小さな幽霊編3 おいでませ幽霊さん
(幽霊って飛べるんだ……)
スクーターを走らせながら、何となくそんな感想を抱く。
真彩を家に連れて行くことの第一関門と思っていた移動だが、幸い地縛霊とかのイメージとは違って真彩は普通に移動できるみたいだった。
飛行というには低空で、ふよふよと宙に漂う様はどちらかと言えば浮遊に近い。しかし低速とはいえ走るスクーターの横にピッタリ並走していることから、スピードはそれなりに速いらしい。
「風とか辛くないか?」
エンジン音と風に阻まれないように少し声を張り上げると、真彩は笑いながらこっちを向いた。
「大丈夫だよ。風とか感じないし」
「そうか。ならいいが」
俺の声と違い、真彩の声は風やエンジン音の中でもハッキリと聞こえる。どうやら真彩の声は普通の空気の振動によって聞こえるものとは違い、リルの声のような思念、念話みたいなもののようだ。
「もっと速くても大丈夫だよ?」
挑発的にそんなことを言ってくるが、生憎俺が乗っているのは講習だけで免許が取れる原付きスクーターだ。
「バイクとはいっても、原チャリの制限速度は三十キロって決まってんだよ」
まあ実際はもうちょっと出してるけどね。そんな速度で走ってたら逆に危ないし。
「へー、そうなん……わぷっ⁉︎」
「ま、真彩⁉︎」
突如、後ろから走ってきたトラックに真彩が轢かれ、いや、消された。
「真彩⁉︎ おい大丈夫か⁉︎」
慌てて声を張るが、トラックが走り過ぎると、
「うわー、ビックリした……」
何事もなかったかのように普通に浮いている。
「俺もビックリしたよ……」
トラックの運転手には当然真彩の姿は見えないし、ぶち当たったところで真彩はトラックの中を素通りするだけ。そんなこと分かっていても、やはり驚くものは驚く。
「原チャリの横飛ぶのは危ないな……」
「別に平気だよ?」
「いや、俺の精神衛生上の問題というか……」
「?」
物理的な危機感が薄い、いや、無いに等しい真彩にこれを口で説明するのは難しいな。とりあえず移動時の真彩の扱いは今後の課題の一つだ。リルも籠の中で揺れるの嫌がるし。
「大地お兄さんの家って遠いの?」
「もうすぐだよ。ちゃんとついて来な」
曲がり角を右折し、小道に入る。小さな神社の前を通り、住宅地の曲がりくねった道を通ると、俺の家が見えてくる。
「ねえ、今の神社何かやってたよね?」
「ん? ああ、そういや祭りが近いからな。提灯の電線張ったりとか、準備してんだろ」
祭りといっても決して大仰なものではない。小さい神社の狭い境内に地元のPTAが出店を広げ、缶ビールや酎ハイで酔っ払ったオッサンがヘタクソなカラオケを披露する程度の、地域のお祭りだ。
俺も小学生の頃は小月と一緒に行っていたが、もう何年も興味すら持たなかった。
「お祭り……」
真彩は神社のあった方向を見て、ポツリと言葉を漏らす。
「行きたいのか?」
「いいの⁉︎」
ぱあっと顔を輝かせる真彩。この辺は子どもらしく、とても素直だ。
「日付確認しといてやるよ」
「ありがとー!」
喜びのあまりぶんぶん飛び回る。危ないから俺の前に来るなよ、前方不注意になるから。
そんなやりとりをしながら走ることさらに数分、俺の実家が見えて来たので、速度を落として原チャリから降りる。オヤジの車は当然まだない。
「ほい到着。ここが俺ん家だよ」
「おー」
俺の実家、どこにでもある二階建ての一軒家を、真彩は珍しそうに見上げる。
「普通の家だろ?」
「あたしの家は団地だったから、普通の家って珍しいかも」
真彩の実家は団地だったのか。これは真彩の両親とか探すときにヒントになりそうだな。
実家のこととか両親のこととか、その辺のことを詳しく聞くためにもまずは家に入ってひと息つこう。
「ただいま。悪い小月、遅くなった」
玄関から家に入ると、揚げ物油の良い匂いに迎えられる。ふむ、これは天ぷらだな。昼から贅沢だ。
「お帰り、兄さん。遅くなるなら連絡してよね」
エプロン姿で出迎えてくれた小月は連絡しなかったことを若干お怒りだ。時計を見るとすでに一時近く、こりゃ確かに連絡したほうが良かったな。
「悪い悪い、ちょっとゴタゴタしててな」
ヘルメットを玄関に放り、足を拭いてからリルをケージから出してやる。昼飯の匂いにテンションが上がったのかブンブン尻尾を振ってるな。
「悪かったな、買い物付き合えなくて」
「それは別にいいけど……」
予定ではもう少し早く帰って、近所のスーパーに二人で昼飯の材料を買いに行くはずだったのだが、すっぽかしてしまった。
「悪いついでに、いただき」
スッと手を伸ばし、キッチンに置かれていた皿から海老の天ぷらを一つ摘んで口に入れる。
「あ、こら!」
「ん、美味い」
帰る時間を伝えていなかったというのに、天ぷらは揚げたてのサクサクだ。タイミング良く帰ってこれたな。冷ましてしまうのは勿体ないし、もう一ついただくとしよう。
「ダメです!」
ピシッ、伸ばした手を叩かれた。
「お行儀悪いし、そもそも手も洗ってないでしょ。洗って来なさい」
「へーい」
子どものように叱られてしまった。妹に。
渋々と洗面所に向かう最中、期待に満ちた目で俺を見上げるリルに、衣をねぎ取った海老の尻尾をくれてやる。
「油物なんて食べさせていいの?」
「こいつは人間と同じもん食うんだよ。腹壊したこともないし、普通の犬とは違うんだ」
そもそも犬とも違うしな。いや、狼も揚げ物食わせちゃいけないが。
「ねえ、大地お兄さん」
「ん?」
小月に言われた通り洗面所で手を洗っていると、背後をふよふよ漂う真彩と鏡越しに顔を合わせる。
「あの人は?」
「ああ、俺の妹で名前は小月。俺やさっきのお姉さんと違って普通の人間だから、真彩のことは見えねえよ」
見えないし触れないし声も聞こえないのだから別に言う必要も無いと思うのだが、一応同居人が増えたと伝えておいた方がいいかな? 真彩と話しているときに俺が一人で喋っていると思われるのもアレだし。
洗面所から戻ると、リビングのテーブルには天ぷらとガラス皿に盛られた素麺が並んでいた。
「昼は素麺か」
「うん。天ぷらは夜の分の材料別にしてあるから、全部食べちゃっても大丈夫だよ」
言いながら小月はテーブルの下にリル用のランチを置く。メインはカリカリだが、上に湯がいた鶏肉が乗っている。
「んじゃ、遠慮なく」
席につき、手を合わせていただきます。リルもまっしぐらだ。
夏の昼飯に素麺とは、定番だな。やはり定番には定番になるだけの安心感というものがある。
似たようなつゆなのだから一緒にしてもよさそうなものなのに、わざわざ麺つゆと天つゆを別々に作ってくれるのも嬉しい。
「それで兄さん、その、霊官? のお仕事ってどうなったの?」
「ん? まあしばらくは保留かな。ちょっと幽霊の面倒も見なきゃいけなくなったし」
素麺をすすりながらそう言うと、小月はつゆに付けた麺を持ち上げたまま硬直してしまう。
「ゆ、幽霊……?」
「ああ。この辺に浮いてるんだけと、やっぱ見えないか?」
真彩のいる俺の背後を指差すと、小月の顔は見る見る青白く染まっていく。
「小月?」
「……ぶふっ!」
鼻から素麺を噴き出した。
「お、おい、なにやってんだよ?」
慌てて駆け寄ろうとするが、首と手をぶんぶん振って拒絶される。
「いや、来ないで! イヤァァァァァ!」
半狂乱になって逃げ惑う小月。
「なんだよ、一体……?」
幽霊って、そんなに驚くもんか?




