0-1 プロローグ
先ほどまで緑で生い茂っていた森林地帯は、今では半分以上が消滅し、幾らかの地層が裸をさらしていた。えぐり取られてできたようなクレーターの端々からは、水と思しき液体が流れだしている。残り半分の森林は、炎の渦に囲まれ逃げ場がない。
大自然が魅力的であったここら一帯は、一瞬にして地獄絵図へと変わってしまった。
――それも、たった二つの凄まじい魔力によって。
まるで自然が引き起こしたような残酷無慈悲な大災害は、人工的に作られたものなのだ。二方向からの魔力弾が一発ずつ。たったそれだけで、ここまでの惨劇。
そんな超が付くほどの危険地帯には、やはり二つの影が牛耳っている。
「ねぇ、勇者イリア、提案があるんだけど聞いてみない？」
「降伏……とかではないですね。魔王ベリアル？」
魔王ベリアルは暗黒色の翼を動かしながら、余裕綽々に笑ってみせた。上下の紅いルージュが左右に引っ張られて、その中からは真白な牙が二本覗かせている。ちなみに笑ってみせたと言っても、口より上は鉄仮面で覆い隠されているため、口元の変化でしか表情を読み取ることができない。
対して勇者イリアは、長くすらりと伸びた体躯の魔王ベリアルとは相反し、華奢な肉体を鋼鉄のアーマーでぎっちりと固めていた。そのせいで顔が全て隠されているため、いちいち声が反響して声がどもっている。
「あたしたちって、今まで何回戦ってきたと思う？」
「今日は含めないで三七五二回です」
唐突な問題にも勇者イリアはひるむことなく冷静に答える。
「よく覚えてるね……あたしなんて一二四三回で数えるのやめちゃった」
魔王ベリアルは豊満な肉体に似合う艶っぽい大人びた声で、感心の念を送る。
「それが、どうかしたんですか？」
クレーターに立つ勇者イリアは首を上に曲げ、宙に浮く魔王ベリアルの方を向く。
「まぁまぁそんな焦んないでよ」
「焦ってはいませんが」
魔王ベリアルの茶々にもスキなく突っ込む勇者イリア。敵に対してでも敬語を使うあたりなど、生真面目な性格が滲み出ている。
「じゃあ次の問題です。……あたしたちは合計何回星を壊してきたでしょうか？」
「ええと、一回分を引いて、三七五一回……ですか？」
「よくできましたー流石勇者様」
魔王ベリアルは拍手ができないため、代わりに両方の翼を叩く。
勇者イリアが『一回分を引いた』のは、最初の一つの星は壊さなかったためである。というのも一番最初の戦いを行った地が、彼女らの故郷である『コスモス』だったからで、自分たちの力によって星ごと消し飛ばしてしまうことを予知した彼女らは、二回目以降の戦いを人のいない別の星ですることにしていたのだ。
基本的にこの一対一の勝負はどちらかが殺されるまで行われるのだが、星自体が彼女らの力に耐えきれずに崩壊し、両者引き分けで終わってしまう。よって現在どちらもがゼロ勝ゼロ敗三七五二引き分け、ということになる。
「馬鹿にするのも大概にしてください。さもないとあなたを粉々に切り刻みますよ」
流石に怒りに触れたのか、勇者イリアは腰に差した聖剣を鞘から何寸ばかりか出して、ちらつかせる。
「悪かったって。そんなもの振り回したらまた別の星に行くことになっちゃう」
魔王ベリアルは苦笑いをする。
事実、勇者イリアが聖剣を一振りでもしたら、クレーターがどうこう、森林火災がどうこうの話では済まされない。彼女らのいる星は木っ端みじんに崩れ去るだろう。それはほぼ確定で。
「そうしたらまた異空間移動魔法で別の星に行きますけど」
勇者イリアは聖剣を鞘にしまって、答える。
異空間移動魔法というのは文字通り、別の空間を行き来することを可能にした魔法である。しかも条件を一つ指定可能という、なんとも便利な魔法だ。彼女らは毎回戦いの開催地を「人のいない星」という条件を指定した上で、その都度、異世界に飛んでいる。
勇者も魔王も無駄な犠牲は払わない、案外人道的な生き物なのだ。
「それが面倒くさいんだよ。異世界に飛ぶ。滅ぶ。『コスモス』へ戻る。そしてまた異世界に飛ぶ。ずーっと何百年もループしてさぁ、もう飽きたんだよねー」
呆れ果てた魔王ベリアルは「やれやれ」と言わんばかりにため息をついた。
「私はあなたを倒せれば何百年、いや何千年でも戦います」
ストイックな勇者である。
「あたしが嫌なんだって」
思わず魔王ベリアルが切り返す。
「魔王なら、私を殺す気で戦ってください」
「そのつもりだけど、結局どっちも死なないじゃない」
引き分けの数が彼女らの力の均衡を物語っている。このまま戦い続けても、連続記録と訪れるはずの決着までの年月を伸ばしていくだけだ。
「それは私たちの力が星を壊滅させるくらいあるからで……」
「だったらその力に耐えられるような星へ行くの」
魔王ベリアルが途中で口を挟む。これが彼女の提案だった。
「そんな星があるんですか？」
「無いっ！」
「えぇ……」
魔王ベリアルが断言する。そしてそんな彼女の潔さに勇者イリアは持ち前のクールさを取り乱し、思わずたじろいだ。
「さっき異空間移動魔法で『どんな力にも耐えられる星』って条件指定したんだけど、見つからなかった。まぁ三七五一個の星を壊しちゃってるわけだし、当然だと思うけど」
異空間移動魔法は条件が満たしていていないと、発動しない。当たり前だ。そもそも条件に見合った星が存在せしめないのだから。
「ダメではないですか」
「だからさ、できるだけ長期戦ができるような星に行けばいいのよ」
魔王ベリアルはニヤッと頬を緩ませる。
「『最も力に耐えられる星』と条件を指定するわけですか……確かに、その考え方はありませんでしたね」
「でしょ？」
「しかし、それだと『人のいない星』が検索対象外になってしまいますよ？」
「…………別に、コスモスの人じゃないから……ね？」
勇者イリアの的確な突っ込みに、魔王ベリアルは視線をそらした。
――だが。
「いいでしょう。戦いには犠牲はつきものですから」
勇者も乗り気なのだ。反対されるとばかり思っていた魔王ベリアルは、そんな彼女の問題発言を聞いて口をあんぐりと開けていた。
「あんた、実は魔族だったりする？」
さらに言えば引いていた。
「冗談を。私は勇者一家に生まれたイリア＝エスティリカです」
「冗談じゃないんだけどな……」
勇者も魔王も無駄な犠牲は払いたくない、しかし都合上でどうにもならない時には犠牲を払うような、やはり不条理な生き物なのだ。
「……まぁいいや。んじゃ、早速行く？」
「そうですね」
「「異空間移動魔法『最も力に耐えられる星』へ！」」
＊＊＊
ガクッ。バタ。
卓袱台の足が折れ、畳に落ちる。同時にホコリが宙に舞った。
「ああっ！ ……この接着剤、全然つかないじゃないかぁ」
地球《最も力に耐えられる星》の日本の都会外れの『コスモス荘』で管理人の役職を全うする及川智也は現在、卓袱台の残念な強度と接着剤の無能さに落胆していた。
これから身に降り注ぐ災難など、微塵も感じずに。
