小さな幽霊編39 迷い家
「まよいが?」
「ええ……グズ。岩手には空間干渉の記録が残っているわ……ずびっ」
遠野さんが落ち着くのを待ってから、俺たちは上原さんも交えて空間干渉の話を続けた。まだ涙目で鼻声だけど、仮にも学校の名前や支部を背負っている身としてのものなのか、遠野さんはちゃんと話せている。
日本にある有名な空間干渉の逸話。『迷い家』。
山中に現れる民家で、訪れた者に幸福を授けたりする。昔話の舌切り雀のお宿なんかも、これの亜種っぽいな。
「遠野物語、ですね」
ネコメの言葉に遠野さんが頷く。
遠野物語。今から百年以上前に出版された、岩手を舞台にした民話、怪談などを纏めた説話集だ。
迷い家はその中の一つ。つまり、一般的にも認知されている異能の一つってことになる。
「いいのかよ、そんな異能の話を世間に公表して?」
「ずびー。異能者でない者にしてみればただのお伽話だ。娯楽の域を出ないよ。それに、記録と言っても、実際に迷い家の存在を証明できた者はいない。伝承の一つという意味では、浦島太郎の竜宮城なんかと大差ないんだ」
確かにあれも、深海という本来ならあり得ない場所にある城の話。迷い家と同じ空間干渉、異界の話と言えなくもないな。
「日本には古くからこういった『異界』にまつわる異能の伝説が多い。神隠しや、死後の世界と繋がる井戸。『ここではない世界』の存在が示唆される話が多過ぎるんだ」
「というと、今は存在を証明できないが、昔は当たり前みたいに空間干渉ができたってことか?」
陰陽師には倒した鬼を調伏して召喚、使役したなんて話もあるし、死後の世界へ行って閻魔大王に会ってきたなんて人の伝説もある。
異界、空間への干渉が、過去の異能者たちにはできていたってことになるのか?
「さすがにそんなことはないと思うけど、一切そういうことが起こらなければ、逸話なんて残りようもないし……。イチイなら迷い家について何か知ってると思ったんだけど……」
モゴモゴも言い淀む諏訪先輩。こんな歯切れの悪い先輩は珍しいな。
「ハッキリしねえな。二人の家は御三家なんだろ? なんかこう、一族秘伝の巻物とかに書いてねえの?」
異能の歴史は古く、諏訪先輩と遠野さんの家は代々伝わる名家だ。対して遠野物語の歴史はせいぜい百年かそこら。二人ならもっと詳しい話を知っていても良さそうなものだが。
「……異能の歴史と御三家の歴史は同列にできるものではないわよ。霊官として家同士が統合される前と後で、一族の秘伝は失われたなんて言われる話もある。そうでなくても、長い歴史の中で失われた異能術や異能の家だってあったかもしれない」
「つまり、『そんな昔のことは分からない』ってことか?」
こくり、二人は揃って頷いた。
「遠野物語も所詮はただの空想かもしれないし、空間に干渉できるほどの強大な力を持った家が簡単に歴史から消えるとも思えない。だから、遠野家では迷い家の伝説はあくまでも空想として、あまり重要視されていないんだ」
確かに、空間干渉は別格の異能。代表的な話が迷い家ってだけで、その手の話は全国にある。
強大な力を持った異能者が名を遺していないというのは違和感があるが、
「……意図的に消されたって可能性は?」
遺っていないのではなく、消されたのなら辻褄は合う。
強すぎる、危険すぎる異能。それ故に、その存在は痕跡ごと抹消された。
俺の懸念に二人は押し黙り、代わりに上原さんが足を組み変えながら口を開く。
「そういう話は、アタシたちみたいな一介の霊官には回ってこないわよ。支部長クラスの人か、本部の霊官なら知ってるかもしれないわね」
否定はしなかった。
消された、抹消された可能性は、僅かにあるってことだな。
「そもそも、異能にまつわる話は、歴史から消せるのなら消してしまいたいものですから。一般的にも知られている話は、揉み消せないほどの有名な逸話か、まったくの絵空事ということになります」
ネコメの言うことはもっともだ。
異能を一般人に露見させないというのは、異能を扱う者の大前提。
だからこそこの国では、霊官が組織された近代以降そういう話が減っているのだろう。
消せるものは消して、消せないものはお伽話のように扱う。
そして、その中で『消えてしまった強大なもの』もあったのかもしれない。
「こりゃ、ここで話していてもラチが明かねえな」
ため息と共に放った言葉に、一同が頷く。
ヘルの空間干渉に関しては謎のまま。俺たちレベルの霊官では、その糸口になりそうな情報にさえ手が届かない。それだけの話だ。
「……また来るんですよね」
「ヘルが?」
独白のように呟かれた言葉に返すと、こくり、ネコメが頷く。
「そりゃまあ、来るだろうな……」
正直言って来て欲しくはない。空間干渉が何かしらのトリックだったとしても、ヘルは腐敗能力だけで充分脅威だ。触られたら即アウトなんて、理不尽もいいとこだ。
しかし、いずれアイツは来る。
俺に、リルに対して見せた固執。
「…………」
昨夜の戦いで、俺はヘルを攻撃することに躊躇いを覚えた。そして、その隙を突かれて腕を握られた。
腕が腐ると思ったのに、俺の腕にはなんの変化も訪れなかった。
ヘルは最初キョトンとし、次いで何かを確信したような驚きと興奮の表情を浮かべた。
『ああ、お兄様、お会いしとうございました!』
恍惚の笑みと共に俺に異能術をかけて、そこで俺の意識は途切れている。
「……次に来たら、今度こそ俺たちがやる」
『ダイチ……』
俺が、俺たちがやらなければならない。
リルの、フェンリルの妹、ヘル。
正真正銘の化け物であろうと、空間干渉ができる規格外の異能者だろうと、関係ない。
これはきっと、そういう運命なんだ。
「……気持ちは分かるけど、あなたたちだけで相手できるほど簡単な相手じゃないわ。ヘルは個人ではなく、大日異能軍のメンバー。奴らの目的の一端が見えた今、これは霊官が総出で解決に向けて動く事態よ」
「奴らの、目的?」
諏訪先輩の言葉に目を見開く。俺だけでなく、その場にいた全員が。
「何か分かったの、彩芽ちゃん?」
キッと表情を硬くした上原さんに諏訪先輩はゆっくりと頷いてから、八雲の方を見た。
「大地と八雲が鬼成りの女から引き出してくれた情報。今回のたたりもっけに幽霊を集めさせる事件は、異能結晶の生成に必要な材料を集めるためのものだった」
「ああ、確かに鬼女はそう言っていた。藤宮の作っていた異能結晶は、混ざり物のある粗悪品だとも」
異能結晶の材料は、異能者や異能生物。異能を持つものならなんでもいい。より純粋な異能結晶を作るために、純粋な異能である幽霊を求めていた。
「その過程で作られたと思われる異能結晶を、叶が発見したわ。ある組織に大量に持ち込まれていて、大勢の異能者が生まれていた」
「なっ⁉︎」
大勢の、異能者?
異能結晶を人間に埋め込めば、本人の資質に関わらず異能混じりになる。
俺と因縁のある有名なチンピラ、大木トシノリは、異能結晶で妖木の異能混じりにされていた。
あんな奴が、大勢だと?
「それ事態も大問題なんだけど、厄介なのが持ち込まれた組織なのよ。似たようなことを繰り返されれば、日本中が大混乱になるわ」
硬い表情で冷や汗を流す諏訪先輩。この人が本気で心配するということは、相当な大事件だぞ。
「……どんな組織に、持ち込まれたんですか?」
恐る恐るといった様子で問いかけるネコメ。諏訪先輩は短いため息を吐き、ゆっくりと口を開いた。
「名義上は、総合商社。不動産売買や金融で利潤を出す会社だけど、不透明な金の動きがあって、仄暗い噂の絶えない会社。そこととても仲の良さそうな事務所よ」
「……いや、それって……」
頬をひくつかせる俺に、諏訪先輩は苦々しく頷く。
「要は、ヤクザの下部組織よ」




