小さな幽霊編11 一同逃走
フクロウの巨体が地面を転がり、くぐもった呻き声を漏らす。
『ォ…………』
不快だ。
スカスカで脆い骨が菓子のようにパキパキと折れる感触。柔らかい内臓を直接蹴ったようにズブリと沈む足先。
蹴った足から伝わる感触全てが、身の毛がよだつほど不快だ。
しかも、
「この、クソヤロウッ!」
仕留めきれなかった。
蹴りが当たる寸前のフクロウの行動。羽根を開いて中の幽霊を見せつけるという行いに、俺の蹴りは乱れた。
昂っていた脳内が一気にクールダウンし、子どもの顔を蹴りたくないという冷静さが蹴りの威力を削ぎ、軌道まで乱した。
結果として、フクロウを一撃で絶命させることができなかった。
「兄さん!」
「まだだ!」
俺が勝ったと思い声を漏らす小月を制し、俺は再びフクロウに向けて駆け出す。
再生の暇は与えない。今度こそ確実に仕留める。
しかし、
『や、めて……』
「⁉︎」
フクロウの羽根の内側から聞こえた子どもの声が、俺の足を止めさせた。
無様に倒れたまま羽根を広げ、内側の子どもの幽霊の、先ほどまでの恍惚としたものとは違う、絶望に満ちた顔を見せつけてくる。
『ヤダ……』
『ヤめて……』
『いタイの……』
『蹴らないデ……』
『ナンデ……?』
『どウシて?』
『こんナ……』
『ヒドイことヲするノ?』
どろりと、子どもたちの顔を黒い泥が伝う。
虚な孔になった両目から溢れる、黒い泥の涙。
口々に怨嗟の声を吐き、苦悶するように蠢く顔。
おぞましい、吐き気を催す光景だった。
「あ、あぁ……」
あまりの情景に放心する俺の背後で、真彩が小さく声を漏らす。
「真彩?」
ふらふらと、ふよふよと、真彩は俺のいる位置を通り過ぎてフクロウの方にゆっくり飛んでいく。
「真彩っ⁉︎」
制止する声も聞こえないようで、目も焦点が合っていない。明らかに様子がおかしい。
『オいで……』
『コッチに……』
『きミも、』
『いっしョニ……』
『トモダチ……』
幽霊の声が真彩を誘う。
幽霊かフクロウの『何か』に当てられたように、真彩は導かれるまま、フクロウの方に行ってしまう。
「行くな!」
駆け出し、その腕を掴む。
ハッとしたように真彩は目を瞬かせ、慌てて俺の背後に逃げ込んだ。
「大丈夫か、真彩?」
「う、うん……」
怯えと戸惑いが入り混じった表情。何が起きたのか、自分が何をしようとしていたのか分からないのだろう。
俺だって詳しくは分からないが、恐らくこのフクロウは幽霊を非常食にするだけではなく、幽霊を寄せ付ける性質を持っているのだろう。
だとすれば、真彩にとっては近づくだけで危険な存在だ。
改めてトドメを刺さなければと思ったが、俺を近づけないためにフクロウは大きく羽根を振るう。
二度、三度と羽ばたき、巻き上がる砂に目を瞑った一瞬で、フクロウはよろよろと飛び立った。
「あ、あの状態で飛べんのかよ⁉︎」
時折バランスを崩しながらも、フクロウは俺たちに背中を向けて飛んで行く。
追いかけることも考えたが、リスクが高い。
フクロウの飛行速度はさっきとは比べ物にならないほど遅いし、異能を強めて追えば仕留めることは可能かも知れない。
しかし、その過程で先ほどのように異能で思考を乱せば町中にどんな迷惑がかかるか想像もつかないし、人目に付いたら異能が露見する。
無論、ハイになった俺が異能の露見なんてことに配慮できるとも思えない。
「……ここまでか」
追走は危険。回復の時間を与えてしまうのは間違いないが、ここまでだ。
「お、お兄さん……」
フクロウの飛び去った方向を眺める俺に、真彩が控えめに声をかける。
「あ、ああ。もう大丈夫だぞ、真彩」
不格好ながらも笑顔を浮かべ、そっと真彩の頭を撫でてやる。真彩は目を伏せ、むずがるように顎を引いた。
「それに、酷いこと言っちまったな。本当にごめん。どうも俺は戦うと性格がおかしくなっちまうみたいで……」
「ううん、いいよ……」
謝罪は簡単に受け入れてくれた真彩だが、フクロウのことは何も解決していないのが分かるのだろう、その表情は晴れない。
「兄さん……」
「ああ、小月にも怖い思いさせちまったな……」
それだけでなく、異能には無関係の小月を妖怪と対峙させてしまったし、逆に小月に助けられてしまった。ちゃんと謝って、それからお礼も言わなくては。
「ごめん。それに、ありがとう。真彩を助けられたのは小月のおかげだ。本当にありがとう」
真彩の頭から手を離して、小月に向けて頭を下げる。すると真彩は、何やら唇を尖らせながら上目使いで俺の顔を覗き込んでくる。
「兄さん、私のおかげで助かったんだ?」
「あ、ああ。そりゃもちろん……」
「じゃあ……ん!」
おずおずと頷くと、小月はずいっと頭を突き出してきた。頭突き、じゃないよな?
「ん?」
「ん!」
目を瞑って頭を押し付けてくる小月。なんだこれ?
「……兄さん、さっき真彩ちゃんのこと撫でてたんでしょ? 小さい妹じゃなきゃ撫でてくれないの?」
「な、撫でりゃいいのか?」
「ん!」
さらに強く俺にに頭を突き出す小月。先ほど真彩にしてやっていたように、そっと頭を撫でてやる。
「えへへ……」
しばらくそうしてやっていると、小月はにへら、と顔を緩めた。
「……ま、満足か、小月?」
「……うん。昔はよく、こうやって兄さんに頭撫でてもらってたよね」
「そうだったか?」
「そうだったよ」
小月はそう言うが、正直よく覚えていないな。
昔のことはなるべく思い出さないようにしていたし、小月のことだって最初見たときは思い出せなかったくらいだ。
でも、言われてみれば小月はお兄ちゃん子だったような気もする。
「お、お兄さん……」
何となく小月のことを撫で続けていると、反対側の手を真彩がくいくいと引っ張ってくる。
「どうした、真彩?」
「その、あたしも……」
撫でられる小月が羨ましかったのか、人に触れることに飢えている真彩も頭を差し出してくる。
「…………」
右手で小月を、左手で真彩をそれぞれ撫でてやる。
二人とも大人しくされるがままになってるんだけど、どういう状況だよこれ?
『ダイチ、ボクも!』
「後でな」
俺の手は二本しかないし、リルを撫でるために異能を解いたら真彩を撫でられなくなってしまう。
二人が満足するまでしばらく続けてやっても良かったのだが、そうもいかない事態が起こった。
遠くから、何やら聞き慣れたというか懐かしいというか、それでいて俺の忌避する音が聞こえてきたからだ。
「…………マッポ⁉︎」
遠くから聞こえるのは、耳障りなサイレンの音。
中学時代の補導回数三桁を誇る俺が聞き違えるはずはない。これはパトカーのサイレンの音だ。
警察の目的は考えるまでもない。近隣住民から通報されて、この神社に向かってるんだ。
多少の騒ぎならともかく、あの新技が致命的だった。
この神社は住宅街のすぐ近くだし、狼の遠吠えは山の中に轟く大声。俺の新技はそれを再現したハウル、学校のある鬼無里ならともかくこんな町中で使えばそりゃ通報くらいされる。やっぱり異能を使ってる俺は考え無しだ。
「ここここれ、ヤバいよな……」
砕けた灯篭に、荒れまくりの神社。オマケに俺は頬が裂けてるし、地面にはべっとり血糊も残っている。
「職質されたら、どうなるかな……」
霊官は国家公務員。その研修員である俺は霊官にはそれなりに顔が効くが、普通の警察に霊官の話が通じるとは思えない。
犬耳生やした状態で警察に捕まれば異能の露見は避けられないし、異能を解いたところでまともに説明することなどできない。
「に、兄さん?」
「お兄さん?」
キョトンとする二人の頭から手を離し、それぞれの胴に腕を回す。
「撤退ぃぃぃぃ!」
そのまま二人の体を脇に抱え、全速力で神社から逃げ出す。
「ひゃぁぁぁぁ⁉︎」
「うわぁぁぁぁ⁉︎」
走る。ひた走る。
二人の悲鳴を置き去りにして、全力で家に逃げ帰る。
我が家の姿を視界の端に捉え、ようやく速度を緩めて二人を解放する。
「や、ヤバかった……」
フクロウもだが、それ以上に警察のご厄介になるのが危険だった。
国家公務員を目指すのに国家権力に怯えなければならないとは、霊官とはなんて因果な仕事なのだろう。
あと普通に警察嫌い。もうホントいい思い出無いから。自業自得なんだけど。
「兄さん、大丈夫?」
「あんま大丈夫じゃねえかな……」
肉体面より精神面が。
「怪我、痛むんですか?」
「ああ、それもあるかな……」
まだ異能を解除してないから痛みは感じないが、これ結構重傷だよな。異能解いたら相当痛そうだ。
「でも、怪我の手当てより先にやることあるんだよな……」
痛み止め代わりの異能を解除しないまま、俺は二人を伴って家に入る。
リビングに立ち入ると、オヤジが頬を痙攣らせながら俺たちを迎えてくれた。
「……お帰り」
「ただいま」
「ただいま、お父さん」
「大地、その耳……」
「ああ、ちょっとな」
「……それに怪我してるな」
「ああ、ちょっとな……」
頬っぺたにはとりあえず絆創膏でも貼っておこう。内側は、自然治癒じゃ時間掛かりそうだな。テキトーに縫うのは痛そうだし面倒だし、でも諏訪先輩は忙しいし。
「……明日考えよ」
今日は疲れたし、もう寝たい。
異能使いまくって腹が減ったんだけど、今食べたら頬っぺたから出ちまうからな。
色々考えることが山積みなんだが、色々投げ出してとりあえずソファにもたれかかる。ホント疲れた。
『ダイチ、ボクそろそろ出たいんだけど。異能解いていい?』
「やだ。怪我が痛む」
このまま寝たいくらいなんだけど、異能のまま寝たらどうなるんだろ? カロリー消費し過ぎで朝には衰弱死かな。
「……ダメだ。このままじゃマジで寝る」
今日はまだやらなきゃならないことがある。寝てはいられない。
とりあえずケータイ、どこだっけ?
「ところで大地、先ほど何やら狼の遠吠えのようなものが聞こえたんだが?」
「……遠吠え?」
「ああ、町中に聞こえるほどの馬鹿みたいな遠吠えだ。まさかとは思うが……」
えー、マジですか? ここから神社って結構距離あるんだけど?
神狼咆哮ってそんな声通るの?
混乱する俺に追い討ちをかけるように、ソファの隙間から着信音が響く。俺のケータイだ。
手を突っ込んで取り出すと、相手はネコメだ。こっちから連絡する手間が省けたな。良い予感はしないけど。
「もしもし、ネコメさんですか?」
『何で敬語なんですか?』
電話口のネコメの声は平坦だった。なんかめちゃくちゃ怖い。
『大地君、ついさっき何やら大きな、狼の遠吠えのようなものが聞こえたんですけど……』
「…………」
駅前のマンションまで聞こえるとか、どんだけ響くんですかね神狼咆哮。封印した方がいいかな、せっかくの新技だけど。
『大地君、まさか……』
「……新技だ」
『一体何を考えてるんですか⁉︎』
キーン、鼓膜が破れるかと思った。
電話を耳から離したが、それでもまだネコメの絶叫が聞こえてくる。ハウルにも負けない声量だな。
しばらくしてネコメの声が落ち着いてから、俺は再びケータイを耳につける。
ひとしきり叫んだネコメは、電話の向こうで呼吸を乱している。
「あー、確かに配慮が足りなかったが、事情があるんだよ」
『事情? 異能を使ってあんな騒ぎを起こすほどのことなんですか?』
「ああ」
ネコメとは幽霊である真彩を巡って半ばケンカみたいな状況だが、あのフクロウは俺一人では手に余る。真彩のことは一旦保留しておいて、霊官として助力を願うのが一番だ。
「異能生物、多分妖怪なんだが、襲われた」
『よ、妖怪に襲われたんですか?』
事態の緊急性を察してくれたのか、ネコメは真剣な声色になり、俺の話に集中してくれている様子だ。
「ああ。馬鹿みたいにデカい鳥の姿をしていて、幽霊を取り込んでいた。俺じゃなく真彩を狙って……」
『いぃ⁉︎』
報告の最中に、ネコメがいきなり引き攣った声を漏らした。
「ネコメ?」
『そ、それはもしかして、子どもの幽霊を集めているフクロウだったんじゃ……?』
あれ? 俺はフクロウじゃなくて、鳥としか言ってないよな?
もしかしてあのフクロウ、有名で危険な妖怪なのか?
「そ、そうだ、子どもの幽霊集めるフクロウだ! あとちょっとで殺せたんだが、やっぱり危険な妖怪……」
『な! ん! て! こ! と! を! したんですかぁー!』
本日二度目のネコメの絶叫に俺は驚いて異能を解除してしまい、裂けた頬の激痛にのたうち回ることになった。




