小さな幽霊編42 ネコメのお願い
特別病棟に隣接する形で造られた手術室でシャツを脱ぐネコメに向かい、彩芽はそっと口を開いた。
「浮かない顔ね」
「そう、ですね……」
この手術室は彩芽専用。通常の手術に使うような精密機器は一切無く、清潔ではあっても無菌室のような気密は保たれていない。
彩芽のために作られた手術台。車椅子の彩芽が執刀できるように低く作られたそれに寝そべりながら、ネコメは自虐するように呟いた。
「今回私は、何の役にも立てなかったと思って……」
「…………」
ネコメの独白を、彩芽は否定しなかった。
上っ面の慰めに意味は無いと分かっていたし、人生経験豊富な上原のように、人に偉そうなことを言える立場ではないと思っていたからだ。
「大地君の、真彩ちゃんに対する行動も、最初は否定的でした。自分の経験を大地君に重ねて、幽霊を守るなんて無意味だと……」
「……それは、ネコメなりの優しさだったんでしょ? 大地には自分みたいに悲しい思いをして欲しくないから」
言いながらネコメの顔に手を被せ、彩芽は異能術を発動する。麻酔のように一定時間意識を奪う異能。昨日大地がヘルに受けたものと同質の異能である。薬よりも効きは遅いが副作用は少ないため、彩芽は手術に際してよくこの異能を使う。
「……分かりません。私はただ、大地君のことを甘く見ていただけなのかも知れないです。だから、大人になれだなんて、偉そうに……」
ポツポツと言葉を重ねながら、ネコメは重くなってきた目蓋を閉じる。異能が効いてきた証拠だ。
「大人になれ、か。アイツはよく言われてたでしょうね」
生意気でヤンチャな少年なら、一度くらいは言われたことがあるであろう言葉。
そして、大地が大嫌いな言葉。
「大地君が、ああ言われるのが、嫌いだなんて、知らなくて……。すごく、怒らせてしまいました……」
「言われて怒るなら、それは多少なりき自覚があるってことよ。図星突かれて苛立つなんて、正に子どもじゃない」
「でも、大地君は、その子どもみたいなことを、本当にやってのけてしまいました……。私には、とても、できない……」
朦朧とする意識の中で、ネコメは最後に奇妙な感情を覚えた。
自分にできないことを、やろうともしなかったことを、平然とやって退けた大地。
それはきっと、憧れに近い感情だった。
「大地君は、すごい人です……。とても、すごい……」
その言葉を最後に、ネコメは意識を手放した。
ネコメが完全に気を失ったのを確認してから、彩芽は手術に取り掛かる。
ネコメの腕の太さに合わせた義手。特殊なガラスケースに生理食塩水と共に瓶詰めのように保管しておいたそれを取り出し、腕の欠損に合わせて長さを調節する。
ネコメの傷の断面から薬品で固定化した細胞を排除し、異能を込めることで細胞を活性化させる。
腕を当てがい、縫合。車椅子で手術台の反対側に回って同じことを繰り返す。
腐り落ちた両腕を元の形に治すまで、三十分も掛からなかった。
手術痕を隠すように異能が込められた軟膏を塗り、上から包帯で巻く。
最後に両腕の細胞に異能を込めて活性化させ、癒着させる。
再びネコメの顔に手を被せ、先ほど掛けた異能術を解除する。
「……あ」
短い息を吐き、ネコメは目を開ける。眠るまでには時間がかかるが、起きるときは一瞬で目を覚ますのがこの異能術の特徴だ。
「終わったわよ。違和感はない?」
「はい。前にも思いましたが、さすがですね、会長」
自分の両腕を見て、ネコメは感動する。以前に耳や足を治療してもらった時にも思ったが、まるで最初から自分の腕だったかのような違和感の無さには『すごい』意外にかける言葉が見つからない。
「縫合自体は大した技術じゃないわよ。腕を作るのには、それなりに苦労するけど」
彩芽の答えは決して謙遜ではない。
欠損した体のパーツを作ることは、今のところ彩芽だけが持つ独自の技術によるものだが、すでに完成しているパーツをつけることは、異能と医術の心得があればさほど難しくはない。無論、このスピードで手術を終えられるのは彩芽だけだが。
「……会長、もう一つ、お願いがあるんです」
「なに?」
「実はーー」
ネコメのお願いに、彩芽は最初、自分の耳を疑った。
それはネコメの口から出るはずのない、有り得ないお願いだったから。
(大地……)
大神大地、彼が周囲にもたらす影響は大きい。
元不良としての反骨精神。一見粗暴に見える人柄でありながら、その実何よりも人間同士の協調を重んじる。
向こう見ずのようでありながら人のことをよく観察しており、不思議と関わった人間を惹きつける。
鎌倉光生は霊官への嫌悪と虚栄の仮面を剥がし、東雲八雲は自らの出生にまつわる呪縛から解き放たれた。今回救われた真彩は言うに及ばず、クラスメイトの四季や旧友である悟志も、大地と関わることでその心情に変化をもたらされている。
神狼の異能混じりという希少性を抜きにしても、大地には人に影響を与える力があると、彩芽は思っていた。
特殊な生い立ち故のことか、はたまた大地自身も誰かの影響でそうなったのか。彩芽は仄かな興味を覚えた。
(これも、大地の影響か……)
目の前の少女もまた、大地に良い影響を受けた。
自分ではできなかった。ネコメの心を縛る鎖を解き放つことは。
大地に対する僅かな嫉妬と、先ほどのネコメと同じような憧れ。
複雑な心境を飲み込みながら、彩芽はネコメの願いを聞き入れた。




