夏休み編25 罪の意識
烏丸先輩が、諏訪先輩の足を、奪った。
言葉通りに受け取れば、烏丸先輩が怪我をさせて、それが原因で諏訪先輩は足に障がいが残ったってことになる。
しかし、それはあり得ない。烏丸先輩が諏訪先輩にこんな取り返しのつかない怪我を負わせるなんて、天地がひっくり返っても有り得ない。
「怪我の原因、何か強い異能生物か何かか……」
可能性はそれしかない。
強大な異能生物、または悪い異能者と戦闘になり、烏丸先輩は諏訪先輩のことを守りきれなかった。
身命を賭して守らなければならないはずの巫女に、巫女でいられなくなるほどの重傷を負わせてしまった。
「……鬼よ。といっても、藤宮が使役していたやつほど強力じゃなかった。今の叶なら二秒で細切れにできるくらいの低級の鬼」
俺の推理を肯定する諏訪先輩の言葉は、どこか自嘲を含んでいるように感じた。
「でも、当時五歳と六歳だった私たちには、手も足も出ない相手だったわ。私は全身の骨をバキバキにされて、脊髄を損傷して下半身が麻痺した。叶はもっと重傷よ。家の人間が助けに来るまでの間に、両腕と両脚を食われた」
その言葉はかつての自分の無力を嘆くもので、後悔と、悲痛な感情を含んでいる。
「叶がいなかったら、私は食われて死んでいた。自分だって怖いはずなのに、逃げたいはずなのに、叶は身を呈して私を守ってくれた。それなのに……」
諏訪先輩の言葉は次第に熱を帯び、怒りの罵声となって吐き出される。
「うちの人間は叶を責めた‼︎ 巫女の務めを果たせなくなるほどの後遺症は、全て叶のせいにされた‼︎ 挙げ句の果てに、叶の父親まで叶に……‼︎」
目に涙を滲ませ、歯を食いしばり、諏訪先輩はとなりに立つ烏丸先輩の腕を掴む。
「……床に転がる叶を殴りつけて、酷いことを言っていたわ。お前が死んでも巫女に傷一つ負わせないべきだった。巫女を守って死んだなら烏丸の地位も上がった。たった六歳の、死にかけるほどの重傷を負った子どもに、親が言うことなの?」
諏訪と烏丸の、呪いじみた因縁。
それは烏丸先輩の父親に、我が子が四肢を食われたことよりも、巫女の役目を奪った罪を咎めさせた。
はっきり言って、イカれてやがる。
「その後、巫女でなくなったお嬢様は、医者になることを志された。その過程で、損失した体を有機物のみで構成されたパーツで補う技術を編み出し、私にこの手足を下さった」
そう言って諏訪先輩が掴む自分の腕を撫でる烏丸先輩の声は、少し誇らしそうだった。
「それから約十一年、諏訪家は長い巫女不在の期間を過ごしているわ。巫女としての資格はまだ私にあるけど、次の巫女を誰にするかで揉めてるのよ」
「次の巫女?」
「ええ、候補は二人。兄の娘、つまり私の姪。もう一人が妹の花梨」
兄貴までいるのか、諏訪先輩は。
「諏訪妹も、知ってるんだよな。諏訪先輩の後遺症の原因」
俺の問いに諏訪先輩はゆっくり頷く。
「家の人間が吹き込んだのよ。私としては、知らないでいて欲しかったけどね」
諏訪妹は、諏訪先輩のことを尊敬しているらしい。
その諏訪先輩の足を奪った烏丸先輩に対して、家同士の因縁以上の憎悪を抱いているように感じる。
諏訪妹のあの烏丸先輩に対する扱いを見るに、巫女とやらに相応しいとは思えないのだが。
俺の気持ちが分かったのか、諏訪先輩は渋い顔でため息を吐く。
「もちろん、花梨が今のまま巫女になったら、叶をどう扱うか想像もつかない。生徒会長落選や、異能専科で色んな異能者と知り合って、考え方を変えてくれればと思ったんだけど……」
さっきの様子を見るに、考え方は全く変わってなさそうだもんな。
「もう一人の、お兄さんの娘っていうのは?」
「問題外よ。まだ産まれてもいないもの」
「はあ?」
産まれてもいないって、じゃあまだこの世にいない子どもに役職を押し付けようとしてるってのか?
「兄とは結構歳が離れてるんだけど、今年結婚する予定なのよ。子どもが産まれるのは早くても来年。それも男か女かも分からないってのに……」
とらぬ狸の、ではないが、不確定要素が多すぎる算段だな。
「お兄さんその、なんて言うか、尊敬できる人なんですか?」
聞き辛そうなトシの問いは、要は烏丸先輩に対して差別意識を持っているかということだ。
人の家の問題なんて俺たちには関係ない、と言ってしまうのは簡単だが、諏訪家は霊官の代表的な家、実際問題無関係とは思えない。
諏訪先輩も烏丸先輩も答えづらいのか、渋い顔をする。あまり尊敬できる人間ではないってことかな。
「花梨ほど烏丸家に対する嫌悪はひどくないわ。でも、何というか、私とは折が悪いっていうか……」
「折が悪い?」
「ええ……」
歯切れの悪い諏訪先輩の言葉を、同じく言いづらそうに烏丸先輩が補足する。
「兄上はお嬢様ほど異能の才能に恵まれなかったんだよ。親も親戚も、一回りも歳の離れた妹にばかり期待を寄せ、家督を継ぐことさえ危い。親戚中にそういった空気が流れる中、お嬢様は巫女としての務めを果たせなくなった。地位が危うかった兄上は早々に結婚相手を見つけ、間にもうけた娘を巫女にして家督を得たいんだ」
「跡継ぎでも揉めてるってことですか……」
八雲の総括に二人は頷き、生徒会室には微妙な沈黙が訪れる。
名家の跡継ぎ、お家問題。
この二十一世紀にそんな話が現実にあるとは、驚きを通り越して呆れてくる。
「跡継ぎと巫女様、それに家同士の因縁が複雑に絡み合って、あんな生意気なガキが出来上がったってわけか」
「ちょっと大地くん、言い過ぎだよ」
八雲がそっと諫めてくるが、こればっかりは言わせてもらわないと気が済まない。
あのガキの態度は目に余るし、やることも度が過ぎてる。とても巫女様とやらを任せたいとは思えない。
「大地の意見はもっともなんだけど、あれでも可愛いところもあるのよ。あんまり嫌わないであげてね」
珍しくしおらしい言い方をする諏訪先輩に、俺は口をへの字に曲げながらも「へーへー」と頷く。
「善処しますよ」
「お願いね」
苦笑いする諏訪先輩がチラリと壁に掛けられた時計に目をやる。釣られて視線を向けると、時刻は深夜三時を過ぎていた。
「長話しちゃったわね。そろそろお開きにしましょう」
「そうですね」
諏訪先輩の言葉を契機に、解散のムードが流れる。
「二人は明日も補習だもんねー。早く寝ないと」
「うっ」
「げぇ」
呻くトシと、一瞬で気分が悪くなる俺。
すっかり忘れていたが、俺たちにはまだ補習が残っている。こんな時間までダラダラしてる暇は無いんだった。
「まあなんだ、頑張れ」
全く心の篭っていない烏丸先輩の応援を聞き流し、ふとずっと黙っているマシュマロに目を向ける。
「……マシュマロ?」
「…………」
「マシュマロ? 雪村ましろさーん?」
「……………………」
マシュマロは赤い瞳で虚空を見つめたまま微動だにしない。
つん。鼻をつついてみる。反応無し。
むに。ほっぺを摘んでみる。反応無し。
「……寝てんのか?」
いや、マジで寝てるっぽい。
ずっと黙ってると思ったら、目ぇ開けたまま寝てやがる。
「…………」
両手を開き、そっとマシュマロの胸元へ、
「何してるのかな?」
触れる前に八雲に両手首を掴まれ、万力のような力で圧迫される。痛い痛い。
「冗談だ」
「冗談になってないよね?」
ギリギリギリギリ。八雲の力は緩まない。千切れる、手ぇ千切れちゃう!
「お前の行動力、マジでスゲエと思うよ……」
感心したようなトシの言葉に、諏訪先輩と烏丸先輩は声を出して笑った。




