夏休み編18 目が覚めて
「大地っ‼︎」
「はぇ?」
名前を呼ばれ、目を開ける。
真っ先に視界に飛び込んでくるのは、無機質なコンクリートの天井とそこに打ち付けられた蛍光灯。
そして、心配そうな表情で俺の顔を覗き込んでくる三人の女の子。
「八雲、マシュマロ、諏訪先輩……?」
半ベソの八雲、安堵したようなマシュマロ、そして若干怒っている様子の諏訪先輩の顔を順に見渡し、首を傾げる。
「あれ? 三人とも、何して……」
「うえぇぇぇぇん! よかった、起きた‼︎」
言い終わらないうちに、泣き叫びながら八雲が抱きついてきた。
「おい、いきなり何を……⁉︎ つーか暑っ! 暑苦しい、離れろ‼︎」
「やーだ!」
首に腕が回され、胸板に顔を押し付けてくる八雲。なんか知らんが役得、と一瞬思ったが、暑い。どうしようもなく暑い。
コンクリートに囲まれた地下施設はサウナのような熱気と湿度に満ちており、不快指数が振り切れている。
しかも覚えのない厚手の上着を着ているようで、ただ座っているだけでも汗が吹き出してくる。
「離れろっつう……ってうわぁ⁉︎」
へばりつく八雲を引き剥がそうと腕を伸ばすと、露出した肌が黒い毛に覆われていた。
リルがくっ付いているのかと思ったが、違う。リルは普通に床に寝転んでいる。
腕毛と言うにはあまりにも多くて長い、下手すると髪よりも長い毛が両腕を覆っていた。
「なんだよこれ⁉︎」
慌てて自分の姿を確かめてみると、腕だけではなく足も、何故かタンクトップ一枚になっている上半身も、全身が毛に覆われていた。
「暴走したときに生えてきたのよ。全身毛むくじゃらにね」
「こういうのって消えないの⁉︎ 耳や尻尾は異能解いたら消えるじゃん‼︎」
「覚醒した浦飯幽助だって髪とかそのままだったでしょ」
それと同じよ、と諏訪先輩は言い放つ。いや、違うと思うけどね。
「……それにしても暑いな。暖房つけてんのか? なんだってこんなサウナみてえにしてんだよ?」
八雲を引き剥がすのを諦めた俺はボヤきながら毛に覆われた体にタンクトップを扇いで風を通そうとする。毛むくじゃらなことを差し引いても度し難い暑さだ。
スパァンッ。諏訪先輩に頭を叩かれた。
「痛えな‼︎ 何しやがる⁉︎」
「アンタのせいでこんなサウナみたいになったんでしょうが‼︎」
「俺が何したっつうんだよ⁉︎」
スパァンッ。もう一回叩かれた。
「……アンタ、自分が何したのか分からないの?」
僅かに声のトーンを落とし、諏訪先輩は俺の目を見て問いかけてくる。八雲も俺にくっ付いたまま顔を上げ、マシュマロもジッと俺の言動に注視している。
「……俺が、何かしたってのか?」
よく見れば三人とも、かなり疲弊している様子だ。
マシュマロは白い頬をピンク色に高潮させているし、諏訪先輩と八雲もどこかぐったりしている。
それに、この身体中の毛は暴走したときに生えてきたと言っていた。
俺は暴走して、三人はそれを食い止めるためにここまで疲弊したってことか。
「暴走したアンタは、予想より遥かに厄介だったわよ。まさか炎まで使うなんてね」
「ほ、炎⁉︎」
驚愕の声を上げる俺に、諏訪先輩はコクリと頷いてみせた。どうやら冗談で言っているわけではないらしい。
「何で俺が炎なんて使えるんだ?」
自慢ではないが、そんないかにも魔法っぽい異能術なんて使ったことないし、使えるとも思えない。俺ができるのはウェアウルフの身体能力を扱うことだけだ。
「そんなのこっちが聞きたい、って言いたいところだけど、見当もつかないってわけじゃないのよね……」
珍しく煮え切らないことを言う諏訪先輩だが、心当たりが全く無いというわけではないらしい。
「一体何が……っておい⁉︎」
諏訪先輩に事情を聞こうと口を開くと、マシュマロが膝から崩れ落ちてもたれかかってきた。毛皮と八雲で三重に暑苦しい。
「何してんだよマシュマロ⁉︎」
「疲れた。ワンちゃん、おんぶ……」
そんなことを言いながらぐいっ、と体重を預けてくる水着のマシュマロ。
これはこれで、と思わなくもないが、いささか過剰だ。
高温多湿のせいでマシュマロの肌はしっとりと湿っており、しかもビキニの水着という格好。
普段は汗をかかない体質なのかあまり匂わないのだが、今は蜂蜜のような甘ったるい体臭がムンムン漂ってくる。
加えて、同様に汗をかいてむせ返るような甘い香りのする八雲も未だ俺にくっ付いている。
二人のタイプの違う甘い体臭が、暴走後ということもあり普段より過敏になっているウェアウルフの嗅覚を直撃。
これは、よろしくないです。
「離れろ」
「や」
年上のくせに駄々をこねるな。
「自分で歩け」
「もふもふ……じゃない。ゴワゴワ」
俺の言葉を無視したマシュマロは、毛の感触が不服だったのか恨みがましい視線を向けてくる。知ったことかよ。
「おぶってってあげなさいよ。ましろが一番疲れてるんだから」
「それ俺のせいか?」
「私はリルを連れてくから、二人のことは丁重に運びなさいよね」
どうやら俺の周りには会話の成立しない女しかいないらしい。
「おい、せめてどっちか歩け」
「や。おんぶ」
「じゃああたし抱っこ」
体を起こした俺の首にマシュマロが後ろから、八雲が前から腕を回す。
「暑い。あと重い」
加えて、口には出さないが良い匂い過ぎる。
ドスッ、ドスッ。左右の脇腹をそれぞれ殴られた。
「ワンちゃん、デリカシー」
「あたし小ちゃいから重くないもんねー」
いや、相対的な軽重に関わらず人間二人の体重って一人で運ぶには限界あるだろ。
「仕方ねえな。じゃあ異能で……」
と思ったのだが、力が入らない。
「暴走した直後じゃまともに使えないわよ」
そう言うと諏訪先輩はリルを膝の上に乗せ、車輪を回してそそくさと地下施設を出て行ってしまう。
「あ、ちょっと待てよオイ!」
仕方なく俺は二人分の重さに耐えながら、震える足で床を踏み締めて先輩の背中を追った。




