小さな幽霊編24 初陣
俺とネコメで真彩を挟み、三人並んで河川敷の土手の上に立つ。
ここは既にマップの示す赤い丸の中。たたりもっけが確認されているいるエリア内だ。
『全員、配置についた?』
耳に巻いた糸から八雲の声が聞こえる。八雲の異能の応用である糸電話を、八雲本人を中継地点にして俺と伊勢田さんに繋いでいるものだ。
最初はケータイでやりとりしようと思っていたが、八雲の糸の方が気取られる心配が少ない。
昨日のハウルがどの程度効果があったのか知りたくて調べたのだが、フクロウの聴覚は、精度は高いが性能が高いわけではない。
理解しづらい感覚なのだが、聞こえる音は人間と大差がないのに、人間が聞き逃すほどの小さな音が拾えるのだ。
これはネズミのような小さな獲物を発見するための能力なのだが、大きな音がその分大きく聞こえる訳ではない。
俺もリルと混じってから嗅覚が鋭くなって、ほんの微かな匂いでも感じ取れるようになった。
狼の嗅覚は人間の数万倍とまで言われているが、それは何もクサイと思う臭いを数万倍クサく感じる訳ではない。そんな鋭敏すぎる感覚を持っていては世の中に溢れている臭いに当てられて気がおかしくなってしまうからな。
重要なのは微細な臭いにも気付ける精度と、嗅ぎ分ける能力だ。
人間の感覚では同じように感じてしまう臭いも、嗅ぎ分ける能力が高ければ全く別物に感じる。
それと同じで、フクロウの聴覚の優位性は獲物の発する音と自然音を間違えない聴き分けにある。
早い話がケータイの通話より微細な振動の糸電話の方が会話を拾われる可能性が低いのだ。
水の中では振動が掻き消えてしまい糸が使えないので、既に川の中に入っている遠野さんは水中で防水のガラケーを開いて待機しており、伊勢田さんがメールで状況を説明しているはずだ。
「大地、ネコメ、真彩、所定の位置についたぜ」
八雲の声が聞こえているのはこの中では俺だけで、真彩に触れるには糸は異能が弱く、ネコメは音で索敵しているため余計な音を極力入れないようにしている。
フクロウの羽音は極めて無音に近いが、ネコメの聴覚なら聴き取れるし、呼吸などの生体音でも人とそうでないものの区別がつくらしい。
『こちら伊勢田。土手の茂みに潜伏したぜ。糸ってのは応用が効く便利な能力だねえ』
八雲を中継しているのでかなり聞き取りづらいが、伊勢田さんの声も聞こえる。感度良好とはいかないが、タイミングを合わせるだけなら十分だ。
『そんなに使い勝手の良いものじゃありませんよ。対象とエンゲージした場合、この細さの糸では動きに耐えられないので破棄します。事前に打ち合わせてタイミングを合わせられるのは一度だけです』
「一発で仕留めりゃ問題ねえ」
『同感。イチイちゃんも了解だってさ』
全員のスタンバイが完了した。あとは、真彩に飛んでもらってたたりもっけを川の上まで誘い出すだけだ。
周囲の空気を鼻から肺いっぱいに吸い込み、そこに含まれる臭いを全て嗅ぎ分ける。
ネコメの匂いや八雲の匂い。草木の青い匂いと、そこに潜む伊勢田さんの匂い。
水や虫や土。風上からは町の生活臭。
「……捉えました」
俺の鼻が嗅ぎつけるより早く、ネコメの耳が聴きつけた。
「どっちだ?」
「あっちです。距離は、恐らく一キロ弱。風を切る音も羽根の擦れる音も全く聞こえません。飛んでいるのではなく、木の上に止まっていると思われます」
ネコメが指した方向は北寄り。今の天気では風下。臭いが届かない訳だ。
「ネコメがたたりもっけを感知した。これから真彩に飛んでもらう」
『了解』
「了解だ』
糸電話から聞こえる八雲と伊勢田さんの声に頷き、俺は真彩に向き直る。
「行ってくれるか?」
「もちろん。頑張るよ」
真彩は自信満々に頷き、少しだけ高度を下げた。
俺は目の前にスッと差し出された頭にそっと触れ、優しく撫でてやる。
(怖くないはず、ないよな……)
作戦が失敗すれば、真彩はたたりもっけに食われる。
無論、そんなことにならないように準備はしてきたが、異能との戦いでは何が起こるか分からない。
異能を強めた今の真彩なら、たたりもっけと比べても飛行速度で大きく劣ることはない。
しかし、念には念を入れておきたい。
「真彩、もちろん俺がお前を守るが、危ないと思ったらすぐにアレを使え。躊躇わなくていいから、自分の身の安全を第一に考えるんだ。いいな?」
「うん、分かった」
そう言って真彩は、とん、と俺の腕の中に収まって来た。
「真彩……」
その小さい体をそっと抱き留め、ゆっくり頭を撫でる。
「……大丈夫だ。絶対、上手くいく」
「うん」
軽くて小さくて、異能が無ければ触れることも見ることもできない、危うい存在。
でも、真彩はここにいる。できることなら、ずっといて欲しい。
俺の力だけでなく、真彩には自分の手で、自分の力で自分のいる場所を決めて欲しい。
「お兄さん、あのね……」
耳元で真彩が囁く。少し照れたような、か細い声で。
「なんだ、真彩?」
「あのね、あたしが全部上手くできたら……」
一旦言葉を切って体を離し、真彩は怯えたような儚げな表情で、そっと問いかけた。
「あたしを、お兄さんの家族にしてくれますか?」
「真彩……」
まったく、何を言ってるんだこいつは?
してくれるも何も、俺はもう真彩のことを妹だと思っているのに。
「あ、あの……」
戸惑う真彩の頭をくしゃくしゃと撫でつけ、笑いかけてやる。
「当たり前だろ。お前は俺の、妹だ」
頭から手を離すと、真彩はぱあっと笑った。花の咲くような、眩しいくらいの明るい顔で。
「行ってきます、お兄ちゃん!」
少しだけ呼び方を変えて、真彩は飛んで行った。
俺の中に、ほんの僅かなむず痒さを残して。
「大地君は女たらしですね」
「人聞きの悪いことを言うな!」
ネコメのやつ、今まで黙っていたのに急に失礼なことを言ってきやがった。
「女たらしで、オマケにロリコンさんです。霊官に信用審査があったらとっくに落とされてます」
「百歩譲ってロリコンだったとしても、趣味嗜好だけで信用審査は引っ掛からねえだろ!」
なんだよネコメのやつ。なんか急にトゲのあること言いやがって。
しかしまあ、これから戦いに赴くってときに冗談を言い合えるのはいい傾向だ。
お互いに適度にリラックスできて、緊張で十全の働きができないなんて状態にならなくて済む。
「ったく、変なこと言いやがって……」
苦笑いを浮かべながら辛辣な物言いに反論していると、ネコメは少しだけ目を伏せてから俺に向き直った。
今までのやりとりが緊張をほぐすための冗談だったと分かる、真面目な顔で。
「ネコメ?」
「大地君、ごめんなさい。昼間のことを、ちゃんと謝りたくて……」
ネコメの口から出た言葉に、俺は「ああ……」と曖昧に頷く。
「私は軽はずみに、深く考えもせずに大地君に酷いことを言ってしまいました。本当に、ごめんなさい」
バッと頭を下げるネコメ。
そんなネコメに、俺は気の利いたことを言ってやるべきだったのかもしれない。
気にしてない。もういいよ。そう言ってやるのは簡単だ。
でも、
「……今はどうでもいいだろ、そんなこと」
俺の口から出たのは、そんな半端な言葉だった。
「そう、ですね……」
「…………」
ネコメに嘘はつきたくない。
だから俺は、ここで簡単にあの言葉を無かったことにしてやることができなかった。
あの言葉を受け入れることは、あの言葉を良しとするのは、あの人との約束を破ることになるから。
「……動いた」
「はい」
風向きが変わり、臭いが漂ってくる。ネコメの耳も羽音を捉えたのだろう、表情を固くし、俺たちは同じ方向を見つめる。
「よう、昨日は世話になったな」
空にくっきりと映える巨大な影。
底冷えする不気味な鳴き声。
空を飛ぶ真彩を、無音の羽ばたきで追い回す。
「仕留めてやるぜ、たたりもっけ!」




