小さな幽霊編10 咆哮
(狂化するのは一瞬でいい)
こちらを睨みつけるフクロウの相貌と対峙しながら、俺は出来る限り冷静に自分の状態を確認する。
俺の異能の弊害、考え無しに暴れ回るような攻撃一辺倒の思考は、今は感じない。
先ほどの立ち回りの最中も、思い返せば思考が乱れたのは途中からだった。
どうやらウェアウルフの異能による脳内物質の過剰分泌は、戦いの中で徐々に増していくもの。最初からロケットスタートのように爆発するものではないらしい。
そもそも異能混じりの異能はオンオフではなく強弱。自身の加減で異能が増減するのが異能混じりだ。
苦戦を強いられる戦いの中で、相手よりも強い異能であろうとするが為にドンドン異能が強まり、結果的に思考まで乱れる。
ならば、その限界値を見極めればいい。
「どうした? その羽根じゃ飛べねえのか?」
このフクロウにどこまで人間の言葉が通じるのかは分からないが、どうやら挑発は効果があったらしい。
小月から俺に向き直り、フクロウは大きく羽根を広げる。
改めて間近で見てみると、やはりデカい。
常識では測れないほどの巨翼による威圧感。そしてその中に敷き詰められた、人間の子供の幽霊。
『ジャマダ……』
バサバサと翼を羽ばたかせ、フクロウは久しぶりに意味の篭った言葉を発した。込められているのは意味というより敵意っぽいが。
「っ⁉︎」
どう動くかと身構えていると、フクロウの羽根の内側が蠢いた。
敷き詰められていた子どもの顔、捕らえられている幽霊と思われるものが、ズブズブと羽根の中に沈んで行く。
それに伴い、先ほどの投石でつけた傷、羽毛を流れ出る血で濡らしていた穴がグチュグチュとグロテスクに塞がっていく。
(幽霊で、傷を治した⁉︎)
幽霊とは異能の塊。妖怪を始めとした異能生物にとっては最高の栄養でもある。
羽根の内側にストックした幽霊を非常食にする。このフクロウはそういう妖怪なんだ。
「タチが悪いな、このヤロウ……!」
幽霊を取り込んで塞がった傷。他の幽霊も同じように取り込めるのなら、半端な攻撃では無意味だ。
一撃で絶命させる必要がある。
『ホォ……。ナニヲ、イカル? ナニユエ、ジャマヲスル?』
「……あぁ?」
なんで怒ってるかだと?
なんで邪魔するかだと?
「テメェが、人を食うバケモンだからだよ!」
再認識した。やっぱりこのフクロウは野放しにできない。
幽霊は霊官にとってはただの現象。毒にも薬にもならない、いてもいなくても同じものだとネコメは言っていた。
でも、俺にはそうは思えない。
まだたったの半日たが、俺は真彩と話すのが楽しい。
隣にいるだけで和ませてくれるし、俺が触れたことを泣きながら喜んでくれた。
尊重されるべきは、どう在るかではなく、どう在りたいか。
そこにいて、見れて、聞こえて、触れられて、感じられる。
なら幽霊と人間の差なんて微々たるものだ。
真彩は、幽霊は人間だ。
人食いの妖怪フクロウなんて、霊官を目指す身で放置していい相手じゃない。
コイツは、ここで確実に仕留める。
『オロカナ……!』
傷の完治した翼を羽ばたかせ、フクロウは再び大きく飛翔する。
異能を使っている今の俺でも到底届かない高さまで上がり、悠然と俺を見下ろす。
『ダイチ、どうする?』
「どうするって……」
フクロウの攻略法は、やはり当初の予定通り迎撃が理想だろう。
狙いを澄まして降下してきたところを叩く。
しかし、事はそう簡単ではない。
さっきはフクロウの狙いを真彩一人に絞れていたが、今は真彩に来るのか先に俺を狙うのか、裏をかいて小月に来るのか分からない。
しかも、このフクロウは速い。
空を飛んでいるというだけで機動力に大きなビハインドがある上に、俺の射程距離は手足の届く範囲とゲキ狭。待ちに待った迎撃のチャンスも、外せば大勢を立て直す前にあの爪でこっちがやられるだろう。
確実に一撃で仕留める為には、フクロウの狙いを絞った上で決定的な隙を作る必要がある。
「……一丁やってみるか」
抑え気味の脳内物質で若干高揚している頭の中で、全ての条件を満たす作戦を構築する。
チャンスは一度。実質的には奇襲の類で、しくじれば恐らく逃げられる。
危険は少ない。成功率は、多分かなり高い。
「真彩、こっちに来い! 小月の側にいてくれ!」
呼びつけると真彩はすぐに言った通りにしてくれる。場所は神社の敷地のほぼ中央。三百六十度、全方向に余裕のある空間だ。
「真彩、小月、さっきは本当に悪かったな。あとでいくらでもワビ入れるから、今は言う通りにしてくれ」
二人が揃って頷いたのを確認し、改めてフクロウに視線を戻す。
ここは別に俺にとって二人を守り易い位置取りではないが、そもそも相手は目視できるフクロウ一体。常にその姿を捉えていれば、守り易さに遮蔽物は関係無い。むしろ社などを背にしては姿を見失う恐れがある。
対してフクロウにとっては、攻め易い位置だろう。遮蔽物のない敷地の中央など、どこからでも攻められる位置だ。
しかし、それでいい。
フクロウと二人の間に俺が常に入っていれば、自然と狙いは絞れる。相手にとって有利と思える位置関係だが、俺の作戦では不利な位置でなければ充分だ。
「二人とも、合図をしたら耳を塞げ。全力でだ」
振り返る余裕はないが、頷いてくれたのを気配で感じる。
実体の無い真彩とっては要らぬ心配かも知れないが、言葉が通じるという事は声が届くという事。転じて、音が影響を及ぼすという事だ。
『ホォ……』
フクロウは隙を見計らうように、俺たちの周りをぐるぐると旋回する。俺はその動きに合わせてジリジリと動く。
(思い出せ……俺の本来の戦い方を……!)
異能者としての戦いに慣れて失念していたが、根本的に俺は狼ではない。
神狼フェンリルの力を借りてはいるが、フェンリルは殴らないし蹴らない。
異能具という牙を持つ事で神狼の一噛みを再現するのが俺が最も力を発揮できるスタイルで、それは最初の事件、藤宮の鬼と戦った時に体験済みだ。
牙を持たない今の俺は、その再現すらままならない。
(でも、噛むだけが狼じゃない……)
異能混じりは異能を発現することで混ざった異能に近づく。
それは単純な筋力や嗅覚なんかの感覚器官であったり、糸を吐いたりする特殊能力だったりする。
身体能力に大きな影響を及ぼすのが異能なら、それは何も腕力や脚力、嗅覚や聴覚だけではない。
『ホォ……!』
焦れたようにフクロウが旋回のペースを早める。その瞬間、俺はわざと慌てたように首を左右に振った。
視界の端にしっかり捉えているフクロウの姿を、見失ったフリをする。
つまり、意図的に隙を作った。
『……!』
位置は俺のギリギリ視界内、俺の体に対してほぼ直角の上空。
鳴くこともなく、無音の羽ばたきでフクロウは急降下を開始する。位置が気取られない配慮は立派だが、姿はもちろん、臭いも込みで見失ってなんかいない。
「塞げ!」
フクロウのスピードが乗ったタイミングを見計らい、背後の二人に素早くそう命じる。このタイミングなら、何かあると勘付かれても急停止や大きな回避は間に合わない。
「すぅ…………!」
即座にフクロウの方を向き、深く、深く息を吸い込む。
異能を、フェンリルを再現するなら、それは単純な力だけではない。
肺活量も心肺機能も、声量だって再現できるはずだ。
イメージするのは神狼の遠吠え。
遥か彼方まで轟く、不可避の轟音。
(神狼咆哮……!)
「ァオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!」
『ッ⁉︎』
自分でも驚くほどの、予想以上の大声が出た。
音というのは空気の振動、物理的な運動エネルギーである。
目に頼りがちな人間にはピンと来ないかも知れないが、大きな音は多くの生き物が本能的に忌避するもの。
雷なんかに驚くのは言うに及ばず、吠えるという行為も要は威嚇、大きな音で相手を萎縮させるための技だ。
目よりも耳が発達している動物が多いことからも、野生に置いて音を警戒することの重要性は窺える。
そして、唐突な轟音は、思考を乱す。
単純な話、いきなり人のことを『わっ!』と驚かすだけでも相手の意識には明確な空白が生まれる。直前まで話していたことなどを忘れてしまうほどの、致命的な衝撃だ。
『ホ……ォ……!』
予想通り、フクロウは音の爆弾にぶち当たり、大きくその動きを乱した。
萎縮したせいでスピードはガクンと落ち、三半規管がかき回されているようで体勢を維持できずに地面に落っこちる。
フクロウの聴覚がどの程度のものなのかは知らないが、狩りをする生き物である以上人間以下ということはないだろう。
しかも音というのは事実上の不可避。声が聞こえる範囲にいる以上は逃れられないし、耳を塞ぐこともできないフクロウではマトモに食らうより他ない。
(一瞬だけ、ぶち上げろ……!)
未だ混乱から抜けきらないフクロウ目掛け、俺は一気に異能を強める。
ジワリと脳内に満ちる快感はあっという間に思考を埋め尽くし、ただ次の一撃のために俺の体を支配する。
地面に倒れる相手への、サッカーボールキック。
『ォ……!』
大きく振りかぶった脚がその体を捉える、その寸前。
「ッ⁉︎」




