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異能専科の猫妖精(ケット・シー)  作者: 風見真中
編入編
14/246

編入編13 狼の影


「…………」

 ヒョコヒョコと珍妙な足取りで眼前を歩く作務衣姿のジジイ、日野を、恨みがましい視線で睨みながらついて行く。

 地面は舗装されておらず、大小様々な大きさの石が至る所に転がっていて、何とも歩きづらい。ロクに見えない目でよく進めるものだ。

 あの後諏訪先輩の書いてくれた紹介状を渡すと、日野はニヤリと笑って「付いて来い」と言ってきた。

 ここまでの移動に疲れた俺たちだが、家に入ることもなく日野に連れられるまま何処かへ向かって歩いているという訳だ。

「……ッ!」

 折られた奥歯がズキズキ痛み、口の中に残る血の味に顔をしかめる。

「大丈夫ですか、大地君?」

「大丈夫じゃねぇよ」

 心配そうに声を掛けてくれるネコメに適当な返事をし、舌で歯の欠けた箇所をなぞってみる。右の奥歯が一歩、根元から折られてしまっている。

 一体どういうつもりか知らないが、あのジジイには一発お見舞いしてやらないと気が済まない。いや、リルの分も含めて二発か。

「あとでかいちょーに作ってもらおうねー」

 東雲はすっかり怯え、腕の中で丸くなっているリルを優しく撫でている。

 確かに諏訪先輩に歯の代わりを作ってもらうのが一番現実的だが、どうせまた有料なんだろうな。

「なんだって歯を折られなきゃならないんだよ……」

 折れた歯を使って異能具を作るとか言っていたが、モンスターのドロップアイテムじゃあるまいし、あんなもので何ができるっていうんだ?

「作るのは普通の道具ではありませんから、異能者や異能生物の身体の一部は大切な材料なんです」

 俺の思考を読んだようにネコメが口を挟む。その口ぶりは、何か自身の経験によるものがあるような感じだ。

「ネコメの爪も、まさか……」

 ネコメの持つ爪の異能具も、あのジジイが作ったとか言っていた。

 何かネコメの体の一部を材料にしているのでは、という恐ろしい予想は、あっさり肯定される。

「はい。爪を剥がしてお渡ししました……」

 額に冷や汗を浮かべ、指先をさするネコメ。

 考えただけでも痛い話だな、そりゃ。

「爪なんて、伸びたの切ったやつでもいいだろ?」

 顔を引きつらせながらなんとか絞り出した俺の疑問に答えたのは、ネコメではなく日野だった。

「切った爪なんぞ使えるか。材料は生きとらんと意味がない」

 白く濁った目をこちらに向け、歯のない口をニタリと歪める日野。

 本当に胡散臭いジジイだ。

「生きた、材料……」

 歯や爪に生きているとか死んでるとか、そんなものがあるのか?

「大地君、警戒するのはもっともですが……」

 ネコメは言葉を切り、信頼のこもった声で断言した。

「腕は確かですよ」

「……そうかよ」

 ネコメにそう言われてしまえば、俺としてはもう何も言えない。

 このジジイが俺にどんな武器を作ってくれるのか、期待しておこう。

「ホレ、ここじゃここじゃ」

 そう言って日野が立ち止まったのは、山の中にある洞窟だった。

 穴の直径は目測で五メートル以上、鉱山の跡地のような大きな穴が山の岩肌に空いている。

 洞窟の入り口には立ち入り禁止を示す『落石危険』と書かれた看板と、有刺鉄線の柵が張り巡らされている。

 見るからに脆そうで、手入れされているようには見えない洞窟だが、それ以上に気になったのは奥から漂ってくる『気配』だ。

「ネコメ、ここって……」

「はい、異能場です」

 やっぱり。

 異能場、異能の力が溢れるパワースポット。

 異能専科の校庭よりは弱く感じるが、この奥からは異能の力が溢れているのが分かる。

「異能の気配が分かるようになったんだ?」

 東雲が寄ってきて、そっと耳打ちしてくる。

「何となく、だけどな。異能場は何か、臭いがするんだよ」

 異能生物が異能場に集まるのは、プランクトンを求める小魚のようなもの。

 体内に異能を持つ異能混じりが、同じように異能場を知覚できるのは、驚くほどのことではない。ここの何か食べる訳ではないけどな。

「この異能場、大丈夫なのか? こんな山奥にあるんじゃ、妖蟲や異能生物が湧いてくるんじゃ……」

 昨夜の校庭には妖蟲や異能生物、更には鬼まで出てきた。同じようにこの洞窟にもああいう奴らが寄ってくるのではないか?

「この辺りの山には微量の銀鉱石が含まれていて、異能生物はあまり寄り付かないんです」

「銀って、ここは鉱山の跡地なのか?」

 銀は異能に対する毒。銀で出来たネコメの爪は、軽く触れただけで異能生物を絶命させるほどの代物だった。

 そんな銀が産出される山なら、確かに異能生物は寄り付かないだろう。消毒液の中からバイ菌は生まれない。

「そこまで纏った量が採れる山ではありません。あの洞窟も、異能場の中心に近づくために掘られたものですし」

「なんだ、そうなのか……」

 あわよくば銀の塊でもくすねて負債の返済に当てようと思ったのだが、そう上手くはいかないらしい。

「じゃあここにずっと居たら、俺らでもシンドくなるってことか?」

「そうだねー。ネコメちゃんは耐性あるけど、あたしはあんまり長居すると頭痛くなるかも」

 そう言う東雲の腕に抱かれているリルも、歯のこととは無関係にちょっとシンドそうに見える。これは早いとこ異能具を作ってもらって帰るとしよう。

「って、オイジジイ!」

 日野は話し込む俺たちを放置し、有刺鉄線の柵を飛び越えて一人で洞窟の中に入ってしまった。ジジイのクセに、なんて足腰だ。

「俺たちも行こうぜ」

 そうネコメと東雲を促すが、二人は洞窟の入り口で立ち止まり、それ以上進もうとしない。

「私たちはここまでです。ここから先は大地君とリルさんだけで行ってください」

「な、なんでだ?」

 あんな胡散臭いジジイと二人っきりとか、正直言って遠慮したい所なんだが。

「異能具の作製は、それ自体が一種の異能術なの。だから他の人が居ると、邪魔な異物になっちゃう」

 東雲はそう言って腕の中のリルを俺に渡してくる。

「……分かったよ」

 俺は東雲からリルを抱き受け、異能を発現させて有刺鉄線の柵を飛び越える。

「じゃあ、行ってくる」

「はい」

「いってらっしゃーい」

 柵の外側の二人に見送られながら、俺は真っ暗な洞窟に足を踏み入れた。


 ・・・


 洞窟内には灯の類が一切無く、右も左も分からない程の完全な暗闇だった。

 異能を発現させたままにして嗅覚を鋭敏にしても、辺りには水と土、苔などの臭いが充満していてアテにならない。

 仕方なく俺はケータイのライト機能で足元を照らしながら、すでに後ろ姿も見えなくなっている日野の臭いを道しるべにして洞窟の中を進む。

 幸い洞窟は一本道で、迷うようなことはなかったが、地面の至る所に落石らしき岩が転がっており、所々に地下水が湧き出ていてぬかるんでいる場所もある。

 とにかく歩きづらく、何度も転びそうになりながら前に進む。

 どのくらい歩いただろう。疲労で足を上げるのが辛くなり、スニーカーの内側がぬかるみの泥水に浸った頃、ようやく目的地らしい場所にたどり着いた。

 洞窟内にぽっかり空いた部屋のような場所で、足音の反響からかなり広い空間だと思われる。

 地面は急に平らに整えられており、ぬかるみも無い。

 そして空間の中央の辺りが、ぼんやりと光っていた。

「異能の、光……」

 それは昨夜の校庭同様の、異能の力だと分かる。

 つまりここが、異能場の中央。

 異能の光が光源になっており、この一帯はある程度は足元が見通せるようになっている。

 そして光の中央近くは、工房のようになっていた。

 石造りの作業台にノミや金槌など、様々な工具が乱雑に置かれ、バッテリーに繋がった電動工具もある。

「おい、狼小僧」

 作業台のそばに立っていた日野がそう声を掛け、台の横にある木製の背もたれのない椅子を指差す。

「座れ」

「嘘つき少年みたいに言うな」

 ボヤきながらも俺は言われた通りに椅子に腰掛ける。

 リルは膝の上に乗せ、揃って日野に見下ろされる形になる。

「目ぇ瞑れ」

「はあ?」

「はよせい」

 日野の言い方を訝しみながらも、俺は目を閉じる。すると、閉じた瞼を抑えるように何かを押し当てられた。体温を感じるゴツゴツした感触、恐らく日野の手だろう。

「おい、何すんだよ!」

「黙れ、動くな」

 抗議の声を上げるが、日野の一喝で黙らさせられる。

 仕方なく大人しくしていると、瞼に触れる日野の手がじんわりと熱を帯びていくのを感じられた。

 この感じは、昨夜藤宮先生にしてもらった異能術の治療に似ている。

 しばらくそうしていると、閉じて真っ暗なはずの視界に白い影のようなものが見えてきた。

「何が見える?」

「え?」

「なんか見えるじゃろ」

 これは、日野の異能術、日野が俺に見せているのか?

「なんか……白い影が……」

「なんの形しとる?」

 形は、これはどうやら動物っぽい。

 月のクレーターの模様が何に見えるか、というレベルの曖昧な形だが、胴と頭と四本の脚が見て取れる。

 というより、これは、

「動物……狼……?」

 そうだ、膝の上のリルより遥かに大きく見えるが、これはオオカミだ。

「何をしとる?」

 日野がそう質問すると、瞼の裏のオオカミの影が、さながら古いアニメーションのように動きだした。

 遠吠えを響かせるように天を仰ぎ、何処かへ向かって走り出す。

 走って、走って、誰か、人間の影の前で立ち止まった。

 人影はオオカミの影と同様の真っ白い影で、丸い頭部とのっぺりとした手足の、なんとも簡単な絵で表現された人影だ。

 人影は眼前に佇む狼にその手を伸ばし、狼はその顎を大きく開き、伸ばされた腕を食い千切る。

「オオカミが、人の腕を食った……」

 影のアニメーションで起こったことを口に出すと、唐突に瞼を抑えられていた手が退けられる。

 ハッとして目を開くと、そこには超至近距離で俺の顔を覗き込む白濁した目、日野の顔があった。口、クセェ!

「お前、本当に面白いのぉ〜」

 歯のない口でニタリと笑い、日野は後退して作業台に向かう。

 そして作業台の上に俺とリルの葉をコロッと転がし、工具の山に手を伸ばしながら、

「お前、もう帰っていいぞ」

 そう言った。

「はあ?」

「邪魔じゃ。帰れ」

「何言ってんだよ、俺は異能具を……!」

「そんなすぐ出来るか。三日後には諏訪の娘んとこ届けてやる」

 言いながら日野は作業台に一枚の布を敷き、その上に俺とリルから折った歯を乗せる。

 まだどんな物を作るのかという相談もしていないというのに、日野はもう作業を始めるような様子でいる。

「待てよ、まだどんな物作るのかも……」

「お前の希望なんぞ知らん。作るものはもう決まっとる」

 そんなことを言いながら工具の中からノミと金槌を選び取り、転がした俺の歯に狙いを定める。

「フン!」

 一息のもとに金槌が振り下ろされ、叩かれたノミが歯を真っ二つに割る。

 次いで小ぶりなリルの歯も、同様に叩き割られる。

「いい歯じゃ……。最強の牙になる可能性を秘めとる……」

 割ったばかりのリルの歯を眺め、独り言のようにそう呟く。

 歯の断面を眺めた日野は、続いて俺の歯を手に取り、それぞれの歯の片割れを手に床に置いてある石臼に近寄った。

 まさか、と思ったのも束の間、日野は持っていた俺とリルの歯の片割れを石臼の上部の穴に入れ、ゴリゴリと歯を挽き始めた。

「…………」

 自分の歯が挽かれていく様子を呆然と眺めていると、石臼の継ぎ目から俺たちの歯だった粉がパラパラと落ちてくる。

歯の粉末の完成である。

「お、おいジジイ!」

 たまらず声を上げると、日野はまるで俺のことなどもう忘れていたかのような反応を見せる。

「なんじゃ、まだおったのか?」

「ずっといるわ! それよりその歯、なんで粉にしちまうんだよ! 異能具の材料にするんじゃねえのか⁉」

「そのまま使うわけないじゃろ。鉄に混ぜるんじゃ」

「混ぜる?」

 一体どういうことだ、と聞く前に、日野の手が素早く何かを掴み、俺に向かってそれを投げつける。

「おわ⁉」

 慌てて避けると、それは洞窟の壁面に刺さり、壁から小石を落とさせた。

 千枚通しだった。

「気が散る、さっさと失せろ‼」

 日野は怒鳴り散らしながら、次いで手にしたノミや金槌を次々と俺に向かって投げてくる。

「だぁ、もう、分かったよ‼」

 俺は堪らずリルを抱えて走り出した。苦労して進んで来た、真っ暗な洞窟を。


 ・・・


 ぬかるみに足を取られながらなんとか洞窟の出口にたどり着き、最後の力を振り絞って有刺鉄線の柵を飛び越え、べしゃりと無様な着地をする。

「あ、帰ってきた」

「だ、大地君、大丈夫ですか⁉」

 ネコメと東雲はレジャーシートを広げ、ピクニック気分で道中買っていたお菓子なんかを食べている最中だったらしい。

 這いずるようにして二人の座るレジャーシートに近寄り、リルを放して仰向けに寝転がる。

「なんなんだよあのジジイ……。訳わかんねえぞ」

 先ほどの日野の蛮行を思い出し、ゲンナリしながらパーティ開けされていたポテトチップスに手を伸ばす。

「あ、ダメですよ大地君、そんな泥だらけで!」

 ネコメにピシャリと叱りつけられ、ウェットティッシュを二、三枚渡される。

 起き上がってしぶしぶと手を拭きながら自分の姿を見てみると、確かに泥まみれで酷い有様だった。洞窟内のぬかるみで何度か転んだせいだろう。

「腹も減ったけど、それより着替えたいな……」

 ボヤきながら改めてポテトチップスに手を伸ばすが、ほとんど東雲に食い尽くされて大して残っていない。

 袋を傾けてちっちゃなカスみたいなポテトチップスを口の中に流し込み、パリパリと咀嚼する。美味いには美味いが、腹が膨らむ量ではないな。

「それで、どうだった?」

「どうって?」

 東雲の差し出すオレンジピール入りのチョコレートを一つ貰い、俺は首をかしげる。

「何が見えたんですか?」

「見えた……?」

 ネコメの言っているのは、先ほどの日野の異能術のことだろう。

 目蓋に手を押し当て、白い影を見せる異能術。

「何って、違うものが見えるのか?」

 俺には狼の影が見えたが、あれは俺の混じった異能が狼だったからだろうか?

「あの異能術はその人の混じった異能、その本質を見せるんです。私なら二本足で立つ猫と、それに首を垂れる沢山の猫が見えました」

 正に猫の王様と、その臣下たちだな。

「俺は、狼が人の腕を食ってる絵が見えた」

「え、なにそれ、怖っ!」

 俺の言葉に東雲が引きつった顔を浮かべる。そんな顔すんなよ腹立つな。

「そんな乱暴な異能なの? 大神くんおっかなーい」

「お前だって絡新婦だろ! 男を騙して食っちまう化け物!」

「そんな言い方ないでしょ!」

 言い合いのさなか、東雲は糸を操って落ちていた木の枝を引っ張りぶつけて来る。

「危なっ!」

 首を捻って木の枝を避け、東雲とぎゃいぎゃい言い合いをする。

「あの……大地君」

 言い合いが発展して東雲が糸を取り出して来たあたりで、ネコメがおずおずと口を開いた。

「ん?」

「その狼は、どちらの手を食べていましたか?」

「どっちって……」

 白いのっぺりとした絵で、詳細は分からなかったが、あれは多分、

「右手、だったと思うけど」

 それが一体なんだというのだ?

 右手だろうと左手だろうと、大差ないことだろう。

 しかしネコメは何かを考えるように顎に手を当て、視線を険しくしてリルの方を見る。

「もしかして、その人影は狼に手を差し出したり……?」

「ああ、言われてみれば」

 確かにあの人影は狼に自ら手を差し出しているようにも見えた。手に餌でも持っていて、その餌ごと食われてしまったということなのか?

「差し出す右腕……それを食らう巨狼……。リルさん……」

「ネコメ?」

 ネコメはブツブツと、なにかを呟いている。その額には玉のような冷や汗を浮かべ、時折自身の考えを否定するように小さく首を振る。

「どしたのネコメちゃん?」

 糸で俺の顔をチャーシューのようにぐるぐる巻きにしながら東雲が首をかしげる。

「何か気になるの?」

「いえ、まさか、そんな訳ないですよね」

 ぶんぶんと首を振り、ネコメはその顔に笑みを浮かべた。

「異能具ができるのはまだ先なんですよね、そろそろ帰りましょう」

 ネコメは言葉を切り上げると、開いていたお菓子を片付け始める。レジャーシートも畳んで仕舞い、あっという間に荷物をまとめる。

「お、おいネコメ?」

 さっさと帰ろうとしているのは何か様子がおかしいが、ネコメは有無を言わさない様子だ。

「さ、帰りましょう。山の中はともかく、日が暮れては下山中に異能生物に出くわす可能性もあるんですから」

 そういってネコメは片付けた荷物を背負い、先に歩き出してしまう。

 どうにもおかしいネコメの様子を見ながら東雲と顔を見合わせる。どうしたんだろう、と目配せすると、俺の意図が伝わらなかったらしい東雲がその顔を歪めた。

「っぶふ、何その顔⁉」

 噴き出し、俺の顔を指さしてゲラゲラ笑い始めた。糸でぐるぐる巻きにされた、俺の顔を。

「テメエがやったんだろうが‼」

 糸を千切ってやろうと思いっきり引っ張るが、東雲の糸は全く切れない。ホントに厄介な能力だ。

「さーて帰ろ帰ろ」

 俺を放置してネコメの後を追う東雲の背に、俺は渾身の怒声を浴びせる。

「待ちやがれ東雲、この糸外せゴラァ‼」

 俺はチャーシューのような顔のままリルを抱え、そそくさと逃げる東雲の後を追った。


 ・・・


 山を下りて駅に向かう間に、日はすっかり暮れてしまった。ロクに道路の舗装もされていないこの辺りは街灯なんて気の利いたものは皆無で、俺たちは暗い山道を危なっかしく進んでいく。

 道は暗いし、服や靴は泥まみれだし、昼飯も食っていないから腹ペコだ。

「腹減ったな。どっかに牛丼屋でも……あるわけないか」

 辺りを見渡しても、飯を食える場所どころか人家の一つも見当たらない。あるのは雑木林と、そこから顔を出す、

「ッ! 出ちゃったね……」

 瞳をぎらつかせる大きな猪、鹿、そして熊。妖獣たちだ。

 異能場に寄りつかなくても、妖蟲や妖獣がいないって訳じゃないらしい。

「やっぱり早く山を下りるべきでしたね」

 そう言いながらネコメは被っていたハンチングを外し、その下からピコっと、白い耳が顔を出す。あの耳お願いしたら一回モフらせてくれないかな。

「自分の耳触ってなよ。顔に変な痕つけちゃって」

 俺の思考を読んだのか、袖から糸を引き出しながら東雲がジト目で睨んでくる。

「顔の痕はお前がつけたんだろ!」

 ツッコミを入れる俺の顔には、東雲につけられた糸の痕がくっきり残っている。これ明日までに消えるんだろうな。

「ったく、行くぞ、リル!」

『アン!』

 二人に倣い、俺も異能を発現させる。リルの力を借り受け、耳と尻尾が現れる。

 俺たちの臨戦態勢を受けて、妖獣の中から猪が突進を開始する。

「怪我しないでくださいね、大地君!」

 叫びながらネコメが先行して駆け出す。右手に備えた爪の異能具を闇の中に翻し、迫りくる猪をひらりと躱す。

 猪に向かって銀の爪を振りかぶるが、その間に大きな角を備えた鹿が割り込んだ。

「っく!」

 角を回避するために体勢を崩したネコメに、熊の太い腕が迫る。

「失せろ、デカブツ!」

 その熊の腕を、割り込んだ俺が蹴り上げる。猪はネコメに任せて、この熊は俺が退治してやる。

「アンタは、あたし!」

 東雲は構えた糸を鹿の角に絡みつけ、手近な木と繋げて手首を引いた。

 鹿は糸に引っ張られ、木に叩きつけられて痙攣する。

 そこに東雲が追撃を入れる。腹に蹴りを入れ、糸で首を圧迫する。

 気道を圧迫された鹿は、一しきりもがいた後に窒息死した。

「ハア!」

 邪魔者がいなくなったネコメは猪の横に回り込み、その胴に回し蹴りを食らわせる。

 数メートル地面を転がった猪は、起き上がる前に肉薄したネコメに銀の爪を突き立てられ、そのまま絶命した。

「大地君!」

 猪を倒したネコメは、すぐさま振り返って俺に駆け寄ろうとする。

 そのネコメを、俺は制した。

「手ェ出すなネコメ!」

 俺の叫びにネコメはビクッと体を強張らせ、その場に縫い付けられる。

「大地君……」

「命令も使うな、コイツは俺がやる!」

 叫びながら、俺は視線を目の前の熊に固定する。

 太い腕に凶悪な爪、二メートルを優に超える巨躯。凶暴なその姿は、昨日の妖蟲とは明らかに別格。

(それでも、鬼よりは弱い!)

 俺は気合を込め、手足にリルの異能の力を集中させる。

 ガチン、と何かがハマるような感覚。異能のギアが、一段階上がるのが分かる。

 昨夜鬼と対峙した時、俺は戦いの主軸をネコメに委ねてしまった。

 女のネコメに、時間稼ぎの囮という危険な役も、とどめを刺す役もやらせてしまった。

 あの時はそれでもいいと思っていた。ネコメは霊官だし、俺よりも遥かに強いから。

 でも、あの後の話を聞いて、俺は考え直した。

 ネコメと友達になったからには、俺はアイツと対等でいないといけない。

 戦いを、ネコメに委ねることはしない。

 だから俺は、強くならなきゃいけない。

 ネコメにあんな顔をさせないために。

 あんな、寂しい笑顔をさせないために。

「熊の一匹が、何だってんだ!」

 叫びながら俺は、熊の足を蹴り掃う。

 こんな化け物を相手に、ケンカの定石はきっと通用しない。

 しかし俺にできるのは、殴る蹴るだけ。

 やるだけやってやる、と意気込んで熊への追撃を行おうと向き直ると、熊は両足を失い地に伏せていた。

「え?」

 ドス黒い血を腿の辺りから滝のように流し、熊はもがいて腕を振るった。

 でたらめに振るわれたその腕を、俺は咄嗟に蹴りで受ける。

(軽い⁉)

 熊の腕は、驚くほど軽かった。

 昨日の妖蟲よりも、軽い。

 受けた脚でそのまま蹴り上げると、熊の腕は簡単に千切れて宙を舞った。

「なんだ、これ……?」

 返り血に染まった自分の足を見て、俺は全身が総毛立った。

 熊が弱い訳じゃない。

 昨夜とは明らかに、俺の力が違う。

 さっきの異能が高まる感覚で、俺の力は明らかに上がった。

 ほんの少し気合を入れただけで、俺は強くなった、というより、タガが外れたようになった。

「どうなってんだよ、これ?」

 瞠目する俺の目の前で熊は呻きながら絶命した。

 そして、俺の首元から、何かが砕けるような異音が響いた。

「だ、大地君⁉」

 バキン、バキン、金属が砕ける音が静かになった山の中に響き、俺の首からチョーカーの感触が消える。

 留め具が壊れたチョーカーが地面に落ちる寸前、ネコメがそれをキャッチする。

 そしてその内側を見たとき、あらん限りにその目を見開いた。

「レー、ジング……‼」

 聞き覚えのない単語を呟くネコメの声が、俺にはフィルターがかかったようにぼやけて聞こえた。

 急激に顔が熱くなり、灯がなくて暗かった視界が真っ赤に染まる。

 ドクン、心臓が一際大きく跳ね、鼻からドロリと血が溢れた。

「あ、ああ、ああああ⁉」

 眼球の毛細血管が切れ、視界は赤い。

 心臓の鼓動が大きく、内臓が押しつぶされそうだ。

 頭の中を虫が這い回るような不快感。

 耳鳴りがする。

 胃がひっくり返りそうだ。

 喉が干上がる。

 頭が割れる。

「り、ル……?」

 掠れた声でリルを呼ぶと、真っ赤な視界の隅でリルはのたうち回っていた。

 全身を痙攣させ、直後に動かなくなった。

「だ……く……!」

「……がみ……ん⁉」

 ネコメと八雲の声が、やけに遠い。

 俺は二人の声に応えることもできず、そこで意識を手放した。


起承転結で言うところの『転』の辺りになるかと思います。


ペースが乱れ気味です。反省してます。

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