドイッチを貰って食べる。

「……なんだこれ?」

 ふわふわの食パンに挟まっていたのは独特の甘みと香りを放つ歯ごたえのある具材だった。食べたことある味だが……。

「たくあんサンドだね。こっちのハムレタスおにぎりと交換する?」

「具材入れ替わってねえか、これ……」

 何とも微妙な味のサンドイッチを食べ終え、猫柳の説明を待つ。

「……近代では異能のメカニズムが解明されて、努力次第で誰でも異能を習得できるようになりました」

「だ、誰でもって?」

 猫柳の言葉に驚いた俺は、口に含んでいたコーラを噴き出しそうになる。今日まで十六年生きてきたが、そんな話はついぞ聞いたことが無い。

「誰でもです。異能の素質、異能の力の源は誰の中にもあります」

「冗談だろ? 聞いたことないぞ、そんな話」

「まあ秘密にされてるからね。大昔から世界中で」

 東雲がスナック菓子の油の付いた指を舐めながらそう言う。

「何で秘密にするんだ? 魔法やら超能力なんて便利な力なら、もっと広めちまったらいいだろ?」

 例えば俺のこの手足。

 この精巧な義手が異能で出来たものだというなら、これを公表すれば事故や病気で手足を失った人など、多くの人が救われるはずだ。

「その意見はもっともです。しかし、異能は便利な反面、強力な武器になってしまいます」

「武器?」

「誰でもゲームみたいにマジックポイント消費で火の玉が打てたら、どんなことになるか分かる?」

「…………ッ⁉」

 東雲の言葉を聞き、俺は背筋の凍る思いをする。

 町で不良とケンカすることが多かった俺は、人間の沸点の低さをよく知っている。人によってはちょっとしたことで激情し、簡単に相手を殴り、蹴り、傷つける。刃物を持ち出す輩だって少なくない

 もしそのケンカをする者同士が魔法で火の玉を打てれば、お互いに怪我では済まないだろうし、周りも無事でいられるはずがない。

 絶句する俺に猫柳はさらに言葉を続ける。

「だから異能の公表は世界的に禁止されています。日本では江戸時代の頃に当時の幕府が他国の異能の信仰を途絶させ、明治時代には異能の存在そのものをひた隠しにしたとされています」

 教科書にもある宗教の迫害、その真相が異能にまつわるものだったという衝撃に眩暈がする。

「俺が今まで勉強してきた歴史は何だったんだろうな……」

 皮肉気味に溜め息をつく。まさか自分の国の歴史がそんな嘘塗りだらけの歴史だったとは。

「え、大神くん、勉強してなかったんじゃないの? 高校行ってないんだよね?」

「うるせえ、成績は悪くなかったんだよ。つかなんで知ってんだよそんなこと」

 中学時代のテストは決して悪い点数ではなかった。真面目に通っていた時期もあったし、生活態度で減点されなければそこまで成績も悪くなかった。

「その危険性のため異能はこの国でも長らく秘匿、管理されていました。異能を扱う『異能者』は国に登録され、それに伴う教育機関が国の至る所に設けられたのです。それがほんの数十年前、昭和後期のことになります」

「異能の、教育機関?」

 その言葉を聞いたとき先ほどの猫柳の言葉を思い出した。猫柳はさっき「ここはどこだ?」という俺の質問に「鬼無里にある国立学校」と答えた。

 つまりこの学校は、魔法使いや超能力者、『異能者』のための学校なんだ。

「お察しの通り、ここは異能者の育成、管理を目的とした国立学校、『国立異能専門学校鬼無里校』の高等科、通称『異能専科』です」

「異能、専科……」

 異能者の学校、異能専科。そんなものが俺の住んでいる市内にあったなんて……。

「一般的には私立稲生高等学校って名前で通ってるよ。聞いたことない?」

 その学校名には確かに覚えがある。全寮制の学校で、進学希望者が軒並み不合格通知をもらうことから県内有数の難関校と言われていたはずだ。

「普通の人は入学できないから、難関校だなんて噂が立っちゃってるんだけどね」

 この学校のことは分かったが、新たな疑問が生まれた。

 俺がそんな魔法学校に運び込まれた理由も不明だが、なんでそこまで『異能』の存在を秘匿しておきながら、『異能者』を育てるための学校なんてものがあるのか、ということだ。

「なんでわざわざ学校なんかを? 異能が危険だとかいうなら、完全に無くしちまうわけにはいかないのか?」

 臭いモノには蓋を、ではないが、わざわざ危険な異能を残しておく意味が分からない。猫柳の語った歴史が本当なら、長い時代の中で異能を根絶させることはできたはずだ。なのにそれをせず、まるで異能を守るように偽りの学校まで作っているのはおかしい。

「理由は二つ。まず自然発生する異能に対する抑止力として異能が必要だから」

 俺の疑問に真っ先に答えたのは東雲の方だった。

「抑止力?」

「そう。餅は餅屋、異能には異能者。例えば大神くんが襲われた妖蟲ね。あのくらいの蟲ならともかく、相手が強力な異能を持った怪物、『異能生物』なら、異能者が相手するのが一番」

 東雲の説明に俺は心底納得した。

 あの虫程度なら確かに何かしらの武器があれば退治できるかもしれないが、日本の陰陽師が戦っていたといわれている妖怪なんかが相手なら警察が拳銃を持っていても太刀打ちできないかもしれない。

「二つ目の理由は、異能者は自然に生まれることがあるからです。自然に生まれた異能者を正しく導くためにも、国が管理する異能者は必要なんです」

「自然に生まれることがあるのか? そんな魔法使いみたいな連中が」

 確かに異能のメカニズムとやらが解明される以前は偶発的に異能者が生まれていたのだろうが。

「むしろ異能者の中で一番数が多いのが自然に、突発的に異能者になった方たちです。そういう人を総称して『異能混じり』と呼んでいます」

 東雲が猫柳の説明を補足するようにピッと指を三本立てる。

「異能者は大きく分けて三種類。人工的に異能を習得して異能者になった『異能使い』。いわゆるおとぎ話の魔法使いや、陰陽師みたいな人たちがこれ」

「次に、偶然異能と混じって異能者になる『異能混じり』。異能者の中で最も数が多く、私や八雲ちゃんもこれに当てはまります」

「そして最後に、先天的に異能を持つ『半異能』。妖怪と人間のハーフなんかのことだね。人数は他の二種類に比べて極端に少ない」

「ハーフって……」

 確かに漫画なんかではよく聞く話だ。人間以外の妖怪などとの混血。

「偶然生まれる異能混じりは、異能の資質が高い人が異能生物などの残した異能の力の残滓を体内に取り込むことで生まれます。これ自体は目に見えないし、異能者でも感知することが難しいので、これを防ぐ手立てはほぼありません」

 猫柳の説明で俺は『きのこの胞子』のようなもを連想した。高い異能の資質を持つ人間という『苗床』に、宙を漂う異能の力の残滓という『胞子』がたどり着き、繁殖する事で異能者が生まれる。

「そのため『異能混じり』はいつどこで生まれるのか、どんな異能と混じるのかも見当がつきません。誰でも、どこに居ても異能混じりになる可能性があります」

「昔は『異能混じり』を人工的に作ろう、って研究もあったらしいけどね。資質の高そうな人と死にかけの異能生物を密閉空間に押し込んで、異能生物が死んだら『異能混じり』になるのか、って」

「な、なんだそりゃ……」

 東雲の膝で今も丸くなっている仔犬のリル、今までの話から推測するにコイツもその『異能生物』とやらなのだろう。俺は犬が嫌いだが、別に絶滅しろとまでは思っていないし、コイツには助けられた恩もある。

 もしコイツが半殺しにされ、そんな実験のために使われたらと思うと胸糞悪くなる。

「もちろん今では行われていない研究ですが、過去のその実験の過程で一件だけ奇妙な例があります」

 猫柳は人差し指を立て、神妙な顔でこう続ける。


「『異能生物』が異能の資質の高い人間の被験者のことを気に入り、まるでその力を貸し与えるように『異能生物』が生きたまま『異能混じり』が生まれたことがあります」


 そういって猫柳は視線を逸らした。俺から、東雲の膝の上で丸くなっているリルに向けて。

 異能生物であるリル、そして、先程猫柳が言った俺と『繋がっている』という言葉の意味。

「……お、おい、まさか⁉」

 身体に電流が走ったような錯覚に襲われる。

 異能生物が資質の高い人間を気に入り、生きたまま『異能混じり』とやらに力を与える。

 それではまるで……。


「ええ。大神大地君、あなたは三日前の夜、こちらのリルさんと混じって異能者になりました。私や八雲ちゃんと同じ、『異能混じり』に」


 それは俺の最後の疑問、なぜ俺がこの異能専科に運ばれたのかという疑問が氷解した瞬間だった。


・・・


 異能を持った蟲、妖蟲に襲われた俺は、あのまま食い殺されるはずだった。

 しかし虫の息だった俺は、とどめを刺されることなく生きていた。

 そして、すがるように上げた腕に、誰かがそっと手を添えてくれた。

 聞けば俺の窮地を救ってくれたのは猫柳と東雲だったらしい。

 迷子になったリルを探していたところで妖蟲に襲われていた俺を発見し、その場にいた妖蟲を退治して俺を助けてくれた、ということらしい。

「その時大神君がリルさんと混ざり始めていることが分かり、治療のためにこの学校に運びました」

 東雲の買い込んだ食料をあらかた食べ尽くした後、猫柳は話しを締めくくるようにそう言った。

 その後俺は治療を施され、この部屋で三日間眠っていた。

「この三日でリルさんと大神君はすっかり馴染みました。私達同様に異能者、『異能混じり』として異能を行使できるでしょう」

 衝撃の抜け切らない俺は、それでも猫柳の言葉を反復して頭に叩き込む。

 先程不思議な力で引っ張られた首のチョーカーに触れる。俺とリルはこれを介して繋がっているとか猫柳が言っていたが。

「そのチョーカーはいわゆる封印。異能生物が生きた状態の異能混じりは、意識が異能生物に乗っ取られることがあるの」

 意識の乗っ取り、悪魔憑きといか言われる症状らしい。異能に意識を乗っ取られ、本人の意思に関わらず体が動く状態。このチョーカーはそれを防ぐための物らしいが……。

「お、お前そんなことするのか?」

 軽く頬を痙攣させながら東雲の膝の上で丸くなるリルを見る。リルはキラキラとした瞳でこちらを見上げ、「何の話し?」と言わんばかりに首をかしげる。

「リルさんはまだ子どもですから、危ないと感じたら無意識に大神君に乗り移ってしまう可能性があります。それを防ぐためにも、絶対にそのチョーカーは外さないでください」

 真剣な顔で念を押す猫柳に俺は冷や汗を垂らしながら頷く。

(しかし、異能……魔法や超能力みたいな力か……)

 モノは試しと手から何か出ないか念じてみる、が、もちろん何も出てこない。

「念じるだけで何か出すようなのはおとぎ話の魔法使いだけ。リルちゃんはそういう異能じゃないよ」

「じゃあ何ができるんだ?犬の化け物なんてあんまり聞いたこと無いぞ」

「一応言っておくけど、リルちゃんはオオカミだからね。犬じゃなくてオオカミ」

 言いながら東雲はずいっと、両手で持ったリルを俺の眼前に突き出してくる。

 俺は仰け反りながら「お、オオカミ?」と返す。

 オオカミと犬は近縁種だし、個体の区別もつかない子どもだ。見た目で判断するのは困難だろうに。

「つまり大神くんは、オオカミの異能をもった異能者、分かり易く言うと『狼男』になるの」

 狼男。満月の夜にオオカミの姿に変身し、人を襲う化け物。弱点は銀の銃弾。映画や漫画で得た知識ではこの程度が限界だ。当然自分がそんなものになるだなんて、想像できない。

「日本にオオカミはいないだろ?」

 狼男にイマイチピンと来ない俺は、そんな的外れな言葉を返した。

「リルさんは日本の生まれではありません。どこかの国から輸入されて来たところを保護されたんです」

 俺の的外れな言葉に帰ってきた猫柳の返答は、予想の斜め上の情報を含んでいた。

「輸入?異能生物が売り買いされてるってことか?」

 国が隠蔽している異能の存在、その異能を持った生き物の売買なんてあっていいのか?

「残念ながら、そういった事件は後を絶ちません。異能の存在は公にはされていませんが、異能者以外にも異能の存在を知る人は少なくありませんから」

 猫柳は辛そうに表情に影を落とし、東雲も渋い顔をしながらリルを撫でる。

「大抵は金持ちの鑑賞用にされちゃうんだよ。だからリルちゃんは運が良かった。行方が分からなくなる前に霊官が保護出来たから」

 俺は何ともやりきれない気持ちでその言葉を聞き、先ほど猫柳も言っていた『レイカン』という単語が再び出たことに気付いた。

「なあ、その『レイカン』ってのは何なんだ?」

「霊官は、『霊能捜査官』の略です。異能者が霊能力者と呼ばれていた頃に設立された国家公務員で、平たく言えば異能専門の警察や自衛官の様なものです」

「異能の公務員か……」

 確かに異能を国が管理しているならそういう連中がいるのも納得出来るが、よりによって国家公務員とは大それた話だ。

「猫柳も、東雲もそうなのか?」

 俺の質問に猫柳は頷き、東雲も「そうだよー」と答えた。

「じゃあもしかして、ここの学校の連中はみんなその、『霊官』なのか?」

 ここは異能の専門学校、異能の専門職である『霊官』を育成する警察学校のようなものなのだろう。

「全員って訳じゃないよ。霊官以外でも異能に関わる仕事はあるし、学生の間に霊官になる生徒は全体の三割くらいで、私やネコメちゃんみたいに高等部の一年でってなると、確か今年は十人も居ないはず」

 なるほど、霊官ってのは全員異能者だが、異能者が全員霊官って訳じゃないらしいな。

「以上が異能についての大まかな説明になります。詳細は資料としてお渡ししますが、何か取り急ぎ確認したいことはありますか?」

 異能のこと、この学校のこと、聞きたいことはまだまだあるが、とりあえず一通りの説明は終わったらしい。

 そこで俺は一番大切なことを確認することにした。

「……俺は、どうなるんだ?さっき、リルとここで暮らすって言ってたけど」

 まさかと思い確認すると、猫柳から帰ってきた答えは半ば予想通りのものだった。

「この寮で生活してもらい、この学校に通っていただきます」

 やっぱり。

 ここで寝かされ、私物も運び込まれていたことからある程度予想できていたが、そういうことか。

「俺が今更学校なんて……」

「申し訳ありませんが、これは強制です。未成年の異能者は異能専門学校に通い、一定のカリキュラムを受けなければなりません」

 煮え切らない俺に猫柳がピシャリと言い放つ。これだけは絶対だ、と言わんばかりの雰囲気だ。

「大神君は異能者になりました。今はまだ扱い方が分からないでしょうが、上手く扱えるようになればそれはとても危険な力になります。霊官の目の届く範囲を出ることは禁じられています」

「……ッ!」

 なるほど、そういうことか。

 なんでわざわざ全寮制の学校なんて形式をとっているのかと思ったが、この学校は若い異能者の教育だけでなく、異能者が異能を悪用しないよう、その監視も行なっているという訳だ。

「仮に学校に通うとしても、俺は犬が嫌いなんだ!」

 正直俺としては一番大きな問題がこれだ。

 犬と一緒に生活するなんて、恐怖で気がおかしくなる。

「それは……な、慣れてください!」

「ふざけんな!」

 一番大きな問題なのに解決の兆しが見えない。悪夢だ。

「でも慣れるしかないと思うよ?リルちゃんと大神くんはそのチョーカーで繋がっちゃってるし、外したら異能が暴走してどうなるか分からないし。最悪の場合危険な異能生物として殺されちゃうかもよ?」

 まるで他人事のように言う東雲に、俺は再び言葉を詰まらせる。せっかく助かったのに、殺されてたまるか。

「……なぁ、アイツは、進一郎にはこのこと話したのか?」

「進一郎?ああ、大神君のお父さんにでしたら、既に学校の先生が挨拶に向かいました」

 実の父親を名前で呼ぶ俺に猫柳は一瞬首を傾げたが、すぐに得心したように頷いた。

「異能のことはその異能者の近親者のみに留めておく決まりですので、お父さんには箝口令が敷かれていると思いますが」

「……俺のことには、何か言っていたか?」

 あの親父が自分の事を気にする筈がないと分かっていたが、それでも俺は猫柳にそう聞いてしまった。

「特に言伝は伺っていませんが、落ち着いたら一度電話をするように、と……」

 猫柳の言葉に俺は歯噛みした。

 自分の息子が死にかけて、とんでもない学校に入れられそうだってのに、落ち着いたら電話をしろだと?

「あのヤロウ……!」

 アイツが俺に無関心なのは分かっていたが、どこまで親の義務をほっぽり出す気だ?

 頭に血が上った俺は立ち上がり、机の上に置かれていたケータイを取って進一郎に電話をかける。

 今日は平日の昼間、仕事中に進一郎が俺からの電話に出るとは思っていなかったが、意外にもワンコールで繋がった。

『起きたのか、大地?』

 三日ぶりの息子に進一郎がかけた言葉は、そんなぶっきらぼうなものだった。

「ああ起きたよ」

『そうか。良かったな、お前のようなロクデナシを入試もなしで入れてくれる学校があって』

「ッ⁉お前、ここがどんな学校で、俺がどんな目にあったか……‼」

『全て聞いた。驚きはしたが、まぁ私には関係の無い話だ』

「関係ないだと?」

 自分の息子の身の上の話を、関係ないと言うのか?

『これはお前の問題だろ、私には関係ない』

 ハッキリとそう言い放つ進一郎に、俺はとうとうブチ切れた。

「テメエそれでも親かよ‼」

『不本意ながらお前の親だ。学校と私の間での話は既に済んでいる。その学校できちんと学べば公務員にもなれるのだろう?お前には勿体ないくらいの話だと思うぞ?』

 この期に及んでそんなことを言う進一郎に、俺はこれ以上の会話をやめた。

「ああそうかよ!清々したぜクソ野朗‼」

『こっちの台詞だ。私としても胸のつっかえが取れた気分だ』

「……アバよ、クソ親父」

 会話にならない会話を終え、俺は乱暴に通話を切った。

 これっきりだ。もうこれっきり、アイツと顔を合わせることこはないし、会話することもない。

「あの、大神君……?」

 とても親子の会話とは思えないであろう俺と進一郎の電話の様子を、猫柳と東雲は気まずそうに見守っていた。

「やってやるよ」

「え?」

「やってやるよ!異能だか何だか知らねぇが、やってやるよ‼」

 ああ、やってやる。

 アイツの庇護下から出られるって言うんなら、それこそ願ったり叶ったりだ。

 異能者になって、霊官にだってなってやる。リルにも、なんとか慣れてやる。

「この学校に、通ってやるよ!」

 俺は大神大地、十六歳。

 今日から、高校生になる。

 ただの高校じゃない、異能専科の異能者に。


ようやくスタートラインです。

次回からぼちぼち話が進むと思います。

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