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異能専科の猫妖精(ケット・シー)  作者: 風見真中
夏休み編
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夏休み編35 取り返しのつかない成長

『異能の完全制御ができて、グレイプニールが必要なくなったからでしょうね』

 夜も更け、日付も変わろうかという深夜。俺は実家の自分の部屋で諏訪先輩に電話をしていた。

 内容は先ほど突然降って湧いた異常事態の相談。電話越しの諏訪先輩の声は落ち着いているようでありながら、予想外の事態にそれなりに困惑しているようでもあった。

『リルは今どうしてるの? 寝てる?』

「妹の部屋で寝てるよ。ぬいぐるみ扱いだ」

 自身もそれなりに困惑した様子のリルだったが、あとの事は諏訪先輩と相談するからと言って納得させた。

『異能の発現はできたんでしょ? 距離によって異能の変化はあった?』

「軽く百メートルくらいは離れてみたけど、発現するスピードも異能の質も、特に問題なかったよ」

 リビングに戻った後、俺はリルとの異能の繋がりが切れているのではと危惧して実験をしてみた。元と同じくらいの距離から、遠く離れての異能の発現。

 結果としては、特に何の問題もなかった。

「でも、ただ離れられるようになって便利、とは思えないんだよな……」

 グレイプニールによって繋がっていた俺とリル。それは俺たちに物理的に離れられないという制約を与えていたが、同時に暴走を抑制する安全弁の役割も果たしていた。

 異能を完全制御できた俺たちにはもう必要のないもので、今以上に異能を扱うためには邪魔でしかないはずだったグレイプニール。

 しかし、グレイプニールを棄てたことに伴うリスク、異能の出力を上げてしまうという危険性に、俺は少し危機感が足りなかったかもしれない。

「こうも目に見える変化があると、なんつうか、その……」

 上手く言葉にできないが、有り体に言ってしまえば、俺は多分『怖い』と感じている。

 グレイプニールを棄てたことが、何か取り返しのつかない変化をもたらすのではないかと、そんなことを思ってしまう。

『……怪物と闘うときは、自らも怪物にならないよう、気をつけなさい』

「は?」

『フリードリヒ・ニーチェ、善悪の彼岸よ』

「えっと、誰? 有名な異能者?」

 ニーチェって、なんかどっかで聞いたことあるような気がするけど。

『ドイツの哲学者よ。深淵を覗くとき、深淵からもあなたは覗かれている。これは聞いたことない?』

「ああ、あるかも……」

 漫画や映画で流用されていたのを聞いたような気がする。意味はピンと来ないけど。

『異能者にとっては身に染みる言葉よ。特に前半はね』

「怪物と、闘うもの……」

 つまり、異能と闘うことで、異能に取り込まれるなってことか?

『……大地とリルみたいな異能混じりの例は、長い異能の歴史の中でも稀。だから私も、自分のアドバイスが正しいのかは分からないわ』

「そりゃまあ、そうだろうな」

 前例の極めて少ない異能混じりの在り方。そこにどんなリスクや弊害が潜んでいるかなんて、誰にも分からない。

『でもね、これだけは言っておく。異能の底上げ、強くなることを選んだのはあなた自身よ。焚き付けた責任として私も精一杯の後押しはするつもりだけど……』

「最終的にどうなるかは俺次第ってことだろ? わかってるよ、そんなこと」

 それは当然だ。

 俺はまだ十六歳で選挙権もないガキだが、親元を離れて、霊官として仕事もしている。世間的にはどうだか知らないが、一応『大人』というものに片足くらいは突っ込んでいると自負している。

 大人なら、自分の行動には責任が伴うものだ。

 自分で選んだ道、自分の行動のツケは、自分で支払う。それが道理だ。

『それが分かってるなら、私から言うことは特にないわ』

 少しだけ安心したように、諏訪先輩は電話口で軽く微笑んだ気がした。

「ああ。話聞いてもらってありがと」

 おやすみ、と言っても電話を切ろうとすると、『あ、ちょっと待って』と制止される。

「なんすか?」

『明日にでも連絡しようと思ってたんだけど、ちょうどいいわ。喜びなさい大地、夏休み中に正式な霊官になれるわよ』

「そうすか……って、はあ⁉︎」

 突然何を言っているんだ?

 霊官? 正規の? いきなり何の話⁉︎

『霊官は、本来なら年に一度の採用試験でのみ選出されるんだけど、今年から例外的に中途採用みたいなものも認めることになったの』

 霊官の、中途採用だと?

 曲がりなりにも国家公務員の霊官を中途採用だなんて、勝手に研修員なんて訳の分からないものになった俺が言うのも何だが、そんなことしていいのか?

「何でまた、そんなことに?」

『大日本帝国異能軍、例の組織を危険視しての緊急措置よ』

「っ⁉︎」

 諏訪先輩の口から出た言葉に、思わず息を飲む。

 大日本帝国異能軍。藤宮の組織した、異能の集団。先の事件以来名前を聞かなかったが、奴らに何かあったのだろうか。

「……動きがあったんですか?」

『今のところは無いわ。でも、何か起こってからじゃ遅い。この国の正義は、いつだって足が遅すぎるのよ』

 足の遅い正義。それはまあ、確かにそうだ。

 日本の正義ってやつは、いつでも後攻め。先に事件が起こって、その後始末をするものだ。犯罪を未然に防ぐなんて謳っちゃあいるが、実際には事件が起こってから動くことの方が圧倒的に多いと思う。

『まあ、未然に防がれた事件は明るみにならないから、相対的に起こってしまった事件の方が多く感じるというのも分かるけどね。この国の正義が常に及び腰なのは、検挙数の低さと裁判での有罪率の高さが物語っているわ』

「……えっと、どう言う意味?」

 検挙だの裁判だの、いきなり司法的な話をされてもピンとこない。

『日本の検挙数、もっと言えば犯罪の立件数は、他の先進国に比べてグッと低いってこと』

「それは、いい事なんじゃねえの?」

 犯罪の少ない、平和な国ってことじゃないのか?

『それだけならいいけど、対して逮捕後の有罪率はかなり高い。冤罪が極めて少ないってことよ。これがどういう意味か分かる?』

「……あっ!」

 犯罪が少なく、冤罪率が低い。それぞれを聞けば良い話としか思えないが、二つの話を組み合わせて考えると違う考え方もできる。

「確実に有罪になるまで放置されている事件が多いってことか?」

『さすがね。そういうことよ』

 なるほど、そりゃあ足の遅い正義になる訳だ。

 このしょうもない真実に、俺は昔聞いた意地悪クイズを思い出した。

 その昔、必ず雨を降らせるという雨乞いが得意な祈祷師がいた。その祈祷師はどんな酷い日照り続きの村にも、確実に雨を呼んだという。さて、どうやったでしょう? というクイズだ。

 タネも仕掛けも無いその答えは簡単、雨が降るまで雨乞いを続ければいい。

 それと同じで、冤罪事件を出さないためにはどうすればいいか。答えは簡単、誰が見ても確実に犯罪と分かる行いをするまで待っていればいい。

 どんなくすんだ灰色でも、それが黒になるまで待ってから逮捕すれば、有罪率は限りなく高く、冤罪率は限りなく低くなる。

 その代償として、グレーゾーンの犯罪者はある程度放置される。

『司法なんてそんなものよ。疑わしきは罰せず、それがこの国の仮初の平和の正体』

 諏訪先輩の言葉は辛辣で、正しかった。

 そして、その考え方はある人物の思想を彷彿とさせた。

 平和ボケした日本人、以前俺にそう言ったのは、あの藤宮だ。

 五月の事件の後、入院した俺にあの柳沢アルトさんもこう言った。藤宮の思想を肯定する者は、霊官の中にもいると。きっとそれは霊官に限った話ではなく、警察官や自衛官の中にも、日本は今のままではいけないと思う者もいるだろう。

『主義主張の話を抜きにしても、これからの霊官は足の遅い正義じゃいけない。異能の事件が秘匿されているのは、霊官の尽力もあるけど、結局は異能の事件が少ないって点が大きい。でも……』

「異能結晶か?」

『ええ』

 異能結晶。本来なら人間の異能の資質と異能の残滓が結び付くことで生まれる異能混じりを、意図的に生み出すことができる、規格外の異能具。

『大日本帝国異能軍が異能結晶を量産すれば、これから異能の事件は爆発的に増えることになるわ。その事態に対応できるほど、霊官に人的な余裕は無い』

 諏訪先輩の懸念はもっともだ。町のチンピラなんかに異能結晶が出回れば、その危険性は拳銃をばら撒くことと大差無いし、職質を受けても何も出てきやしない。

「でも、結晶の量産なんてあり得るのか? 藤宮は死んだんだぞ?」

『死体の頭を持って行かれたでしょ。脳に刻まれた情報を読み取れる異能者がいれば、簡単ではないだろうけど製法を暴くことは可能よ』

 切り落とした藤宮の生首から異能結晶の作り方を掠め取る。考えただけで身の毛のよだつ話だが、普通に人の首を捻ったり切り落としたりする連中だ。その程度のことは簡単にやってのけるだろう。

「異能結晶を作ったとして、奴らがそれをばら撒くなんて……」

『ええ、するかどうかは分からないわ。でも、分からないからって対策を怠れば、事件が起きたときには遅すぎる。だからとりあえず霊官を増やそうとしているの』

 姑息療法みたいなやり方だが、大日本帝国異能軍の行方どころか明確な目的も分からないんじゃ、確かにそれしか無いか。

「具体的に、霊官になるには何をすればいいんだ?」

『現役の霊官監督のもとで、霊官候補の者が主導となって異能の事件を解決する。簡単な妖蟲の駆除とかじゃダメよ。そこそこの事件を解決するか、簡単なものなら相応の数をこなすこと。近いうちに私から斡旋するわ』

 ただでさえ多忙な諏訪先輩にさらに仕事を頼むなんて忍びないが、異能の事件なんてそこら辺に転がっている訳はない。ここは素直に頼むとしよう。

「仕事の内容は任せるっすよ。それで、監督役の霊官ってのは」

『まあ、ネコメが適任でしょうね』

 そりゃまあ、そうなるよな。俺が最も親しい霊官といえばネコメだし、家もそこそこ近所だから都合もつけ易い。

「明日にでも話してみるよ」

『そうして頂戴』

「あ、トシにも話しておいていいかな?」

 トシも霊官になろうとしているんだし、この話は聞かせておくべきだと思うのだが。

『悟史には叶から伝えるわ。修行をつけてやったんでちょっと気に入ってるみたい』

 うわー、トシのやつかわいそう。と思ったが口には出さないでおいた。

「了解。色々ありがとう」

『気にしなくていいわよ。できる限りの後押しはするって言ったでしょ』

「ああ。それじゃあ、おやすみ先輩」

『おやすみ』

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