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異能専科の猫妖精(ケット・シー)  作者: 風見真中
小さな幽霊編
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小さな幽霊編25 失念

「動いたぜ! 予定通り真彩が川の上まで誘導する!」

 糸電話の向こうにいる八雲と伊勢田さんに向けて声を張る。

『了解!』

『了解だ!』

 二人の返答を聞くと、俺は即座に動いた。

 耐久性に乏しい糸が耳から外れ、これ以上の通話が出来なくなる。

 でも、それでいい。

 ここから先は事前の打ち合わせ通り、ただ動くだけだ。

 川の本流から支流に水を流すための水門の上に陣取り、見晴らしの良い高台に登って空を見上げる。

 真彩の速度は、予想通りたたりもっけに負けていない。

 未だかなりの余力を残しながら、たたりもっけと一定の距離を保てている。

 あとは真彩が違和感の無いように川の上まで誘導。それが出来なければ、即座に八雲の罠で捕え、俺はここから跳んでやつを仕留める。

「ともあれ、これなら一安心だな……」

 水門の陰で同じように空を見るネコメにそっと語りかける。

「ええ。あとは遠野さんに任せておけば、問題ありません」

 俺とネコメは遠くの空を飛ぶ真彩と、その背後のたたりもっけを見て、微かな安堵を覚える。

 真彩は上手く逃げている。たたりもっけは俺たちの存在など気づく素振りもなく、ただ真彩の後を追う。

 この時点で俺たちの作戦は、ほぼ完成だ。

 あとほんの僅か、数十メートルも飛べば、真彩は川の上空、遠野さんが待ち伏せしている地点に到達する。

「たたりもっけが遠野さんの上に行けば」

「それで終わりだな」

 遠野イチイ。東北支部の準幹部にして、名家の鬼才。

 水中でなら諏訪先輩よりも強いというあの人の言は誇張でも何でもなく、純然たる事実らしい。

 遠野家は代々その土地の土地神様、河童と縁深い一族で、互いに当主の許婚を一族から出すのを慣例にしているらしい。

 一族全員が河童の半異能、その中でも今代の遠野の本家第三子である遠野イチイは、生まれながらにして完璧な半異能だった。

 半異能とは、異能生物の血が濃くても、人間の血が濃くても強くならない。そういうものなんだそうだ。

 理想は人間と異能生物の血が丁度半々。五十パーセントずつが一番力を発揮できるらしい。

 しかし、実際には父親似や母親似があるように、どちらかの血が濃くなるのが自然。あの強いマシュマロでさえ雪女の血が若干薄く、完璧な半異能とは言えないらしい。

 既に遠野家にも河童の一族にも純血は一人も居らず、両親共に半異能。

 当主の婚姻は、互いの血が等しくなるように許嫁が選ばれる。極端な話、遠野家の当主の男性の血が異能と人間で六対四の場合、河童の一族からは四対六の半異能の女性が嫁ぐことになる。そうやって次世代の血をなるべく五対五にしようと調節しているらしい。

 そして遠野イチイは、完璧だった。

 神の悪戯か運命か、二つの血が完璧に五十パーセントずつという完全な半異能として生まれ、その力が圧倒的であるが故に次期当主とまで言われている。

 河童は水の中でこそ強い。

 その能力は昔話にあるような尻子玉とかいう架空の臓器を奪うことでも、相撲を取ることでもない。

 河童の能力は、簡単に言えば水を操ること。

 浅瀬でちゃぷちゃぷやっている分には実感できないが、水とは人類の、もっと言えば陸上生物にとっての、最も身近な凶器だ。

 氾濫した川の脅威は言うに及ばず、本当に泳げない人間が浅瀬だと知らずに顔を川に着ければ、水深がたったの五センチでも溺れる。

 手のひら一杯の水でも気道を塞げば溺死するし、水に研磨材を混ぜて高圧で放出するウォーターカッターは鋼鉄さえも切り刻める。

 諏訪先輩がどんなに強くても、水の中は遠野さんのテリトリー。虎がどんなに強くても海の中でシャチに勝てないのと同じだ。

 だから俺たちは、油断していた。

 遠野さんなら、たたりもっけなどに遅れを取るはずない。

 ただ上空に向けて水鉄砲を打つだけでもいいし、川底の泥でも混ぜれば即席のウォーターカッターを作れると言っていた。

 水中の遠野イチイは、絶対に負けない。

 その信頼が、一つの事実を失念させていた。

「……おい、遅くないか?」

「え、ええ……」

 水中の遠野さんは、まだ動かない。

 真彩とたたりもっけは既に川の上。遠野さんが待ち伏せしている辺りに到達している。

 速度を緩めるわけにもいかないので、戸惑いながらも真彩はどんどん飛び続けており、このままでは川を渡り切ってしまう。

「おい、何やってんだよ! 伊勢田さんは⁉︎」

 伊勢田さんの潜伏場所に視線を向けたとき、別方向から切迫した声が響く。

「大地くん、ネコメちゃん!」

「八雲ちゃん⁉︎」

 土手の青草を掻き分けなが、異能を限界まで発現した八雲が現れた。汗で濡れた頬に金と黒の髪がへばり付き、赤い瞳は焦燥に揺れている。

「遠野さんが動いてない! 川の中で何かあったのかも知れないから、ネコメちゃん、探せない⁉︎」

「何言ってんだよ! たたりもっけが……!」

「たたりもっけは伊勢田さんに任せて、大地くんは援護をお願い! 川の中じゃ匂いで探せないでしょ!」

「そりゃ、そうだけど……!」

 水中では匂いが掻き消え、当然嗅覚を頼りに人を探すことなどできない。

 でも流れる水音の中では、音で探すネコメも大差ないはずだ。

「たたりもっけは絶対に伊勢田さんが仕留めるから、早く! このままモタモタしてたら、遠野さんも真彩ちゃんも手遅れになる!」

 八雲の言うことは正しい。

 今一番の悪手は、遠野さんの状況も把握できずに真彩がたたりもっけに襲われることだ。

 そうならないためには、何がなんでも行動をしなければ。

「川の上じゃあたしの糸はアテにならない。あたしはネコメちゃんと一緒に遠野さんを探す!」

 八雲の判断は的確で、ネコメもすぐさま臨機応変に動く。こういう時の決断の速さは、さすがに場数が違うらしい。

「大地君!」

 動けずにいた俺も、名前を呼ばれて覚悟を決める。

「クソッタレッ!」

 誰にでもなく毒づき、伊勢田さんの正確な位置を把握するために周囲の匂いを嗅ぐ。

 茂みの青い匂いの中に伊勢田さんの匂いを感じ、直後、とてつもない異臭を感じた。

「っ⁉︎」

 川縁、すぐ近くだ。

 遠野さんの匂いと、これは、腐敗臭?

 遠野さんの周辺から、肉や魚の腐ったようなドギツい腐敗臭が漂ってくる。

 加えて、遠野さんの匂いは動いていない。

 気を失っているのか、動けない理由があるのか。

「遠野さんの匂いだ! 動いてない! ネコメは伊勢田さんの方を頼む!」

 言うが速いか、俺は即座に水門から飛び降り、匂いに向けて駆け出した。

 動いていない遠野さんの位置はネコメには分からない。既に匂いを嗅ぎとった俺が向かうのが一番速いと思ったからだ。

 ネコメと八雲もそれが分かったらしく、それぞれが自分の行くべき方向に動く。

 ネコメは伊勢田さんのいる茂みの方へ、八雲は俺の後ろを追従する。

 転がるようにして土手を駆け下り、大小様々な石の転がる川縁へ。

 そしてそこには、遠野さんがいた。

 否、打ち上げられていた。

「遠野さん⁉︎」

 姿を見つけるや駆け寄ると、遠野さんは気を失っていた。

 両生類のような青い瞳は白目を剥き、体は小刻みに痙攣している。

 まさか溺れたのかと思ったが、違う。

 異能を発現し、首の横に現れたエラ。水中での活動を可能にするその呼吸器官に、黒くてどろりとした澱のようなものが詰まり、塞いでしまっている。

 そしてその澱からは、耐え難い悪臭がした。

「な、なにこれ⁉︎」

「多分毒だ、触るな!」

 慌てて遠野さんに駆け寄る八雲を静止しようとするが、

「なに言ってんの! 遠野さん死んじゃうよ!」

 遠野さんの傍らに膝をつき、エラの澱を指で拭おうとする八雲。

 粘性が強くうまく拭えないそれを、あろうことか八雲は口をつけて吸い出そうとした。

「やめろバカ! お前まで動けなくなったらどうする気だ⁉︎」

「でも……!」

「これは事故じゃない! 敵がいる!」

 口ではなくエラに詰まった悪臭の澱。毒かそれに類するものなのは間違いない。

 状況から見て、直接打たれたり飲まされたりしたのではない。

(川の水に、混ぜられたんだ……!)

 ホームグラウンドである川の中で潜伏する遠野さんに合わせて、川の水そのものを有害にした。どんなに屈強な者でも、毒ガスの充満する部屋では戦うどころの話ではない。つまり、混ぜたやつが、敵がいるのは間違いない。

「遠野イチイかァ。困るよ、こんな大物に出てこられちゃ」

 混乱と緊張に惑う俺たちの耳に、聴き慣れない声が届いた。

 匂いも気配もなく、いつの間にかそこにいたソイツ。

 見覚えのある外套のフードを外し、凶悪な笑みで俺たちを見据える。

 俺たちは、失念していた。作戦が順調過ぎて、見落としていた。

 たたりもっけの過剰個体には、奴等が関わっているということを。

 奴等が関わっておきながら、何のアクションも起こさないなんてあるはずないということを。

「邪魔すんなよ、霊官」

「大日本帝国、異能軍!」

 大日本帝国異能軍の干渉を失念していた。

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