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異能専科の猫妖精(ケット・シー)  作者: 風見真中
小さな幽霊編
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小さな幽霊編31 大きなビハインド

 動けなかった。

 触れれば腐る手。本人曰く神に呪われた体が目の前に迫っているにも関わらず、俺は動けなかった。

(なんだよ、コイツは……⁉︎)

 コイツの能力が恐ろしかったからでも、腐敗した体が気持ち悪かったからでもない。

(なんなんだよ、この感覚は……⁉︎)

 なぜか俺は、この女と戦いたくなかった。

「大地君!」

 あと数センチで腐敗女の手が触れる。そんな刹那に、ネコメが横から飛び出してきた。

「シッ!」

「っ!」

 俺から向かって右、腐敗女の左側から現れたネコメは、大きく足をしならせ、器用に腐敗女の腐敗側を避けて右側頭部を爪先で穿つ。

「大人しく、していてくれればいいものを!」

「あまり軽視されては、心外ですよ!」

 着地し、ネコメは回し蹴りで腐敗女の右足を払う。

 体勢を崩したのを確認すると、二撃、三撃と右側ばかりを狙って蹴りを放ち、腐敗女を後退させる。距離を空けることに成功したネコメも、バックステップで俺と八雲の方まで後退した。

「ネコメ、お前⁉︎」

 ネコメは、重症だった。

 右腕は肘から先が腐り落ち、左手も手首から先がなくなっている。なぜかワイシャツを脱いで左脇に抱えており、インナーシャツの隙間から見える肌も所々ぶにぶにに腐敗している。強くつつけば水風船のように皮膚が弾けるだろう。

「すいません、お見苦しいものを。あの人の能力は……」

「左側で触ったものを腐らせるんだろ。大丈夫なのか?」

 どう見ても大丈夫ではないのは分かりながらも、ついそんなことを聞いてしまう。

 普段はあまり弱っているところを見せないネコメも、すぐには返答してくれなかった。

「……すいません、少し厳しいです。触れられた箇所から腐食が進んでいて、このままだと体にまで達してしまいます。そうなれば……」

「なっ⁉︎」

 よく見ると、ネコメ言う通り落とされた右腕の様子がおかしい。肘の辺りで腐敗面が不気味に蠢き、少しずつだが体の方に侵食しているのが見て取れる。

 腐敗女の能力は手が離れれば解除されるのではなく、くすぶる炎のように残り続けるんだ。

 人体が腐るなんてことがどんな影響を及ぼすのかは知らないが、このまま放置していい症状じゃないのは明白だろう。

「腐り足りなかったようですね!」

 後退させた腐敗女が再びこちらに接近しようとするが、

「危ねえ!」

 ガインッ、と、前に出た鬼女が何かを殴り、その進行は中断された。

「早く済ませてくれ! こっちは長く保たない」

「伊勢田さん!」

 ネコメを追うように現れた伊勢田さんは、手足は全部あるが、スーツが所々破けてネコメ同様に皮膚が腐っている。ネコメよりはマシだが、楽観視できる状態じゃない。

「クソッ! 何を飛ばしてやがる⁉︎」

 二人を牽制するように、伊勢田さんはシャドーボクシングするように次々と異能術を使う。

 河川敷に来る道すがら聞いた伊勢田さんの異能術は、空間の固定。

 敵ごと空間を固定してその場に拘束したり、簡易的な壁を作ったりできる異能術で、クラスメイトで塗り壁の異能混じり、石崎の異能に似ている。

 射程範囲が広いことと、空を飛ぶたたりもっけに対して空中に足場を形成できるという有用性から、今回の任務に選ばれたと言っていた。

 今の攻撃は、目の前の空間を固定して不可視のブロックを作り、それを殴って飛ばしているんだ。

 鬼女と腐敗女は、二人とも完全な近接型。距離を置いて戦える伊勢田さんの異能術は牽制としては有効だが、ダメージにはなっていない。

 伊勢田さんが時間を稼いでくれているが、鬼女は感がいいのか、飛来するブロックを的確に叩き落としている。長くは保たない。この間に俺たちがすることは、

「……八雲ちゃん、私の右肩と左の肘を糸で縛ってください。できるだけ強く」

「ね、ネコメちゃん、まさか……!」

 ネコメの頼みに、八雲は狼狽した。その意図は、俺にも分かる。

 肩のところを縛る。腐敗にこれ以上侵食されない為にはそれしか無いのは分かるが……。

「早く!」

「わ、分かったよ」

 口から生成した糸を食い込むほどキツくネコメの右肩と左肘にに巻き付け、血の流れを止める。

 ネコメはこの為に脱いでいたであろうワイシャツを乱雑に丸め、腕だけで苦心しながらも口に咥えた。

 ここからは、俺の仕事だ。

「大地君、嫌なことを頼みますが……」

「分かってる……」

 グッと目を瞑り、力一杯ワイシャツを噛み締めるネコメ。

 俺はネコメに向き直り、諸手と逆手に持った異能具を構える。

『ダイチ……』

「耐えろ。やらなきゃネコメが危ないんだ」

 怯える声を漏らすリルを諭し、振りかぶった異能具で、ネコメの右腕を肩口から切断する。

「ーーーーッ!」

 瞑っていた目を見開き、歯が折れるのではないかと思うほど強くワイシャツを噛むネコメ。

「ッ!」

 苦痛を無闇に長引かせる訳にはいかない。右肩の痛みに神経が集中しているうちに、左腕も肘から切断する。

 切断した腕は地面に落ち、残っていた僅かな血が地面を濡らした。八雲がしっかり縛ってくれたおかげで、出血は少ない。

「ネコメ……!」

「へ、へいきです……。ありがとう、ございます……」

 平気なはずあるもんか。両腕をいっぺんに失って、痛みは元より、精神的な苦痛も相当なものだろう。

「お仲間の腕を切り落とすなんて、酷いことをなさるのですね」

「……黙れっ!」

 腐敗女の声が届く。

 伊勢田さんからの牽制攻撃の迎撃は全て鬼女が行っており、腐敗女は余裕そうだ。

 いつでも俺たちを殺せる。そう言っているように見えた。

「お前が……お前なんかがっ!」

 俺も相当頭にきているが、俺以上に激昂しているのは八雲だ。

 赤い瞳で腐敗女を睨み、体勢を低くして構えを取っている。

「……ネコメ、遠野さんのそばにいてくれ。俺たちが、終わらせる」

 数の上では四対二。しかし、ネコメはもちろん、牽制に精一杯の伊勢田さんももう限界だ。

 こちらで戦えるのは、実質俺と八雲の二人だけ。

「八雲、どっちがやり易い?」

「……鬼女。触ったものを腐らせるんじゃ、あたしの糸で縛るのは無理」

 だろうな。あの腐食がどういう原理なのかは知らないが、無機物ならともかくタンパク質と脂質で形成された蜘蛛の糸は間違いなく腐る。

 そうなると俺たちの中であの腐敗女とまともにやり合えるのは、遠距離で異能が使える伊勢田さんと遠野さんだけだ。今にして思えば、それを見越して遠野さんを最初に無力化したのだろう。

 遠野さんの症状は、恐らく腐敗女の仕業だ。川の上流で水に触れ、水中に含まれる微生物などを腐らせて、生き物にとって有害な『腐れ水』を作った。それをエラから取り込んだせいで、遠野さんは窒息と中毒が合わさったような症状になったんだ。

「……大丈夫だ。俺が腐敗女をやる」

「でも、大地くん……」

「平気だ」

 八雲は気付いているのだろう。先程の俺の不可解な行動に。

 触れば致命的なダメージを負う腐敗女の手を目の前にして、俺はなぜか動かなかった。

 回避することも、右半身を狙って迎撃することもできたはずなのに、それができなかった。したくなかった。

 まるで、俺の中の何かが、腐敗女と戦うことを拒んだように。

 まるで、腐敗女を受け入れようとしたかのように。

「この、くたばり損ないがっ!」

 俺の思考をかき乱すように、鬼女が声を荒げる。

 伊勢田さんの牽制に痺れを切らし、ジリジリと前進を始めた。

 伊勢田さんが飛ばす不可視のブロックは、牽制としては有効だが威力は大して無い。

 鬼女は両腕を縦にして顔とボディをガードし、身を小さく縮めたボクシングの構えで前に進む。受けてもダメージの少ない箇所の防御を捨てた、突進の構えだ。

「あたしが相手だよ!」

 伊勢田さんと鬼女の間に割って入る八雲。

「八雲、そいつはボクサーだ。ボクサーってのは間合いを取るのが上手くて、下段への攻めに弱い。足を狙え!」

「分かった!」

 頼もしい八雲の声を信じ、俺は俺の相手、腐敗女に向き直る。

「行くぜ、腐れ女!」

「まあ、なんて下品な呼び方でしょう! ワタクシの名前はーー」

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