私以外に誰もいない部屋の中で
3月某日。
私、高木 麻衣香は『なろうブックストアー』という本屋でバイトをしている。
「ふーっ……終わったね……」
「サイン会、やっと終わりましたね」
今日はサイン会があったからいろいろと大変だったんだ。
アルバイトなのに、5人の書籍化作者さん全員のサイン色紙をいただいた。
「麻衣香ちゃん、お疲れ様!」
「高木さん、明日はお休みだからゆっくりしなよ」
バイトの先輩と店長がそう言ってくれた。
「ハイ! お先に失礼します! お疲れ様でした!」
「また、明後日ね!」
「お疲れ様でした」
こうして、本屋のバイトを終えた私は近くのスーパーへ向かって自転車を走らせ、そこで適当に食材を購入し、自宅へ帰った。
†
「ただいまー」
私が自宅であるマンションに着くと、返事を返してくれる人は誰もいない。
スーパーで購入してきた食材を使って適当に夕食を作っている時だった。
『……かいて……』
小さい女の子の声が私の耳に入ってきた。
私は思わず周囲を見回した。
えっ!? さっき、「書いて」って言ったよね……?
この部屋に幽霊!?
ありえない!
だって、このマンションはワケアリ物件じゃないのに……。
『……ねぇ……かいてよ……』
その声が再び私に話しかけてくる。
私は料理をしている手を止めた。
何これ!? マジで怖いんですけど……。
「ごめんね……。今、お姉さんはご飯を作ってるところだから、しばらく待っててね」
誰もいないはずなのに、その声に反応してしまい、大人の反応をしてしまった。
†
私はあの声が再び聞こえないうちにご飯とお風呂を済ませ、洗濯機を回す。
その間に私はベッドに横になり、スマートフォンの電源を入れる。
その電源が入るとメールが数件受信された。
メールチェックを一通り終えると、私はブラウザを開き、あるサイトにアクセスする。
『小説家になろう』。
そのサイトにはたくさんのユーザーが小説を投稿したり、読んだりすることができる。
私も何作品か連載作品を投稿しているが、最近はスランプ気味で更新できない日々が続いている。
「うわー……結構止まってるなぁ……」
連載中の作品のトップページを見ると、停滞期間は短いもので半年、長いもので1年と表示されていた。
いい加減に進めないとなぁ……と思ったやさき、
『……かいて……』
と再びあの声が聞こえてきた。
もう! なんなのよ!
人が少しだけ書こうとしてるのに!
『……おねえさんがかかないと、わたしは……』
その段階で私は気づいた。
その声は私が考えた私だけのオリキャラだったのだ。
「で?」
私は顔も名前も知らない女の子に問いかける。
『……わたしはおねえさんにみすてられちゃうの……?』
「…………」
そうか。連載作品が止まるということは私がそのキャラを活躍させずに見捨てているのと同じ。
他の連載作品を始めると忘れ去られてしまう。
私は他の連載作品が楽しくて、その作品は後回しにしたり、バイトが忙しいことを言いわけにしてきたから……。
だから、あの子は私に「早く書いて」と催促してきたんだと思う。
『……おねえさん、ごめんね……』
「行かないで!」
『……どうせ、わすれてるんでしょ……わたしをみすてて、ほかのこがたいせつなんでしょ……いなくてとうぜんなんでしょ……?』
「いなくて当然ではないよ! 私は最後まで責任を持って書くから!」
『……やくそくしてくれる……?』
「うん」
あのあと、その声は私の耳に入らなくなった。
†
翌日。
私はスマートフォンの未送信メールフォルダを開き、久しぶりに昨日の女の子が登場する連載作品の続きを書こうとした。
確か、ここらへんにあったはず……。
私はスマートフォンの画面を指で滑らせながら、その作品のタイトルを探す。
あった。そのメールを開くと短いけど、何か書いてある。
「……あれ……?」
いざ書き始めようとしたが、私の頭にあるはずのその作品のオリキャラはもちろん、世界観や設定はすべて忘れていた。
「あの作品、最後まで書きたかったなぁ……」
私は泣く泣くその連載作品を『小説家になろう』から削除した。
最後まで読んでいただきありがとうございました。