夏休み編39 ましろの戦い
コミケ。それは日本、いや世界最大の同人誌即売会。基本的に年に二回行われ、夏に行われるものを夏コミ、冬に行われるものを冬コミと呼ぶ。
一般的な本屋などに並ぶ、出版社が出版する本を商業誌と呼ぶのに対して、同人誌とは個人が印刷所を経由して製本するもの。要約してしまえば、趣味で描く本だ。
同人誌とはその大半が漫画や小説といったエンタメ色の強いものであり、更に言えば結構な割合で商業誌に掲載されている作品の二次創作も存在する。
つまり、好きな漫画やアニメや小説を見て、『このキャラにこんなことして欲しい』や『ここの展開こうだったら好みなのに』といった『自分勝手な想像』を形にしたものを他の人に披露する場にもなり得る。
「白紙の原稿があと八ページ。トーンや背景の仕上げがまだなのが十ページ。もう本当に時間がないの!」
「……さいですか」
見たことないくらい真剣な顔で熱弁するマシュマロには悪いが、知ったことか。
なんでもマシュマロの趣味は二次元の創作活動。つまり漫画を描くのが好きらしい。
あくまでも個人的な趣味で、描いたものを時折ネットに上げる程度。将来漫画家になりたいとまでは思っていないらしいのだが、今回ネット上の知り合いと気まぐれで応募した夏コミに受かり、初のサークル参加をするらしい。
「ワンちゃんとネコちゃんにも、事情があるのは分かる。でも、私が原稿を落としたら、合同で本を出す約束をした『飴合羽』さんと『†虹元†』さんにまで迷惑がかかっちゃうの!」
変わったお名前だが、ネット上の知り合いの方かな。
「そ、そういう事情なら仕方ないですよ、ね?」
困惑の表情を浮かべながら同意を求めるネコメ。いや、こっち見んなよ。
「ごめんね、二人とも。脱稿したらいくらでも付き合うから」
「いや、お構いなく」
マシュマロはこの夏コミサークル参加が楽しみで、ずっと霊官の仕事や生徒会の雑務を前倒しで片付けていたらしい。本来なら夏休み中にこなす仕事を、諏訪先輩や烏丸先輩と交換しながら。
それだけ楽しみにしていたのなら、確かに俺が余計な仕事を振って邪魔するわけにはいかない。
それに、なんか今日のマシュマロは怖い。
「二人とも、原稿手伝わない? トーンやベタくらいならできるよね?」
アシ代も出すよ、と提案してくるマシュマロ。
「いや、やめとくよ。やったことないし、下手こいて原稿台無しにしそうだし」
丁重にお断りさせていただく。
「それにしても雪村先輩、絵お上手ですよね。すごくかっこいいです」
ひょい、と机の上を覗き込みネコメが素直に感心した声を漏らす。
純粋な尊敬から出た言葉のはずなのに、マシュマロはなんだか悔しそうに唇を噛んでしまう。
「ネコちゃん、綺麗な絵と上手い絵は別なんだよ。人間の骨格や構造をもっとちゃんと理解しないと、本当に上手い絵は描けない……!」
「そ、そうなんですか?」
俺も机の上を見させてもらうが、確かに上手いと思う。
ワイシャツの前がはだけたガッチリした体格の男が赤面していて、中性的な顔立ちのイケメンが挑発的な顔でその男に体を密着させている。
この絵で納得いかないとか、創作者ってのは難しいなと思う反面、
「あ、BLってやつね……」
内容に一瞬戸惑った。
「びーえる?」
ネコメは絵や俺の言葉だけでは意味が分からないらしく、キョトンとしてしまった。
「ボーイズラブの略称で、要は男同士の恋愛をモチーフにしたジャンルのことだよ」
トシが二次元に造詣が深いので、多少はこの手の話も理解できる。自分で読んだことは無いが、人気の高い作品はアニメ化とかもザラにあるとか言っていたな。
好みのジャンルではないが、自分が理解できないからといって人の趣味にケチつけるようなことはしない。こういうのは相互理解だ。それができないなら、せめてそっと距離を置くべきだろう。
「ああ、八雲ちゃんも読んでました」
「アイツも多趣味な奴だな、ホントに」
ネコメの言葉には大きな戸惑いや忌避の感じはない。まあ人の趣味を否定するような奴じゃないもんな。
「これは、なんかの二次創作か? 少年漫画なら多少は分かるんだが……」
どういうものなのか少し話してみようと思うのだが、こういうのは元の絵柄と大分違うこともあるからな。制服の男二人だけじゃ判別がつかない。
「ううん、今描いてるのはオリジナル。スポーツマンと優等生と不良の三角関係」
相互理解は難しそうだった。
「そ、そうか……」
結構ハードな内容っぽいな。人の趣味にケチつけるつもりはないが、多少は慎むべきじゃないかマシュマロ。
「どういう話なんですか?」
ネコメは八雲の影響か、それとも単純に多少興味があるのか、内容に触れてきた。
ネコメが興味を持ったことが嬉しかったのか、マシュマロは目の色を変え、嬉々として自分の創作物について語り始める。
「主人公は不良の男の子、ダイスケ。中学時代にバスケ部のエースで唯一仲の良かったトシヤと久しぶりに再会して、友情と愛情の間で戸惑うの。でもトシヤには既に高校の先輩、文武両道で生徒会の役員でもあるカナタって恋人がいたの。カナタは先輩という立場からトシヤの面倒を色々みていて、そこで二人は恋人になった。カナタの存在を知って嫉妬したダイスケは、そこで初めてトシヤへの愛情を自覚して……」
「ちょっと待てやこの雪ん子っ⁉︎」
名前とかもそうだけど、その感じなんか既視感があるぞ⁉︎
慌てて机の上にに並んでる原稿をめくってみると、そこでは黒髪の少年(恐らくダイスケ)が短髪の筋肉質な男(多分トシヤ)をベッドの上に押し倒しているところだった。
ダイスケ君は戸惑うトシヤ君に必死の形相でトシヤ君に迫り、『トシ……誰がお前の一番側にいたのか、教えてやるよ!』と思いの丈をぶちまけている。
ダイスケ君は不良というだけあって目つきが悪く、首にはアクセサリーなのかチョーカーが巻かれている。
「あれ? なんだかこの男の子、大地君に……」
「それ以上言うなネコメ⁉︎」
え、なに? 何してんのマシュマロ?
俺とトシと烏丸先輩でBL同人誌描いてるの⁉︎
「……本作品はフィクションで、実在の人物とは一切……」
「こっち見ろオイコラ⁉︎」
更に次のページでは、ダイスケ君がトシヤ君のワイシャツを無理矢理剥ぎ取って……ぎゃあ!
「だ、大地君が悟史君に、こんな……⁉︎」
「見ないでネコメさん!」
ダメ! ダメですこれは! ネコメの目の届くところに置いちゃいけません!
つーか俺自身もこれ以上見たら、何かこう、大切なものを失いそうな気がする。
俺はネコメの頭を抱き込むように視界を手で覆い、つまらなそうに寝ていたリルを小脇に抱えて早足て部屋を出る。
「お邪魔しました! 原稿が完成することを遠いところから祈ってるよこの野郎!」
マシュマロの返答を待たず、足でドアを閉めて大急ぎで避難する。
「あ、ワンちゃん、来月東京行くから、売り子してくれない?」
「誰がやるかボケェ!」




