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異能専科の猫妖精(ケット・シー)  作者: 風見真中
贖罪編
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贖罪編52 祝福の旅路


 七月に入り、様々なわだかまりを残した長い梅雨が明けた。

 諏訪先輩に治してもらった耳の神経が回復し、肩がきちんと上がるようになった頃には、俺の体はすっかり癒え、包帯も粗方取れた。

 記録的な長梅雨が置いていった湿気が夏の熱気で蒸し風呂のように日本列島を覆うその日、逃れようのない運命は、あまりにも唐突に訪れた。

「八雲?」

 あと数日で退院できると言われていた俺は、ゆっくりと過ぎていく夕方の時間を手持ち無沙汰に過ごしていると、病室のドアが開かれた。

「うん、ちょっといいかな?」

 ドアから入ってきた制服姿の八雲は、不自然なほど柔らかい微笑みを向けてくる。

 最近八雲は、学校が終わってから奈雲さんのお見舞いのために毎日病院を訪れていた。

 そのついでにいつも俺の勉強を見てくれたのだが、今日はどうも様子が違う。

「どうしたんだ?」

「……お姉ちゃんが、大地くんに会いたいって」

「…………」

 含みを持たせた八雲の言い方に、俺はその真意を感じ取った。

 不思議なことに、悲壮や絶望といった暗い感情は湧かず、ただあるがままに、訪れるべくして訪れたという感想が出てきてしまう。

「分かった……。リル、行くぞ」

 ベッドの上で骨型のオモチャを齧っていたリルを促し、俺はようやくきちんと歩けるようになった足で奈雲さんの病室に向かう。

「……どんな感じだ?」

 隣を歩く八雲にそう問いかけると、薄い笑みを浮かべながら八雲はそっと答えてくれた。

「落ち着いてるよ。すっごく、落ち着いてる……」

「そうか……」

 そんな短い会話を終え、俺たちは奈雲さんの病室を訪れた。

 そっとドアを引くと、室内にはすでに多くの人たちがいた。

 制服姿のトシにネコメ、諏訪先輩にマシュマロ、烏丸先輩までいる。

 それに、意外な人物の姿もあった。

「久し振りにだね、大神君」

「ご無沙汰してます、柳沢さん」

 ネコメの保護者、中部支部支部長の柳沢アルトさんだ。

 奈雲さんの担当医が看護師さんと何やら言葉を交わしている中で、全員が奈雲さんの横たわるベッドを囲んでいる。

「…………」

 ただ囲んでいるだけで、誰一人言葉を交わす者はいない。

 俺と柳沢さんも簡単に挨拶を済ませてからは一言も喋らなかった。

「……ぁ……」

 やがて、小さな声を漏らしながら奈雲さんがゆっくりと目を開けた。

 このまま目を覚まさないのかと思っていたが、どうやら起きてはいたようだ。

「お姉ちゃん……」

 皆声をかけたいのをグッと我慢し、代表して八雲が奈雲さんを呼んだ。

 そっとその手を両手で包み、強く握り締める。

「八雲……それに、皆んな……」

 首を動かして皆んなの顔を見回す奈雲さんは、起き上がることもできないでいる。

 医者の面持ちからも分かる通り、もう限界なんだ。

「……嬉しい」

 噛みしめるように皆んなの顔を眺める奈雲さんは、小さく呟いて一筋の涙を零した。

「……嬉しいな。本当に、嬉しいよ」

 何が、とは、誰も問わなかった。

 奈雲さんにとって、こうして誰かに見送られること自体が奇跡のようなものだと、皆んな理解していたからだ。

「奈雲さん……‼」

 堪らなくなった俺は、八雲が握る上から自分の手を重ねた。

 感覚が無くても伝わるくらい、強く。

 奈雲さんのことを刻み込むために、強く、強く握り締めた。

「奈雲さんっ‼」

 俺に次いでネコメとトシも手を重ね、ベッドに飛び乗ったリルが奈雲さんの頰に顔をすり寄せる。

「ごめんなさい、奈雲さん……」

 空いていたもう片方の手を諏訪先輩が握り、ポツリと謝罪の言葉を口にした。

「ごめんなさい……。本当に、ごめんなさい……」

 繰り返し謝罪する諏訪先輩に、奈雲さんは薄く苦笑いを浮かべた。

「なんで、彩芽さんが謝るの? 彩芽さんのおかげで、私は、こんなに綺麗な体を貰ったんだよ?」

「違う……。私が、貴女を治せたら……。そうしたら、もっと……」

 何度も首を横に振り、諏訪先輩は、泣いていた。

 握った手を額に当て、祈るように涙を流した。

 己の力不足を嘆き、救えなかったことを悔いている。

(同じなんだ……皆んな……)

 この場にいる誰一人、この結末を良しとしていない。

 もっと上手くできたのではないか。

 違う結果があったのではないか。

 そんなことを思い、その未来を勝ち取れなかったことを、己の無力を悔いる。

 目が覚めたあの日に剥がれ落ちたはずの悔恨が、今、奈雲さんの最後を目前に戻ってきてしまった。

 諏訪先輩の手の上にマシュマロと烏丸先輩が手を重ね、その上から柳沢さんも手を合わせる。

「私からも、謝らせてほしい。君にはもっと、違う未来だってあったはずなのに……」

 違う未来。

 奈雲さんが俺たちの輪の中にいる、これからもずっとい続ける。そんな未来も、あったのかもしれない。

 しかし、俺たちはそれを勝ち取ることができなかった。

 俺たちの後悔と突きつけられた無力さを、奈雲さんはゆっくりと否定した。

「ううん。彩芽さんも、謝らないで。皆んなのおかげで、私はもう、寂しくないんだから……」

 そう言って奈雲さんの瞳がゆっくり閉じられようとした瞬間、病室の外がにわかに騒がしくなる。

「おい走んなよ、ここ病院……‼」

「うっさい、早く‼」

 病院とは思えないほどの騒がしさとともに無遠慮にドアが開かれ、病室に予想外の人物が現れた。

「あ、あなたたち、何をっ……⁉」

 病室の闖入者、制服姿の里立四季と鎌倉光男、腰巾着の目黒と石崎に向けてネコメが眉を釣り上げる。

「良かった、間に合った……‼」

 先頭に立っていた里立が肩で息をしながら病室内に駆け込み、咎めようとするネコメを素通りして奈雲さんのベッドの前に出る。

「奈雲さん、はじめまして。私は里立四季、八雲ちゃんの友達です。奈雲さんのことは、皆んなから聞きました」

「八雲の、友達?」

 突然の自己紹介に奈雲さんは戸惑ったように言葉を鸚鵡返しして、里立はこくりと頷く。

「四季、あなた……」

 ポツリと声を漏らす諏訪先輩を一瞥し、里立は皆んなの手を振り払って奈雲さんの両手を握る。

「里立、お前何をっ⁉」

 奈雲さんと八雲の最後の時間を邪魔するような里立の行いに俺は荒げそうになるが、袖を引く諏訪先輩にそっと制される。

 里立は握った両手を合わせ、真っ直ぐ奈雲さんの目を見て言う。

「奈雲さん、私は座敷童の異能混じりです。相手に幸運を与えることができます」

「っ⁉」

 そうだ、それがあった。

 里立の異能、座敷童の幸運。

 相手に幸運をもたらすその力によって、俺は命の危機さえ脱したことがある。

 二度目の使用では一度目の幸運を帳消しにするほどの不運に見舞われてしまうという副作用があるが、一回こっきりなら関係ない。

「里立、もしかして……‼」

 可能、なのか?

 里立の異能なら、奈雲さんの運命を変えることさえも。

「……いいえ」

 俺の淡い期待を、神妙な面持ちのネコメが首を振って否定する。

「里立さんの異能は、あくまでも『幸運』を与えるもの。具体的には、運の要素がある乱数を対象にとって有益なものに傾かせるというものです。いつかわからない訪れを先延ばしにすることはできても、今日この日の運命を捻じ曲げるほどの力は……」

「そんな……」

 それじゃあ、やっぱりダメなのか?

 奈雲さんの運命は、ここで終わりだっていうのかよっ⁉︎

「……分かってるよ、そんなこと」

 握った手に視線を向け、里立はポツリと口を開く。

「私の異能は、そこまで万能じゃない。でも、奈雲さんの旅立ちに、ちょっとでもいいことがあればって、思ったの」

「旅立ち……」

 別れじゃなくて、旅立ち。

 さようならじゃなくて、いってらっしゃい。

 その一言を、旅立つ奈雲さんへのお土産のために、里立はここに来てくれたのか。

「……お願い、しっきー」

 成り行きを見守っていた八雲が、握られた里立の手に自分の手を重ねる。

「貰おう、お姉ちゃん。私の友達からの、贈り物」

「八雲……」

 今この瞬間にも閉じられそうな瞳を向け、奈雲さんは八雲に笑いかける。

 次いで里立に向けて「お願いします」と呟いた。

「四季ちゃん」

「しっきーでいいですよ。八雲ちゃんがつけてくれたあだ名、結構気に入ってるんです」

「じゃあ、しっきーちゃん。くださいな、あなたの贈り物」

「……はい」

 里立はゆっくりと目を閉じ、その手に握る奈雲さんの両手に光が灯る。

 その光はまるで、送り火。

 旅立つ彼女への、道しるべ。

「……お前らはなんで来たんだ?」

 里立の贈り物を見守りながら、俺はただそこにいるだけの三馬鹿に言葉をかける。

「別に、暇だったからよ」

「勉強しろ、試験前だぞ」

「……光男くんが言い出したんだよ。里立の異能なら、なんかできんじゃねえかって」

「モモ、余計なこと……‼」

 鎌倉が、そんなことを?

 こいつらにとって奈雲さんは、自分たちを殺しそうになった藤宮の私兵。

 こいつらの性格を考えれば、逆恨みの対象になったっておかしくないはずなのに。

「……そこまで変じゃねえだろ。ダチの姉貴を見送ろうってだけの話だ」

「鎌倉……」

 変わったんだな、こいつらも。

 会ったばかりの頃は、異能にモノを言わせて踏ん反り返っているだけの連中だったのに、最近はよく話すし、今回だって俺の見舞いにも来てくれた。

 人は、変わるんだ。

 自分の中で何かがあった時、あるいは、自分を変えてくれる誰かと出会ったときに。

 奈雲さんと出会ったことでも、俺たちの中で確実に何かが変わった。

 それがいい変化なのか、悪い変化なのかは、正直言ってまだ分からない。

 でも、奈雲さんにとっての俺たちとの出会いが、彼女にいい変化をもたらすものだったら、俺は嬉しい。

「光が……」

 里立の光が奈雲さんの中に消え行き、里立が手を離す。幸運の譲渡が終わったんだ。

「ぁ……」

「お姉ちゃん‼」

 まるで光の収束を待っていたかのように、奈雲さんが呻き声を上げた。

 慌てて八雲がその手を再び握り、奈雲さんの顔を覗き込む。

「お姉ちゃん……」

「八雲……」

 お互いを呼び合う二人を、俺たちはただ見守った。

 もっと話したいことがあったはずだ。

 もっと一緒に過ごしたかったはずだ。

 しかし、その瞬間は否応無しに訪れる。

「……なんで」

 手を取り合う二人を見て、ネコメがそっと声を漏らした。

 わずかに震えながら、その頰を涙で濡らしながら、ネコメは溢れる言葉を止められないでいた。

「なんで二人は、普通の姉妹として生まれなかったんでしょうか……。なんで、普通に学校に行って、普通に生きることができなかったんでしょうか……」

「ネコメ……」

 普通に生まれ、普通に生きる。

 ありふれた姉妹として生を受け、当たり前に学校に行き、当たり前に友達と過ごし、当たり前の恋をして、当たり前な人生を送る。

 この世にありふれているはずの当たり前を、二人は受けることができなかった。

 姉は当たり前に妹を愛し、妹も当たり前に姉を愛しているのに、それ以外の当たり前が、この二人には与えられなかった。

「……いいね、それ」

 ネコメの言葉を聞き、奈雲さんは笑った。

「皆んなに、もう十分貰ったと思ったんだけど、やっぱりダメだ。当たり前の生活、してみたかったよ……」

 穏やかに微笑みながら、「欲張りだよね」と自嘲するように奈雲さんは言った。

「……いいじゃねえかよ、欲張りで」

 歯を噛み締めながら、涙が溢れないように震えながら、俺は不恰好に口角を上げる。

 最後に見送る顔なんだから、せめて笑って見送ってみせる。

「欲張りなんて、普通だよ。だって、それが人間ってもんだろ……?」

「それが、人間か……」

 そうだ。人間は欲張りなんだ。

 欲張りに幸せを求め、自分勝手に人を愛する。

 そんな感情を持つ奈雲さんは、当たり前に人間だ。

「……私も、ちゃんと、人間なんだね」

「当たり前だっ……‼」

 微笑む奈雲さんの体から、フッと力が抜ける。

 堪えていた涙が溢れ、視界がボヤける中で、それでも俺は、俺たちは笑った。

 笑って、見送った。


「いってらっしゃい、お姉ちゃん……」


「うん、いってきます、八雲」

 奈雲さんの目がそっと閉じられ、八雲が握る手がベッドの上に落ちる。

 そのまま奈雲さんは、息を引き取った。

 最後まで笑顔で、旅立った。

「いってらっしゃい、奈雲さん……」



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