プロローグ
日が落ちて、行く先々の道に街灯が灯り出したのをどこか冷めた目で見ながら彼女は歩いていた。いつもはうるさいバス通りも夜八時をすぎれば人も車もまばらで、まるで自分以外誰もいない世界にいるかのようであった。彼女はそんな状況を悪くないと思いながらも、少し歩くスピードを早めた。
この辺は特に変質者出るといった噂はなかったが、周りには畑と住宅地しかない人通りの少ない道である。たまにキツネが道路を横断するくらい山にも近く、変質者の死角となる茂みも多かった。気を付けることにこしたことはない。彼女はそう考え、さらに歩くスピードを早めた。
ギュギュギュとリズムよく雪を踏みしめる音が辺りに木霊して、深い深い闇に吸い込まれていく。それを耳にしながら彼女は角の郵便局を曲がった。そして、小さい頃通っていた幼稚園の横を通りすぎて家路へと急いだ。
雪に映る自身の影を見ながら暫く歩いていると、ふと宗教の先生が「自分が生きているか、死んでいるか証明するのが一番難しいんだ」と話してくれたことを思い出した。
彼女の学校はミッション系の中間一貫校で宗教の授業が毎週一回ある。そして、彼女のクラスを担当していた先生は宗教だけではなく哲学も専門であったためか、たまに哲学的な話をよくしてくれた。 クラスメイトのほとんどが大学受験のための勉強をこっそりとしていて聞いていなかったが、彼女だけはなぜかその話に強い興味を持ったのだ。
先生曰く「誰も自分がすでに死んでるとは思わない。自分は当然の如く生きていると思っているわけだが、自分が見ている世界、生活、友人、家族が本当に存在しているかは証明できない。というのも、もしかしたら自分たちは当の昔に死んでいて、今ある世界は生きていた頃の記憶を頼りに自分自身で構築したもので、実は存在していないのかもしれない。故に自身の存在も他者の存在も証明することは難しい」と。
この話を聞いた当初は何を言っているかわからなかったし、どこか矛盾しているような気もした。だけど、もしかしたら本当なのかもしれないと時々思うのだ。私はすでに死んでいる。これは過去の自分の記憶だ。だから、友達も世界も実は存在しない。
その一方で、なんて馬鹿げた考えなんだろうと思う自分がいた。仮にそうだとしても痛みはあるし、実際に死のうとしたらどうなるのだろう?すでに死んでるのに死ぬことなんてできないんじゃないだろうか。もし、仮に死ねたとしてもその先はどうなる?実は死んでた自分が自分の記憶の中で生きていて、その世界で死んだらどうなるんだろう?
そこまで考えた所で丁字路を右に曲がった。あと、もう少しで家だ。早く帰って、風呂に入って寝よう。
そう思いながら歩いていると視界の端に赤い棒が映った。なんだろう?オカシイなと思い、ふと目を上げると見覚えのあるポストが目の前にあった。赤い変哲もない四角いポストだ。あれ、こんなとこにポストなんてあったっけ?そんな疑問が頭をよぎった時、彼女は自分が郵便局の前にいることに気がついた・・・。
しかし、そんなハズはない。私は確かについさっき郵便局を曲がったし、そもそも、丁字路を曲がった先にポストなんて、ましてや郵便局があるハズもないのだ。じっとりとした変な汗が背中を流れていった。何かがオカシイ・・・。頭のすみでそう警鐘がなる。彼女は再び郵便局を曲がった。
その先にはポツンポツンと申し訳程度に道を照らす街灯があるだけで、人も車もいない狭い道が続いていた。
いくら夜八時を回っているからと言ってこれはおかしく無いだろうか。さすがに犬を散歩している一人や車が一台くらい通ってもよいではないか。
彼女は恐る恐る足を踏み出した。ギュと足元で雪が鳴いた。それ以外は何も聞こえない。静寂がただただ彼女を包み込むだけである。彼女は再び歩きだした。静寂が支配する暗く寂しい道を。ただ家にたどり着けることを祈りながら。