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異能専科の猫妖精(ケット・シー)  作者: 風見真中
小さな幽霊編
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小さな幽霊編29 横槍

 今から半世紀も前のこと。日本でとある異種格闘技戦が催された。

 当時日本を席巻していたプロレスラーと、アメリカで最高峰のボクサーによるエキシビジョンマッチ。

 試合の結果は、時間切れによる引き分け(ドロー)

 その試合において日本のプロレスラーが行った戦法が、この寝っ転がりである。

 リングの上に寝そべるという奇行。一見して試合放棄、そのまま負けとされてもおかしくないこの異様な構えに対して、ボクサーは()()()()()()()()

 寝そべったまま上体を起こして「来い」と挑発するプロレスラーに、ボクサーは「起きろ」と言うだけで攻撃を仕掛けることができず、拳の射程内に収めようと近寄れば足を蹴られ、そのまま負傷して試合後に病院送りになってしまった。

 寝技も絞め技も無く、倒れた者への攻撃を禁じるボクシングの最大の欠陥。

 それは、下段への攻撃方法が無いこと。

「なあ、来ないのか?」

 挑発する俺に対して、鬼女は頬を痙攣させながら、引きつった笑みを見せてきた。

「お前、舐めてんのか? 確かにボクシングならその体勢の相手を殴れないが、これはボクシングじゃない。ボクシング以外ならそんなポーズ、いくらでもやりようがあるんだぞ?」

 そりゃまあ、あるだろうな。町のケンカでこんな風に寝そべったら、愚鈍なイモムシを潰すみたいにサンドバッグにされるだろう。しかし、

「……例えば?」

「っ!」

 挑発の笑みを崩さない俺に、鬼女はキレた。

 しゃがみ込み、その辺に落ちていた拳くらいの大きさの石を拾い、振りかぶる。

「例えば、こうだよ!」

 投げられた石は鬼女の桁外れの腕力により、大砲の弾のような勢いで俺に向かってくる。

 ガードしなければ致命傷。ガードしても骨折は免れないであろう投石。

 しかし、それはもうボクシングではない。

 異能の戦いでありながら、己の拳を武器にボクシングというステージで戦っていた鬼女が、自らボクシングを放棄した。

 それが隙でなくて何なんだって話だ。

「オッラァ!」

 眼前に迫った投石を、俺は異能具を握ったままの右手で殴り返した。

 頭突きによる痺れから回復しきっていなかった右手からは感覚が失われ、異能具越しとはいえその凄まじい衝撃に手のひらと指の皮が剥けるのが分かる。

 それでも、投げられた石は粉々に砕け、散弾のように鬼女の元に返っていった。

「なっ⁉︎」

 鬼女は咄嗟に腕を交差させて石の雨から顔を守る。当然、その様子は隙だらけだ。

(今だ!)

 俺は即座に立ち上がり、体勢を低く保ったまま駆け出す。

 ボクシングの弱点が下段への攻撃なら、次に狙うのはボクサーの弱点。

 ボクサーは他の格闘技者に比べ、決定的に足りないものがある。

 それは、体重(ウエイト)

 特に対極にあるのが相撲の力士だ。力士にとっては食事、体重を増やすことも練習の一環であり、無差別級の競技である相撲では重いことはそのまま強さに直結する。

 無差別級の相撲に対してボクシングにはいくつもの階級があり、そこには体重による差別化がある。

 なぜそんなにも階級を分けるのか。それは体重が重い方が強いからだ。

 だからボクサーは体重を絞り、体から極限まで水分や脂肪を削る。そうやって少しでも下の階級で戦おうとする。

 それは当然、馬力の低下。すなわち貧弱さに直結する。

 極端な話、ボクサーはフェザー級世界チャンピオンでも、中学生の柔道部員に掴まれたら抜け出せないのだ。

 俺が狙うのは警戒が甘い下半身。使う技術は、レスリングなんかではよく見られるタックル。

 弱点の下段に体当たりと拘束を同時に行える技。

 予想通り、鬼女の体重は俺よりも遥かに軽く、簡単にタックルは決まった。

「なぁ⁉︎」

 驚愕の声を上げる鬼女。しかし、俺の攻撃はこれだけじゃ終わらない。

 タックルの勢いのまま鬼女の体を地面に押し倒し、仰向けになった鬼女の足に、自分の足を絡める。

「いっぎぃ⁉︎」

 そのまま体重をかけてやると、鬼女は悲鳴を上げた。

 これはフットロックというブラジリアン柔術の技。足を使って足の関節を決める技だ。

「このっ! 離せっ!」

 地面の上を跳ねて抜け出そうとする鬼女だが、完璧に決まった絞め技がその程度のことで外せるわけもない。

 絞め技とは本来、腕力による不利を打ち消すための技術。体格が違い、筋力に差があったとしても抜け出すのは困難だ。ましてや鬼並みの腕力とはいえ、相手は女。俺も異能で腕力が底上げされているし、体重だって軽く見積もっても十キロは俺の方が重い。

 これだけの条件が揃えば、このフットロックは俺が外そうとするか、漫画みたいに関節を外して逃れる以外に抜け出す方法はない。無論現実ではそんなこと簡単にできるはずもないが。

「暴れんな。さもないと足を折る!」

 これは脅しではない。

 鬼女の危険性を考えれば、ここで機動力を削いでしまうのが最善だ。

「やって、みろよ……!」

「っ!」

 尚も怯まない鬼女。

 俺は意を決して、絡み合った鬼女の左足に思いっきり体重をかける。

 あと数ミリ足を曲げ、あと数グラム体重をかければ折れる。そのほんの僅かな壁を超えて力を込めようとした、その瞬間、

「なにをやってるんですか、あなたは」

 背後からそんな声と、尋常ではない腐敗臭を感じ取った。

「っ⁉︎」

 これはヤバい。今すぐこの場を離脱しなければ、致命的な何かを受ける。直感的にそう思った俺は鬼女の足を解放し、転げるようにしてその場から離れた。

「あら、逃げられてしまいました」

 十分に離れてから顔を向けると、一瞬前まで俺がいた場所には一人のフードをかぶった人物がいた。声からして女。小柄で、ネコメや八雲と同じくらいしか身長がないように見える。

 着ているのは鬼女が纏っていたのと同じ、異能による干渉を阻害する外套。間違いなく鬼女の仲間、大日異能軍のメンバーだろう。

 乱入者は外套の裾から左手だけを出し、今の今まで俺がいた地面に着いている。

 そして、外套から出た左手からは、今俺が本能的に忌避した腐敗臭が強烈に臭ってくる。

「困りましたわね。そっと撫でて差し上げるだけで事が済めばよかったのに。ワタクシはこの野蛮な方と違って殴り合ったりするのは好きではないんです」

 時代錯誤というか、妙なお嬢様口調で喋るその女は、そっと地面に着いていた左手を上げ、そのまま近くに生えていた草を何本か纏めて掴み、千切った。すると、

「ねえ、狼のお方。諦めて捕まっては頂けませんか?」

 言葉と共に開かれた手の中で、千切られた草は、腐敗していた。ぐちゃぐちゃに形を崩し、夏の草特有の瑞々しい緑は茶色く変色している。

「ひと撫ですれば、終わりますから」

 フードで表情は窺えないが、誇示するように腐った草をひけらかすコイツは、多分笑っている。

「アンタ、随分と物騒な異能だな……」

 そういう異能生物の異能混じりなのか、それとも異能術の類なのかは分からないが、コイツの能力は触ったものを腐らせる異能。そんなところだろう。

 あの手で体に触られたら、なんて考えるだけでもおぞましい。

「嫌ですわ。ワタクシのコレは生まれつきの体質なんですよ? それを物騒だなんて、とってもとっても傷つきました」

 生まれつき。つまりこの女は、半異能か?

「そりゃあ悪かったな。しかし、物騒は物騒だろ。どうせ撫でて貰えるなら、もっと可愛らしい手がいいね」

 そんな軽口を言いつつ、俺は嗅覚で状況を確かめる。

 鬼女とこの腐敗女は、間違いなく仲間。二人一組(ツーマンセル)でたたりもっけを逃すために動いていたと考えるのが自然だ。

 つまり、この腐敗女は、たたりもっけを仕留めるために動いていたネコメと伊勢田さんと対峙していた可能性が高い。

(でも、匂いが遠い……)

 川縁というのは草や土、水や水中の生き物などの臭いで充満しているが、その中でもネコメと伊勢田さんの位置は匂いで分かる。

 二人は伊勢田さんがたたりもっけを仕留めるために潜伏していた地点のそばにいる。今もずっとだ。

 二人が腐敗女をみすみす見逃すとは思えない。まさかプロの霊官二人がいて、と最悪の可能性が頭をよぎったとき、

「可愛らしい手というのは……」

 腐敗女が、外套の裾からもう片方の手を出した。

 無造作に振るわれた手は外套からすっぽ抜け、弧を描いて俺の足元に落ちる。


「こういう手のことですか?」


 地面に転がった手は、腐敗女の右手なんかじゃなかった。外套の下に握っていた、別の誰かの腕だった。

 強烈な腐敗臭に混ざる、嗅ぎ慣れた匂い。

 肘の辺りから腐って落ちた、白い腕。

 手首から指の先に伸びる、銀のアクセサリーのような物。

 爪を覆う銀の鎖は、よく見慣れた異能具だった。

前回、今回は経験者の方に格闘シーンの監修をしてもらっていたため遅くなってしまいました。


作品にどこまでリアリティを求めるかは人それぞれですが、自分はなるべく求めたい派です。

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