ケアテイカー(世話役)
これは、いつも周りを気にして、いつの間にか自分を理解出来なくなってしまった、小さなケアテイカー(世話役)のお話。
『あの子、また苛められてる。先生に報告しなくちゃ』
『今日はお母さん機嫌悪いな・・・どうしたんだろう?』
『今日はいつも意地悪してくる子がお休みしてたから学校で苛められなかったけど、明日はどうだろう』
いじめっ子達は私の事を「チクリ魔」と言ったけど、そもそも怒られるような悪い事をしなければいいのに、なんで大人しくしてられないんだろう。
人の悪口を言ったり意地悪な事をするのは、やっぱりいけない事だと思うし、あからさまに「デブ」なんて言葉を使うと先生に怒られるからって、いじめっ子達の間でだけ通用する「合言葉」を使ってからかうのは、本当に卑怯だし許せなかった。
いじめっ子達のターゲットになる子は基本的に複数いたけど、メインターゲットになる子は、まるでルーティーンがあるみたいに、昨日まではあの子、今日はこの子、という風に、いじめっ子達のリーダー格の子の気分次第で変わった。
私はいじめっ子達が誰かに暴言を吐いているのを見る度に注意して、そうすると自然にいじめっ子達のターゲットは私に切り替わって「チクリ魔」だの何だのと言われるようになった。
私は、注意する勇気はあったけど打たれ弱くて、毎回いじめっ子達に返り討ちにされ泣いていた。
その度にそばにいる誰かが庇ってくれて、自分ひとりで解決出来ない事が悔しかったし、庇ってくれる子に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
ある日、将来の夢について作文を書く事になった。
まわりの皆が「お花屋さん」や「ケーキ屋さん」と書く中、私は何と答えればお母さんが喜ぶのか分からなくて何も思い浮かばず、結局まわりと同じ「お花屋さんになりたい」と書いた。
皆が言っているんだから、多分怒られたりはしないだろうと思って。
私は「まわりと違う」事や「親の機嫌を損ねる」事を無意識に怖れていた。
だから、「どうやったら人に誉めてもらえるのか」というよりも「いかに他人に迷惑をかけずに、問題を起こさずにいられるか」という事を第一に考えて行動していた。
結果として先生からの評価はそこそこ良かったが、私の心が休まる事はなく、いつもどこかまわりを気にして「自分らしさ」というものが何なのか分からないままに月日が経ち、今では「優柔不断で自分一人では何も決められない」大人になってしまった。




