その六「帳」
It's the sad eyed goodbye
Yesterday's moments I remember
It's the bleak street, week kneed partings I recall
「Drowce」 Roger taylor
私を襲ったのは、激しい後悔と、吐き気でした。
あのあと、どうやって私はベッドに入ったのか、よく思い出せません。
先ほどまで寝ていたはずなのに、瞼が重くて仕方がありません。
私は、にぶくなった頭で、昨日の夜の、そのあとを思い出そうとしました。
私のありとあらゆる感覚が、私を、壊れたままにするのです。
忘れるなと、誰かが言うのです。
一体なにを忘れればいい?
考えているうちにも、身体がゆっくりと感覚を失っていきます。
あぁ、そういえば、今日は眠れませんでした。
だから、今になって、眠りの中に引きずり込もうとしているのです。
私があたりを見回すと、部屋中がオレンジ色に染められていたことに気づきます。
朝から、私はいつまで寝ていたのでしょう。
ぼんやりした記憶を、私は必死にかき集めようとしました。
ゆっくりと上半身を起こし、ぼんやりとしている頭をさすって、ため息をつきました。
体も少し重かったのです。
ふと、外を見ようとした私は、サイドテーブルに花瓶以外のものがあると気づきました。
本でした。
それを手に取ろうとすると、サイドテーブルとの間に挟まれていたらしい紙切れがするりと床に落ちました。
私はベッドにうつ伏せになって、それを拾います。
そこには、乱雑な字で、「またいつか。J」とだけ書かれていました。
私は、書き手が誰か、考えずともわかりました。
彼に違いありません。
胸がきゅっと締め付けられて、苦しくなって、そして、しまいには泣き出してしまいました。
あんなこと、しなければよかったのに。
あんなこと、言わなければよかったのに。
でも、その紙切れを自分のパジャマのポケットに入れました。
もう遅いことを、私は知っていたからです。
涙で潤んだ目を、乱暴にぬぐいました。
本の名前は、あのガリレオ・ガリレイの「星界の報告」でした。
「こんなもの、読むわけないじゃないですか」
私は思わずつぶやきました。
くすりと、思わず笑ってしまいます。
湧き上がってくる感情を必死に抑えながら、私は布団から飛び出た自分の足をじっと見つめていました。
なにか、自分も、周りも変わったような、そんな気がしました。
それでも、窓から街を見れば、彼のことを見つけられるのではないかと思いました。
私は、もう一度だけ目をこすって、カーテンをどかして、開け放たれている窓から顔を出しました。
遠くに広場が見える以外は、いつかの景色にそっくりでした。
みんな、思い思いの格好をしています。
だけど、やっぱり、彼はいませんでした。
夕陽が綺麗なオレンジ色が、その濃さを増して、私を照らします。
変わっていないのは、夕陽だけだったのです。
私は落胆しました。
彼は今どこにいるのでしょうか。
私は、彼に追いつけるのでしょうか。
しかし、もう……。
窓を閉じて、私は再びベッドに腰掛けます。
あの日まで、私は優等生でした。
母の言いつけを守り、父を尊敬する、そういったポーズをとって、澄まし顔で街をあるきまわり、気にくわない友人に対してもあくまで社交的な、そんな人間でした。
機械のような、求められた人間だったのです。
ですが、私は一度だけ失敗を犯しました。
私は、つまり、それでここに送られて来たのでした。
だから、当然のことだったのです。
一人部屋で、なにも置いてない部屋の開かない窓を眺めていたのは、そのためだったのです。
薬を飲んで、吐きたくなって、毎日、毎日、それの繰り返しでした。
1日たとりとも、それから外れた日はありませんでした。
そして……。
私は、本を投げ捨てました。
彼に会う方法は、本当にないのでしょうか。
また、私が今まで諦めて来たように、彼のことも諦めてしまうのでしょうか。
私は深呼吸しました。
ゆっくりと、時間が過ぎるのを待ちます。
頭の中は混乱して、重くて、だけど、彼のことだけが、ちらちらとよぎります。
でも、私は……。
そんなこと、できるでしょうか。
その時、ドアが開いて、夕食を持ったバルマ看護師が現れました。
「お待たせ。夕飯にしましょう」
もう、ドアの開かれる音に怯えることもありません。
彼女が出してくれた夕食は、久しぶりに全て食べました。
「あら、珍しいわね。全部食べるなんて」
彼女は、この部屋に帰ってくる言いました。
「さっきまで寝てたので、今日はなにも食べてないんです」
私は、かつてのお得意だった作り笑いでごまかしました。
「そう。まぁ、今きちんと食べられたのなら良かったわ」
彼女は言いながら、簡素な食器を片付けています。
私は、そわそわしてしまって、それを隠すので精一杯でした。
バルマ看護師は、私のそれに気づいていないようでした。
「ああ、またいなくなっているのね」
私は、その言葉にびくりとしました。
「さぁ、いつものことですし」
私は、苦し紛れの一言を絞り出しました。
「あなたはあんな子になっちゃだめよ?」
バルマ看護師が冗談ぽく言いました。
「はい」
私は、ぼんやりと、あんな自由になれればいいのに、と思いました。
彼に会いたいと、そう思いました。
大人は、みんな「あんな子」には近づくな、とか、仲良くなるな、と言います。
だけど、私は私であって、自分が選ぶ友達なんて、そんなものを自由に決める権利を持っているはずなのです。
それは、善意の押し付けなのです。
もう、ごめんです。
他人のいいなりになるのは。
バルマ看護師を見送った私は、窓を開きました。
窓のすぐそばの壁には、パイプが配置されていました。
「やっぱり嘘じゃないですか」
私はつぶやきました。
このくらいの高さなら、私にも降りられそうです。
靴はいらないでしょう。
本も、服も、全部捨てて行きましょう。
大事なのは、足を窓枠から出す勇気だと思います。
私は、ゆっくりと、夜の帳へと歩み出しました。
悲しい目をしたサヨナラだった
私が昨日のことで思い出せる瞬間は
私が思い出せるのは、
裏通りでの、
情けないお別れのこと。