表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異能専科の猫妖精(ケット・シー)  作者: 風見真中
編入編
10/246

編入編9 異能の庭

 リルを連れて寮の外に出る。動きやすい恰好で、と猫柳に言われたので私物の中にあった中学時代のジャージ姿だ。

 初夏の夜は湿気が多く、じっとりと汗ばむ肌が何とも不快だ。

「行くぞ、リル」

『アン!』

 グッと身体に力を込め、程よい緊張感を持って寮の前に出ると、すでに猫柳と東雲が待っていた。俺には動きやすい恰好で、と言っていた割に二人とも制服姿だ。

「お、来たねー大神くん」

「そりゃ来るよ、仕事だからな」

 にぱっと笑い手を振る東雲に、俺は苦笑で返す。

「体調はどうですか、大神君?」

「平気だよ。何ともない」

 猫柳は、服装こそ先ほどと同じだが、右手に見慣れないものを付けていた。

 それは銀色の細い鎖で形成されたアクセサリーで、右手首に巻かれた鎖から指先に向けて五本の鎖が伸び、五指の第一関節までを覆う銀色のカバーが付いている。

 カバーの先は鋭く尖っており、例えるなら金属で出来た『爪』のように見える。

「何だ、その物騒なネイルアート?」

 猫柳の『爪』からは、普通の金属とは違った、何か本能的に忌避したくなる臭いが漂ってきている。眉をひそめて俺が問いかけると、猫柳は「ああ、これですか」と手を持ち上げ、チャリと鎖の擦れる金属音を鳴らした。

「これは私の爪、『異能具』です」

「異能具?」

「霊官や一部の異能者が使う道具、多くは武器として使用されます」

 武器、異能の武器か。

 物珍しそうにしげしげとその爪を見つめ、おもむろに猫柳の右手に手を伸ばす。

「さ、触らないでください‼」

 猫柳に叫ばれ、俺はビクッと手を引っ込める。

「す、すまん。悪かった……」

 いきなり手に触ろうというのは確かに不躾だったが、ここまで過激に拒否されるとは、少しショックだ。

 気まずくなって俺が後ずさると、猫柳は「あ、違うんです!」と慌てて手を振った。

「この『爪』は純銀で出来ていて、異能混じりは銀に触ると火傷のように皮膚が焼けてしまうんです」

「銀?」

 銀と言えば、魔除けの金属で、銀の弾丸、シルバーブレットは狼男を倒す魔除けの弾だ。

 俺の混じった異能がオオカミのリルで、俺の異能者としての姿が狼男だというなら、それは確かに相性最悪の金属ということになる。

「異能混じりは、混じった異能にもよりますが銀が弱点になるんです。私が混ざった異能は銀に耐性があるので、こうして身体に触れさせても大きなダメージにはなりませんけど」

「弱い異能なら銀に触っただけで中毒死しちゃうこともあるからね。霊官は銀の武器を好んで使うんだよ」

 つまり異能に対する必殺の武器ってことか。霊官に相応しい武器だな。

「まあその効力はこれからじっくり見れるよ」

 そういって東雲はだぼだぼの袖を振って笑う。コイツは武器らしいものを持っていないな。

「行きましょう。そろそろ集まっている頃ですから」

 集まっている?

 猫柳の言葉に首をかしげながらも、俺は二人に促されるように寮の前から校庭に向かって歩き出した。

 街灯もない暗い通学路を抜け、真っ暗な校舎を通り過ぎて校庭に出る。するとそこには、幻想的な光景が広がっていた。

「な、なんだ、こりゃ?」

 校庭の中央が、真昼のように明るかった。

 地面から青白い光が立ち上り、サッカーゴールや朝礼台などを妖しく照らしている。

 その光に群がるように無数の妖蟲が辺りを飛び回り、校庭を仕切るフェンスを乗り越えてどんどんその数を増やしている。

 光の周りを飛び回る蟲の群れ。その光景は、その虫たちの禍々しさとは裏腹に、とても美しいものだった。

「これが、異能場の力、なのか?」

 今日の授業中にテキストで見た『異能場』とそこに現れる妖蟲。この光景はまさに教科書通りのものだ。

「そうです。あの光が異能の力そのもので、この校庭が鬼無里の異能場で最も力の流出が多い場所になります」

 猫柳の言葉通り、校庭の光の中心には沸き続ける蟲がどんどん集まり、その力の源である光を浴び続けている。

 そのうちの一匹、地を這っていた巨大な蟻のような妖蟲の背中に亀裂が走り、その体を一回り大きく、さらに背中には翅を生やして自らの皮を破った。残された古い皮には他の妖蟲が群がり、一瞬で仲間の妖蟲の皮を食らいつくした。

 皮を食らって力を得た妖蟲が更に脱皮をし、その皮をまた他の妖蟲が食らう。

 そうやって妖蟲たちは、際限なく成長を繰り返していた。

「妖蟲はああやって成長し、進化します。放っておけば数日で妖蟲から強大な異能生物になり、人を襲うようになります」

「あのくらいの大きさだとまだ人を襲うより光を浴びてた方が効率いいんだけど、たまに弱い個体は異能場から追い出されちゃって山を下りるの。そういう個体は覚えがあるんじゃない?」

 東雲の言葉に、俺は自分を襲った妖蟲たちを思い出した。あいつらはここの光を浴びれなくなった個体だったのか。

「そういう個体が出ないためにも、ここで全ての個体を退治します」

 そういって猫柳は右手を構えて腰を落とし、異能を発現させた。

 髪と瞳が銀色に変わり、頭には猫の耳が、スカートからはモフモフの尻尾が顔を出す。

「…………ッ!」

 その威容に、俺は思わず息をのむ。

 鎌倉を圧倒した時は、言葉と威圧だけだった。

 妖怪の異能混じりである鎌倉とは根本的に違う、神聖で、どこか神々しささえ感じさせる銀色の異能。

 猫柳は、この時始めて俺の前で戦闘態勢をとった。霊官として、戦う姿を俺に見せてくれた。

「大神君は、朝礼台の上へ」

 猫柳は銀色の瞳で校舎に近い朝礼台を示す。光の中心部分からは遠く、妖蟲はほとんどいない。

「朝礼台の上?」

「ええ。八雲ちゃんは大神君の護衛を」

「はいはーい」

 東雲は言われるがまま、俺の手を引いて朝礼台の方へ駆けていく。

「お、おい東雲、猫柳一人に任せるのか?」

 猫柳は今や妖蟲の群れの前に一人で立っている。妖蟲の数は十や二十ではない。軽く百匹はいるだろう。

 あんな数の妖蟲を相手に、猫柳を一人にするつもりか?

「ネコメちゃんなら平気だよ。今日はネコメちゃんの戦いっぷりを見てなってば」

 そういって俺は朝礼台の上に放り投げられた。東雲もリルを抱えて朝礼台の上に上がり、短いスカートで仁王立ちしている。

「ホラ、見てなよ」

 朝礼台の上にへたり込んでいた俺は東雲の言葉に視線を向ける。

 煽情的な、赤いレースの下着が目に入った。

 東雲のやつ、あんなちっこいくせして藤宮先生みたいな大人っぽい下着を……。

 がすっ。

 俺の視線に気づいた東雲の靴の裏が顔面に叩き込まれた。

「あたしじゃなくて、ネコメちゃんをね」

「あい……」

 鼻っ面を抑えて光の中心部に目をやると、まさに猫柳が駆け出した瞬間だった。

 校庭の土を蹴り、一条の白い光となって妖蟲の群れに飛び込んでいった。

「見ものだよ。ネコメちゃんの戦いは」

 隣でニヤリと、東雲が笑う。

 猫柳の接近に気付いた一部の妖蟲が光の周りを飛び回るのをやめ、迫る猫柳の迎撃に出た。

 猫柳を脅威ととらえたのか、光よりも効率のいい餌だと思ったのかは分からないが、ともかく迎え撃つという判断は失策だったらしい。

 突撃する妖蟲に対し、猫柳は最小限の動きで身をよじり、すれ違いざまに右手の『爪』をほんのわずかに妖蟲たちに触れさせた。

 極めてしなやかに虚空に描かれる銀色の曲線、その爪に触れた瞬間、妖蟲たちはボトボトと地面に落下した。

 足を止めたのは異能の光の中心、妖蟲は餌場の真ん中に現れた猫柳を敵とみなしたのか、一斉に襲い掛かる。

「シッ!」

 対して猫柳は右足を軸に身体を半回転させ、銀色に煌く五指を縦横無尽に振るう。

 横薙ぎに、

 斜めに、

 下から上に、

 指揮棒を振るうように銀色の軌跡が描かれる。

「ハアッ‼」

 強く地面を踏みしめ、身を低くかがめ、ステップを踏むようにその身を翻す。

「……綺麗だ」

 俺の口から思わず零れたのは、そんな陳腐な台詞だった。

「でしょ?」

 東雲は眼を細め、愛でるようにその光景に賛辞を送った。

 光る大地は、まるでスポットライトを浴びるステージ。

 流れるように右手を振るう姿は、まるで舞踏。

 群がる妖蟲は、さながら哀れなモブキャスト。

 舞い踊る妖精に触れることは永遠に叶わず。

 銀色の炎に魅かれて群がれば、そのことごとくが焼け落ちる。

 銀色の妖精は、禍々しい蟲の群れの中を踊り抜いた。

「妖精舞踏、フェアリー・ダンス。あたしが知る限り、世界で一番綺麗な、ネコメちゃんの戦いだよ」

 時間にすればほんの数秒、短すぎる舞踏会が終わりを迎えた。

 猫柳の足元には無数の妖蟲の亡骸が転がり、スポットライトの中央にはたった一人の踊り子が立っていた。

「ね、猫柳、後ろ!」

 猫柳の背後、フェンスの陰の茂みから巨大な獣が姿を現した。

 黒い毛に覆われた丸みを帯びたフォルム、口から覗く太い牙に、平べったい鼻。

 車のようなサイズの、馬鹿でかい猪だ。

「妖蟲の、動物版。妖獣だよ」

 妖蟲が異能の力を得た虫なら、当然その動物版もいるわけか。猪が現れたのを皮切りに、兎や鼠の妖獣も姿を現した。

 地面を踏み鳴らし、猫柳に向けて飛び掛かる。

「お、おい、助けに……」

「必要ないよ。むしろネコメちゃんは妖獣の相手の方が得意だから」

 仁王立ちのまま動こうとしない東雲は平然とそう言った。その顔には明確な余裕がある。

 眼前に迫る獣の群れに対し、あろうことか猫柳は構えを解いた。

「な⁉」

 何をしてるんだ、という前に猫柳はあらん限りの『声』を張り、『命令』をした。

「止まりなさい!」

 ビリッと、大気を震わすようなその声に、俺は開きかけていた口を閉ざした。

 妖獣たちは猫柳の命令に従うようにその動きを緩め、ぎこちなくその場に止まった。

 しかし停止したのも一瞬、再び動こうと前脚を踏み出した瞬間、

「止まりなさい!」

 二度目の『命令』を受け、今度こそ妖獣たちは縫い付けられるようにその場に動きを止めた。

 この光景は、見覚えがある。

 一度目は昨日、寮の部屋で駆けまわるリルに向けて。

 二度目は今日、異能を使って俺を襲った鎌倉に向けて。

 昨日東雲は、リルが猫柳に従ったのを猫柳の異能だと言った。

 猫柳の異能の本質は猫のようにしなやかな舞踏ではなく、あの『命令』にこそあるってことか?

 猫柳は動きを止めた妖獣に対してゆっくり歩み寄り、銀色の『爪』を振るった。

 純銀の爪は妖獣の皮膚を裂いて肉に触れ、異能にとっての猛毒がその身を巡る。

 断末魔を上げることもなく妖獣は倒れ伏し、動かなくなった。

「……ふう」

 短く息を吐き、猫柳は体から力を抜いた。

「なあ、東雲……」

 猫柳の異能って、と俺が問いかける前に、東雲は答えを口にした。

「ケット・シー。アイルランドに伝わる猫の妖精だよ」

「妖、精……」

 俺が直感したとおり、猫柳は妖精だったのか。

「ケット・シーは白い猫の王様。王様だから、命令ができるの」

 命令、猫柳はリルにも鎌倉にも、あの妖獣たちにも命令をしてその動きを止めさせた。

「どんな異能にも命令ができるのか?」

「どんな異能にでもって訳じゃないよ。異能じゃなくても猫なんかは完全に従えられるし、動物、『哺乳類』ならああやって動きを止めるくらいのことは出来る」

 つまり猫に近い存在ほど、強い命令権を使えるってわけか。

「要は異能混じりの大多数は、ネコメちゃんには敵わないんだよ」

 オオカミの俺もイタチの鎌倉も、猫柳の命令には逆らえない。そういうことか。

「……強いな」

「うん。ネコメちゃんは強いよ。強くて、綺麗で、可愛くて……」

 そして、と東雲は一度言葉を切った。

「そして、可哀想な子だよ」

「…………」

 可哀想、それは猫柳に対する、東雲の忌憚のない評価だった。

 違反生徒一人罰することも躊躇うような優しすぎる性格を持ちながら、相手を威圧し、命令する異能をその身に宿した。

 そのちぐはぐな存在を、東雲は可哀想だと言った。

「…………東雲、お前」

 厳しい評価を下しながらも、東雲の表情はどこか愛おしそうだった。可哀想と評した猫柳を、『慈愛』の籠った目で見ていた。

「さて、まだまだ妖蟲は来るよ! あたしもお仕事しよっかな!」

 東雲はコロッと表情を変え、明るい声を出しながら朝礼台から飛び降りた。

「ネコメちゃーん、交代―」

 光の中央に立つ猫柳に向かい、東雲はぶんぶんと手を振る。猫柳はそれに応えるように手を挙げ、ゆっくりとこちらにい向かって歩み寄ってくる。

「大神君、妖蟲はそっちに行きませんでしたか?」

「あ、ああ、平気だ。一匹も来なかったよ」

 異能を発現したままの猫柳は銀色の眼を細めて「よかった」と笑った。

「妖蟲や妖獣はこの光に引かれてどんどん出てきます。本当は毎日こうして退治した方がいいんですけど、今のところは週に一回のペースで……」

「はーいはい、そういうのはいいから、どんどん来るよー」

 猫柳の授業じみた説明を遮るように、新しい羽音が耳朶を打った。辺りを見回すと蜂のような妖蟲やトンボのような妖蟲がゾロゾロと湧き出てきている。

「ホラ、ぼさっとしてちゃダメだよ!」

 言いながら東雲がバッと腕を振るい、だぼだぼの袖から白い糸を出した。

 直径五ミリほどの糸は東雲の手の中で絡み合い、迫る妖蟲の前で白い網を形成した。

「あ、網⁉」

「大漁大漁!」

 東雲があやとりのように手の中の糸を操ると、網は妖蟲の群れを包み込んでネットのように丸まり、地面に落ちた。

「糸の、異能?」

 烏丸先輩と戦った時にも出していた東雲の『糸』。昼間鎌倉たちにリンチされていた時に目黒と石崎を転ばせたのもこの糸だったのだろう。

 白い糸は東雲の袖から際限なく飛び出し、驚異的な伸縮性をもって次々妖蟲を絡め捕って地面に落としていく。

「糸の異能ではなく、蜘蛛の異能です」

「クモ?」

 糸を使って巣を作り、その巣に掛かった獲物を捕食する節足動物だ。

「ただのクモじゃないよ。あたしは絡新婦の異能混じり」

「あのシマシマ模様の?」

 ジョロウグモは、この辺りでは大して珍しくもないクモだ。黄色と黒の縞模様で山の方に行くと驚くほど大きい巣を作る。オスよりメスのほうが体が大きく、交尾の後でオスはメスに捕食される。

「そっちじゃなくて、妖怪の絡新婦だよ。男の人を騙して、食べちゃう妖怪」

 そういってニヤリと笑う東雲に、俺は背筋に冷たいものを感じて後ずさる。

「あはは、食べないよー」

 にぱっと笑って東雲は手を振り、手の中の糸でハートマークを作る。

「あたしの異能は糸を作って、それを操る異能。糸は伸縮性があって、粘着性も出せる。おまけにすっごく頑丈」

 東雲の言葉通り、妖蟲を捕らえたネットは切れる様子がない。妖蟲がその鋭い牙や顎で切断を試みても、ビクともしていない。

 昔何かの科学番組で見たが、クモの巣というのは直径一センチの糸で作ることが出来れば墜落するジェット機すら受け止められるほど頑丈らしい。

 東雲の操る糸は直径五ミリほど、限界張力は何キロになるのか想像もつかない。

「念力みたいな力で操るのか?」

「指先の技術だけだよ」

 つまり相当手先が器用ってことだな、東雲は。

「あの、大神君、リルさんが……」

 東雲の異能を観察していると、ジャージの裾を引っ張って猫柳が声をかけてきた。

「ん?」

 なんだ、と思って振り向くと、猫柳は顔を蒼白に染めて地面を指さしている。

「リルさんが……アレ、止めた方が……」

 地面ではリルが東雲のネットに捕らえられた妖蟲に向けて、口を開けて齧り付こうとしていた。

「何をしてやがりますかお前はー⁉」

 慌てて首輪を引っ張り、リルを妖蟲から引き離す。

『キャウン!』

「キャウンじゃありません! お前今何しようとした? 何しようとした⁉」

 リルの柔らかいほっぺたをうにょーんと引っ張り、とんでもないことをしようとしていたリルを叱りつける。

 俺の見間違いでなければコイツは今、妖蟲を食おうとしやがった。

「さっき腹いっぱい晩飯食ったばっかだろ! 犬のくせに一日三食も食った上にあんなもの食おうとするなんてどんだけ食い意地張ってんだお前は!」

 うみょーん、びよーんとリルの頬を引っ張りながら説教する。しかしコイツの頬は面白いように伸びるな。楽しくなってきた。

「お、落ち着いてください大神君、リルさんは犬じゃなくてオオカミです!」

「論点そこじゃねえ!」

「ねえ、あたしにもそれやらせてー」

 東雲が俺の手からリルをひったくり、俺のマネをしてリルの頬を引っ張り出した。

「きゃはは! 何これ柔らかーい! カワイイー!」

 されるがままになっていたリルはぶんぶんと首を振って東雲の手の中から脱出し、唯一無害そうな猫柳の元に駆け寄っていった。

「リルさんが妖蟲を食べようとするのは本能なんです。異能生物は他の異能を捕食して力を得ようとするものですから」

 そう言われりゃ確かにそうなんだろうが、だからと言ってまだ腹が減っているのか、このチビオオカミは。

「異能は別腹なんですよ」

 女子のスイーツかよ。

 困惑する俺を尻目に猫柳はポケットをまさぐり、ケースに入った見覚えのあるものを取り出した。

「おい、それって」

 これは確か、生徒会室で烏丸先輩がリルに食べさせていたビスケットのようなものだ。

「異能生物の為のおやつです。微量の異能の力が含まれていて、異能生物はみんなこれが大好きなんですよ」

 猫柳が異能ビスケットを何枚か手の上に乗せ、それをリルの口元に持っていく。するとリルはふんふんと鼻を動かし、喜んでビスケットにかぶりついた。

「大丈夫なのか? 異能生物が異能を取り込んだら、力を増すんだろ?」

 リルが力を増して最も影響を受けるのは、リルと混じっている俺だ。それは強くなるって意味だけじゃなく、この首輪で繋がれる許容量を超えて異能が暴走する原因にもなるんじゃないだろうか?

「大神くんは感がいいよねー。でも大丈夫、異能はカロリーみたいなもので、使えば消費するの」

「異能者なら体内のエネルギーから自分の異能の力を生成できますが、リルさんみたいな幼い異能生物ではそれも難しいです。だからこうして適度に異能を与えてあげないといけないんです」

 リルは一瞬でビスケットを食べつくし、おかわりをねだるように猫柳のポケットに鼻を突っ込んだ。

「だ、ダメですよリルさん、あんまり食べちゃダメです」

 猫柳はリルを引き離そうとするが、リルは縋るような視線を猫柳に向ける。

『くーん』

「そ、そんな目で見てもダメですよ……」

 猫柳はリルの視線に今にも折れそうだ。確かに可愛いもんな、コイツの視線。

「ほらリル、ステイ!」

 俺が短くそう命じると、リルは猫柳におねだりするのをぴたりとやめて大人しくなった。猫柳の異能ほどじゃないが、俺もリルに対してはそれなりに命令できるようしつけてあるからな。

 リルは多少不服そうだったが、猫柳に撫でられてむずがるように身をよじった。

「お仕事が終わったらもう何枚か食べていいですから、もうちょっと我慢しましょうね」

 猫柳の言葉に応えるようにリルは『アン』と一声鳴き、地面に降りてステイの姿勢で大人しくなった。

 リルの様子に猫柳は微笑んで顎を一撫でし、改めて妖蟲の群れに向き直った。

「さて、残りのお仕事を……」

 猫柳がそう口を開いたとき、腹の底に響くような轟音が辺りに轟いた。


 ドゴォン‼


 まるで和太鼓を叩いたような低い音は、校庭の木さえ震わせた。

「え?」

 呆然とする俺の目の前に、何かが転がってきた。

「ゲ……エォ……」

 転がってきた人影は一度ビクンと痙攣し、小さな口から赤黒い血の塊を吐き出し、動かなくなった。

「しの、のめ……?」

 うつぶせに倒れ伏した人影、東雲は口の周りの地面に血溜まりを作り、眼球を半回転させて白目を剥いている。

「お、おい、東雲⁉」

 慌てて東雲を仰向けに起こす。その体はぐったりと力なく動かず、腹部は何か強い力で殴打されたように凹んでいる。

「無理に動かさないでください‼」

 猫柳は短くそう命令し、茂み、東雲が転がってきた方に向けて構えをとった。

「大丈夫、心音は聞こえます。大神君、離れてください! 八雲ちゃんは動かさないで、恐らく内臓を傷めています」

 猫柳の命令は短く、それでいて的確だった。

 東雲は無理に動かさず、このまま寝かせておく。俺はリルとともに、東雲を吹っ飛ばした何かから距離を取る。

 それが最善なのだろう。

「で、できるか、そんなこと!」

 俺は動揺する頭を振り、自らを叱咤して猫柳の命令に背く。

 気を失って力なく横たわる東雲を置いて、得体のしれない『何か』を猫柳一人に任せる。そんな惨めなこと、やってたまるか!

「お、大神君……」

 まだ辺りにはかなりの数の妖蟲がいる。猫柳が『何か』の相手をしている間に、東雲が襲われちまう。

「大神君、命令です! 今すぐ下がって……」

「俺が東雲を守る!」

 言わせない。

 自分たちを置いて逃げろなどとは、絶対に言わせない。

「大神君……」

 命令無視でもいい。

 報告されて諏訪先輩になじられたって構わない。

 だから今この瞬間だけは、俺は東雲を守るために異能を使ってやる。

「く……来るぞ……」

 がさりと、暗い茂みが揺れる。

 それに呼応するように猫柳が異能を強め、髪が薄く発光し始めた。

 俺も身体に力を込め、耳と鼻に意識を集中する。

 ピクリと、頭の上に耳が出現するのが分かった。

 ズボンの中には尻尾が現れたのが感触で分かり、窮屈だったのでジャージを少しおろして尻尾を外に出す。

 鋭敏になった嗅覚には東雲の生々しい血の臭いと、嗅いだことのない異臭を感じ取った。

「こ、これは……!」

 発汗の匂い、茂みの中から姿を現した『それ』を見て、猫柳が動揺しているのが分かる。

 俺も、目の前の光景が信じられなかった。

 それは二メートルを超える巨躯を持ち、赤黒い肌と岩のような筋肉に覆われている。

 虚ろな眼球は白濁して焦点が定まっておらず、牙の覗く口からはボタボタと唾液を垂れ流している。

 そしてその額には、異形の存在を示す『角』が生えていた。


「お……鬼……?」


 かつてこの鬼無里を滅ぼした異形の存在が、そこにいた。


バトル描写は分量の消費が激しいです。


投稿作だった頃の文字数はすでに超えそうなんですが、まだまだ続きます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ