小さな幽霊編47 強者の会議
名前、矢嶋静香。
年齢、十七歳。
職業、高校生。
備考、実家は群馬県内でボクシングジムを経営。本人も幼少期からボクシングを習い、昨年のアマチュア女子ボクシング大会では好成績を収める。しかし、今年の春に交通事故に遭い、左腕を複雑骨折、及び神経断絶。長期のリハビリを余儀なくされ、選手としての引退を勧告される。家族や友人の証言からは酷く精神的ダメージを受けていたとのこと。
以後三ヶ月間の通院を続けていたが、今年の七月初旬に自宅から姿を消し失踪。両親は警察に捜索願いを出し、行方を追っていた。
「ふぅ……」
手元の資料に記載された情報と警察に提出された顔写真を見て、柳沢アルトは紫煙と共にため息を吐き出した。
窓のブラインドを締め切った、薄暗い中部支部の支部長室。デスクの上のパソコン画面の頼りない明かりにぼんやりと顔を照らされたアルトは、フィルターギリギリまで灰になったタバコを吸い殻が山積みになった灰皿に押し付け、微かに残っていた赤い火種を揉み消す。
この資料は、大地たちが河川敷で戦った鬼成りと思われる少女のもの。十代の少女、ボクシング経験者、ヘルが呼んだ『ヤジマ』という名前、以上の情報から簡単に見つけることができた。直接対峙したネコメに写真を見せ、同一人物であることは確認済みである。
次のタバコに火をつけるためにデスクに置いてあった箱を手に取るアルトだが、開けてみると中には一本も入っていない。空の箱をデスク下のゴミ箱に投げ入れ、次の箱を探して引き出しを開ける。が、いつも入れてある買い置きまで全て吸い尽くしてしまっていたことに遅まきながら気付いた。
諦めて灰皿に積まれた吸い殻の中から比較的葉が残っている長いものを探し、山から抜いて口に咥え火を付ける。
「体に疾患を抱える若者が行方不明になり、異能者となって霊官の前に現れる。これで何件目ですかね?」
吹き付ける煙の向こうで、画面越しに笑う声が聞こえた。ゆったりとした独特なイントネーションの関西弁、京都の言葉である。
『うふふ。柳沢はん、おタバコやめはったんと違いましたか? なんでも娘はんに嫌がられたとか』
「どこで聞きつけてくるんですかね、そういう個人的な話を。そんなこと今はどうでもいいですし、会議の場では認識の齟齬を防ぐために標準語で話すと決まっているでしょう、九重さん?」
分割された画面の中に、八つのウェブカメラの映像。その中の一つで、着物姿の女性が袖で口元を覆うという芝居がかった動きを見せる。
『いややわ、いけずなこと言わんといてえな。うちとあんさんの仲やおまへんか、知らんことなんてありゃしません。それにうち、東京弁は品がのうて口にしとうございませんのや』
のらりくらりと質問を躱す着物姿の女性は、舞妓のような白粉で化粧をし、素顔もその年齢も窺い知れない。
霊官関西支部の支部長、九重玉枝。異能の御三家、九重家の現当主でもある女性は、目を弓形に細めて笑った。
そんな九重の態度に苛立ったように、画面の中で最も年上に見える初老の女性が悪態をついた。
『ケッ。品がねえのはどっちだよ、このエセ京都弁の女狐。東京弁なんて言葉はな、関西でも老人しか使わねえんだよ』
関東支部の支部長、大崎蘭。身長百七十五センチ、握力は異能無しで七十キロ。柔道、空手、剣道、合気道、全ての段位の合計が二十段。年齢を公表している中では現役最高齢の霊官であり、霊官の資格を取ってから他の誰よりも早く支部長の地位についた女性である。
九重と大崎を含め、分割された八つの画面の内、七つの画面に映るのが、この国の霊官を纏める支部の長、各支部の支部長たちである。
『ああ、いややわ。ホンマにいやや。東京のオンナはこないに品がないものなんかいな? 大崎はん、大事な会議に化粧の一つもせんと。それでもオンナですの?』
『化粧の仕方なんざ忘れちまったよ。外見を取り繕うより、その性根の悪さを隠すことを覚えな』
リモートで言い争いを始める二人の支部長に、アルトを含む残りの六人の支部長がため息を吐いた。
この会議では度々こういうことが起こる。全員が会議に協力的な訳ではなく、それぞれ我が強い。また各々が忙しい身であり、直接会ったことが数えるほどしかないのも協調性を欠く一因になっていた。
『ソコマデ、ニ、シテ、クダサイ』
九重と大崎の言い争いを諫めたのは、人間の声ではない。画面に映る各支部長は、九重を除き全員がスーツを着用している。しかし、その声が発した画面では、己の姿さえ晒していない。
ウェブカメラの前に置かれているのは、漫画本。漫画でカメラを覆い、声は音声合成ソフトを利用したもの。
徹底的に姿を隠している者、この会議の幹事を務める者である。
『サキホド、ノ、ヤナギサワ、サン、ノ、シツモン、ニ、オコタエ、シマス。ドウヨウ、ノ、ジケン、ハ、カクニン、サレテ、イル、ダケデ、ジュウ、ヨン、ケン、デス』
途切れ途切れの単語と接続詞を並べただけの言葉。非常に聞き取りづらいが、その程度のことは皆仕方ないと理解している。
「十四件ですか。偶然とは思えませんね」
『ホンブ、デハ、グウゼン、トハ、カンガエテ、イマセン。シカシ、ホンジツ、ノ、ギダイ、ハ、ソレ、デハ、アリマセン』
支部長の会議に参加する、唯一の正体不明。
各支部長にすら姿を見せることを極力避けるのは、この画面の向こうにいる人物の重要性を示している。
『ホンジツ、ノ、ギダイ、ハ、コンゴ、ノ、ギョウジ、ノ、ゼヒ、デス。ガクエンサイ、ノ、カイサイ、ト、ゴウドウ、タイイクサイ、ヲ、チュウシ、スベキ、トイウ、イケン、ガ、デテ、イマス』
画面の向こうで支部長たちが居住いを正す。
異能専科の生徒たちに及び得る危険。大日異能軍を警戒しての議題。支部長たちにとっても簡単に結論を出せる問題ではない。
『ホンジツ、ノ、ギチョウ、ハ、ワタクシ、ナナバン、ガ、ツトメ、マス』
生徒たちの預かり知らないところで、全国の若い異能者の運命さえ変える会議が始まった。
期間が空き、長々と続けていた四章の第二幕も今回で終了です。
次回から四章の第三幕になります。




