夏休み編16 ここにいる理由
「もう終わりかな、マイボーイ?」
僅かな落胆を感じさせる声に、答えることができない。
答えようにも発声する器官が炭化してしまっているのだから、答えられるはずもない。
「…………」
イメージする。
強く、普段の自分を。
制服を着ていて、無傷で、ただあるべき姿の自分を。
「……ックショウが‼︎」
一秒前までのほぼ焼死体の姿から復調し、跳ね上がって構えを取る。
制服も体も、イメージした通り普段の自分のそれだ。しかし、僅かな気怠さ、精神的な疲労が、無視できない程度の違和感となって俺の心に焦りを生じさせる。
「うーん、疲れ始めているようだね。イメージがどんどん遅くなっているよ?」
「うっせえ……‼︎」
口では強がってみせるが、イメージが遅れていることは自覚している。
全身丸焼けのヴェルダンにされるなんて、痛みも衝撃も決して慣れるものではない。
焼かれて、イメージで傷を消す。
ショック死しそうな痛みを、絶望的な渇きを、ただの空想だけで無かったことにする。
無限にリポップするゲームのザコエネミーとしてロキのレベル上げに貢献している気分だ。
一度やっただけでも混乱しかしないようなことを、もう何時間繰り返しているか分からない。
正直言って気が狂いそうだ。
「イメージが足りない証拠だよ。ここは君の中なのだから、君の想像しうることは全て実現できる。むしろ介入しているパパンの方がアウェーと言えるんだよ?」
「意味分かんねえんだよ‼︎ 言いたいことは四十五文字以内で簡潔に言え‼︎」
分からない。
本当に分からない。
ロキは俺に何をさせたいんだ?
ロキは何のためにこんなことをしているんだ?
俺は何のためにこんなことをしているんだ?
俺はどうしてここにいる?
俺は何をしている?
焼かれては起き上がり、焼かれては起き上がり。
そんなことをして何の意味がある?
俺は、何のためにこんなことをしているんだ?
「自分の行動理由は人に教えられるようなものではないよ。手を引いて歩いてあげるだけが親のやることではない。時には冷たく突き放してあげるのも子どものためだ」
「だから、簡潔に言えってんだよ‼︎」
イライラをぶち撒けるように吠え、異能具を構え、地面を蹴る前に、飛来した火球に焼かれる。
「……がぁ‼︎」
焦燥感に呼吸が荒れ、思考がどんどん乱される。
起き上がってもまた焼かれるだけなら、いっそこのまま倒れたままでも……
『ダイチ‼︎』
「ッ‼︎」
頭に響くリルの声に、ハッと意識を引き戻される。
(今俺は、何を考えた……⁉︎)
ダメだ。それだけは考えちゃいけない。
ここではイメージが実現される。そしてここで起こったことは、現実の自分にも影響を及ぼすとロキは言っていた。
心が折れない限り死の概念はない。逆に言えば、ここで心が折れたら、きっと俺はそれまでだ。
「……仕方ないなあ。少しだけヒントをあげるよ」
「ヒント、だと?」
オヤジの顔でニンマリと笑ったロキは、掌を上に向けてゆっくり両手を広げる。
「君の疑念は、自分の行動理由。なぜ焼かれるのか。なぜそれでも立つのか。答えは簡単。君は自分を超えるためにここにいて、パパンはその手助けがしたいからだ」
相変わらず確信的な部分には一切触れない物言い。わざと焦らしているとしたらとんだ道化っぷりだ。
しかし、自分を超える、つまり強くなるためというのは、どこか引っかかる。
そういえば俺は、強くなろうとしていたはずだ。
(でも、何でだ……?)
強さなんてものは、日常生活においては何の意味も持たない。
中身の無い空っぽの腕っぷしで幅を利かせていた中学時代の経験からしても、俺は強さという曖昧なものの無意味さをよく知っている。
でも、確かに俺は強くなりたいと望んだ。
「男子たるもの、強さに憧れることに理由なんて要らないさ。ただ、確かに君の場合は明確な理由があった。それを思い出すんだ」
「強くなりたい、理由?」
そうだ。確かにあった。
強くなりたい理由。強くならなくちゃならない理由。
それはつまり、無力だったからに他ならない。
無力な自分が嫌で、何もできないことが悔しくて、だから俺は、強くなりたかった。
(そうだ……俺はもう……)
強くなりたいから、リスクのある選択をした。
(あの人みたいな悲しみを目の前にして、無力でいたくない……)
それが俺の強くなる理由。
強くなれる理由。
(思い出せ……強さを求めた理由を……‼︎)
ずっとかかっていた頭の靄が消え、鮮明になる。
思い出す。今日の記憶を。
ここに来たワケを。
あの日の決意を。
(奈雲さんのことを‼︎)
突如、白い世界が変わった。
幻視する。あの日病院で見た笑顔を。
追想する。息を引き取る奈雲さんと、涙に濡れる仲間の顔。
無力で無様で、どうしようもなくちっぽけな自分を。
「過去は無くなったりしない。無力だった事実は消えたりしない……」
映し出された病院の記憶に、ロキは道化の笑みを消して口を引き結ぶ。
俺はといえば、目を背けたくなる記憶を前に、黙って涙を流した。
これは俺の最大の汚点。
自分の無力に打ちのめされた、最悪の記憶。
「ならば、選択肢は二つだ。止まって死ぬか、進んで生きるか」
「……分かってるよ」
そうだ。分かってる。
ずっと分かってた。
「こんなの、茶番だ……」
男に二言はない。吐いた唾は飲めない。
だからこれは、ただの再認識。
あの日俺が何を思ったのか。それを思い出し、刻むための確認作業。
何でそんなことのために何度も何度も丸焼けにされなきゃならんのかと問い正したくもなるが、後回しだ。
「行くぜ、リル……‼︎」
『オウッ‼︎』
頼もしいその声に、俺は頬を伝う涙を拭って破顔する。
「思い出したようだね?」
「ああ。もう忘れるもんかよ……」
刻むんだ。俺のちっぽけな頭に。
止まるな。進め。
あの日の無力も、
あの日の無様も、
全部抱えて、今この瞬間への糧にしろ‼︎
「未だ君は無力だ。ならば己の中でくらい、イメージの中でくらいは強くありたまえ‼︎」
祝福の花火のように、ロキの周囲に火球が漂う。
俺たちを目掛けて斉射されるそれを、真っ向から受けて立つ。
「大きなお世話だ、クソ野郎ッ‼︎」
イメージ。強いイメージ。
形を似せるだけの模倣で足りないのなら、その全てをイメージしろ。
俺の中にある、最強の幻想を。
「アァァァァァァァッ‼︎」
駆ける。
イメージしながら駆ける。
飛来する火球は、命中した瞬間に霧散して俺の服に焦げを作ることさえできない。
当然だ。この程度の火なんて、最強に効くはずがない。
諏訪先輩より、烏丸先輩より、マシュマロより、ネコメより、八雲より、トシより、鬼よりも強いのだから。
神狼フェンリルは、圧倒的に強いのだから。
「ガァァァァァァァァッ‼︎」
いつの間にか、俺は二本の足ではなく四本の足で走っていた。
黒い体毛に全身を覆われ、視認できるほど巨大な口を開く。
視野は広がり、体には力が漲る。
火球の乱舞をものともせず、白い地面を蹴ってひた走る。
「……一皮剥けたね、マイボーイ」
肉迫し、差し出されたロキの右腕を肩口から食い千切る。
噴水のように湧き出る鮮血が体毛を赤く染めたのを感じながら、口内の腕を嚥下する。
「息子の門出だ。親にとって、これ以上の喜びはないよ」
神狼フェンリルになった俺の目を真っ直ぐ見て、ロキは破顔した。




