タワイナイアイ
彼のことを知ったのは月曜就寝前のラジオ。
持ち帰った仕事をしながらそろそろ寝ようかなと思っていた所、何とはなしに聞いていたラジオから彼の声は聞こえてきた。声質、抑揚、間の取り方、笑い声まで全てが私を一瞬で虜にした。それまで考えもしなかったけれど私はこういう声が好きなんだ。私って声フェチだったのかな。なんて。声にばかり気を囚われていた私は彼がどんな話をしているのかじっくり耳を傾けなければと思い鉛筆を握る手の動きを止めた。
彼はめっちゃゲスかった。
下ネタのオンパレードだった。こんなに綺麗な声でこんなに汚い言葉を吐くだなんて。
歌手だか声優だか芸人だか分からないけれど。
さようなら。私の愛した人。
彼のことを知ったのは火曜仕事帰りによった本屋のポップ。
煌びやかな言葉で彼は褒め称えられていた。元々読書が好きな私はそのまま彼の著書をレジに持って行った。
家に帰った私は頁をめくる。一頁。十頁。百頁。気づけば一夜で読了していた。それほどまでに彼の文章は魅力的だった。こんなに美しい文章を書くんだ。彼はきっと心の美しい人に違いない。もっともっと彼のことを知りたい。そう思った私は他の彼が書いた本、雑誌掲載の短編、書評、ブログ、SNSなんでも読み漁った。ああ。やっぱり彼は素敵な人。でも彼の書き物はあらかた見終わってしまった。もっと知りたいのに。彼をもっと知りたい私はネットワークをサーフィンした。行き着くところは某巨大掲示板。彼に関するスレッドが沢山立ってる。嬉しい。一つ一つ余すとこなく読み上げていく。彼の代表作に関する考察や議論。興味深い物からくだらないものまで。そのうちの一つが特に私の目を引いた 。『高校時代の卒業写真見つけたwww」見なくては。私はかちりと左クリックした。
彼はとってもブサイクだった。
ああ、私はいくら心が綺麗でも見た目が醜悪な獣は愛せない女なのだな。そう思い至った。美女と野獣のベルには決してなれないのだ。自身の人としての器の小ささを思い知らされる。これ以上彼のことを思うと辛い。
さようなら。私の愛した人。
彼のことを知ったのは水曜昼休みに見てた呟けるタイプのSNS。
知人のリツイートから回ってきた文章は軽妙で彼の人柄を表しているかのようだった。別にただの気まぐれだった。FF外から失礼しますというやつだ。知りもしない相手だけれどネットを介せばどうってこともなく下らない感想を送る事ができた。そんなしょうもない文章に彼は律儀に、かつセンス良く返信してくれた。自分の言葉に反応してくれる。たったそれだけのことなのになんだかとても嬉しくて。私はそれから彼をフォローして偶に彼の投稿にコメントを送っていた。そしてそれを毎回返してくれる彼。仕事で疲れた日も何気ないやり取りでほころんでいく。気が付けば彼も私によくコメントを付けてくれるようになっていろんな話で盛り上がった。好きな物嫌いな物、趣味や仕事。その日起きた事件や ニュースの話。どんどん彼が肉付けされて、ネットの向こう側にいた彼がどんどんリアルに近づいていく。そして彼の生い立ちやプロフィールを聞いてもっと彼のことを知りたいという欲求が高まっていた時だ。彼からオフ会の誘いがあったのは。ネット上でしか知らない相手と会うことに抵抗が無いわけじゃない。でもそんな不安よりも断然彼に会ってみたいという気持ちが勝った。私は一番のお気に入りのワンピを着て彼との待ち合わせ場所に向かう。彼は銅像前でブルーのTシャツを着ているそうだ。幸い青色の服は一人しかいなかったのですぐに検討が付いた。決して目の良くない私だが遠目からに彼の顔をのぞき見た。
一目ぼれだった。あんなにも話しやすくて、こんなにもかっこいいだなんて。私はドギマギと高鳴る胸を押さえつけながら一歩一歩彼に声をかけようと近づいた。
5 m。 3 m。 1 m。私は一筋の涙を流した。
彼はまじでくさかった。
こんなにも生理的に不可能な要素があるだなんて。流した涙は臭いが目に染みたからだろう。そのまま声をかけることもせず私はその場を立ち去った。さようなら。私の愛した人。
彼のことを知ったのは木晩食事時のテレビ。
キラキラ輝くステージ、笑顔がまぶしい男たちの中でも彼は一際まばゆく光っていた。
非日常を私に。平穏な毎日を送る私に彼は夢と刺激を与えてくれた。彼の姿を見ている時間だけは全てを忘れられた。端正な顔立ち、美しい声、面白いトーク。どれをとっても最高だ。商売柄これが全て作られた物であったとしても、そうすることができる人間がどれだけいるのかしら。そう、これ以上何を求めるというの。仮初の姿だとしてもそれが私の理想であるなら追い求める他ないじゃない。私は熱狂的な追っかけへと変貌した。コンサートは全て通ったし関連グッズも買い漁った。番組も余さずリアルタイムで追いかけたし出待ちすることもあった。車に乗り込むまでの短い間でも彼は私に笑いかけてくれる。彼の歩いた後の道はふわりと花の香りがした。もっともっと彼にお近づきになりたい。どうすれ ば彼と同じ舞台に立てるかしら。事務所で働く?マネージャー?いっそのこと私も芸能人を目指してみる?うんうん唸りを上げていると付けっ放しのテレビからニュースがぬるりと耳へ流れてきた。
彼はなんと同性愛者だった。
私は唖然とした。魅力的な人だからいつ誰に取られてしまうか分からない。だからこそ焦っていた矢先、まさかライバルは男だったなんて。それ自体は否定しない。人を好きになる感情に歯止めなどかけられないのだから。だけども私を愛せない人を私は愛せそうにない。
さようなら。私の愛した人。
彼のことを知ったのはふらりと立ち寄った金曜深夜のバー。
私は愛に飢えていた。というのも一向に理想の彼と出会えないからである。白馬に乗った王子様、とまでは言ってないのだからここらで一つ私に手を差し伸べてくれる優しい男性はいないのかしら。そんなことを口にも出さず一人きつめのアルコールを嗜んでいるとやさぐれていたこともありすっかり酔いつぶれてしまっていた。しばらくしてから目を覚ますと私の背中には薄手の布がかけられている。寝ぼけている私に声をかけたのは店のマスターだった。大人の包容力。これだ。人から優しさを向けられるなんて久しぶりのことだった。最近は殺人事件が多発しているとの事で夜道を女の子一人で返すわけにはいかないと彼は私を家まで送ってくれた。私なら大丈夫なのに、いくら家の方面が同じだとしてもここ まで見ず知らずの人間にしてくれるだろうか。思い当たる節は一つ。彼も私に気があるに違いない。
それから私は店に通った。それもなるべく他の客が少なそうな時間を狙って。二人っきりの時間を過ごしたかったのだ。彼もきっとそう思っているに違いない。そうして私と彼は逢瀬を交わした。話さない時間の方が多かったが同じ空気を吸っているのだ。キスをしたも同然だろう。男性経験の無い私からすればもう結婚するしかないわけだ。
彼は普通に既婚者だった。
それまで私の話を聞くばかりだった彼が自分の妻と子供の話になると驚くほどに饒舌になる。そんな彼は今まで見たことないくらい幸せそうに口元をほころばせていた。終いには気恥ずかしそうに謝っていたが。そっか。彼にはパートナーが、私以外のパートナーがいたんだ。そっかそっか。とんだ一人相撲だったな。急速に気持ちが冷めて行った。私だけの物にならないのならいらないのだ。というか現在のパートナーも勿論そうだけれどきっと私は過去に私以外の女を愛した男は愛せない。童貞厨なのだ。
さようなら。私の愛した人。
彼と再会したのは土曜終電待ちの駅。
休日出勤プラス残業というコンボにずたずたに打ちのめされた私はただ足元の黄色い線を眺めていた。今の私には何もない。何をするでもない。私の人生に意味などない。前を向く気力などない…いや、だめだ。ほんの少しだけ、空元気でも前を向こう。そしたら何か変わるかもしれない。ゆっくりと、視線を上げる。
黄色の線の前には無機質な線路が寝そべっていた。
ああそうか。そういうことなんだ。決して死にたいわけじゃない。だけど生きるのがもう面倒なんだ。ぷあーっと電車が音を鳴らしながらホームに入ってくる。足を数歩前に出せば。踏み込んでいくのは得意なのだ。私の足は驚くほどに名残もなく地面から離れた。
そんな私を止める声が横から聞こえた。
私は前ではなく横を向くべきだったのだ。
私の足を止めたのは小中学校と一緒だった幼馴染だ。別に私が線路に飛び出そうとしたのに気付いて止めたわけではなく旧知の人間に偶然出会ったから声をかけただけだったようだ。まぁいいか。二人で電車に乗り込むと近況報告から会話は始まる。彼もこっちに出てきて営業の仕事をしているらしい。今日は取引先との飲みの帰りだとか。ちょっとお酒とタバコくさい。ただ、子供の頃しか知らない彼がそうした大人の臭いをさせているのは何とも不思議な感覚だった。どこに住んでいるのか聞くと丁度私の降りる駅の一駅向こうらしい。案外近いところにいたもんだ。彼も驚き笑って見せる。こんなに陽気な人だったかしら。お酒のせいもあるかもしれないけれど。きっと営業という仕事もうまくこなしているの だろう。私はそういう共感性みたいなものが欠けているから少しうらやましく感じた。昔話に花咲き始めた所で丁度私の降りる駅についてしまった。しまった。折角だから連絡先でも交換しておけばよかったか。まぁ今日みたいにまた逢う日もあるだろう。私はじゃあねと電車を降りた。彼もいっしょにホームに降りた。
なんで?聞くと彼はもう少し私と話したいだとか。あと夜道は危ないだとかで家まで送ってくれるらしい。
…私はこういうのに弱いのかもしれない。
歩きながら昔のことをいろいろ話した。特に彼とは接点があったわけじゃないけれど共通の話題には事欠かなかった。気づけば私の家の前だった。どちらが言うでもなく連絡先を交換する。それから彼はさっと帰っていった。上がりこんでいこうとしないあたり好感が持てる。プラス 10 点。
それからちょくちょく彼から連絡が来るようになって、ちょくちょく休日に遊んだりして、ちょくちょくお酒を飲みに行ったりする日もあった。幸いにも彼も私もお酒が好きだったもので。
店飲みばかりしていると高くつくということもあり今日は私の家で宅飲みをすることになった。彼を家に上げることに抵抗はなかった。次の日は休日ということもあり二人でいつもよりいいペースで缶やらボトルやらをあける。チャンポンだ。酔いが回る。彼の前だから気を抜いていたのもある。ブロックで買った生ハムをスライスしてつまみにちびちびとやっていると。ふと無音の時間が訪れた。
彼が私に告白するまでそう時間は掛からなかった。
それこそ小学生のころから私のことが好きだったらしい。気恥ずかしそうに、でもはぐらかすことなく真剣に。私の目を見て愛の言葉を彼は紡ぐ。決してイケメンとは言えないけれど愛嬌のある顔。ワクワクしたりドキドキするようなパフォーマンスやトークで私を楽しませてくれるわけではないけれど一緒にいると落ち着ける。私を愚直に愛してくれるその姿勢は嫌いじゃない。というより、好き。そうか幸せの青い鳥はここにいたんだ。
私は彼の言葉にうつむきがちに頷いた。お酒の力は借りたけど、本心からだから。そんな彼の言葉にもなんだかムズムズとする。そのまま彼は私と触れ合う距離まで近づいた。やっぱりお酒とタバコの臭い。決して嫌いじゃないけれど。期待と、緊張と、不安と。いろんな感情がないまぜになって頭がぼーっとしてくる。彼は私の首筋に手を回し、そして。
彼は私の首を力の限り締め上げた。
彼はただの殺人鬼だった。
昔から知っている仲だけれどまさか彼にこんな一面があっただなんて。愛してるから殺すんだって。理解不能な言葉を口にしながら、謝りながら、それでも首を絞める力は緩みそうにない。流石に私を殺そうとする人は愛せない。さようなら。私の愛した人。
覆いかぶさる彼の首に私はナイフを突き立てた。
私は常に初恋でなくてはならない。なぜなら私が彼にそれを求めるのだから。彼を愛した証拠さえなければ私の初恋はいつまでも綺麗なまま。理想の彼に私の初めてを全部あげられる。だから私の愛した人がいたら不都合なの。不利益なの。不愉快なの。だから私は私の愛した人とさよならするの。永遠に。
日曜の午後、私は一人紅茶をすすった。