夏休み編12 レッツ暴走
「久しぶりだな、ここに来るの……」
諏訪先輩とのお茶会を終え、俺とリルと諏訪先輩は生徒会室の地下に赴いていた。
コンクリートが剥き出しの殺風景な地下施設。かつて俺と烏丸先輩が諏訪先輩への負債をかけて勝負した、訓練部屋だ。
「ワンちゃん、リルちゃん、いらっしゃい」
「待ちくたびれたよー」
地下施設には生徒会室から出払っていたマシュマロと、なぜか八雲が待っていた。
八雲は普段のカーディガンを着た制服姿、マシュマロはなぜか、水着姿で。
「二人はアシスタントよ」
「アシスタントって……。いや、それよりマシュマロは何で水着着てるんだ?」
露出過剰とも思える純白のビキニの水着は、コンクリートの地下施設にあまりにも似つかわしくない、滑稽とも思える格好だ。
「似合う?」
困惑する俺に、マシュマロは右手を後頭部、左手を腰に当て、前傾姿勢になってポーズを取った。
布面積の少ない純白の水着は、青い糸の縁取りで肌との境界線を示しているが、マシュマロの肌の白さと相まって遠目からは何も着てないようにさえ見える。
靴下すら履いてない足を一歩踏み出すと、水着に覆われた双丘がつきたての餅のように柔らかく形を変え、こぼれそうな危うさを見る者に与えながら元に戻る。
地下だというのにやけにこの部屋は湿度が高く、しっとりと湿った肌が何とも言えない艶かしさを醸し出し、つかみどころのないぽやんとしたマシュマロの表情と奇跡的なミスマッチを演出している。
似合っているのかと聞かれればもちろん、
「ご馳走様ですっ」
万感を込め、ビシッと頭を下げる。
「お粗末様、です」
俺の反応に満足したようにマシュマロは胸を張った。いや、そのポーズも良いですな。
「……エロ犬」
「盛りがついた犬ね」
八雲と諏訪先輩の中で俺の好感度がガタ落ちする音が聞こえた。いや、でも、しょうがないじゃんこれは。
「……で、何で水着?」
「夏なのに、水着を、着る、機会、ないので、せっかく、だから」
答えになっているようでなってねえ。
「夏休み始まったばっかなんだし、いくらでも着る機会あるだろ。海とかプールとか」
「日光に、当たると、火傷する。だから、外じゃ、着れない」
「あ、そっか……」
マシュマロはアルビノ、色素を持たない体質だ。
海で肌を晒すのは勿論、太陽の下を歩くだけでも気を使わなくてはならないんだ。
「で、せっかくの機会に水着を着たマシュマロと八雲に、何をさせるんだ?」
「これから荒事になるかもしれないからね。万全の状態で異能を発揮できるように、なるべく肌を出せる格好になってもらったの」
「荒事?」
「ええ。三人でローテーションを組んで、長期戦に耐えられるようにするの」
「長期戦って、何との?」
「アンタよ」
はい?
「今からアンタの異能を暴走させる。それを制御するのが、アンタの訓練よ」
・・・
「異能の完全制御。文字通り、異能混じりの異能を完全に制御して、二度と暴走を起こさせないようにすることよ」
先輩が訓練の内容を説明する傍ら、マシュマロと八雲が無数の加湿器を起動させて訓練部屋を湿気で満たし、部屋の至るところに蜘蛛の糸のトラップを仕掛ける。
「完全制御ができれば、その異能を十全に扱うことができる。本来は混ざった異能の純度が高い異能混じりが、自身の力量の成長に合わせて行う訓練」
「八雲やネコメもやったのか?」
「ううん。あたしやネコメちゃんくらいの異能じゃ、そんな必要はないよ。混ざった異能の量が極端に多い人だけがやるの」
混ざった異能の量、か。
俺とリルは普通の異能混じりと違い、異能の出力が上下する。
それは混ざった異能であるリルが生きて俺に異能を与えているからで、かなり特殊な例だ。
リルの成長に伴い、異能の上限が大きく伸びてしまったため、それを扱うために特殊な訓練がいる。
制服が肌に張り付くほどの湿気と、無数に張られた糸のトラップ。マシュマロと八雲専用の武器庫になった地下施設で、俺たちは三人と対峙した。
「準備はいいわね? 暴走が始まれば、あとは制御するしかないわよ」
それか、死ぬかだろうな。
「リル、調子はどうだ?」
腕の中のリルに確認を取ると、リルはブルブルと身震いしながら元気よく返事をした。
『ウズウズする! どんと来いだ!』
「そりゃ上等」
相棒の頼もしい言葉に背中を押され、俺は口を引き結んで頷いた。
「いつでもいいぜ」
諏訪先輩の最後通告にゆっくりと返事をし、マシュマロと八雲の顔を見る。
二人の役目は、暴走した俺をこの地下に留めておくこと。
暴走したまま放置すれば壁や天井をぶっ壊して外に出てしまうかもしれず、諏訪先輩一人では俺を抑えておけない。
ネコメがいれば話は簡単だったのだが、生憎とネコメは午後から柳沢さんのところに行っていて、そのまま帰省するらしい。
「まあ、暴走と言ってもそう難しく考える必要はないわ。幸いリルと大地は意思の疎通ができるし、異能に体を乗っ取られる心配は皆無。暴走したら、いつもやっているみたいにリルに呼びかけて、あとは精神集中で体の支配権を取れるはずだから」
「そんなことでいいのか? 前に異能が制御できなくなったときは……」
異能具職人の日野に異能具の製作を依頼した日の帰り、俺の異能は暴走した。
出力の制御が効かなくなり、死にかけた。
「あのときはリルと完全な意思疎通ができなかったでしょ。状況が違うわ」
なるほど。そういやそうだ。
異能の暴走とは、つまるところ肉体の支配権のせめぎ合い。俺の意識とリルの意識の混濁によって起こるものらしい。
他の異能を食らう異能としての本能と、人間の理性。
俺とリルは会話ができるんだし、話して体と異能をコントロールすればいいだけのことだ。
「じゃあ、異能を発現させて」
「ああ」
諏訪先輩の言葉に頷き、異能を使う。
腕に抱いたリルの重さがフッと消え、肉体に異能が宿る。
確かに感じる身体能力の向上と、脳内から溢れる快感物質による気分の高揚。
普段なら興奮を収めるためにこの辺りで異能を止めるが、今日はそれではいけない。
「まだよ。もっと異能を強めて」
フィルターがかかったように遠く感じる諏訪先輩の声に従い、更に異能を強める。
(もっとだ、リル。もっと寄越せ……!)
奈雲さんと対峙したあの夜。それ以上の異能をリルに求める。
「そのまま。そのままよ」
ビキッ、首の辺りから鈍い音が聞こえた。グレイプニールの限界が近いんだ。
「一気に強めて! グレイプニールを壊しなさい!」
バキンッ、と音を立てて首が解放される。
「うっぐぁ……‼︎」
グレイプニールがコンクリートの床に落ちた瞬間、決壊したダムのように、異能の奔流が身体中を巡る。
視界が赤く染まり、周囲の音がどんどん遠くなる。
目が、耳が、鼻が徐々に機能を失い、最後には自分が立っているのか倒れているのかも分からなくなる。
電源を落とされたように全ての感覚が閉ざされ、俺の意識はこの世界から切り離された。




