夏休み編29 ネコメ宅の午後
「ネコメちゃん、そこに座りなさい」
「は、はい……」
カーペットの上に正座するネコメと、腕を組んで仁王立ちする八雲。シュールな光景である。
「ネコメちゃん、あたしはお昼ご飯の用意をしようと言いましたね?」
「はい」
「そんなあたしにネコメちゃんは、ご飯は買い置きがある、そう言いましたね?」
「はい」
「で、これは何ですか?」
「…………」
ドサっとネコメの前に置かれたのは、エコバックに入った大量のブロック状のバランス栄養食とゼリー飲料。それと紙パックの野菜ジュースだ。
「これの、どこがご飯なのかな?」
「……ダメですか?」
ダメに決まってんだろ。俺もトシも心の中でそう思った。
昨日このマンションに戻ってきたネコメがまず行ったのは、近所のスーパーへの買い出し。食糧の調達だったらしい。
それはいい。そこまでは。一人暮らしのネコメが帰ってきてまず食糧を買い込みに行くのは何ら間違っていない。
問題はその内容だ。
「ずっとコレ食ってるつもりだったのかな?」
「そういうことだろうな」
バランス栄養食とゼリー飲料。食事というより補給といった感じのメニューに、栄養も考えていますよ、というドヤ顔が浮かぶ野菜ジュース。
ネコメの生い立ちからして料理スキルがあるとは思っていなかったが、それにしてもまさかここまでとは思わなかった。
八雲が滞在することは事前に決まっていたことだし、きっと二人でコレ食ってるつもりだったのだろう。
「これはご飯とは言いません。八雲さんは認めません」
「で、でも、結構お腹いっぱいになるし、美味しいんですよ? 飽きないように種類も……」
「シャラップッ‼︎」
ネコメの釈明を八雲は一言で黙らせる。
「自分たちはこれ食べるつもりで、火車ちゃんのはどうするつもりだったの?」
「…………」
ネコメは答えない。しかし、鼻の効く俺はなんとなく火車のご飯について察しがついているのだが、言ってもいいものなのかな?
「あー、それなんだが、ネコメ、なんか変な臭いするぞ?」
玄関先からずっと感じていた異臭。部屋に入って確信したが、これは多分腐敗臭だ。それも、粗雑な処理を施された、生臭い魚の。
「それは……その……」
チラッと視線を逸らす先には、キッチンのゴミ箱がある。
眉間にシワを寄せた八雲がズカズカと近寄って足で踏むタイプの蓋を開けると、臭いが強まった。
「……このビニール、何が入ってるの?」
「マグロの切り身です。昨夜火車さんが食べてくれなくて、朝起きたら変な臭いがして……」
夏場に生魚一晩放置して、腐ったからビニール袋に詰めて捨てたってことか。食べ物を粗末にしやがって。
「猫ってマグロ食わねえの? 猫っつったら魚じゃね?」
トシの疑問はもっともだが、実はそうでもないらしい。
「猫によるらしいぞ。本来は肉食だから、食わないやつは全然食わないんだと」
それにしても切り身をそのまま与えるってのは聞いたことないけどな。
「寮生活では意識してなかったけど、ネコメちゃんのご飯に対する意識をこの夏休みで改善する必要がありそうだね」
「そ、そんな必要ありません!」
心外だ、とばかりにネコメは反論する。
「栄養補給が目的である以上、食事とは栄養価に優れたものを摂取することで……」
「ハイもう間違ってますっ‼︎」
ビシッとネコメを指差し、一刀両断。
「ご飯は娯楽なの! 楽しいことなの! 美味しいもの食べないと意味がないの‼︎」
八雲のあまりの剣幕にネコメは大分気圧されている。そしてこれは、俺も八雲と同意見だ。
食事がただの栄養補給なんて、そんなことあってたまるか。自称グルメのリルだって食い物にはガンガン文句つけるんだからな。
寮では好きなメニューが毎日タダで食い放題だったから有り難みが薄れていたが、食事に不自由がないのは恵まれている環境なんだよな。
(でも、ネコメなら逆に、食べられるだけで十分とか思っちまうのかもな……)
ネコメは幼少期に満足な食事が与えられなかった。
だからこそ食に対して執着、美味い不味いへの関心が薄く、食事を生きるための栄養補給と捉えてしまうのかもしれない。
「そんなわけで、今からお昼ご飯の材料を買ってくるから、大地くんと悟史くんは火車ちゃんリルちゃんとお留守番しててね」
「お、また八雲ちゃんが作ってくれるの?」
「うん。何が食べたい? あ、何でもいいは却下で」
作る側が一番困る回答を先んじて封じてきた。さすがだな八雲。
「じゃあ、今日は暑いし冷たいものがいいかな」
希望はきちんと出しつつ、大雑把な回答でトシにパスを出す。夏だし、このくらい言っておけばいいだろう。
「寝不足の胃に優しい、さっぱりしたやつ。冷やし中華とかどうだ?」
俺のパスを受けたトシの提案に「それ優しいか?」と思わなくもないが、冷やし中華とはなかなかに魅力的なメニューだ。異論はない。
「おっけー、冷やし中華ね。ほら、行くよネコメちゃん」
「は、はい。大地君、悟史君、火車さんのことお願いしますね」
そう言って二人は部屋を出て行ってしまう。
「…………」
「…………」
しばらくして、ふっと我に帰った時には、俺たちは今現在なかなかの状況に置かれているのではないかと考えてしまう。
「……なあ大地、女子のお家でお留守番って……」
「やめろ。考えないようにしてるんだ」
ここはネコメの家、すなわち女子の自宅。
家主不在で、いるのは男二人と犬猫のみ。
二人が買い出しに出かけたスーパーはすぐ近所なのだが、買い物というのは五分や十分で終わるものではない。
「女子の部屋……。健全な男子高校生として恥的、もとい知的好奇心がくすぐられる状況ではあるが……」
黙れバカ野郎。
「言っとくがネコメもそれなりに鼻が効くんだ。勝手に部屋入ったら普通にバレるからな」
「……くっ」
何本気で悔しそうな顔してんだよ。
「大人しく待ってようぜ。そんで昼飯ご馳走になったら、さっさと帰ろう」
ようやく始まった夏休み。
バカなことしてはしゃぐのも良いけど、どうせ楽しいことするなら、みんなでやりたいもんだ。




