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異能専科の猫妖精(ケット・シー)  作者: 風見真中
夏休み編
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夏休み編11 あの日の覚悟

「悟史は修行を終えたわ」

 湯気を上げるティーカップを前に、諏訪先輩が唐突に切り出した。

 生徒会室の中央に置かれたガラステーブルに置かれたカップは二つ。俺と諏訪先輩の分だけで、マシュマロの姿はない。

「…………」

 ポチャン、と角砂糖が紅茶の中に落ち、徐々にその形を崩していく。

 角が取れて丸くなった砂糖の塊をティースプーンで溶かし、琥珀色の液体を一口啜る。

「……美味いな、この紅茶」

 先輩が持ってきてくれたいい茶葉とやらは、確かに美味かった。

「どう美味しいの?」

「……香りが高い?」

「疑問符ついてるけど」

「…………」

 美味いには美味いのだが、正直違いなど分からない。

 以前生徒会室で紅茶を淹れさせられたときに、紅茶とは淹れ方で味が変わるものだということは理解した。が、茶葉の繊細な違いなど全く分からない。

「無理に感想言わなくていいわよ。アンタにこの繊細な味が分かるなんて思ってないから」

 じゃあ違いの分かる人に飲ませろよ。茶葉が可哀想だろ。

「悟史は、今日で修行を終えた。叶が認める程度には、使えるようになったはずよ」

「トシが修行してたなんて聞いてねえよ」

「どうせ気付いてたんでしょ?」

「まあ、そりゃ……」

 トシが烏丸先輩に稽古をつけてもらっていたのには、当然気付いていた。

 しかし、それをどうしてこのタイミングで諏訪先輩の口から聞かされるのかが分からない。

「アンタが入院してるときに、悟史は私のところに来たわ。強くなりたいってね」

「…………」

 俺の入院中ということは、奈雲さんが亡くなった頃だろう。

 あの時自分の無力を感じていたのは、俺だけじゃなかったってことだ。

「そのとき私は叶に、夏休みの間に悟史をアンタより強くしなさいって言ったわ。その叶が認めた以上、今の悟史はアンタより強い。霊官として前線に出ても問題ないでしょうね」

「……それが何だよ?」

 トシが強くなった。それはいい。

 あいつも霊官を目指す以上、異能者として強くなるのは必要なことだ。

 しかし、この人はそれを聞かせて俺にどうさせたいんだ?

「大地、アンタはどうしたい?」

「どうって……」

 俯き、カップの中に視線を落とす。

 紅茶の表面に写る自分に問いかける。

 どうしたいのか。

 どうなりたいのか。

「……そんなの」

 そんなのは、決まっている。

 あの時感じた無力。何もできなかったという事実。

 奈雲さんを喪って肩を震わせる八雲の姿は、今も俺の脳裏に焼き付いて離れない。

「……私はね、別にアンタは今のままでもいいと思ってるの」

「え?」

 諏訪先輩の以外な言葉に、俺は顔を上げる。

 先輩は薄い笑みを浮かべながらカップを傾け、小さく息をつく。

「アンタは今のままでも十分霊官としてやっていける。単純な戦闘力ならネコメ以上だし、鼻も効くし頭も切れる。霊官の採用試験も、キチンと対策すれば合格ラインよ」

「俺が、今のままで……?」

 諏訪先輩の言葉は、正直言って疑わしい。

 現に俺は、先の事件のときはほとんど役に立っていなかったのだから。

「藤宮の件で気に病んでいるなら、それは杞憂よ。あんな事件、本当なら支部の幹部や本部の霊官が対策室を設置してから年単位で対応する事件だもの。やり方に問題があったとはいえ、たった四人で解決に導いたのは大金星と言えるわ」

「大金星、だと……?」

 優しくて耳当たりのいい諏訪先輩の言葉は、どこか慰めめいていて、俺は頭が沸騰しそうになった。

「あれの……あれのどこが大金星だよ⁉︎ 奈雲さんは救えなかった! 八雲は泣いていた! あの結果でよくやったなんて、本気でそんなこと思ってんのかよ⁉︎」

 ふざけるな。

 馬鹿にするな。

 あんなのは成功じゃない。

 あんなのが、成功であってたまるか‼︎

「……これはアンタのために言ってるのよ」

「俺の、ため?」

 先輩は小さく頷くと、ガラステーブルの下を指差した。そこで皿に盛られたクッキーをモリモリ食べている、リルを。

「リルは成長した。半異能、異能生物として。もう以前とは比べものにならないくらい強くなってしまっているわ」

「そんなの、願ったり叶ったりだ。リルが強くなったってことは……」

 必然的に俺も強くなるということではないか。

「違うわ。リルの成長は、アンタの今の力を遥かに超えてる。あのましろでさえ、成長した自分の異能を制御するのに長い時間が必要だった」

「暴走するって、言いたいのか?」

 俺の回答に、先輩はコクリと頷いた。

 リルは異能生物だが、その実態は半異能に近い。

 神狼フェンリルの末裔というだけで、その身に流れている血はほとんどが普通の狼のものらしい。

 にも関わらず、リルは強い異能を持って生まれた。

 半異能は成長期を迎えると、その異能が大きく成長するらしく、先日のリルの不調はそれが原因だった。

 そして、成長したリルの異能は、俺では制御できないというのが諏訪先輩の見解らしい。

「暴走しないために、俺にはこのチョーカーがあるんだろ?」

 俺の首に巻かれたチョーカー型の異能具『グレイプニール』。これがあれば俺とリルは暴走しないで済むはずだ。

「グレイプニールはあくまでも成長前のリルの異能の出力に合わせて作ったものよ。今のリルの異能を抑えることはできないわ」

「そんな……」

 だから、諦めろというのか?

 諦めて、今のままの力に甘んじることが最善だっていうのか?

「……それを踏まえて、もう一度聞くわ」

 少し冷めた紅茶を飲み干し、諏訪先輩は真っ直ぐ俺を見て口を開いた。

「大地、アンタはどうしたい?」

「……そんなの、決まってる」

 そうだ。考えるまでもない。

 正直言えば、暴走は怖い。

 異能が手に負えなくなる感覚も知っているし、目の前で異能が暴走した大木がどうなったのかも鮮明に覚えている。

 でも、それでも、今ここで進むことを諦めたら、俺はきっと何年経ってもこれ以上進むことはできない。

「暴走なんか知ったことか。俺は今のままでいるつもりはない!」

 トシが俺より強くなったなら、俺より先に進んだなら、俺は更に、もっと強くなる。

 もう二度と、奈雲さんのようなことは御免だ。

 力足らずで後悔するのは、もう嫌だ。

「……そう言うと思ったわ」

 俺の答えに満足したのか、諏訪先輩はフッと柔らかい笑みを浮かべ、次いで目を細めた。

「さて、大地の死ぬ覚悟も確認できたことだし、善は急げよね。下に降りましょう」

「……ん? ちょっと待った。死ぬ覚悟って何の話ですかね?」

「ほら、早く紅茶飲んじゃってよ。せっかくいい茶葉御馳走したのよ。最後の嗜好品になるかもしれないんだから」

「待て待て待て。話が二、三段階すっ飛んでねえか?」

「リルも食べ終わったみたいね。異能たっぷりの特製おやつ」

「何食わせてるのかと思ったら、あの異能クッキーかよ⁉︎」

 リルの皿に盛られていたのは、以前ネコメがリルに与えていたあのクッキーだ。

 異能を取り込むことで力を増す異能生物のために作られた、あのクッキー。

 しかも今、特製とか言っていたよな?

『ダイチ……』

「どうした、リル⁉︎」

『なんか、力が溢れる‼︎』

「でしょうね‼︎」

 リルのクッキーに、餞別のような上等な紅茶。

 間違いない。この人最初から、この流れに持ってくつもりだったんだ。

「霊官は生死に関わる冗談を口にしないって聞いたけど⁉︎」

「冗談じゃないわよ。失敗すれば、七対三の割合で死ぬわ」

 どっちが七割だよ。

 霊官は生死に関わることを安易に口にしない。現に数々の暴言や暴行を受けてきたが、諏訪先輩が死を示唆するのはごく稀なことだ。

 その先輩が死ぬリスクを提示したということは、腹を括らなければならない。

 しかし、その程度のリスクはハナから織り込み済みだ。

「……つーかさ、関係ねえよ」

「関係ない?」

「ああ」

 ここまでお膳立てしてくれた先輩には悪いが、これは茶番だ。

 用意周到っぷりはなんとも諏訪先輩らしいが、はっきり言ってこのお茶会での会話なんてなんの意味もない。

「暴走も死ぬ可能性も、俺は全部飲み込んでやるよ。このままじゃダメだってことは、あの日決めたんだ」

 そうだ。

 何も難しく考えることはない。

 奈雲さんのような後悔を二度としないと、俺はとっくに決めていた。

 霊官の危険も、異能の恐ろしさも、全部受け入れた上で、俺は強くなりたいと思ったんだ。

「やってやるよ。強くなれるなら、俺はなんだってしてやる」

 すっかり冷めた紅茶を胃に流し込み、諏訪先輩に歯を見せて笑う。

「ステイは終いだ」

「……敬語使え、バカ大地」

 そんな今更なことを言いながら、諏訪先輩も歯を見せて笑った。

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