第89話
「私は......いえ、今すぐに決めることは...」
ガーランド伯爵という連合王国内でも比較的高い地位にいる貴族からの誘いを蔑ろにすることはできない、という理由もあったが、ローレンとしては冒険者の道を進んで行きたいと思う気持ちもまた大きかった。
「あぁ、そうだな。いきなり学園に来ないかと言われたところで、すぐに決めることはできないだろう。君は冒険者として優秀だと思う、だから無理に誘うことはしない。そうだな、基本的に春に入学試験があるのだが、来春までに決めてくれるかい?もちろん、学園を卒業した後は君の自由は保障する。私の部下になれと命令することはけっしてない。どうかな?」
ローレンはガーランド伯爵の熱烈ともいえる勧誘に心が揺れ動いた。最初はほとんど興味がなかったのだが、無理に誘われているわけでもないこと、卒業後も自由にできると聞いていい条件だと思うようになった。
「...わかりました。どちらにしろ、近いうちにイルマへは行く予定があったので。来春までには決めておきます」
「うむ。その時は、私の屋敷に来るといい。門番に名前と顔を見せれば通してくれるはずだ」
「はい」
「よし、では今日は町長の家に戻ろう」
翌朝、昨晩は夜遅くまで、ガーランド伯爵と町の重役たちが会議をしていたため、起きることなく既に昼を回ってしまっている。
予定通りであれば、既にリンベンの町へと続く街道を進んでいるはずなのだが、ガーランド伯爵が起きてこなかったため、出発することができなかったのだ。
騎士たちも、伯爵よりも早く寝るわけにはいかず、夜遅くまで会議している側で護衛をしていたため、ついさっき起きたという始末だ。
「どちらにしろ、今日のうちに出発するのは無理だね」
「面目ない。騎士長である私が寝坊してしまうとは...」
「まぁここ数日は忙しかったし、多少はね?」
「それよりも、私は伯爵を起こして今日の予定を聞いてくる。流石に今からリンベンに向かうことはないだろうがな」
そう言って、まだ起きたばかりのテオが伯爵が寝ている部屋の方へと向って行った。
「ローレン...起きていたのなら起こしてくれても良かったんじゃないか?」
騎士の1人であるライナーがローレンに尋ねる。実際にローレンはいつもよりは遅いが、昼になるだいぶ前に起きていたのだった。
「うーん。徹夜してた人たちを護衛して行くのってリスク的にちょっとね」
「うわ、さすがは冒険者!保身に走ったな!」
「人聞きの悪い。クライアントの身を守るのが今回の依頼なんだから、間違っていないと思うけどね」
「ぐっ、そういわれると...」
ライナーと話していると、伯爵を起こしに行ったテオが戻ってくる。
「出発は明日に延期だ。だいぶ予定には余裕を持たせているから大丈夫だそうだ」
「わかった」
「それと、昨日の終わらなかった会議の続きをするそうだ。ローレンも出席してくれとのことだ」
「え?俺が...?」
「先日の会議の続きを始める。時間を取らせてしまって申し訳ないが...」
ガーランド伯爵が会議の開始を宣言しつつも、謝罪する。会議に出ている人たち全員が目の下に大きな隈を作っているのを見るに、かなり寝不足のようだ。
「では...まずは鉱業の投資についてだ。意見のある者はいるか?」
伯爵が提議するが、誰一人として言葉を発することはなかった。既に先日も同じような状況だったのだろう、会議に出ている人の顔は曇りがちだ。
「...ではローレン、何かないかね」
「...いえ、まぁ、えぇっと」
突然伯爵に指名されたローレンは一斉に視線を浴びて困惑する。会議に出ている人間からは『下手なことは言うなよ?』『なんでもいいから案を出して終わらせてくれ』といった視線が突き刺さる。
「えー、鉱業についてですが、担当の方に少しだけ質問しても?」
「あぁ、構わないよ」
疲弊している男が顔を上げて答える。子ども相手にもしっかりと話してくれるいい人らしい。
「昨年の鉄鋼の生産量とそれの売却量と単価を教えてください」
「昨年の総生産量はインゴット5600個。インゴットはすべて町の鍛冶屋に売却、単価は銀貨3.4枚」
「ありがとうございます。他の町での鉄鋼の値段がわかる方は?」
「私が答えよう。付近で鋼を生産できない町でなら、インゴット1つで銀貨6枚。クラム付近、また鋼を生産可能な町、都市では4枚前後だ」
「ガーランド伯爵、ありがとうございます。つまり、クラムの鋼は比較的安いということですね。次に輸出に関してですが、今まで通り、商人への売却に専念することでいいと思います」
「それはなぜかな?」
「例えば、クラムが馬車を使って他の町へと輸出する場合、輸送のコストが大きく、採算が取れないでしょう」
「それは商人たちも同じでは?」
「いえ、実はそうでもなかったりします。それなりに大きい商会では、街道が多く集まる町や都市に商品の集積所があります。そこへ集めた商品を他の町へと必要な分だけ輸送するというのが最近の手法らしいです」
「ふむ、なるほどな。それはどこで知った?」
「以前、取引した商人にチラッと。詳しい話までは聞きませんでしたが」
「なるほど」
「つまり、鉄鋼を増産してインゴットで売るとしても、採算は取れるかと思います。安定して増産すれば単価も抑えられ売却量も増えるでしょう。それに街道の整備をするのならば、商人の大型の荷馬車も通りやすいですし」
「ふむ。確かに大きな商会なら大量の鋼インゴットを安く仕入れやすい。小さく儲ける商人たちにインゴットの取引は向かないが、そう言った商人たちには既に加工されている鋼製品があるわけだ」
「この案について、意見がある者はいるか?」
「では私から2つよろしいでしょうか。まずは鋼の生産に必要な鉄鉱石と石炭の供給と、生産した鋼の需要についてはどうでしょうか?」
「ふむ、それは私が答えよう。鉄鉱石と石炭の供給についてだが、現在クラム周辺及び我が領地では鉄鉱石や石炭の鉱脈の枯渇が相次いでいる。そのため、来春から領主主導の下で開拓地を設置し、炭鉱などの開発を行おうと思っている。数年もすれば供給を安定化させることが可能だろう、上手くいけば来年の今頃には供給量を増やせるかもしれん。次に鋼の需要だが、ここ最近帝国の脅威が増してきていることもあって各領地で軍拡の動きがある。私の領地でも、少しずつではあるが軍備を増強する見通しだ。その際に兵士が使用する装備はすべて統一して生産することになっている。各地で装備を買って集めると、質や形状が不揃いになるため、軍が自分たちの工房やお抱えの鍛冶屋に頼むわけだな。それ以外にも...」
その後、会議は続けられ、あっという間に夜になり、先日の轍を踏まないように早めに解散となった。
「ふぅ。では各自早めに寝るように。明日の朝一番でリンベンへと出発する」
伯爵はそれだけ言うと、足早に寝室へと直行し、朝まで出てくることはなかった。




